道竅談 李涵虚(161)第十八章 再び神、気、精を論ずる

 道竅談 李涵虚(161)第十八章 再び神、気、精を論ずる

こうした人ととの係りの中で初めて先天を知るという言い方は、往々にして房中術のようなものと誤解されるが、そうではない。先天を知るとは「性」を知るということなのであり、「性」とは「人が持っている本来的な心の在り方」をいうのである。これを儒教では具体的に「仁」として教えている。仏教では「慈悲」としている。大乗仏教では「慈悲」の実践、つまり「菩薩行」が悟りへの道となることを見出したが、それはまさにそうした実践を通してこそ人が本来持っている心の在り方を知ることができることが分かったからに他ならない。

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