道徳武芸研究 合気道と点穴と〜ユーチューブ時代の危機と可能性〜(4)

 道徳武芸研究 合気道と点穴と〜ユーチューブ時代の危機と可能性〜(4)

早くから植芝盛平は合気道の母体となった大東流の関節技の実戦における限界を感じており「合気道は(実戦では)当身が七分」としていた。また晩年は合気道の「技」は攻防に使うためのものではなく「気形」であると教えていた。実は大東流も合気道もそのシステムとしては「気形」として理解されることが妥当なのであり、そのことは合気道が両手を取っての呼吸法(合気上げ)から始まることに象徴的に示されている。そもそも実戦では両手を取られることは全く想定されるものではない。しかし、このような想定外のシチュエーションを合気道では基本中の基本として規定しているわけで、このことは合気道が本来「気形」であったことを表しているとすることができるのである。それでは気形とはどういったものなのであろうか。これは人体におけるエネルギーのルートを感得するためのものということができる。つまり太極拳でいうところの「按脈」である。按脈とは体にあるエネルギーのルートを按(おさ)えもので、それを制することで相手の心身をコントロールできるようになる。


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