お知らせ リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ 5月 23, 2022 今週より『老子』の注釈が宋常星となるために内容に鑑みて月から木が「老子」で、金から日が「道徳武芸研究」とすることになりました。 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ
道徳武芸研究 如何に「合気」を練るべきか〜システム論の立場から〜 7月 17, 2025 道徳武芸研究 如何に「合気」を練るべきか〜システム論の立場から〜 合気道や大東流で問題となるのは「合気」の技が効かないという点である。最近は動画などで他の武術の経験者や全く武術の経験のない人に技を掛けるシーンを少なからず見ることができるが、その場合には二ヶ条や小手返しなど関節技が主であり、本来もっとも特徴的であるはずの「合気」を使った技は行われない。それは「合気」を使った「技」が技として成立しないからである。演武では少し触れただけで派手に飛ばされる「弟子」も説明している時にうっかりしていて「合気」を掛けていることが前提となっていることを聞き逃したりしてしまうと「普通」に先生の手を取ったままで居たりする(「合気」を掛けているという前提がなければ少し腕を動かしたくらいでは動きようがない)。 孫子は「彼を知り己を知れば百戦殆からず」と教えている。技として成立していない「技」を日常的に繰り返すことは「己」を見失うことになるし「彼」をも知ることができなくなる。もし正しく「彼」を把握していれば「合気」の「技」が通常の意味での技として成立していないことが分かるであろうし、そうなればそうした無意味な稽古は是正されることになろう。さらに悪いことに「合気」の迷路は触れないで相手を倒したりするなど他の武術をやっている人からすれば全くの迷妄の世界に迷うことになるのである。ここで述べようとするのは、こうした迷妄に陥る原因が合気道、大東流のシステムから由来しているのではないか、ということである。 大東流は、柔術、合気柔術、合気之術の三大技法によって構成されるのが本来の形であるとしたのは鶴山晃瑞であった。以降、この分類は便利なのでいろいろな人が使っている。しかし、これらの区分の個々の違いは必ずしも明確ではない。どれも基本的には柔術の技と見えてしまうからである。しかし、こうした分類に何らかの妥当性を多くの人が認めているのは、システムとして大東流にそうした分類を成立させる「何か」があると感じられているからであろう。 私見によれば柔術は制圧法であり、それは関節技を主体としている。これに対して合気柔術は離脱法であり、これは呼吸投げなどに代表される。合気之術は現在の大東流では柔術技とされているがシステム論上からは合気上げとされるべきであろう。掛からない技として問題となるのは「合気柔術」の部分で... 続きを読む
道徳武芸研究 両儀之術と八卦腿〜劉雲樵の「八卦拳」理解〜(2) 12月 20, 2024 道徳武芸研究 両儀之術と八卦腿〜劉雲樵の「八卦拳」理解〜(2) 前回では劉雲樵の八卦「拳」から八卦「掌」の変更において基本の構えである「推掌」が「倚馬問路」とされたことに触れたが、ここでは両儀之術を八卦腿(四象拳)として教えていたことに関して論じてみたいと考えている。武壇の八卦掌の体系から類推すると劉雲樵が宮宝田から学んだのは円周上を歩くものとしては換掌四式、下穿掌、それに直線套路としては両儀之術、八掌拳、羅漢拳(砲捶)であったように思われる。この中で換掌四式は「小開門」となり、それが走推掌と組み合わされたのが「両儀開門掌」である。円周を反転する動きである下穿掌は八卦六十四掌に取り入れられている。また内修八掌は八卦拳の八母掌とほぼ同じ形とする人も居れば、武壇の八卦六十四掌と同じとする人も居る。つまり内修八掌と八卦六十四掌を同じとしている系統と異なるとしている系統があるわけである。八卦六十四掌は単換掌、双換掌で始まるなど全く八卦拳とは異なるもので、基本の動きは陳ハン嶺が台湾に伝えた龍形八卦掌とほぼ同じである。また八卦拳の八掌拳は「八卦硬掌」と称されている。システム上、八掌拳は八母掌と羅漢拳を融合させる役割を有しているのであるが、武壇ではそうしたものとはなっていないようで八卦腿(四象拳)から八卦硬掌、(武壇の)「八卦拳」へとつながる流れの上に位置している(武壇の「八卦拳」は八卦拳の羅漢拳とほぼ同じ動きである)。 続きを読む
道徳武芸研究 「簡易」と「簡化」の太極拳〜簡化太極拳の場合〜 8月 07, 2025 道徳武芸研究 「簡易」と「簡化」の太極拳〜簡化太極拳の場合〜 先には「「簡易」と「簡化」の太極拳〜鄭曼青の求めた奥義〜」として主に簡易式について論じたが、今回は簡化太極拳について考えてみたい。簡化で特徴的なのは起勢からいきなり野馬分鬃に入ることである。太極拳からすればこれは攬雀尾でなければならない。太極拳は楊家から武家、呉家、孫家、陳家といろいろな門派に分かれて発展して行ったが起勢から攬雀尾の流れは全てにおいて共通している。勿論、鄭曼青の簡易式でも同様である。しかし簡化ではそうなっていない。つまり、これは「新中国」になって旧時代の太極拳ではなく新しいプロレタリアート(人民)のための太極拳、「太極拳運動」として制定されたことを表そうとしたためと思われる。 これはいうならば武術から体操への変化であった。従来の武術としての太極拳ではなく人民の体操としての太極拳が共産革命を経た新しい中国で制定されたということである。これは中国風にいうなら「功夫」から「武術」へ、ということになろう。「功夫」は中国で武術という意味であり「武術」は功夫を基にした体操をいう語である。 新中国で提唱されたのはこうした功夫(武術)の体操化であった。こうした中で簡化も編まれたのであり日本のラジオ体操のように労働者の健康管理のひとつとして用いられることを意図したのであるが、この流れは後には競技化(床運動競技)の方に大きく進展して行き簡化もその中で主として伝承されて行くことになる。一方「太極拳運動」つまりラジオ体操的な役割は気功の方に受け継がれる。気功は簡化よりも更に簡単であるし、超能力(特異効能)が得られるともされている。 また簡化で特徴的なことはあえて武術的な要素を排除している点である。太極拳の武術性は「勢」を得ることにある。これは「綿綿不断」という途切れの無い動きで養われるが、そうしたことを鄭曼青は「盪」としていたわけである。しかし簡化ではあえて流れ(勢)を生じさせないように構成されている。例えば野馬分鬃は指先が前を向いていなければ肩で体当たりをして体勢を崩した相手を跳ね飛ばすことはできないが、簡化では横を向かせている。また白鶴亮翅も腕を外に返さなければ相手の攻撃を受けることはできない。これらは勁の流れが外に向かないようにする動きであり、武術というより導引的な色彩の強いものといえる。 以下... 続きを読む