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道徳武芸研究 松竹梅の剣と正勝棒術(8)

  道徳武芸研究 松竹梅の剣と正勝棒術(8) それでは呼吸力は具体的にはどのようなシステムによって構成されているのであろうか。それが松竹梅の剣と正勝棒術なのである。剣の動きは上下の中心軸を開くものであり、これにより左右の転身による入身が容易となる。一方、正勝棒術は螺旋の動きで主として変化を促すのに効果が認められ、これは入身から転換へと攻防を導くものである。またこうした動きの組み合わせは形意拳と八卦掌においても同様に見ることができる。ある意味で形意拳と八卦掌がひとつのものと見なされるようになるのは必然の結果でもあったといわねばなるまい。また近世までの日本では、今では古武道といえば剣術がもっぱら知られているが、それに並んで宝蔵院の槍が広く行われていた。他にも佐分利流なども宝蔵院に近い技術を有しているが、これらにおいては「切る」ということが、かなり重視されている。中国で槍は「突き」や「打つ」が主たる用法とされ、槍で「切る」という発想はない。槍に似た武器で「切る」ことを重視するのは戈(か)であろう。戈は鉾の一種で横にT字の刃が付いている。つまり「切る」槍とは矛の系譜を引くものなのである。こうした矛と剣の組み合わせは弥生時代に見られるもので、この組み合わせが後世にまで受け継がれ、合気道において正勝棒術と松竹梅の剣として結実されたのである。

第七十五章【世祖 解説 〔両儀老人 漫語〕】

  第七十五章【世祖 解説 〔両儀老人 漫語〕】 この章では生死の道について論じており、そのおおよそから細部にまで及んでいる。つまり身を亡くすところにまで教えが至っているわけである。「上」が多く取れば、「下」が餓えるのは当然である。「上」が余りに多くの政策を実施しようとすれば、「下」はかえっ秩序を失うことになる。こうしたことは必然ということができよう。民が自らを愛すること過度になれば、まさに養生を熱心に行うようになり、自分の体を過度に重視してしまう。一方で自分の体への執着が過度でなければ、死へのとらわれも軽くすることができよう。聖人にあっては、ただあえてことを為すことがない。つまり「吾に身無ければ、吾に何の患うるところあらん」とされるところのものである。これはどうしたことは自分が生を受けたことをよく理解していることにならないであろうか。 (ここでは「民の死を軽んじる。その生生の厚きをもってなり」の解釈に注意しなければならない。「死を軽んじる」ということを簡単に死ぬこと、と理解したのでは意味がない。この後の「生を貴ぶに賢たり」と重ねて理解されるべきである。人が亡くなるのは当然のことであるからそれにとらわれるのは好ましいことではないわでけで、こうした「自然」のままの考え方ができるのが「賢」ということになる。老子はあくまで合理的な考えを重視しており、合理性の中で余計なことをするべきではないと考える。「死」について心配しても仕方がないので、そうしたことの不合理性をここでも説いている)

第七十五章【世祖 注釈】〔両儀老人訳〕

  第七十五章【世祖 注釈】〔両儀老人訳〕 民の餓える。その上、税を食(は)むの多きをもってなり。これをもって餓える。 (民が餓えるのは、「上」の税を取ることが多いからである。そうであるから餓えるのである) 民を搾取することが重ければ、民は貧しくなってしまう。 民の治め難きは、その上、これ為すこと有るをもってなり。これをもって治め難し。 (民の統治し難いのは、「上」が余計なことまでしてしまうからである。そうなると統治が難しくなる) 「為すこと有る」とは、知術を用いることである。それが過度になれば、かえってうまく政策をして民を治めることができなくなる。 民の死を軽んじる。その生生の厚きをもってなり。 (民が死を軽んじるのは、ただ生きることを重視して死について考えないからである) 自分を大切に思うことが過度であることを「厚き」としている。自身の身を軽んずれば、死んでしまうことにもなりかねない。これは死を軽んじていることになる。 それただ生をもって為すこと無きは、これ生を貴ぶに賢たり。 (ただ無為自然に生きる。そうした生き方は、死ぬことを考えても死を免れることができるわけではないという自然の道理を知っていて、賢く生きることを大切にしていることになる) 「もって為すを生ずること無き」とは、体のことで体が存していることを言っている。「生を貴ぶ」とは、その生に自信を持つことである。

道徳武芸研究 松竹梅の剣と正勝棒術(7)

  道徳武芸研究 松竹梅の剣と正勝棒術(7) まさに呼吸力は合気以上に優れた概念で、日本武道史つまり「柔(やわら)」の歴史を総括するといっても良い程のものであったのであるが、これまで合気道において呼吸力がどのように位置付けられるかの検討が進められることはなかった。「合気」道ではあるが呼吸投げはあっても、合気を冠する技が無いことに修行者は疑問を抱かなかったのであろうか。また、一部に「合気投げ」がいわれることもあるが、実際は呼吸投げと大差ないものであるに過ぎない。既に触れたように呼吸力は合気を含んだ概念で、引力の鍛錬としての「引く息」が合気となり、「吐く息」では力(呼吸力)が発っせられることになる。これは中国武術でいえば発勁ということになる。一部に日本の武術は「合気」で、中国は「発勁」に特色を有するとする理解も見られたが、太極拳でも「合えば即ち出る」(打手歌)とあるように「合」はまさに合気であり、具体的には「化」勁などが合気と等しい技法として存している。またここでの「出る」が、つまり「発」勁であることは言うまでもなかろう。中国武術では相手の力を受けて攻防を転換させる働きを「化」勁とし、その上で相手に力を及ぼすのが「発」勁とされるが、「合」と「発」の二つをむすび付ける概念はない。それを植芝盛平は呼吸力としたわけである。

