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宋常星『太上道徳経講義」(2−2)

  宋常星『太上道徳経講義」(2−2) 難易、相い成り、 「難」とは、心に出来ないと思うことであり、人の力をしてはどうすることもできないことである。あるいは天の時、人の事が乱れると、協調を欠くいて、何らの達成もなすことができなくなる。こうしたことを「難」としている。「易」とは、特にそうしようとすることなく、環境も関係なく、自然にしてそうなるもののことである。無為にして為されるので、これをして「易」と謂っている。「難」しさを知らなければ、その「難」しさを畏れることもない。いろいろと考えをめぐらせて、多くのことを計画する。しかし物が物たるのは、その自然によっている。つまり、いろいろと考えあぐねる「難」は自ずから変じて、自然のままに達成される「易」となることもあるのである。しかし、こうした「易」も、そのまま「易」であり続けることはできない。思うがままにこだわりがなく、勢いに任せて、流れのままにある。こうしたことではどうしようもなくなって、「易」はまた変じて「難」となるのである。「難」が「易」となり、「易」が「難」となる。それは「難」と「易」とが共に生まれているからなのであるが、これは全て人の心によるものである。人の見方や考え方によるものである。人はうまく行かなくなるとどうしても有欲、有為に執着することになる。もしよく道の妙を知ることができたなら、徳に順じて、そのあるべきを知ることになる。たとえ至「難」のことであっても、それを「易」しいこととしてなされないことはない。そうであるから「難易、相い成り」とあるのである。 長短、相い形して、 この世には長いものがあれば必ず短いものもある。短いものがあれば必ず長いものがある。それは例えば人の身長のようなものである。もし自分が他人より背が高かったならば、他の人より高いということになる。そうなると我は「長」であり、他人は「短」となる。しかし自分は背が高いと思っていても、自分よりも背の高い人も居る。そうなればその人は「長」であり、自分は「短」となる。それぞれを比べれば、長短を見分けることができるが、それはあくまで相対的な評価にすぎない。修道の人は、はたしてよく長短の理を明らかにすることができるであろうか。自分と他人の区別を思うことなく、あまりに分析的な思考に陥ることがなければ、そこにどうして長短があろうか、長短が存していようか。そうである

宋常星『太上道徳経講義」(2−1)

  宋常星『太上道徳経講義」(2−1) おおいなることに大道の妙は、無ではなく有でもなく、物質でもなく空でもないのである。そこでは物質として現れているものの本質と同様なものが、人においてもそのまま有されている。つまり天地が未だ始まらないときのおおいなるシンボル(大象)がそれであり、乾坤がいまだ立っていないまえのおおいなる根源(祖根)がそれなのである。思考をもってそれ を捉えることはできず、言語をしてそれを表すことはできない。道を学ぼうとする人は、はたてよく分別を離れることができるであろうか。形式を捨てて身を道徳と一体化させることができるであろうか。無為をして物質に対して好悪の感情を起こすことがなく、有無の考えを持つこともなく、難易をはかることもなく、長短を認めることも、高下に心をよせることも、音声の適切な配列を考えることもない。または国を治め、あるいは家を脩(ととの)え、あるいは身を修するにしても、これらに集中しようとすることもなく、あえて集中しないとしようとすることもない。こうしたことはあらゆるところに共通する実理である。それは空言ではない。あらゆる幻想はここには真とは認められることはない。天地にあっては、道徳はそのままを見ることはできないが、道徳の功力は、人にあっては身を終わるまで去ることはないのである。この章で老子は、妄想を断って真を知らしめようと天下の人に教えている。本質を見て人知の及ばない境地に入るのである。 天下、皆、美(よ)しの美しと為すを知るは、これ悪(あ)しきのみ。皆、善の善と為すを知るは、これ不善のみ。 ただこの「皆、知る」ということの中は、正しくない(不善)ということが含まれている。つまり一般的な認識の中にそうした正しくないものが存しているわけなのである。大道の妙は、美(よ)いことは、それを得ることが貴ばれるが、善はそれを隠していることにおいて貴ばれる。つまり、大道の妙を天地の変化と造化に例えるならば、変容の神機ということになる。それは循環して絶えることなく、始まりも終わりもない。人はそれを知ることはできないが、しかし皆、これが美(よ)いものであり、善なるものであることを知っている。美きものは形として現れているのであり、人が得ようとするならば、適切にそれが得られるように天地に配されている。しかし、具体的に美きものとは、どういったものが美きもので

道徳武芸研究 合気道と点穴と〜ユーチューブ時代の危機と可能性〜(6)

  道徳武芸研究 合気道と点穴と〜ユーチューブ時代の危機と可能性〜(6) こうした「脈」を使うことは、何も不可思議なものではなく、柔道でも、レスリングでも、固め技で相手を抑えた時に、同じように抑えていても、どうしても抜けることのできない抑え方のできる人と、どこかに緩さがあってすぐに抜けられてしまう抑え方しかできない人がいる。うまく抑えることができる人は「脈を按(おさ)えている」ということができるのである。呼吸力(合気上げ)は両手を通して相手の「霊体」から「肉体」をコントロールできる力のルート(脈)を知るための練習法とすることができるわけであるが、これはまた脈の一点を制することで相手をコントロースすることも可能となる。これが点穴である。塩田剛三は昔から足の親指で相手の足の甲を押して激痛を与える演武をよく披露していた。また晩年は指で軽く突いて相手を飛ばす妙技も見せている。これらは術に述べたことで明らかなように点穴であり、また按脈の極地なのであって、こうした力が呼吸法によって開かれる。合気道が真にめざすべきは「肉体」のレベルの関節技ではなく、より微細な身体である「霊体」を開くことに他ならない。

道徳武芸研究 合気道と点穴と〜ユーチューブ時代の危機と可能性〜(5)

  道徳武芸研究 合気道と点穴と〜ユーチューブ時代の危機と可能性〜(5) 合気道の「気形」として扱われる神体は「肉体」ではない。霊的な力のルートである「脈」によって構成されている「霊体」を把握することが気形の稽古といえるが、これは太極拳の推手も同様である。その意味では推手のように手を触れるだけではあまりに微妙すぎて初心者はなかなか「脈」の存在を捉えることはできないであろう。やはり呼吸法のように両手を取った方が条件が限定される分、集中して「脈」の把握に務めることが可能となる。かつて大東流の堀川幸道は日曜には、最高クラスの師範には自宅に呼んで合気上げ(呼吸法)をやらせ、二三度試みさせると「だめだな」と言って稽古は終わったという。これは「脈」が取れているかどうかを見たものと思われる。それは堀川の大東流が他の系統よりもより「脈」を意識したシステムとなっていることでも分かる。ただ「脈」の稽古はそれが「肉体」へと繋がらなければ意味がない。「脈」をベースとする「霊体」の稽古の危険性はここにあるのであり、やはり特定の師範だけで許される秘教的な稽古とすることができるのかもしれない。

