宋常星『太上道徳経講義』(41ー18)
宋常星『太上道徳経講義』(41ー18)
大いなるシンボル(象)には形がない。
大いなるシンボルには影も形もない。形がない、というのは見ることができないということである。これを「無形」という。大いなるシンボルは、つまりは大いなる「道」の奥深い理を示すものでもあり、これは心で会得すべきもので、具体的な形をして見ることのできるものではない。こうしたことを「大いなるシンボル(象)には形がないように見えるものである」と言っている。大いなるシンボルを知る人は、大いなるシンボルと一体となっている。心は道とは一体であり、道はつまりは心とひとつになっている。大いなるシンボルを収斂させると、この身に納まる。しかし、それは有るでもなく、無いでもない。大いなるシンボルは天下に用いて窮まりない。こうしたことをして古の聖人は国を治め、身を修めていた。人はよくこれを知っているであろうか。こうしたことであるので大いなるシンボルは、形を持たないといわれているわけである。
〈奥義伝開〉ここでの「大」も「道」としての「大」である。「道」を何かで象徴しようとしても、一定のシンボルを定めることは適当ではない。あらゆる限定を超越したところに「道」はあるからである。武術の套路なども、ひとつの「象」である。攻防の動きをパターン化したものである。しかし、それが攻防そのものであるとすると、それは正しくない。攻防そのものはパターン化することはできない。ただ攻防を理解するのにそれをシンボライズした「象」を使うのは有効ではある。