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宋常星『太上道徳経講義』(42ー9)

  宋常星『太上道徳経講義』(42ー9) 人の教えることを我もまた教えよう。「梁が強ければ、死ぬことはない」と。 古の聖人が、天下に教えを垂れたのは、特に「強いものを避けて弱くあれ」ということであった。「剛」を去って「柔」を用いるのであり、人々をして「冲和の気」をして心を涵養せしめることであった。そうして「謙譲の理」のままに生きることであった。こうした人は「強梁の徒」とすることができよう。ここに強さは自然に化して柔順となる。そうであるから老子は今また自分はこれを教えるとしている。「人に教える」とはこうした意味なのである。つまり「人の教えることを我もまた教えよう」である。ただ、広い天下や後世の人にあっては「柔和の道」が「生の道」であることを知ることなく、あるいは声望に頼り、あるいは強権的なことを行うことが「強梁」であると考える人も居るかもしれない。こうした「強梁」は「死の道」である。そうであるので「梁が強ければ、死ぬことはない」とされている。今の世を憂い、古を思って嘆くばかりである。 〈奥義伝開〉「梁が強ければ、死なない」というのは当時の格言であろう。家の梁が強ければ地震などで倒壊することはないという教えである。これは何事にあっても中心となるものがしっかりしていなければ、その大系は容易に崩壊してしまう、ということである。

宋常星『太上道徳経講義』(42ー8)

  宋常星『太上道徳経講義』(42ー8) そうであるから物はあるいは損することがあれば益することがあろう。また益することがあれば損することがあることになる。 ここでは損益の道(道理)について述べられている。「物はあるいは損することがあれば益することもある」とは、王公が「孤」「寡」「不穀」を謙遜して自称するようなもので、これは「損」であるということができる。そうすることで国は安泰で民も安らかで居ることができるのである。そうなればそれは真の「益」であろう。もし「王公」が奢って自分だけのことを考えていたなら、これは一見しては「益」であるが、政治は乱れ民は苦しむことになる。そうなればこれは真には「損」ということになる。こうしたことからすれば「益」と見えることが実際は「損」であることもあるし、「損」と見えることが本当は「益」であるということもあるわけである。つまり「満つれば、必ず損する」のであるし「譲れば必ず進められる」ものでもあるのである。これは一般的に見ることのできる道理といえるであろう。修行をしようとする人は、必ず慎まねばならない。そうしたことを「あるいは損することがあれば益することもあるであろう」と述べているのである。 〈奥義伝開〉ここも同じく「損」という概念を得たならば、自ずから「益」という概念も得ることになるのであり、それは反対に「益」という概念を得たならば「損」ということも自然に認識されるようになるわけである。こうした例を老子はよく用いている(第二章)。武術でも攻撃力を得ることは自らを守る「益」にもなるが、同時に自らを「損」することにもなるので注意が必要である。力を持てば使いたくなる。そうすると武術を使わなくても良い場面で使ってしまい、自らを傷つけることにもなり兼ねないわけである。重要なことは「益」と「損」とのバランスである。武術でいうならあまり強くなり過ぎないことが好ましいとされて太極拳のような練習法が最も優れていると見なされている。

道徳武芸研究 八極拳「頂肘」を考える(4)

  道徳武芸研究 八極拳「頂肘」を考える(4) これは武術に限ることではないが、あらゆる運動の練習は目標とする一点に、その成果が収斂されるようなシステムが組み立てられている。水泳でも、野球でも、練習の全て特定の能力を高めるためのものとして為されている。もし、そうした観点からして必要とないと見なされた練習は、当然のことながら為されなくなってしまう。武術においてもあらゆる練習は「実戦」という目的の一点に向かうものである。今回、考察を加えた「頂肘」の用法が見えなくなってしまっているのは「頂肘」だけを八極拳というシステムから独立したものと考えるからである。重要なのは、これを鉄山靠をも含めた練功をも視野に入れた解釈がなされなければならないということである。その大きな要因として「把子拳」という視点が抜けてしまっていることに問題があるように思われる。ただ相手を掴んでの攻撃は非常に危険なもので、殴打などによる死亡事件の多くは相手を掴んでいた、とが報じられることが多い。そうしたこともあって今日、ほとんどの武術では相手を掴んでの攻撃を伝えていない。ショー格闘技で上着を付けさせないのも、グラブを用いるのも、共に掴んでの攻撃をさせなくさせるといった意図が一方にはある。

道徳武芸研究 八極拳「頂肘」を考える(3)

  道徳武芸研究 八極拳「頂肘」を考える(3) 八極拳の「鉄山靠」は体当たりであるが、体当たりは実戦ではひじょうに有効で太極拳では「靠」として用法の秘訣にもなっている。太極拳の中でも「文人拳」として知られる鄭子太極拳(簡易式)であるが、それでも非常に「靠」の練習が重視されていて八極拳と同様に壁に背中を打ち付ける練習をよく行う。また八卦拳でも対練で体を打ち付け合う練習をする。日本の剣術にも体当たりはあって、以前は竹刀剣道でも体当たりは盛んに行われていた。私見によれば「頂肘」は体当たりに導くためのものであると考えている。つまり、これは柔道でいう「釣り手」ではないかと思うのである。相手の胸のあたりを掴んで引きつける。この場合に左手はこれも柔道でいうなら「引き手」ということになる。釣り手と引き手で相手を捉えて体当たりをする、これが八極拳の実戦における基本的な戦法でなかったのかと思われる。

道徳武芸研究 八極拳「頂肘」を考える(2)

