道竅談 李涵虚(154)第十七章 神、気、精を論ずる

 道竅談 李涵虚(154)第十七章 神、気、精を論ずる

また問う。

「元神と真神とはどのようなものですか」

「元神は盛んに活動していて厳かである。真神は朗らかで明らかである。一にそれが隠れると混沌として光の無い状態になる。一つに鍛錬を経ると有用となる。儒家は静安をして深く考えることができるとしている。釈家は空なる修行をすることで安定した瞑想に入って智慧を得る。これが真神の妙である。こうしたことからこう言えるであろう。元神は無知であり無識である。識神は多く知ることができるし、多く識別することができる。真神では完全なる知を得ることができて、完全なる識別が可能となる。そうであるから真神の働いている童子はそのままで『清』らかな修行をすることができる。しかし大人は必ず『静』の修行をしなければならない。そうして完成された真神を求めるなければならない」

〈補注〉神仙道でいう「神」とは「思考」「認識」の働きをいうものである。その根源となる元神の働きは無為自然であり、それはいうならば全く「受け身」なのである。外的、内的な事象をそのままに受け取るのが「元神」である。しかし、「神」は往々にして欲望によって曇らされているところがあるので、正しい思考や認識を得ることができないことがある。それを避けるには真神の「鍛錬」をしなければならない。儒教では「静安」な瞑想である静坐によって真神は開かれると教えている。また仏教では「空」を悟るための瞑想である坐禅をすることで真神が開こうとする。

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