道竅談 李涵虚(174)第二十章 玄関の一竅

 道竅談 李涵虚(174)第二十章 玄関の一竅

また、そこには「生」も「死」も共に存しているのである。「死」とは何を言うのであろうか。それは黄庭、気穴、丹田のことであり、これを「中」とするのであり、これらは「死」に属している。「生」とは何を言うであろうか。それは凝神、聚気であり、ここに「中」が生じる。つまりこれらは「生」に属しているのであって、これらは「中」とされ「生」のものである。「死」をもって論ずるならば黄庭、気穴、丹田、「生」をもって論ずるならばつまりは玄関の一竅ということになる。そうであるから玄関の一竅は虚無の中に生じて、真機はここに表れている。これを得た者は秘すべきである。

〈補注〉黄庭、気穴、丹田は後天の肉体に属るものであり、それがバランスが取れている「中」にあったとしても死を免れることはできない。一方で凝神、聚気は心身の統一であり、これは先天と後天をむすぶもので、これにより生死を越える認識を得ることがdきる。

このブログの人気の投稿

道徳武芸研究 八卦拳の変化と蟷螂拳の分身八肘(8)

道徳武芸研究 改めての「合気」と「発勁」(6)

道徳武芸研究 八卦拳から合気道を考える〜単双換掌と表裏〜(4)