  道徳武芸研究 八極拳「頂肘」を考える(2) 八極拳では小架でも大架でも始めの「頂肘」の動作があるのは、この技が重要と考えられていたからに他ならない。しかし「頂肘」を肘打ちと解釈したなら実戦性には大きな疑問が生じて来ることを前回、指摘しておいた。およそ八極拳でも、太極拳でも、それらにおいて一個の技・動きはシステムの一部として機能している。そうであるなら一個の技・動作はシステム全体から解釈されるべきであり、そうした中で矛盾なく理解されるものでなければならないわけである。「頂肘」の用法を解き明かす鍵は「把子拳」と「鉄山靠」にあると思われる。「把子拳」は八極拳の古い名称とされるが、これは八極拳の用法を示すものであり、この名称が用いられなくなったのは、重要な用法を隠すためであったとも考えられる。「把子拳」とは指を折り曲げるようにした「拳」で、これは相手を掴むことを意図している。同様なものに鷹爪手などもあり、相手の服などを掴むための指功が重視される。また「鉄山靠」は体当たりである。

道徳武芸研究 八極拳「頂肘」を考える(1)

  道徳武芸研究 八極拳「頂肘」を考える(1) 八極拳といえば始めに出てくる「頂肘」の動作が有名である。ただ肘を高く上げる動きは他の武術では余り見ることのできないものでもある。そうしたこともあって「頂肘」は八極拳を特徴付ける動きともなっている。そして、これは肘打ちであると説明される。しかし攻防の観点から言うなら「頂肘」を肘打ちとすると、余りにも無防備な技であると言わなければならない。攻防を形通りとして、相手に対して横向きになって肘で攻撃をする、ということになるようであるが、それでは体側・脇は大きく空いてしまう。つまり体の後ろも前も共にほぼ無防備で相手の攻撃を容易に許す形になるわけである。そうしたこともあって、実戦での解説となると肘を体の前に上げる形にする、と説明していることもあるようである。この形であれば体側や背中のスキは無くすことができるが、肘打ちは近い間合いでないと使えない。つまり肘打ちをする間合いまで相手に近づく間に容易に反撃を許すことになってしまうわけである。多くの武術で肘打ちはあるが、特別な場合の用法(相手に抱きつかれるなど)とされているのは、通常に用いるには危険が余りに大きいためなのである。

宋常星『太上道徳経講義』(42ー7)

  宋常星『太上道徳経講義』(42ー7) 人の悪(にく)むのが、ただ「孤寡」であり「不穀」であれば、また「王公」と称されるものもある。 ここで示されているのは、一般的に考えられる不調和のことである。ここでは「人の悪(にく)むのは、ただ「孤寡」であり「不穀」であって」とある。「冲気」によって調和は得られ、それは万物に及んでいるばかりではなく、「王公」も等しく「冲気」の影響下にある。つまり「冲気」があるから国を治め天下は泰平であることができるわけなのである。そうであるから和合を欠く「孤寡」や「不穀」は「人の悪(にく)む」ところとなるのである。「孤」は頼る人が居ないことで、「寡」とは徳の少ないこと、「不穀」は不善であるということである。こうした「孤」「寡」「不善」はだれでも自分がそうありたいと思うものではなかろう。今「王公」として天下に貴ばれる位にある者が、反対に最も貴ばれることのない「孤」「寡」「不穀」を自称するとしたならば、それはどいうったことになるのであろうか。それは自らを貴ばず、尊しとしない虚心の境地にあるといえるのである。 〈奥義伝開〉人が好ましくないものとして「孤(両親が居ない)」や「寡(配偶者が居ない)」あるいは「不穀(食べて行けない)」という状態を発見したなら、その対極にあるものとして「王公(王や貴族)」が見出されることになる。これは言うならば社会に居場所の無い人とある人の違いでもあろう。多くの人は「孤寡」「不穀」と「王公」の中間に居て、ある場合には「孤寡」「不穀」に近づき、ある時には「王公」に近づいている。逆に「孤寡」であり「不穀」を気にしなければ、その人は「王公」と等しいとも言えるわけである。

宋常星『太上道徳経講義』(42ー6)

  宋常星『太上道徳経講義』(42ー6) 万物は陰を負っていえば陽を抱いている。冲気があれば和することになる。 万物は天地の間に生まれている。もし陰の気がなく、陽の気だけであれば、陰陽二気の交わりはなく、造物の機の生まれることもないので、万物の生れることはない。天から命(根源的な物質エネルギー)を受けて、それに気が加わって万物は生まれている。これを「(気が命を)負(おう)」という。二つの気が混じり合うと「真気」が涵養される。これが「(陰陽の気が互いに相手を)抱(だく)」である。万物にはそれぞれ内と外がある。内と外にはそれぞれに陰陽がある。陰陽には共に「負」と「抱」がある。内外にはそれぞれ陰陽があり、陰陽は互いに「負」「抱」が「合」う関係にある。「合」とはひとつになって変化をするということである。陰陽がひとつにならなければ「変」ずることもない。「変」とは「冲(ととのう)」ことでもある。「変」ずることがなければ「冲」うこともない。「冲」うとは「和」することでもある。「冲」うことがなければ「和」することもない。そうであるから陰陽、内外において、もし「冲気」がなければこれらが「和」することもないわけである。そうなると陽気は「変」ずることもできず、陰気も陽気とひとつになる(合)ことはない。たとえ「負」「抱」の理があったとしても、二気が交わることがなければ生成が起こることはない。それは苗が伸びることがなければ、実ることがないようなもので、「冲気」を得ることがなければ、二気が「和」することはないのである。そうであるから「万物は陰を負って陽を抱けば、沖気は和する」とされている。「冲」は虚である。「冲気」は「虚中の谷神の気」である。その虚気を得ることが陰陽の「変」「合」の奥義なのであり、そうなれば自然に「和」して「一」となることになる。万物の造化の機は、自然にあらゆるところに入っているのであり、これを「谷神」と称する。万物の「谷神=造化の機」がひとつに「合」わさると、天地の「冲」「和」をして、万物の「冲」「和」が「合」わさる。ここに生々の深い教えが存している。これが虚中の教えであり、これを人で言うなら、眼は虚であるからよく視ることができるのであり、耳は虚であるから聴くことができる。鼻は虚であるから嗅ぐことができ、舌は虚であるから味わうことができる。意(識)は虚であるから考えることがで

