道竅談 李涵虚(166)第十九章 性命の順逆

 道竅談 李涵虚(166)第十九章 性命の順逆

〈要点〉

ここでは「順」を儒教のアプローチ、「逆」を神仙道のアプローチとして、これらは最終的には天神人の合一を目指すものとする。「順」では内的な悟りを先に得てそれから心身が整うことになる。それに対して「逆」では心身の状態を整えることで悟りを得るものとする。これは神仙道での「煉己」の位置づけとも関係している。神仙道では修行の始めに「煉己」を修するとする派もあるし、最後に修すべきものと教えている派もある。「煉己」とは「虚」の認識を得ることである。「煉己」を始めに修するとする派では、「虚」へに認識がまったく無い状態ではそもそも神仙道の修行に入ることができないとする。これに対して「煉己」を最後にもってくる派は「虚」への完全なる認識を得て神仙道の修行は一応の成就をみると考える。要するに「虚」への認識が浅いか、深いかの違いが「煉己」を最初にするか最後にするかの違いとなっているに過ぎない。

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