道徳武芸研究 合気道と点穴と〜ユーチューブ時代の危機と可能性〜(4)

  道徳武芸研究 合気道と点穴と〜ユーチューブ時代の危機と可能性〜(4) 早くから植芝盛平は合気道の母体となった大東流の関節技の実戦における限界を感じており「合気道は(実戦では)当身が七分」としていた。また晩年は合気道の「技」は攻防に使うためのものではなく「気形」であると教えていた。実は大東流も合気道もそのシステムとしては「気形」として理解されることが妥当なのであり、そのことは合気道が両手を取っての呼吸法(合気上げ)から始まることに象徴的に示されている。そもそも実戦では両手を取られることは全く想定されるものではない。しかし、このような想定外のシチュエーションを合気道では基本中の基本として規定しているわけで、このことは合気道が本来「気形」であったことを表しているとすることができるのである。それでは気形とはどういったものなのであろうか。これは人体におけるエネルギーのルートを感得するためのものということができる。つまり太極拳でいうところの「按脈」である。按脈とは体にあるエネルギーのルートを按(おさ)えもので、それを制することで相手の心身をコントロールできるようになる。

宋常星『太上道徳経講義」(1−4)

  宋常星『太上道徳経講義」(1−4) この両(ふた)つは、同じく出て名を異にす。同じくこれを玄と謂う。 「この両つ」とは「常の有」と「常の無」のことである。有無の名は違っていても、実際は共に無極から生まれ出ている。そうであるから「同じく」とある。「名」において違いが生じているのは、「無名」であるからではなく、またけっして「有名」であるからでもない。それ以前の万物の生まれる兆しによっている。「有名」は「無」をして言うことはできない。そこにおいて「名」は万物の状態を表している。「玄」は捉えることができない。始めも終わりも無く、形も無い。言葉で表現することもできない、至静、至明、至円、至浩、至顕、至露、至真、至常で、混沌としていること限りがない。妙用は自在であり、そうであるのでこれを「玄」と謂う。ために「これを玄」とあるわけである。ここで「この両つは、同じく出て名を異にす」とあるのは、これは 無名も有名も等しく「玄」である からであることを知らなければならない。 〈奥義伝開〉「常の有」「常の無」は一般的には「常に欲有れば」「常に欲無ければ」と読ませる。しかし、これであると欲の無い状態で知ることのできる「妙」は肯定的なもので、欲の有る状態で知ることのできる「キョウ(こみち)」は否定的なものと予想される。しかし、ここでは「有」も「無」も共に否定的、肯定的な価値によるものではないとして、「常」は本来の欲が無ければ先天の「妙」を、本来的な欲が有れば後天の「キョウ」を知ることができるとする。 玄のまた玄たるは、衆妙の門たり。 何らの兆しもなく、始めも終わりもない。これを「玄」と謂うことができる。その大きいことは限りなく、微細であることも限りがない。真の真であり、確かであること限りなく、また玄の玄たるものでもない。無にあって「玄」を観れば「玄の妙」を知ることができる。有にあってこれを観れば「玄の真」を知ることができる。有から観れば、有も無も同じところから発していることが分かるのであり、こうして玄の変化の無窮であることを更に深く認識することができる。太虚には太虚の妙がある。天地には天地の妙がある。万物には万物の妙がある。一切の形あるもの、形のないもの、存在しているもの、存在していないもの、これらはすべてこの「玄」の門から出入りをしている。これを「玄のまた玄」「衆妙の門」と謂っている。

宋常星『太上道徳経講義」(1−3)

 宋 常星『太上道徳経講義」(1−3) 有名は万物の母。 大道が無名であることは既に述べたが、それでは「有名」とはどういったことなのであろうか。そこには「道」があり、そこには「理」がある。「理」は天地万物に存している。それは「無から有が生まれる」ということである。「一をして万に化す」ということである。これらは全て無極から発している。この「無極」という「名」こそが「有名は万物の母」とされている「有名」なのであり、全ては(無極から生まれている)自然の妙とすることができるであろう。そうであるから天地は「道」より生じているのであり、万物は「道」から生まれているのである。つまり「道」は天地万物の母なのである。これはよく理解納得されるべきである。修道の人で、もしこの 「有名の母」への悟り(無極への悟り)を得たならば、万物がそれぞれ「一性」を有していることが分かろう 。万物は全て「一性」において同じなのであり、それぞれが「名」を持っていたとしても、本源にあっては「無名」であることになる。(「一」とは根源ということ、「性」は本質ということで、あらゆるものは善なる性を有している。この「善」を悟ることが「有名の母」を知ることなる) 〈奥義伝開〉「一」も「性」も同じ根源を象徴している。道家では「一」、儒家では「性」となろうか。儒家では「性」は本来的には「善」であると教えている。 故に常の無、もってその妙を観(み)んと欲す。 「常の無」は音もなく、香りもない、古くから今に至るまで、その存在の形態を変えることがないので、これを「常の無」という。つまり老子は人々が、「常の無」の中にあることを知るべきであると考えていたのであり、そこにあって至道の生まれ変化をすることの妙を観てもらいたいと思っていたのである。真常の妙はつまりは「無の中に有を生ずる」ところにある。この「有」は尽きることがないので「妙」とされる。 人ははたして「常の無」を観ることができるのであろうか。心にその妙を得ることができれば、つまり「常の無」を知ることができるであろう 。それは「無名」であり「天地の始り」でもある。ここで(永遠なる「無」への悟りをいう)「常の無、もってその妙を観んと欲す」とあるのはつまりはこういうことなのである。 〈奥義伝開〉「常の無」とは「無極」「先天」のことである。この「虚」からあらゆるものが生じているとされ

宋常星『太上道徳経講義」(1−2)