宋常星『太上道徳経講義』(42ー5)

  宋常星『太上道徳経講義』(42ー5) 三は万物を生む。 あらゆる動植物にはすべて形や色がある。「性(根源的な心の働き)」があり「命(根源的な体の働き)」がある。これらを総称して「万物」という。そしてそこには陰陽の二気が交わり、天地人の三才が成り立っている。三才が成り立つと、万物の形が生まれる。天地の働きの「理」によってそれぞれが生まれるのである。天地人の「三」は物事の始まり(才)であり、そうであるから「三は万物を生み」とされている。天地に働いている「造化」は、人はそれを得ているもののそれを見ることはできない。ただ聖人だけが、天地の「造化」や心の深奥を知って、それを用いることができている。身を修め、家を整えて、国を統治し、天下を平らかにする。それは生成の理によらないものはなく、三才の道でないものはないのである。 〈奥義伝開〉これで老子の話しは一段落する。冒頭の「道」と「万物」は法則性と普遍性を示すもので、見出された法則性は普遍的であることを教えている。またこれは普遍的でないものは法則であるとはいえないということでもある。武術でも同様で運動を止めようとすると、そこに拮抗が生まれるわけで、前に出てくる相手に拳を突き出してその動きを止めると、そこには拮抗が生まれ衝撃を与えることができる。これは誰がやっても同じことが起こる。しかし触れないで倒したり、気合で倒すような技は、特定の人しか行えない。こうした「技」は宗教の迷信と同じで学ぶべきではない。そこには日常生活に普遍化できるような「道」がないからである。

道徳武芸研究 日本の鍛錬法を考える〜剣術、柔術、相撲〜(8)

  道徳武芸研究 日本の鍛錬法を考える〜剣術、柔術、相撲〜(8) 相撲の「四股」はもとは「醜(しこ)」で古代の日本では力強いことが「しこ」つまり醜いこととして受け取られており、穏やかなことが美しいと考えれていたようである。基本的に四股は沈身の鍛錬であり、体の安定を得ることを第一とする。それには中心軸が開かれることに加えて、股関節にも「柔軟性」が求められる。この場合の「柔軟性」は股関節の可動域を広げることではなく、沈身を行うことのできること、腰が安定することのできる状況であることを意味している。そのためには足を踏み込む動作に合わせて腰を沈める必要がある。現在の力士は足を高くあげるやりかたをすることが多いようであるが、これでは沈身も中心軸の安定も得られないであろう。四股は基本的には陳家太極拳の金剛搗碓と同じである。一部に四股の秘訣として「足の裏が地面を向いたままで行う」という教えもあったらしいが、まさにそうでなければ沈身は得られないことであろう。こうした沈身の鍛錬は「すり足」にも見ることができる。すり足では地面と足の裏は密着しており、腰を落とす動作もある。つまりその場で行うすり足が四股であり、移動して行う四股がすり足ということである。このように稽古のシステムは総てを関連付けて見なければ本当の姿は分からない。

道徳武芸研究 日本の鍛錬法を考える〜剣術、柔術、相撲〜(7)

  道徳武芸研究 日本の鍛錬法を考える〜剣術、柔術、相撲〜(7) 膝行で上体を振らない場合には、膝を用いて進む勢いを得なければならない。つまり刀を用いた「発勁」の鍛錬でも説明したのと同じ「膝」の使い方を膝行でも用いるわけである。こうした身体動作が日常的に行われていたことは草履や草鞋には靴のように「踵」がないことでも分かる。それは歩く時に「膝」を入れて勢いを得ていたので、体重が足の前の方に寄っていたからである。また上体を左右に振って動くと着物は着崩れをしやすい。神道などでは供物を両手で捧げたまま膝行をするが、こうした時は当然のことながら上体が振られてしまうと供物を落とすことになる。膝行の鍛錬はそれが一通りできるようになったら、両手で三方や盆のようなものを捧げ持って上半身がぶれないように練習すると良い。そして更にそれに習熟したなら刀を中段に構えて行う。そして最後は刀を振り下ろしながらの鍛錬とレベルを上げて行くと良かろう。

道徳武芸研究 日本の鍛錬法を考える〜剣術、柔術、相撲〜(6)

