道竅談 李涵虚(167)第十九章 性命の順逆

 道竅談 李涵虚(167)第十九章 性命の順逆

武術では一般的に「逆」の道をとる。ただ「虚」への認識を得た指導者の動きを真似ることで心身が次第にあるべき状態となり、そうなると意識も変化をして自ずから「虚」への認識が得られるとする。楊澄甫の大弟子の陳微明は「順」の道である静坐の修行と、「逆」の道である太極拳の修行とを比較して「太極拳は弊害が少なく容易である」としている。静坐では人の持って生まれたままの心の状態を知れば良いだけであるので、ただひたすらに静かにしていて自己の内面を見つめることに努める。しかし、こうした方法は往々にして誤った道に迷い込み易いであろう。大東流の佐川幸義は「最後に合気を習得できる直前にあきらめてしまう人が多い」と述べていたが、それは真実である。人は大きく自分の心身が変化するのをなかなか受け入れられないからである。心身の変容を目指して修行を始めてもそれが本当に起こり始めると恐れを感じてしまうものである。それを乗り越えるのは執着を捨てることが大切である。今までの価値観を捨てるわけである。鄭曼青が「己を捨てる(捨己)」を太極拳の第一としているのはそうしたことと関係しているからである。

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