宋常星『太上道徳経講義』(42ー2)

 宋常星『太上道徳経講義』(42ー2)

道は一を生み、

天が生まれ、地が生まれる。人が生まれ、物が生まれる。普遍の造物の実理はこれを「道」という。「道」とは無極であり太極である。道が生む「一」とは、「理」であり、「理」は天地、万物にあって「理」というひとつのものとして存しているので、これを「一」とする。「道」もまた唯一の存在なのでこれも「一」である。この「一」たる「道」が天地の間において見ることのできるのは「五行」であり「四象」としてである。人においては三綱(君臣、父子、夫婦の道)、五常(仁、義、礼、智、信)としてである。これらは心身において働いており、性命、魂魄、仁義、礼智となっている。つまり「理」はあらゆる物に働いていて、それぞれの根源にある。そうであるから「理」は、それに加えることも、それを削ることもできない。道を修行する人は、よくこの「一」であることを理解しなければならない。それが分かればあらゆるものに対することができるであろう。


〈奥義伝開〉「一」を発見することで、そこに法則が見出されて数が扱えるようになる。そうした法則性、合理性が「道」と称される。ここで老子が数をあげているのは抽象化と合理性の発見の説明に最も便利であるからに他ならない。「1」が見出されれば「1+1=2」という法則も見出されることは容易に想像できよう。また、それはこの世はどうしても「1+1」は「2」にしかならないものである、ということを知ることにもなる。いくら超自然的な力を使おうとして、それが可能であると思えるようなことがあったとしても、それは誤解であり、長い目で見ればか必ず「1+1」は「2」としかなり得ないことを知れらなければならない。


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