  道徳武芸研究 日本の鍛錬法を考える〜剣術、柔術、相撲〜(6) 江戸時代の半ば頃からは畳の生活が日常的になって来たとされている。そしてそれと同時に正座が生活の中に取り入れられて来る。それ以前は立膝や胡座(あぐら)が坐法として広く行われていた。そうした中で正座を用いた鍛錬法が柔術や剣術(居合)などで生み出されるようになった。そのひとつが膝行である。鍛錬としての膝行で重要なことは上体を振らないことである。上体を振って勢いを付けたのでは足腰の鍛錬にはならないし、体の軸もぶれてしまう。この上体を振らない歩き方は「なんぱ」とされる歩き方そのものであり、それを坐って行うのが膝行なのである。上体を振らないというのは上体に力を溜めるために他ならない。こうして左右どちらでも変化のできるように、そのまますぐに抜刀できるように体勢を準備しておくわけである。

道徳武芸研究 日本の鍛錬法を考える〜剣術、柔術、相撲〜(5)

  道徳武芸研究 日本の鍛錬法を考える〜剣術、柔術、相撲〜(5) 日本刀を用いて「発勁」の練習をするのには、刀を振り下ろすのと膝を入れることが協調してなされなければならない。日本の武術で「発勁」というと奇異に聞こえるかもしれないが、かつては天神真楊流など当身で知られた流派もあるし、柔術の形に見られる当身を改めて寸勁の観点から見直してみると、その意図していることがより明らかとなる。つまりそれは当身が何らかの威力があったということである。加えて一般的に「発勁」としていわれる寸勁はまさに当身の間合いそのままなのである。これは剣術の鍛錬によって自然に寸勁を打つことのできる体が出来上がっていたことを意味するものでもあろう。「素振り」によって「発勁」を体得する時に特に重要となるのが「膝」の使い方である。塩田剛三は合気の当身を自然に体得していたが、塩田は「袴を付けるのは膝の動きを見せないため」と言っている。これは実戦で有効とされる当身には膝の使い方が重要であることを無意識に感じていたからであろう。そしてその秘訣は臂力の養成としてまとめられたのであるが、それを寸勁の当身につなげる「秘訣」が伝承されているかどうかは不明である。

宋常星『太上道徳経講義』(42ー4)

  宋常星『太上道徳経講義』(42ー4) 二は三を生み、 「三」とは、天地人の「三才」である。もし陰陽の二つの気が交わらなければ「三才」は成り立たない。そうであるから気の「軽清」を得たならば、それが天の道となる。気の「重濁」を得たならば、それが地の道となる。気の中和を得たならば、これは人の道である。天の道において、もし二気の交合という言い方をしないのであれば、それは五行の「気」においてなされるということができる。もし、そうした交合が天において行われなければ、天の道は成り立たなくなる。地の道にあっても陰陽の二気でなければ、その交合は五行の「質」においてなされるとすることができる。また、こうしたことがなければ地の道は成り立たない。人の道において、陰陽の二気を言わないのであれば、その交合は五行の「理」においてなされているのであり、ここに心がなければ、人の道は成り立たない。天はつまりは地であり、地があることで人は存している。天地人はすべて陰陽の二気を根本としている。そして、そには陰陽の交わりの奥深さがある。そうであるから「二は三を生み」とされている。もし、こうした二気の交合の奥義を知ることができれば、三才を知ることができよう。心の奥深さを悟ることができれば、造化の「理」を知ることができるであろう。それは人にも物にも働いているが、そこには精粗、本末があり、これらは「一」をもって貫かれている。 〈奥義伝開〉「一」が発見されれば「二」が見出され、そして「三」も知られるようになる。一旦、数の抽象化の法則が分かれば、それを応用することも可能となるわけである。それは数学だけではなく社会生活の場においても我々の意識の進化を導くことになる。それは王も「一」人であり、商人も「一」人である、ということの発見である。そうなると王と商人では「二」人ということになる。このように数という見方からすれば王も商人も共に「一」人であり、それらが並べば漁師と商人と同じく、王と商人も共に「二」人となる。つまり王と商人、漁師、これらの人は全て数の世界を通して見れば平等であることが分かるわけである。そうして見れば王が特別な存在であるとする認識は誤っていることが分かることになる。こうした意識の進化を得るのが老子のいう道を知ることなのである。

宋常星『太上道徳経講義』(42ー3)

  宋常星『太上道徳経講義』(42ー3) 一は二を生み、 「二」とは陰陽である。気の動静である。気の動は陽で、気の静は陰である。こうした動静のあることを陰陽と称する。陰陽の奥深いところは、本来的にそれらは二つではない、という点にある。太極は陰陽が分かれない前(無極、理)、それは静で陰であって、太極が出現すれば動となってこれが陽となる。陰陽が出てこない前は「理」のみがあって、それから働きとして現れるのが「気」である。「気」の働きは「理」によっているのであり、この「理」と「気」は二つは「動静」でもある。これらを統合する「一」の「理」からは陰陽の「二」が生まれる。それを「一は二を生む」としている。「動」とは「気」の働きであり、「理」をそこに見ることができる。「静」は「気」の帰るところで「理」そのものである。「動」は「理」によって働くのであり、必ず「静」が極まった後に「動」は出てくる。「静」は「理」によって動くのであるが、その「動」も必ず極まればまた「静」となる。動静は対極にあるが、これは天命(天の物質的な根源的エネルギー)の働きでもある。万物の終始でもある。もし、こうしたことをよく知ることができたならば、それを身に修するべきである。そうすることで天地の心を知ることができる。これを事象において用いたならば、そこに大いなる道の根本を知ることができるであろう。古くから聖人の道を教えは多くあるが、それらも動静の理の範囲を越えるものではない。「性(人間の本質的な心の働き)」をしてこれを言えば、人は穏やかで無欲ということになる。そうであるから「静」は「性」と同じなのである。「情」をしてこれを言えば、喜怒哀楽となる。「動」はつまりは「情」である。動静にあって、そのどちらかに偏ることがなければ、中正の道を行うことができる。つまり「性=静」から「動=情」が生まれるということが「一は二を生み」の奥義といえることなのである。 〈奥義伝開〉「一」という数が発見されれば「二」という数を見出すことも可能となる。武術でいえば「上段受け」が見出されれば「下段受け」「中段受け」の発見が可能となるということである。こうした発見を実戦の場で瞬時に行おうとしたのが意拳である。技を学ぶことのない「無」の状態から相手の攻撃が発せられて、自然に対応すれば理想的対応つまり技を出すことができると考えたのである、しかし、人

