道竅談 李涵虚(155)第十七章 神、気、精を論ずる

 道竅談 李涵虚(155)第十七章 神、気、精を論ずる

或いはまた問う。

「元精と真精とはどのようなものなのでしょうか」

「元精は自らが有している。真精は相手が有している。自らが有しているとは、元精が絳宮(中丹田)の混然たる気であるということである。これを蓄えること久しければ霊液(唾液)を生じる。相手が有しているとは、真精とは華池の盛んな気のことである(唾液が盛んに生じること)。『悟真篇』でいう『首経』とは真精のことである。八月十五日(満月)に金気が充分となって、水潮が生じる(金生水)。ここに『真(心のまこと)』と『信(行為のまこと)』の二つが一つになるのである。修行者はこの『精』のあることを知ったならば、一口でそれを吸うべきであるが、この瞬間に天仙となれるかどうかの分かれ目となるのであり、この『精』は一般的な精とは違っている」

〈補注〉以下には「精」「気」「神」について「元」と「真」との関係が述べられている。ここで教えられていることは「金液還丹」と称される段階である。絳宮(中丹田)で「元精」が蓄えられると霊液(唾液)が生じるとする。これを「土生金」「金生水」の過程と解するのである。「土」とは先天と後天の合一した状態である。そうなると「金」が生じる。「金」は五行で肺をいう。つまり呼吸が整うということである。呼吸が整えば「水」が生じる。「唾液」が沸いてくるのである。確かに瞑想をしていて心が落ち着き、呼吸が静かに深くなると、リラックスが得られるので口が乾くようなことがなくなる。

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