  宋常星『太上道徳経講義」(1−2) 道の道とすべきは、常の道にあらず。 道の一字は、天に先んじ、地に先んじて存在しているものを表しているのであるが、また「道」それはそれそのものでもない。天の生まれてから後、地の生まれれから後に「道」は存在しているのであり、それと同時に天地の生まれる前から「道」はあるわけである。極まりなく大きく、極まりなく細かい。四角でも円形でもなく、形を有することもない。その大きいことはあらゆるものを包み込み、その細かなことは考えることもできない程に微細である。大きいものも、それを量ることはできる。小さいものも同じである。しかし「道」の大小は量ることができない。そうであるから至妙、至玄とされる。無極であり、太極である大道なのである。「可道(道とすべき)」の二字は意味としては「道である」ということになる。真静で悠久、これを「常」という。道とすべきの道は、つまり「真常の道」である。ただこう言って形容すれば、一定の理解が生じてしまう。しかし、 「真常の道」はそうしたものに限定されることはない。常に変化をしている からである。そうであれば(常に変化をしない)「常に久しい」ということはできないことになる。そのため道は(変化をしない道ではないということで)「常の道にあらず」とあるのである。 〈奥義伝開〉修行は自己を限定することではなく、限定から開放されることである。 名の名とすべきは、常の名にあらず。 「名」の一字は、本来は名前をつけて限定することができないのが「もの」であるということである。およそ存在している「もの」には、すべて名が付されている。そしてこれを「名」と謂っている。しかし、「もの」の状態は変化をするのであり、それぞれの状態によって「名」が付されている。一方で変化をすることのない物は(この世にはないので)「名」を付すことはできない。変化をするために(変化をしない名ではないということで)「常の名にあらず」と謂っている。この世が続く限り「もの」の形や色はいろいろと変化をして窮まることがないであろう。そうした中に一定の「名」が生まれているのであるから、数限りない「名」があるといえる。あらゆる「もの」には名が付けられているように、大道の「真名」は、道であるとされている。ただ、これも強いて付されているに過ぎない。つまり「道」には「名」は無いのである。人は

宋常星『太上道徳経講義」(1−1)

  宋常星『太上道徳経講義」(1−1) はじめに 今週から『老子』の注釈は宋常星の『道徳経講義』となる。宋常星も清の時代の人で、号を龍淵子という。先の注釈者である世祖(順治帝)の六(1649)年に科挙に受かって政界へと入る。三十余年官界に居た後、故郷に帰って清浄派静坐の修行に専念した。また『道徳経講義』は康煕帝により価値を認められて、朝廷でも文武の官僚にこの書による修行が勧められたという。これはこの注釈が多分に儒教の静坐の教えが入っていることとも関係しているであろう。その意味では朱子学や陽明学的な考え方も多く見ることができる。同書は解説が実際の修行にわたるため長くなっていることもあり、ひじょうに有益である。こうした修行のポイントについては〈奥義伝開〉として指摘をしておいた。 第一章 妙を観(み)る 考えも及ばないことであるが、無極は太極であり、自然無為の実理であると聞いている。これが「道」と謂われている。道から生まれたのが「徳」である。また「経」は変わることのない真実のことをいう。天を生み、地を生み、人を生み、物を生む。誕生と死去の真実、国を治め身を修めることの要点、古くから聖賢はこうしたことを「経」を通して微細に観察をして来た。しかし世の人は知見が限られ、意識も明確ではないので、道の創造の原理を知って徳を治めることができない。そのためこの「経」を読んでも微細な認識を得ることができないであろう。 およそ「経」を読む方法としては、心を正しくして、誠意をもって読まなければならない。一字でも軽々しく見てはならない。そうして自己の言うことや行動することを通して、聖賢の言行を体認するのである。 もしこうしたことができないならば、必ず心を奮い立たせて努力をしなければならない。あるいはよく内容が分からないこともあるかもしれないが、そうした時には必ず優れた先生を訪ねて教えてもらうべきである。こうしたことを長く続けていると、自然に心の境地も高まってくる。もし、こうした努力を惜しむならば、心の境地は開かれず、大いなる道を悟ることもできないであろう。そうなれば「経」を読まないのと何ら変わりはない。 〈奥義伝開〉静坐といろいろな文献による研究が共になされなければ深い境地には入れない。

お知らせ

 今週より『老子』の注釈が宋常星となるために内容に鑑みて月から木が「老子」で、金から日が「道徳武芸研究」とすることになりました。

道徳武芸研究 合気道と点穴と〜ユーチューブ時代の危機と可能性〜(3)

  道徳武芸研究 合気道と点穴と〜ユーチューブ時代の危機と可能性〜(3) 富木流は柔道家の富木謙治によって創出されたものであるが、基本的には柔道の原理を用いるもので、本来の合気道のような間合い(呼吸)をベースとするものではない。そうであるから相手の意識を導く必要がないので、体の位置関係さえ技の求める通りに整えられれば掛けることが可能となる。そうした観点で柔道や古流柔術の技を参考に合気道の技が改変されており、ひじょうに分かりやすいものとなっている。ただ「実戦」においては、相手の「意識」を誘導することが最も重要であることも事実ではある。塩田剛三はロバート・ケネディのボディガードに対した時に、相手を座らせている。正座に慣れていない外国人が座れば重心はそれだけで前に傾いてしまう。その状態で相手を制することは実に容易である。かつて西欧に合気道や柔道の指導におもむく指導者には「試合をする時には道着を着させろ」と教えられていたという。慣れない道着を着せられてそれを使った技を仕掛けられると対応することが極めて困難であるからである。このように相手の戦闘意識を撹乱してそれを消失せしめることが重要なのであって、スポーツのように「互いが最高のパフォーマンスを行う」ことを目指す必要はないのである。

道徳武芸研究 合気道と点穴と〜ユーチューブ時代の危機と可能性〜(2)

  道徳武芸研究 合気道と点穴と〜ユーチューブ時代の危機と可能性〜(2) ユーチューブなどで合気道の武術的な優位性を示すものとして使われるのが「関節技」である。特に立業で関節をとって投げるものがよく見られる。それは入身投げや呼吸投げが掛からないからでもある。入身投げや呼吸投げは特定の状況下でなければ掛けることができない。ただ、こうした傾向は合気道つまり関節技というイメージの定着につながるのではないかと思われる。しかし、この関節技も一定程度の鍛錬のある相手にはきわめて掛けることが難しいのである。植芝盛平の晩年に撮影された「王者の座」では屈強な外国人相手に初めは藤平光一が立業を掛けようとするが、合気道の関節技を掛けるのは難しく柔道のような動きでなんとか相手を制している。その次に登場した植芝盛平も演武のようにスムースな動きで技を掛けることはできない。なんとかねじ伏せた、といった感じである。おもしろいことにこうした動きは富木流に近いのである。それは稽古の時のように合わせて動いてくれることのない相手に技を掛けようとすると、どうしても柔道や古流の柔術に近いものとならざるを得ないということなのであろう。つまり合気道で唯一、有効とされる関節技による投げも実は使えないということが早晩、更なる「リアル」を求められる環境において露呈してしまう危険があるのではないかということである。