宋常星『太上道徳経講義』(42ー2)

  宋常星『太上道徳経講義』(42ー2) 道は一を生み、 天が生まれ、地が生まれる。人が生まれ、物が生まれる。普遍の造物の実理はこれを「道」という。「道」とは無極であり太極である。道が生む「一」とは、「理」であり、「理」は天地、万物にあって「理」というひとつのものとして存しているので、これを「一」とする。「道」もまた唯一の存在なのでこれも「一」である。この「一」たる「道」が天地の間において見ることのできるのは「五行」であり「四象」としてである。人においては三綱(君臣、父子、夫婦の道)、五常(仁、義、礼、智、信)としてである。これらは心身において働いており、性命、魂魄、仁義、礼智となっている。つまり「理」はあらゆる物に働いていて、それぞれの根源にある。そうであるから「理」は、それに加えることも、それを削ることもできない。道を修行する人は、よくこの「一」であることを理解しなければならない。それが分かればあらゆるものに対することができるであろう。 〈奥義伝開〉「一」を発見することで、そこに法則が見出されて数が扱えるようになる。そうした法則性、合理性が「道」と称される。ここで老子が数をあげているのは抽象化と合理性の発見の説明に最も便利であるからに他ならない。「1」が見出されれば「1+1=2」という法則も見出されることは容易に想像できよう。また、それはこの世はどうしても「1+1」は「2」にしかならないものである、ということを知ることにもなる。いくら超自然的な力を使おうとして、それが可能であると思えるようなことがあったとしても、それは誤解であり、長い目で見ればか必ず「1+1」は「2」としかなり得ないことを知れらなければならない。

道徳武芸研究 日本の鍛錬法を考える〜剣術、柔術、相撲〜(4)

  道徳武芸研究 日本の鍛錬法を考える〜剣術、柔術、相撲〜(4) 素振りにより中心軸が開かれれば「合気」も「発勁」も自ずから可能となるのであるが、これらについてもう少し具体的な説明を加えておこう。先ず「合気」の鍛錬として重要となるのは意識を刀の先の方、通常「物打ち」と称される、先から9センチくらい内に入ったところに置くことにある。それによって刀自体の重さによって相手の腕を上げることが可能となる。初心の内はどうしても相手の腕を上げようとするとむやみに力を入れてしまうので、刀の重さを用いることで力を適度に抜いて腕を上げるコツが体得しやすくなる。それが分かれば、この力の加減で相手の腕を上げれば、そのまま「合気」上げとなる。また刀を持つことで両腕の角度などは自ずから正しい位置に置かれる。そうなるのは「合気」が抜刀の時に腕を制せられた状態を想定して考案されているからである。刀を用いての「合気」の体得は「合気」発生の原初の形に近いものとして鍛錬されるわけであるから、これによって「合気」が容易に体得されるのは全くの合理性があるわけである。

道徳武芸研究 日本の鍛錬法を考える〜剣術、柔術、相撲〜(3)

  道徳武芸研究 日本の鍛錬法を考える〜剣術、柔術、相撲〜(3) まさに日本刀の発明は武術的な身体を開くという点では画期的であった。ただどうして日本刀のような形状が生み出されたのかが明確でないのも不思議である。それはともかく武術的な身体を開く、つまり中心軸を開くという点では刀の大きさ、湾曲した形状、それと両手持ちであることが鍵になる。両手持ちであることは肩甲骨の開合を可能とする。これは中国武術でいうなら肩甲骨の開合は通臂(通背)功とされる。通臂功の眼目は肩甲骨を開くことで中心軸を確立しようとするところにある。日本刀を用いた通臂功は素振りという単純な上下の運動によって行うことができる。上段に刀を構えることで肩甲骨は開となり、中段に切り下ろすことで合となる。これに加えて刀の上下運動の感覚(心身の統一感覚)から中心軸を感得することができるようになるのである。こうした感覚を八卦拳では「周天(術)」ということがある。八卦拳における「周天」には二つの意味があって、一つは円周上を歩くことで、もう一つは中心軸を開くことである。これは結果的には「正しい姿勢で円周上を歩くことで体の中心軸が開かれる」となるので、ひとまとめにされて「周天術」と呼ばれている。

道徳武芸研究 日本の鍛錬法を考える〜剣術、柔術、相撲〜(2)

