道竅談 李涵虚(164)第十八章 再び神、気、精を論ずる

 道竅談 李涵虚(164)第十八章 再び神、気、精を論ずる

この「人元」の始めには、採元の妙諦がある。それを求めるための秘機があるのである。そうであるから「人が天に還る」とは、元精を採って元気を補うことなのである。元気を煉って、元神を養うのである。元神を煉って、真神とするのである。ここに後天の修行は成就され、返本還元、抱元守一の境地が得られる。

〈補注〉「人元」の修行では「採元の妙諦」があるとする。これが往々にして「房中術」などと誤解される。人が「先天」を知るのには後天の精、気、神をベースとする他ない。後天の精、気、神をしてどのように先天を知るのか、ここに「妙諦」があるというわけである。これはいうならば日常生活の中でこそ悟りが得られるということにである。人はたとえどのような山奥で孤独な修行をしようとしても長期にわたって一人でいることはできない。どうしても他人と係りを持つことになる。そうであるなら山奥に籠っても、普通の生活をしても変わりがないと考えられる。「採元の妙諦」とは真の修行は市井においてこそなされるということに他ならない。そうであるから本当の隠者は街中に居る(大隠は市井に隠れる)といわれているのである。

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