第八十一章【世祖 解説 〔両儀老人 漫語〕】

  第八十一章【世祖 解説 〔両儀老人 漫語〕】 『老子』では、大体において争わないことを主とする。そうであるからこの終章でも、その真理を人との関わりて譬えて、争わないことを教えている。信ずれば復することができるが、それは必ずしも美なるものではない。美しい(耳障りの良い)言葉は飾りが多すぎるのであり、信ずることはできない。善なるもの(真実なるもの)は理に合っている。真実を語るには必ずしも多くの言葉を弄(ろう)する必要はない。そうであるから善なる(真実の)言葉は多くの言葉を費やされることがないのである。多く語られる言葉の多くは本質は外れたものであるから適切な善なる言葉とすることはできない。「常」を知るとは「一」を知ることである。それには必ずしも多くを知る必要はない。そうであるから「博からず」とされているのである。「博」というのは余計なことで、それがかえって道を知る妨げとなる。「一」なる境地では聖は顧みられることはなく、知をも捨てられている。どこも虚であるから何かを蓄積するといったこともない。それは「至無」であり、そこには万物が存している。そして他人のために多くのことを行う。他人により多くを与える。こうしたことは「虚」であるからこそ、「弱(どのようにも適切に変化できる)」であるからこそできるのである。それは虚が動けばますます働くようになる妙とすることができよう。およそ聖人は天とその働きを同じくしている。天の道は、「利」をもたらすが、それを言語で表現することはできない。それはまた「利」だけが生じて、「害」の生まれることがない。聖人の道は無為であるが不足していることはない。そしてまったく行ったことに拘ることがない。そうであるから他人と物を争うことがないのである。そうであるから天下において共に争うものはないのである。これが聖人の道であり、それは天の道とひとつになっている。争わないからこそ宝とされるのである。 (老子は始めにも正しい「情報」の得方についてのべていて、最後でも同じく「情報」を正しく得ることに注意を促している。人は誰でも自分の考えに近い情報を集めるものである。そうして自分の考えの正しいことを証明しようとする。こうした情報が「美」であり「信」でない場合があるので注意をしなければならない。)

第八十一章【世祖 注釈】〔両儀老人訳〕

  第八十一章【世祖 注釈】〔両儀老人訳〕 信(まこと)なる言は美ならず。美なる言は信ならず。 (真実である言説は聞き良いものではない。聞き良いものは真実を語っていないことが多い) 「信なる言」とは真実の言葉のことである。「美なる言」とは聞き良いだけの言葉である。 善なる言は弁ぜず。弁じたる言は善ならず。 (本質を語ろうとすれば多くを言う必要はない。多くを語ろうとするのは往々にして本質を覆い隠そうとしているのである) 「善なる言」とは、最も適切な言葉である。「弁じたる言」とはただいろいろと述べられた本質を外れた言葉である。 知る者は博からず。博き者は知らず。 (本質を知っている人は余計なものを多く知ろうとはしない。ただ知識が多いだけの人は本質が分かっていないことが多い) 「知」とは道を知っているということである。「博」とはいろいろな物事のことである。 聖人は積まず。 (聖人は最小のものを求めるだけで、余計なものまでも得ようとはしない) 聖人は虚であるが、しかしそこは「谷」のよう(にいろいろなものが集まり、育まれているの)である。 既にもって人に為せば、既にいよいよ有る。 (聖人は自分のために行動することがないのであるが、そうであるからこそ更に多くのものを得ることになる) それは人として行うべきことを行うのである。 既にもって人に与う。既にいよいよ多し。 (聖人はただこだわりなく他人に与える。自分が持つべきものを持たずに持つべき人に与えるので、更に多くの持つべきものを持つことができるのである) 持っているものを人に与えるのである。 天の道は利して害せず。 (それは天の道が、あらゆるものを利して害することがないためである) 利を求めて何かをしようとすれば、他人を害することにもなる。天は無心で動いているのであるが、そこに自ずから利を生み出している。 聖人の道は為して争わず。 (聖人の道は天の道と同じく利を与えて害することがないので、争いが生じることもないのである) 有為の心が、つまりは争いを呼ぶことになる。無為であれば争いが生ずることはない。

道徳武芸研究 合気道と点穴と〜ユーチューブ時代の危機と可能性〜(1)

  道徳武芸研究 合気道と点穴と〜ユーチューブ時代の危機と可能性〜(1) 最近はコロナ禍もあって武道関係の動画配信が盛んなようである。閉鎖された空間と他人との接触が避けられる中、武道の練習がかつてのような状態にもどるのは、飲食や演劇、音楽などに比べても、ある意味で最後になるのかもしれない。そうであるから当分は武道関係者が動画への活路を見出そうとする傾向は強まるのではないかと考えている。そうした中で求められるのは視聴数である。登録者を増やすには多くの人の関心をひくコンテンツが求められる。武道において最大の関心は「強いのか」であり、「その技は使えるのか」であろう。ために古くから他流試合を含めた試合が行われてきた。配信動画でもコラボとしてそうした企画は多い。こうした趨勢にあって「合気道」の本来、内包している矛盾が明確化されるのではないかとの危惧と期待とを持っている。危惧とはシステムとしての合気道の崩壊の明確化であり、期待はその後に再生されるものが真の合気道であることへであり、始めに言っておくとするなら「点穴」がその再生ということになる。関節技としての合気道から点穴術としての合気道への再生の可能性がここで生まれるのではないかと考えているのであり、それは植芝盛平の考えていた気形としての合気道と軌を一にするものであることをここで指摘をしておきたい。

第八十章【世祖 解説 〔両儀老人 漫語〕】

  第八十章【世祖 解説 〔両儀老人 漫語〕】 この章で、老子は文化発達の弊害を嘆いている。そして太古の世の中にその救いを求めている。つまり、道を得た者は、小国寡民による 統治を用いるわけで、そうなれば才能を有する者もその才能を使わせることがない。死を重んじる者も、そうした国では兵を用いることがないので国を離れようとはしない。舟や車、軍隊も捨て使われることもない。文書を交わしての契約などが使われることがなく、ただ縄をい結んで記録をするだけで十分とする。食べられるだけの食事で満足をし、得られるだけの服で十分と考える。住めるところに住んで良しとする。あるだけのもので満足するのである。今ある生活を楽しんで、他の生活のあることを知ることはない。つまり隣の国が見えて、そこから鶏や犬の鳴き声が聞こえる程に近いとしても、老いて死ぬまで往来をすることがない。つまり個々人が満足してそれ以上を求めることがないのである。ただただ純朴で何も考えることがない。こうしたことを「平泰を安んずる」と謂うのではないであろうか。これは老子が、こうしたことをただ太古の人の心であるとするのではなく、素朴な暮らしに返ることで、純朴な心に復することができるとしているのであり、そうであるからここでの老子の言葉には趣があるのである。 (この章は一般には老子が「小国寡民」を良しとしていると解するが、必ずしもそうではなかろう。老子は「小国寡民」であれば文明は停滞するが、それでもそれなりの満足は得られるものであることを教えている。「大国多民」であれば文明は急速に発展し、人々の欲望は次々にかなえられるかもしれないが、それでも人々が満足してしまうことはない。文明が停滞しても発達しても、どちらも必ず満足が得られるということはないのである。)