  道徳武芸研究 日本の鍛錬法を考える〜剣術、柔術、相撲〜(2) かつて福沢諭吉は健康法として居合の稽古をしていたというし、徳川慶喜は日常的に膝行の鍛錬をしていたとされる。また相撲は手軽な遊びとして広く行われていた。つまり、これらの鍛錬法は今日のランニングや腕立て伏せ程に身近な存在であったのである。ただ木刀を素振りするだけでは軽い運動としての健康法以上のものを得ることはできないが、素振りは「合気」と「発勁」の優れた鍛錬法たり得た。その根本となるのは中心軸の鍛錬である。ここで言う「中心軸」とは動きに陰陽(メリハリ)を生み出すことのできる体の中心線としてイメージされるのが妥当であろう。ただ一般のスポーツ選手ではこうした中心軸は明確ではない。むしろ舞踊をやっているような人の方が、「メリハリ」のある動きを生み出すための体の軸が開かれていることが明らかである。それは武術ではただ一定の力を出すことよりも「変化」が重要であるからである。同じく舞踊でも「変化」を動きによって示すことができなければ場面の展開を演じることはできない。こうしたところが武術と一般的なスポーツとの違いである。そうであるから武術においては中心軸の開かれていない体から出される「力」を蛮力、拙力と称し、中心軸を円滑に運用して生み出された力のことを「勁」と言って区別したりするわけである。

道徳武芸研究 日本の鍛錬法を考える〜剣術、柔術、相撲〜(1)

  道徳武芸研究 日本の鍛錬法を考える〜剣術、柔術、相撲〜(1) 日本や中国には古くから優れた鍛錬法が伝えられている。しかし、それをただ盲信して練習するだけでは充分な成果を得ることはできない。何事を学ぶにしても、それぞれの「勘所」を抑えていなければ正しい、あるいは効率的な結果を得ることのできないことは言うまでもあるまい。今回は日本で育まれた優れた鍛錬法として剣術と柔術、相撲を取り上げてみたいと考えている。具体的には「素振り」と「膝行」「四股」である。素振りは剣術の基本であり、竹刀剣道でも広く行われている。また膝行は現在では合気道で見るくらいであるが、かつて正座は生活の中心に存していた。何をするにも家の中では正座が基本であった。「四股」は昨今、武術界でも鍛錬法として注目されていて、どのような「四股」が適当であるのかの議論がある。

宋常星『太上道徳経講義』(42ー1)

  宋常星『太上道徳経講義』(42ー1) 虚霊を冲気という。柔順なるものを和気という。柔順の気において虚霊でないものではないし、虚霊の気であって柔順でないものもない。それを分けていえば虚霊と柔順となるが、これを合わせれば「一」となる。この気の興味深いところは「体」や「用」、「動」や「静」が根本としてあり、それが陰陽の昇降を養い、動静自然の変化の機となって働いている点である。集散や屈伸、そうした極まりのない変化は働きにおいて見ることができる。またこうした働きにおいては「形」があるのであり、これが「気」と称される。そうであるから働きは見ることのできるものでもある。しかし根本は見ることができない。つまり根本となるものは形を持たないからで、これを「神」という。それは「形」を持たないから見ることができないのであり、見ることができないから、天地にあっては、これを「天地の谷神」という。人にあっては「人身の谷神」と称する。万物にあっては「万物の谷神」である。このように「神」とあるのは、それが具体的な存在ではなく、内も外もなく、動と静は一つであるもので、これらは感応し合うことを通して一つとなる。「気」の観点からいえば、動静があり、変化があり、去来があり、終始がある。ここにおいて「善」は受け継がれるのであり、それ以外ではない。与えることも、受けることも「気」においてなされる。道を修行しようとする人は「冲和」の重要性をよく認識しているであろうか。どのようなことにおいても「無」が実践され、どのようなことにおいても矛盾のない行動をとるのが、修身の根本であり、天下の道である。それがまさに「冲和」なのである。 この章では、人をして「和」に至らしめることが語られている。「和」とは天地の元気である。この気を受ければ、天地はあるべきことろを得て、万物は自ずから育まれる。大いなる道はそこに参入されるべきであり、そうでなければ、依るべき「強い梁」は存しないことになる。 〈奥義伝開〉ここでは「道」つまり合理性や法則性の発見が、抽象化、概念化によってなされ、それによって意識の進化が促されることを教えている。それは筆が「・」本あり、「・・」本あり、「・・・」本あるのを、筆1本の集まりではなく「一」本、「二」本、「三」本と認識できるようになることである。これにより計算が可能となって、筆以外でもどのような物でも数え

宋常星『太上道徳経講義』(41ー20)

  宋常星『太上道徳経講義』(41ー20) つまり、ただ道は、善によって成るものなのである。 ここで述べられているのは、全体の総括である。おそらく後世には大いなる道の基本も応用も忘れられてしまうことであろう。「善」が活用されることもなければ、「道」が成ることもないであろう。ここでは「道」が明らかにされていて、不分明なところはないと言える。至道は隠れており「名」を持つこともない。もし、大いなる「道」によって修行をすることがなければ、修行の依るべきところがないことになる。もし、大いなる「道」に依らないで自身を涵養しようとしても、涵養のしようがないことになる。物が成ることの機縁は「善」に依らないことはない。つまり「道」は「善」をして成るべきものなのである。この章では「道」は信じるべきものであることが述べられている。それが「道」に入るべき門となる。あらゆる聖人、真人もすべて信ずることから「道」に入ったのである。愚かな人(下士)は「道」を聞いて笑うとあるが、それは「道」を信ずることができないからである。熱心に修行をして「道」を実践して、「道」を成就する人こそが聖人であり賢者なのである。 〈奥義伝開〉最後に総括して「道」と「善」との関係に就いて述べられている。具体的に「道」を実行しようとするならば「善」なるものが基準とされなければならない、という教えである。人として倫理的にふさわしいものを基準として行動すれば、それは自ずから「道」の実践となる。何が「善」であるのかをよく考えなければならない。信ずるのも盲信であってはならない。「善」の基準に照らして符合するものでなければならない。

