道竅談 李涵虚(156)第十七章 神、気、精を論ずる

 道竅談 李涵虚(156)第十七章 神、気、精を論ずる

また問うことあり。

「元気と真気とはどのようなものなのでしょうか」

「元気とは子供が天からそれを得ているものである。いうところの体を作る気であり、年を重ねるにつれて体を育てて行く。しかし真気はそうではない。真気は先天元始の祖気である。虚無の中から来るもので、真師の口訣を得なければそれを知ることはできない。先に乾坤の鼎器を設けて、真龍と真虎を和合させ、真陰と真陽とをひとつにする。そうすると半個の時、辰に、鉛母を結ぶことになる。この時に鉛の中に陽を生ずる。これが真気である。そうであるから天は元気をして人を生むのであり、道は真気をもって仙、仏を生むのである。人元の煉気の法には、天地の造化を奪うものがある」

〈補注〉元気は先天に属するもので、これから後天の気が生まれる。それに対して真気は先天の気であり、これがあることで先天の気(元気)と後天の気(気)が一つになる。真気を開くには「虚」への認識がえられなけばならない。「乾坤の鼎器」の「鼎」は下丹田で乾坤は陽と陰である。これを下丹田で融合させるわけである。「真龍」は神であり、「真虎」は精である。これも下丹田で融合をすることになる。「半個の時」とは一時間の半分であるがこれは陰陽の半分の陽が発現する時であるということである。また「辰」は北極星のことで、全ての星は北極星を中心に天を巡っている、「辰」は先天後天の合一の「核」となる先天真陽の一気が開かれることをいっている。この先天真陽の一気が、鉛母である。鉛母は腎(坎 陰陽陰)の一陽である。これを真気としている。真気が開かれることで心身の融合が始まるのである。

 

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