第八十章【世祖 注釈】〔両儀老人訳〕

  第八十章【世祖 注釈】〔両儀老人訳〕 小さな国。寡(すくな)い民であれば、 (小さな国で、人が少なければ) 国が小さく、民が少ない。そうでれば風俗は自ずから純朴となる。 使(も)し什伯の器有れども、用いず。 (人に十倍、百倍する才能を有する人が居たとしても、その才能が用いられることはない) 「器」とは脂質のことである。人の脂質が、普通の人の十倍であったり、百倍であったりするわけである。 使(も)し民、死を重んじるも、うつるに遠からず。 (もし人々が死ぬことをひじょうに気にして、軍隊に取られることを嫌って国を出て遠くに行くこともない。こうした国では軍隊を使うことがないから兵隊にとられることもないのである) 「死を重んじる」とは、罪を恐れるということである。「徒するに遠からず」とは今いるところに満足しているということである。 舟、車有るといrども、これに乗るところ無し。 (舟や車があっても、小さな国ではそれを使うほどのことがない) 遠くに利を求めることがないのである。 甲兵有るといえども、これを陳(の)ぶるところ無し。 (軍隊があっても、あまりに小規模なので実戦には使えない) 兵力をして勝ちを求めることがないのである。 民は縄を結びて、これを用いる。 (人々は太古と変わりなく縄を結んで、その結び目による記録だけで十分とする) 「縄を結ぶ」とは太古によく行われていたことである。 その食に甘んじ、その服を美とし、その居るところに安んじ、その俗を楽しむ。隣国相い望み、鶏の声相い聞こゆ。 (食べられるものに満足して、着られる服で不満はなく、住んでいるところで安らかに暮らしている。日々の暮らしを楽しんで。隣の国が見えて、鶏の鳴き声が聞こえる程に近くても) 「相い望み」「相い聞こゆ」とは、近いことを言っている。 民は老いて死に至るも相い往来せず。 (人々は老いて死ぬまで往来をしようとはしない) 「老いて死に至る」とは長い時間をいっている。

道徳武芸研究 八卦掌における変架子について(6)

  道徳武芸研究 八卦掌における変架子について(6) さて「曲」と「直」を融合する歩法の核心が「擺歩」にあったことは前回に触れたが、興味深いことには八仙過海では円の周りを歩いてから直径へと歩みを入れる時には必ず擺歩を用いているのである。これは意識的に「円」から「直」あるいは「直」から「円」への歩法の転換が擺歩によってなされることが分かっていたことを証すものに他ならない。加えて興味深いことに擺歩にはそれをして円滑に歩法の転換を促すために身法が必要であることは前回に触れたが、それを練るシステムも龍形八卦掌にはある。それが黄龍反身で、黄龍反身は擺歩で身をくねらすもので、「円」から「直」への歩法の転換はないが、これと八仙過海を合わせると八卦掌の奥義の歩法の転換が完全となるようになっている。龍形八卦掌は八卦拳の奥義の基礎を教科書的に学べる体系であり、さらにそれを組み合わせることで、真の奥義へも至ることが可能となっている。また太極拳の「曲の中に直を求める(曲中求直)」は歩法だけではなくあらゆる動きにおける真理としての教えである。腕であっても、真っ直ぐに伸ばすのではなくやや湾曲させることで、そこに大きな変化の可能性を有させることが可能と教えている。これはさらには中国の伝統的な考え方の「天は円で、地は方」であることを前提として、これらを「人」において統合しようとするものでもある(曲=天と直=地を人において統合する)。これらは歩法を越えたさらに深く広い問題となるので稿を改めて述べることとしたい。

道徳武芸研究 八卦掌における変架子について(5)

  道徳武芸研究 八卦掌における変架子について(5) 改めて整理をすれば「直」の歩法は攻撃力を生むもので、「曲」は入身で効力を発揮する。つまり入身で相手の死角に入って(曲)、そのまま攻撃をする(直)ことができれば攻防において有利な展開が可能となるわけである。しかし「直」と「曲」の勢いをスムースに変化させることは簡単ではない。これは車が急カーブを曲がる時のことを考えれば容易に想像されることであろう。「曲」の歩法は少林拳では七星歩とされ斜めに相手の攻撃を交わしてその死角から入身をするのであるが、この場合には外側の足先を内へと向ける。これは急にカーブを回ると遠心力が働くためで、ある程度スピードを制御して回らなければならないからである。一方、八卦拳では内側の足を転身をする方向に向けて踏み込む(擺歩)ことで転身をしようとしている。ただ擺歩での転身を円滑に行うには歩法単独では不可能で、必ず身法がともなっていなければならない。擺歩を踏み出した時には体は転身する方向と反対にねじられていなければならないわけで、これが「龍身」とされる身法となる。一部の八卦掌では円周を歩く内側の足はまっ直ぐで、外側の足だけ扣歩を用いて円周を歩いているが、これでは八卦拳の歩法の特徴を練ることはできない。

第七十九章【世祖 解説 〔両儀老人 漫語〕】

  第七十九章【世祖 解説 〔両儀老人 漫語〕】 この章では大道は無心であることが述べられている。恩も怨も共に忘れたところに、まさに至道を知ることができるのである。人は自らに大怨を有している。そうであるから必ずそれと和さなければならない。例え日頃は怨の心に執着することがなくても、怨に思うことがあれば怨は生ずるものである。こうした全ての怨を除いてしまわなければならない。これが「善道」というものである。聖人は執着することがなくても成功を手にするし、またそれにも執着することがない。常に社会に奉仕(天に奉じ)しようとしている。どうして契約を主導するようなこと(左契)があろうか。つまり成り行きに任せてるだけで、自分で行動するようなことはないのである。そうであるから「無怨」でもあり、他人の責任を問うこともない。つまりそうした人が「契約」を司れば、自ずから合意を得られる状態の時にのみ契約をすることになる。自分が相手の心を受け入れるのではない。そうした人は「有徳」ということになろう。ただもし、どのような相手でも、それを受け入れようとするなら、「無徳」に徹しなければならない。これはあるいは人の司る契約として一般的ではないかもしれない。しかし天の道もまたそうなのである。天の道は見ることはできないが、常に善人と共に存している。そうしてすべてを司っているのである。 (徳がある人が中心となれば契約を成立するが、そうでなければ成立しない。これは当然のことである。また「天の道は親しきこと無く」も、天の道というものは祈ったりしても、それを聞いてくれるようなものではない。こうした迷信を老子は厳しく指弾して「常に善人とともにす」とあるように「善」なる行いをしている人には自ずから道が開けてくることを述べている。)