宋常星『太上道徳経講義』(41ー19)

  宋常星『太上道徳経講義』(41ー19) 道は隠れており、名を持つことはない。 これは、この「格言」を含めた十三の「格言」のエッセンスというべきものである。大いなる「道」には音もないし、匂いもない。形もない。至玄、至微なものである。至神、至虚なるものである。天地の間に隠れていて、誰にも知られることがない。万物の中に隠れていて、誰にも知られることはない。それがどのようなものかを知ろうとしても、具体的な形を有しては居ない。その「名」を知ろうとしても、知ることはできない。そうであるから「道は隠れており、名を持つことはない」とされている。ここでは更に道の奥深いところが尽くされ、その奥義が述べられている。 〈奥義伝開〉「名」については第一章にある。「名」が付与されることで人はあらゆるものを認識できる。しかし存在の根源は「名」に限定されるものではない。これが第一章の教えである。「道」とは合理的な法則のことであり、それはいろいろなものとして現れている。しかし総てが合理的存在であることには変わりはない。老子は時々、場面々々での合理性を追究することを求めている。それが「善」なるものの希求である。

道徳武芸研究 改めての「合気」と「発勁」(8)

  道徳武芸研究 改めての「合気」と「発勁」(8) 太極拳の「化」は相手との「力の拮抗を生まない」ことであり、これは「合気」と同じである。そして相手をコントロールするのが「走」となる。この間、相手と離れることがないのが「粘」である。これらは日本の「合気」よりもさらに詳細に「合気」を語っているとすることができよう。また太極拳の「打手歌」では「合えば即(すなわ)ち出る」とあり、これも攻防において「合気」のような相手の攻撃に逆らわないで攻防の展開を有利に展開する戦略が示されていると見ることができる。かつてとりわけ「合気」や「発勁」が注目されたのは、それを会得してしまえば従来の技法に対して接待的な優位に立てることが期待されたからであった。そうした幻想は次第に消えて行ったが、「合気」は触れないで倒すなど妄想が拡大される傾向にもある。何時の時代でも「超人願望」はそれを可能にするという詐欺的な宣伝が武術界のみならずいろいろなところに出てくるので注意が必要であろう。

道徳武芸研究 改めての「合気」と「発勁」(7)

  道徳武芸研究 改めての「合気」と「発勁」(7) 制圧に有効な投げや関節の技、そして一時的に相手の戦闘能力を抑えるのに有効な当身(寸勁)の技、これらをうまく配合させたのが日本の柔術であった。おもしろいことに近現代の中国では八卦掌が同様な発展をしている。八卦掌は本来の八卦拳が形意拳に取り入れられて発展したものであり、形意拳では主として入身の歩法(扣擺歩)を八卦拳から取り入れた。形意拳はひたすら前進して拳を打つので、その威力は大きいが、相手を追い込む入身の技術は不十分であった。形意拳では三体式に見られるように既に擺歩はあって、相手の攻撃を避けて攻めることは可能であった。しかし更に扣歩で相手を追い込むことは出来なかった。そこで八卦拳から扣歩の歩法を取り入れたのである。そのため形意拳系統の八卦掌では扣歩のみをひたすら鍛錬をする。当然のことであるが先に述べたように心身の統  を得て「発勁」を成功させるためには直線上で勢いが生じなければならない。八卦掌のような曲線上ではなかなか威力を得にくいことになる。相手に回り込んで確実に当てることはできるが威力が小さい。そこに八卦掌が投げ技として発展する要因が生じたのであった。形意拳では本来は擺歩を用いて相手を攻撃して逃げられた時には八卦拳から取り入れた扣歩でさらに相手を追い詰めようとしていたのであるが、その応用として形意拳で当身を入れて、次いで八卦掌で投げるとううパターンが生まれることになったのである。ちなみに八卦掌の元である八卦拳では尺勁も用いるので、特段に投技として展開をすることはない。

道徳武芸研究 改めての「合気」と「発勁」(6)

  道徳武芸研究 改めての「合気」と「発勁」(6) 発勁(寸勁)を成功させるには膝を前に出して体重と拳の動きを一致させること、その動きをコントロールするためにタイミング好く息を吐くことが重要である。中国では「阿(ハッツ)、吽(フウン)」などの秘訣が伝えられているが要するに、最後で鋭く息を吐くことで心身の統一、力の集中を得るわけである。日本の武術における当身が剣術の鍛錬によって「自然にできた発勁」であったとするならば、裏拳や短い距離からの肋(あばら)への当てなども「発勁」の原理による技であり、そうであったからこそ有効な技としての説明が付くことになろう。実際のところ相手を投げたり、関節を極めるなどするには相手の戦闘能力が一時的にでも失われていなければならない。それを可能としたのが当身である。そうであるなら、そこには一定程度の「威力」がなければならない。当身は成功させやすいが、それだけで相手を倒してしまうことは困難である。一方、投げや関節技は掛け難いが相手を制圧するには有効である。こうした二つの要素をうまく組み合わせる戦略として短い距離での当身は考案されたのであった。そして、そこには剣術の鍛錬を前提とした「寸勁」を可能とする心身の操法があったものと考えられるのである。

道徳武芸研究 改めての「合気」と「発勁」(5)

