道竅談 李涵虚(159)第十八章 再び神、気、精を論ずる
道竅談 李涵虚(159)第十八章 再び神、気、精を論ずる
老子などの道家では完全なる「徳」の実践は「道」を悟らなければ不可能であるとする。あるいはそれは「道」の悟りを得てから「徳」の実践をするのは先天から後天へ至るものであり、不十分でも「徳」を実践して行く中で「道」の悟りを得ようとするアプローチは後天から先天へと至るプロセスであるとすることができるであろう。「徳」は無為自然においてなされるものである。無理なく自然な善行であれば、それは一応「徳」の範疇にあると考えて良いであろう。しかしそれが真に「徳」の実践たり得ているのかはその人に先天への覚醒、道の悟りが無ければ分からないとする。