第七十九章【世祖 注釈】〔両儀老人訳〕

  第七十九章【世祖 注釈】〔両儀老人訳〕 大いなる怨を和せば必ず怨の余ること有り。 (本来、生ずべきして生まれた怨を、根本と為る原因を解決することなく、なんとか抑えようとしても完全にそれを抑えることなどできるものではない) 「怨」は人と人との仲違いにおいて生まれる。「和」とは強いて互いが和するということである。 いずくんぞもって善を為すべし。 (こうした根本問題を無視した解決において、どうして「善」が実行されたといえるであろうか) 怨を和するだけでは、善なる道とすることはできない。 これをもって聖人は左契を執る。しかして人を責めず。 (そうであるから聖人は主体となって物事の根本にあたるのであり、軽々に当事者の責任を問うようなことはしない) 「契」とは木を削って作った札である。これを半分にして、互いにその一つを持って、財物を取引する時の証明とした。「契」には左右があり、左契は財物を持つ家が有していた。そして右契を持つ者と取引をしていたのである。「責」は責任を相手に求めることである。 故に徳有るが契(ちぎる)を司る。 (そうであるから徳を有する者が主体となれば契約を交わすことができる) 契を司るのには心が無い。 徳無ければ徹(こぼつ)を司る。 (徳が無い者が主体となれば契約が成り立たなくなる) 「徹」とは完全に通っているということである。 天の道は親しきこと無く、常に善人とともにす。 (天の道とは祈って願いが聞き入れられるというようなものではなく、常に善なる行いをするということに過ぎない) 至虚であるのが天である。どうして天が特定の人を愛したり親しくしたりすることがあるであろうか。ただ善人だけが、天と共にあるのである。

道徳武芸研究 八卦掌における変架子について(4)

  道徳武芸研究 八卦掌における変架子について(4) 興味深いことに太極拳には「曲中求直」の拳訣がある。これは「曲の中に直を求める」ということで、太極拳においても「曲」と「直」との融合は重要な課題として認識されていたことが分かる。こうした太極拳における「曲」と「直」についてはまた後に触れるとして、八卦掌において「直」と「曲」の問題が最重要視されていたことは何も八卦「拳」のシステムだけによらなくてもそれを見ることはできるのである。それは龍形八卦掌においてである。この八卦掌には不思議なことに八卦拳本来の奥義がよく容れられていることは以前にも触れたことがあるが、ここで論じている八卦掌における「曲」と「直」については八仙過海においてそれが顕著に見られる。八仙過海で最も特徴的なことは円の直径を歩くことである。円の周りを歩いてから直径を真っ直ぐに進み、また円周を歩くわけであるが、こうしたことは他の八卦掌では見ることができない。八仙過海が、どうしてこのような構成になっているのかは、これまで述べたように八卦掌が「曲」と「直」との融合を練るものであるためである。通常、八卦掌の練習は樹木などを円の中心にして、その周りを歩く練習法を取るので、直径を歩くということはできないのであるが、あえて龍形八卦掌で直径を歩くような練習法が取られたのは、それが八卦掌を練る上で欠くことができないものであったからに他ならない。つまり龍形八卦掌を編んだ人物には八卦掌の理論についてきわめて明確な認識があったということである。

第七十八章【世祖 解説 〔両儀老人 漫語〕】

  第七十八章【世祖 解説 〔両儀老人 漫語〕】 この章では柔を貴ぶことの有用性について述べている。水は至柔であるので丘でも谷でも流れを見出して流れるのであり、どのような堅いものでも穿つことのできないものはない。天下の物で至柔に勝るものなどないのである。剛は柔にとって変わられることになる。そうであるから「柔は剛に勝る」とされている。「弱が強に勝る」とされるのも、水を見ればよく分かることであろう。こうしたことを人は真に知ることがないので、よく柔であり、よく弱である人はほとんど居ない。つまり柔や弱を実践できる人は居ないということである。そうであるから聖人には「国の垢を受ける」といわれているのである。これは「社稷の主」であり、「国の不詳を受ける」ものとされ。また「天下の王」でもあるという。およそ一国の中において善悪が並び存することはない(つまり矛盾状態はない)のであるが、天下は広くいろいろな考えられないような問題が生じるものである。もし王が柔なる道(つまり可変的な政治システム)をしてこうしたことに対すれば、自然にそうしたものは解消されて行くことであろう。これは川や澤がそのままで汚れを飲み込み流し消してしまうようなものである。およそ垢や不詳を好む人はあるまい。そうであるから王はこれを受けるのである。こうしたことは一般的な常識とされる「正言」に反したところでの「妙」といえよう。道を知る者はこうした可変的なシステム(柔弱)をして、たちまちにいろいろな問題を解消してしまうのである。 (「柔弱」が「堅強」に勝るのは、柔構造であれば「柔」も「堅」も変化をすることが可能であるからに他ならない。一方、「堅」は変化することのできない構造であるので、一見してある部分においては優れているが、それ以外では役に立たない。「社稷の主」「天下の王」は社会矛盾を受け入れてそれを解決する能力を有する人のことである。感情的にいえば「社稷の主」であり、現実的には「天下の王」ということになる。一般的な「主」や「王」はできるだけ社会矛盾を糊塗してなにも問題がないように見せかける。こうした者は真の「主」でも「王」でもないと老子は教えている)

第七十八章【世祖 注釈】〔両儀老人訳〕

  第七十八章【世祖 注釈】〔両儀老人訳〕 天下、水に柔弱なるは無し。しかして堅強を攻めるは、これよく先んずることなし。それをもって、これを易(か)えること無きなり。 (この世で「水」が最も自在に変化のできる存在である。変化の象徴である「柔弱」なる水をして、変化をしないことの象徴である「堅強」なるものを比較したなら「堅強」に劣るようなことはない。変化しないシステムである「堅強」をして変化の可能な「柔弱」なるシステムに替えることなどできるものではないからである。つまり「柔弱」なるシステムであれば「堅強」なるシステムとなることも可能なのである) 「もって、これを易えること無き」とは、いろいろな物が変化をするとはいっても、水の柔軟性にまさるものはないということである。 故に柔これ剛に勝る。弱これ強に勝る。天下知らざるはなく、よく行くことなし。 (そうであるから変化の可能なシステムである「柔」は変化のできない「剛」に勝っているわけである。可変的な「弱」なるシステムは、非可変的な「強」なるシステムに勝っているのである。こうした道理は世の人すべてが知っているであろうが、実践できてはいない) 真に知ることがなければ、行動に移すことはできない。 これをもって聖人、国の垢を受ける、と云う。これを社稷の主と謂う。 (そうであるから聖人は一国の矛盾を受け入れるのである。これは、国を成り立たせる根幹である、とも謂われている。) 「垢」は汚れたものであるが、これを凶悪なことに例えている。これを受けるとは、これを柔なる道の中に受け入れるのである。 国の不祥を受ける。これを天下の王と謂う。 (聖人が受ける「国の垢」は「国の不祥」ということもできる社会矛盾である。こうしたものを負って解決させるのが聖人であり天下の王でもあるわけである) 「不祥」とは災いの兆しのことである。 正しく言うは返りたるがごとし。 (真実の言葉は一見して常識と反するように聞こえるものなのである) 世の常識に「反」しているようであるとは、まさに常に言われていることで、これこそが実に正論なのである。

