宋常星『太上道徳経講義』(41ー16)
宋常星『太上道徳経講義』(41ー16)
大きな器は、すぐには出来ない(大器晩成)。
物を盛ることのできるのを器という。「すぐには出来ない」というのは、容易には出来ないということである。大きな器のような人は、奥深さを養い、重厚さを身につけている。日々に修練していて、純粋な「徳」を養うことが出来ている。至善の境地を維持していて、それは天地の「理」を身につけているということでもある。どうして大きな器を簡単に作ることができようか。そうであるので「大きな器は、すぐには出来ない」とされている。
〈奥義伝開〉ここでも「当然」のことが述べられている。ただ注意しなければならないのは既に触れたように先の「大」と、ここの「大」とは意味が全く異なる点である。先の「大」は「道」と等しいものであった。しかし、ここでの「大」は「器」とあるように限りのある「大」である。それは「道」と等しいものではない。「道」の現れではあるが、「道」そのものではない。よく「大器晩成」というと「大人物はなかなか頭角を表さないものである」といった意味にとられ、それはそれで間違いではないが、老子はこうした「大器」をただ肯定するわけではない。大なる器も、それ以上に大きな器が出れば、小さな器になってしまう。老子はただ、大きな器はなかなか出来ないという当然の論理を見るに過ぎない。