道徳武芸研究 松竹梅の剣と正勝棒術(9)

 道徳武芸研究 松竹梅の剣と正勝棒術(9)

ある意味において松竹梅の剣や正勝棒術は「神話」の世界から生まれた妄想の産物という批判も可能かもしれないが、留意すべきは弥生時代の日本には銅剣、銅鉾といった組み合わせが既に見られるということである。銅剣や銅矛は日本では次第に巨大化して行く。それは実用を離れた祭祀の器具と化したためとされている。つまり剣や鉾を使うことで不可思議な力がつくことを体験的に多くの人が知ったということをこれは表しているのではなかろうか。また兵庫県の桜ヶ丘から出土した銅鐸の絵には二人を同時に相手にしているあたかも大東流の傘撮りのような図が残されている。つまり松竹梅の剣はこうした弥生時代の銅剣、銅鉾の系譜を引くものであり、正勝棒術は銅鉾の、初竹梅の剣は銅剣の系譜に連なるものと考えることができるわけである。そうして銅鐸に示されているのは、まさに呼吸力としての合気そのものであろう。盛平の開いた「岩戸」は縄文時代に日本で生まれたまさに息吹・気吹のわざの復活であったのではなかろうか。また盛平は合気道を「天の浮橋」であるともしていた。天の浮橋とは伊邪那岐の神、伊邪那美の神が天の浮橋から天の沼鉾(あめのぬぼこ)を下したとする神話によるもので、これは男女の神、天地の十字のむすびを象徴するとされるが、ここで下されているのは「鉾」なのである。この鉾で那岐、那美の神は大海原をかき回したとされる。正勝棒術で棒をしてかき回すような動きが入っているのはこのためであり、つまりこのことは正勝棒術が「鉾」の術としてもイメージされていたことを表していよう。縄文時代、大陸から入ってきた武器としての銅剣、銅矛が巨大化して祭具となった。この辺りに呼吸力の生まれた根源がありそうである。


このブログの人気の投稿

道徳武芸研究 八卦拳の変化と蟷螂拳の分身八肘(8)

道徳武芸研究 改めての「合気」と「発勁」(6)

道徳武芸研究 八卦拳から合気道を考える〜単双換掌と表裏〜(4)