道徳武芸研究 八卦掌における変架子について(3)

  道徳武芸研究 八卦掌における変架子について(3) 八卦「拳」における八卦「掌」が八掌拳とも称することは既に触れた。八卦掌において始めに教えられるのは直線の歩法による套路であり、これは見た目は少林拳などと変わらない。次には同じ套路を円周上で行う。あえて区別すればここまでは八掌拳(「拳」は直線の動きを象徴する)の練習とすることができる。さらに套路の中に含まれる八母掌の動きを変化させて八卦掌(直)と八母掌(曲)とを共に練る。これは八卦掌の動きということになる。つまり八卦掌とは「直線の歩方と曲線の歩法を共に内容するもの」ということができるわけである。広く流転した八卦掌では八卦拳における八掌拳(直)ではなく八卦掌(曲)がベースになっているためにどの門派の系統でもすべからく円周上を歩いているのである。もし、これが八卦拳の八掌拳が流転していたならそれは直線的な套路となっていたことと思われる。

徳武芸研究 八卦掌における変架子について(2)

  徳武芸研究 八卦掌における変架子について(2) 実は八卦掌のもとになった八卦拳には定架子として八母掌、変架子として八卦掌、活架子として羅漢拳(砲捶)がある。この中で八卦掌の部分のみが広く流転することになり、その結果として門派の名称も八卦「拳」ではなく八卦「掌」という得意な名で呼ばれることとなったのである。これはまた「攻防において掌だけを用いる」などというとんでもない誤解を生むことにもなった。八卦掌は八卦拳における変架子であり、それは八掌拳という別の名をも有している。孫家の八卦拳でも「変化掌」とする練習法があるが、これは自在に動くもので、一般的にはシャドー(ボクシング)とも称される練習法であるが、こうしたものはどの武術でも行われいて、特に「八卦掌」の特色とすることはできない。孫禄堂は八卦拳に「変」架子のあることは知っていたのであろうが、それが実際には何を意味しているかは知らなかったのであろう。八卦掌における「変」とは直線の歩法と曲線の歩法の互換にある。通常の拳術のシステムにおいても直線から曲線、曲線から直線への円滑な変化は模索されているが、これらを特に工夫したのが八卦掌であった。つまり八卦掌では扣歩と擺歩を組み合わせることで直線の勢いであっても曲線の動きが内包され、曲線の勢いの中に直線の歩法が含まれることを可能としたのである。

第七十七章【世祖 解説 〔両儀老人 漫語〕】

  第七十七章【世祖 解説 〔両儀老人 漫語〕】 この章では、「上」を損じて「下」を益するの道について述べている。天の道は「盈(みつる)」のを嫌って、「謙(ゆず)」るのを好むものである。これを弓を張ることに譬えている。つまり高く構えて弓を張ったならば抑えて下向きに構えることで正しくなるし、下向きであれば弓を挙げて構えることで正しくさせることができる。このように、天の道は(合理的なのであって)余りがあればそれを損するし、足らなければ補って、平均的な状態にするわけである。天の道はそのように合理的なのであるが、これは人においても変わりはない。しかし人は足らないのに損して、余っているのに加えようとする。一方で道を悟っている人は自分の余りあるところを損して、それを天下に奉じる(社会への還元する)のである。そうであるから意図的に行動する有為であること、あるいは成功を求めることは、共に自分において余っているところ、やりすぎのところであり、その分が天下においては足りていないところとなる。しかし行為において、それにこだわることなく、成功をしてもそれに執着することはなければ、天下において受けるべきものを受けるだけで、それを自分の行ったこと、得たことと自認することはない。そうであるから天下に奉じる者、天下に奉仕しようとする者は、こうした無為自然の境地にあるのである。聖人はつまりその「賢」を自らは見ることなく、ただ無為自然であって、それはおよそ天下の道を法としているだけなのである。 (ここで老子は天の道とは合理的であることを述べている。自分が不必要に取り過ぎるとその分は社会において不足となる。そうしたことは天の道、天のバランスに反している。自分が得るべきを得ていないと、その分は社会において余剰となる。これも社会のシステムの合理的なバランスを妨げることになる。これを人において行う人の道にあっては無為自然であれば自ずから全社会、全宇宙において合理的な行為のバランスが得られることになる)

第七十七章【世祖 注釈】〔両儀老人訳〕

  第七十七章【世祖 注釈】〔両儀老人訳〕 天の道、それなお弓を張るごとくや。高きはこれを抑え、下なるはこれを挙ぐ、 (天の道とは、弓を構えるのと同じで、高く構えたならば抑えて正しくするし、下に構えたならば仰向けて正しくする。このように合理的なのが天の道なのである) およそ「弓を張る」という行為においては、それを「行う」か「行わない」かのどちらかしかない。そうであるから高いところから狙うのであれば、弓をあげるし抑えるし、下から狙うのであれば弓を挙げることになる。 余り有ればこれを損じ、足らざればこれを補う。 (余りがあればそれを削るし、足らなければ補う。これが合理的な天の道である) 先は弓を張ることについて述べられていたが、ここでは天の道について述べている。 天の道、余り有るを損し、しかして足らざるを補う。人の道は、すなわち然(しか)らず。足らざるを損して、余り有るを奉じる。 (天の道は、余っていれば削るし、足らなければ補うのであるが、人の道ではそうはなっていない。足らないのに更に捨てているし、余っているのに更に加えようとする) 足らざるを損する民は、余り有る君を奉じている。 たれか余り有るをもって天下に奉ず。道有るに准(よ)る。 (どういた人が余っているものを社会に還元するのであろうか。それは道を悟っている人であるからである) 「道有る」とは天の道をそのままに人の道とすることである。 これをもって聖人は為して、たのまず、功を成して居らず。それ賢を見るを欲せざるや。 賢を見るを欲しないというのは、人においてである。 (そうであるから聖人は行動に拘ることなく、成功をしてもそれに執着することはない。こうした聖人の行為は賢く立ち回ることを求めるものとは決して思えない。それは無為自然のままに行動しているのである)