  道徳武芸研究 改めての「合気」と「発勁」(5) 誰でもどこでも似たようなものは生まれ出るという技術の普遍性ということからすれば「発勁=寸勁」が日本の武術にあってもおかしくはない。また歴史的には天神真楊流は当身の威力の大きかったことで知られているし、現在では心眼流や諸賞流などは当身を多用する流派とされている。問題はこれらの当身がはたして発勁と同じ原理のものであったかどうかであるが、実は発勁の鍛錬として日本刀の素振りはひじょうに有効なのである。発勁を成功させるには心身の統一が必要があるが、それは息の吐き方と膝の使い方に秘訣がある。それを一致させる鍛錬として日本刀の素振りは実に適している。そうであるならば結果として日本刀の鍛錬をしていれば自然に発勁はできることになる。日本の武術で殊更に発勁を言わないのはそれができて当然であったためとも考えられるのである。この「できて当然の当身」は合気道の植芝盛平や塩田剛三の動きからも知ることができる。塩田の考案した臂力の養成などは、勘所が分かって練習すれば優れた発勁の鍛錬法となる。

宋常星『太上道徳経講義』(41ー18)

  宋常星『太上道徳経講義』(41ー18) 大いなるシンボル(象)には形がない。 大いなるシンボルには影も形もない。形がない、というのは見ることができないということである。これを「無形」という。大いなるシンボルは、つまりは大いなる「道」の奥深い理を示すものでもあり、これは心で会得すべきもので、具体的な形をして見ることのできるものではない。こうしたことを「大いなるシンボル(象)には形がないように見えるものである」と言っている。大いなるシンボルを知る人は、大いなるシンボルと一体となっている。心は道とは一体であり、道はつまりは心とひとつになっている。大いなるシンボルを収斂させると、この身に納まる。しかし、それは有るでもなく、無いでもない。大いなるシンボルは天下に用いて窮まりない。こうしたことをして古の聖人は国を治め、身を修めていた。人はよくこれを知っているであろうか。こうしたことであるので大いなるシンボルは、形を持たないといわれているわけである。 〈奥義伝開〉ここでの「大」も「道」としての「大」である。「道」を何かで象徴しようとしても、一定のシンボルを定めることは適当ではない。あらゆる限定を超越したところに「道」はあるからである。武術の套路なども、ひとつの「象」である。攻防の動きをパターン化したものである。しかし、それが攻防そのものであるとすると、それは正しくない。攻防そのものはパターン化することはできない。ただ攻防を理解するのにそれをシンボライズした「象」を使うのは有効ではある。

宋常星『太上道徳経講義』(41ー17)

  宋常星『太上道徳経講義』(41ー17) 大いなる音はかすかなり。 口で言うことのできないようなものが「大きな音」であり、耳で聞くことのできないような音が「小さな音」である。「大いなる音」とは「無音の音」のことなのである。「かすか」な音とは「無声の声」である。例えば音階を奏でて「究極の元気(一陽の元気)」を開こうとする場合に聖人は、いろいろな音階の中から、その中核となる「音」をして「究極の元気」を開く。これは実際の音ではない。あらゆる音階は全て「究極の元気」から生じている。これが「大いなる音はかすかなり」である。この教えの重要なところは、つまりは聖人のように国を治め、民を治める時に重要となるのが、かすかな「心の声」であるということである。それはあるがままに発せられているのであるが、それを言語をして表すことはできない。こうしたことからすれば、無音の中に大いなる音があることが分かる。無声の中に小さな声があるのが分かる。それが「大いなる音はかすかなり」ということである。呂(呂洞賓)祖は「坐して無弦の琴の音を聞いて、造化の機を明らかに知る」と言っているが、それはここで言われていることと同じである。 〈奥義伝開〉ここでの「大」も大小の「大」ではなく「道」としての「大」である。そうであるから原文では「大音」と「希声」としてあり、「大小」ではなく「大」と「希」、また「音」と「声」としてこれらが対比関係にないことが示されている。「大いなる音」とは聞くことのできる音の奥にあるもので、それは音そのものとして現れてはいないことを言っている。サイレントマジョリティーという語もあるが、喧(かまびす)しくしている人の意見は少数でも目立ちやすいが、沈黙している多くの人の意見のあることを忘れてはならない、ということである。「格言」としてはこうしたものと理解できよう。白一色の世界では白を認識できない、というようなことである。一方、老子は表面的な事象の奥に真の姿(道)があることを言うものとしている。

宋常星『太上道徳経講義』(41ー16)

  宋常星『太上道徳経講義』(41ー16) 大きな器は、すぐには出来ない(大器晩成)。 物を盛ることのできるのを器という。「すぐには出来ない」というのは、容易には出来ないということである。大きな器のような人は、奥深さを養い、重厚さを身につけている。日々に修練していて、純粋な「徳」を養うことが出来ている。至善の境地を維持していて、それは天地の「理」を身につけているということでもある。どうして大きな器を簡単に作ることができようか。そうであるので「大きな器は、すぐには出来ない」とされている。 〈奥義伝開〉ここでも「当然」のことが述べられている。ただ注意しなければならないのは既に触れたように先の「大」と、ここの「大」とは意味が全く異なる点である。先の「大」は「道」と等しいものであった。しかし、ここでの「大」は「器」とあるように限りのある「大」である。それは「道」と等しいものではない。「道」の現れではあるが、「道」そのものではない。よく「大器晩成」というと「大人物はなかなか頭角を表さないものである」といった意味にとられ、それはそれで間違いではないが、老子はこうした「大器」をただ肯定するわけではない。大なる器も、それ以上に大きな器が出れば、小さな器になってしまう。老子はただ、大きな器はなかなか出来ないという当然の論理を見るに過ぎない。