道徳武芸研究 八卦掌における変架子について(1)

  道徳武芸研究 八卦掌における変架子について(1) よく「八卦掌はどの套路が正しいのか分からない」という声を聞く。形意拳にしても、太極拳にしても一定の系統であれば、類似した動きが見られるものであるが、八卦掌の場合は同じ程廷華の系統であってもその差異は少なくない。そうであるから「真伝を得ることが極めて困難である」ともされる。では何故、八卦掌では動きの差異が大きいのか。それは八卦掌というシステム自体に原因があるからである。八卦掌の套路は変架子が中心となっている。よく八卦掌には定架子、活架子、変架子の区別があるとされている。これは八卦掌の持つ世界観を示すものであって、ひとつにはシステムの違いであり、もうひとつは修行の階梯をこれをして表すことがある。修行の階梯としては定架子から始めて変架子、そして活架子へと至ることになる。これは一般的な拳術で母拳と砲捶、あるいは死套路、活套路と分けられることからは大きく異なっている。こうした二つに区分する場合には大体において基本と応用となっているのであるが、八卦掌ではそれに変架子が加わるわけである。つまりこのことは八卦掌が通常の拳術とは違ったシステムにより構築されていることを示しているのであり、これは八卦「掌」という名称とも深い関係がある。

第七十六章【世祖 解説 〔両儀老人 漫語〕】

  第七十六章【世祖 解説 〔両儀老人 漫語〕】 老子の学は「柔」をよしとすることを主としている。この章では、人と草木の生死をして、それを例えている。人の「生」とは「柔弱」なるものであり、その「死」は「堅強」なるものとする。草木の「生」もまた「柔脆」なるものであり、その「死」は「枯槁」たるものである。つまり、およそ形のあるものは、必ず「堅強」となって「死」ぬることになるわけであり、「柔弱」なるものは「生」きることになる。これは一定した理である。そうであるから兵を用いるにしても「強」さを頼んで驕りの気持ちを持つと、必ず敗れてしまうことになる。また木が「強」ければ人はそれを切って使われてしまう。「堅強」なるものは粗雑であり細かな変化に対応できない。一方「柔弱」なるものは精緻であるので細かな変化に対応できる。そうであるから道を知る者は、「強大」なるを「下」にして、「柔弱」なるものを「上」とするのである。 (ここで解釈に問題があるとされるのは「木強則共」である。木が強ければとあるのでこれは前の「兵強」と対になっていることが分かる。「兵強」は「勝(まさ)らず」あるいは「勝(か)たず」と読むことができる。老子の言う「強」は変化に対応できない状態をいうものであり、「柔」は変化に対応できる状態を示している。相手の変化に対応できない兵は相手に勝ること、勝つことが難しいのはいうまでもあるまい。木も来年も実を付けるであるとか、成長してさらに大きくなるとかそういった変化が認められなく為ると伐採して使うより他にないこととなる。このようにひとつのものに特化することは一見して良いようであるが実は崩壊しやすい状態であることを忘れてはなるまい)

第七十六章【世祖 注釈】〔両儀老人訳〕

  第七十六章【世祖 注釈】〔両儀老人訳〕 人の生まれるや柔弱たり。 (人が生まれた時は柔らかで弱々しいものである) 赤ちゃんは柔らかく弱いものである。 その死するや堅強たり。 (人が亡くなる時には体は堅くなり強張っている) 年を取ると堅く強ばるものである。 草木の生まれるや柔脆たり。 (草木においてもその生まれた時には柔らかで脆い) 草木の芽は柔らかく脆いものである。 その死するや枯槁たり。 (草木が亡くなる時には枯れてしまう) 草木も成長すれば枯れてしまう。 故に堅強たるは死の徒たり。 (そうであるから堅く強張っているのは「死」に属するものなのである) 「徒」とは類ということである。 柔弱は生の徒たり。これをもって兵の強ければ則ち勝(まさ)らず。 (柔らかく弱いのは「生」に属するものである。そうであるから兵が「強」ければつまりは勝つことができないということになる) 「強」ければ自分を過信してしまうからである。 木の強ければ則ち共(そな)えらる。 (木でもそれが「強」張って堅いものであれば建材などに給されることになる) 人が伐採してしまうわけである。 強大は下を処とす。 (強大なるものは柔弱の下に位置する) 物が粗雑であれば必ずそれは強大となる。「粗」であれば人は必ずそれを下に置くものである。 柔弱は上を処とす。 (柔弱なるものは強大なるものの上に位置する) 物が精緻であれば必ず柔弱である。「精」なるものを人は必ず上に置くものである。

道徳武芸研究 松竹梅の剣と正勝棒術(9)

  道徳武芸研究 松竹梅の剣と正勝棒術(9) ある意味において松竹梅の剣や正勝棒術は「神話」の世界から生まれた妄想の産物という批判も可能かもしれないが、留意すべきは弥生時代の日本には銅剣、銅鉾といった組み合わせが既に見られるということである。銅剣や銅矛は日本では次第に巨大化して行く。それは実用を離れた祭祀の器具と化したためとされている。つまり剣や鉾を使うことで不可思議な力がつくことを体験的に多くの人が知ったということをこれは表しているのではなかろうか。また兵庫県の桜ヶ丘から出土した銅鐸の絵には二人を同時に相手にしているあたかも大東流の傘撮りのような図が残されている。つまり松竹梅の剣はこうした弥生時代の銅剣、銅鉾の系譜を引くものであり、正勝棒術は銅鉾の、初竹梅の剣は銅剣の系譜に連なるものと考えることができるわけである。そうして銅鐸に示されているのは、まさに呼吸力としての合気そのものであろう。盛平の開いた「岩戸」は縄文時代に日本で生まれたまさに息吹・気吹のわざの復活であったのではなかろうか。また盛平は合気道を「天の浮橋」であるともしていた。天の浮橋とは伊邪那岐の神、伊邪那美の神が天の浮橋から天の沼鉾(あめのぬぼこ)を下したとする神話によるもので、これは男女の神、天地の十字のむすびを象徴するとされるが、ここで下されているのは「鉾」なのである。この鉾で那岐、那美の神は大海原をかき回したとされる。正勝棒術で棒をしてかき回すような動きが入っているのはこのためであり、つまりこのことは正勝棒術が「鉾」の術としてもイメージされていたことを表していよう。縄文時代、大陸から入ってきた武器としての銅剣、銅矛が巨大化して祭具となった。この辺りに呼吸力の生まれた根源がありそうである。