第七十四章【世祖 解説 〔両儀老人 漫語〕】 

第七十四章【世祖 解説 〔両儀老人 漫語〕】  この章では、刑をして民を守るということが述べられている。こうしたやり方は安らかさからは程遠いものである。刑を用いるのは、究極的には刑が民をして死を慴れさせることによっているのに過ぎない。しかし、民は本来は死を慴れることのないものである。どうして死を畏れることがあるであろうか。もし民を天の道の中に安んずるなら、生を楽しみ、死を畏れるであろう。しかし、そうではない変わった者も居るであろうから、そうした者は殺せば良い。このような者に、どうしてあえて死の恐怖をして服従させる必要があるであろうか。こうした者は自分で死刑への道を選び取っているのである。こうした者を殺すのは天に代わって殺すわけであるから、私意によるものではない。つまり、あえて変わり者を殺そうとするのではない。天は何れはそうした人物を殺すのであるから、それに代わって殺すに過ぎないのである。これは大師匠に代わって弟子が木を切るようなものである。ただし無闇のに斧を用いたならば、どうして自分の手を傷つけないでいられようか。 (ここでは人は本来、死は自然なことの一部であるからそれを畏れたりはしていなかったことが前提となっている。しかし現在の人は死を慴れる。それは天の道を外れてしまっているからに他ならない。もし人々に死を畏れさせるようなことを言いう者が貴ばれるのであれば、自分は天に代わってそうした人物を殺すであろうと老子は言う。これは地獄や幽霊などを説く「宗教者」のことでもあろうか。しかし実際に殺してしまうと自分にも不幸が訪れるとも述べている。つまり天に代わって人が殺人を行ってはならないことも老子は教えている)  

第七十四章【世祖 注釈】〔両儀老人訳〕

  第七十四章【世祖 注釈】〔両儀老人訳〕 民は常に死を畏れず。いかに死をもってこれを慴れるや。 (民は本来は死を畏れてはいないものである。しかし、どうして今、多くの民は死を慴れるのか。) 普通の人でも亡くなる時には、死を畏れることはない。 もし民をして常に死を畏れさしめるを奇(すぐる)ると為す者は、 (もし民に死を畏れさせるのをおかしなことをする者が居れば) 民は皆、法を知っているが、その意表を突く人が時に出るものである。 吾、執るを得てこれを殺す。いずくんぞあえてせんや。 (自分はこれを捕まえて殺すであろう。どうしてあえて殺してしまうのか) 「いずくんぞあえてせんや」とは、殺あれても、けっして服従することがないということである。 常に殺すを司る者有れば殺す。 (それは常に殺すことを司る者が自然には居るからである。そうであるからあらゆる生き物は死んでしまう) 「殺すを司る」のは天である。 しかして殺すを司る者に代わりて殺す。 (つまりそうした自然の殺す働きに代わって自分は人を殺すのである) 殺す必要がないのに殺すのは、つまり「殺すを司る」ところの天に代わって殺すのである。 これは大いなる匠に代わりて断つ。 (これは偉大な師匠に代わって木を切るようなものである) 大いなる匠に代わって木を切ることに例えているわけである。   それ大いなる匠に代わりて断てば、その手を傷つけざること希れなり。 (そして偉大な師匠に代わって木を切ったりたならば、自分の手を傷つけることになろう。つまり勝手に自然の生き物を殺す働きに代わって人を殺したりしたら自分には不幸が訪れることになるのである)

道徳武芸研究 松竹梅の剣と正勝棒術(6)

  道徳武芸研究 松竹梅の剣と正勝棒術(6) 「須佐之男の命」は「すさ」の男の命(みこと=かみ)という意味である。「すさ」とは荒(すさ)ぶるという意味で、須佐之男の命は「荒ぶ」働きを高天原にもたらした神であった。「すさ」は「su sa」であるから「う」と「あ」の言霊が認められる。つまり須佐之男の命が高天原に赴くことで、高天原に浄化の働きである「う」の言霊が働くようになったのである。須佐之男の命は高天原では農業施設や機織りの施設を壊したとされる。こうした荒ぶる様子が実は浄化の働きであったのであり、これを経て高天原は岩戸開きを迎えて新たな秩序がもたらされることになる。ちなみに天照大神は「a,ma,te,ra,su」で「あ」と「え」と「う」の言霊が存しているのであるから「う」の浄化の働きも含まれているのであるが、それが、須佐之男の命が高天原で荒(すさ)ぶるまでは発動されることがなかった。ために岩戸に隠れることになったわけである。この時、高天原は暗く、悪しき働きが蠢き出したとされる。しかし天照大神が岩戸から出ると世の中は再び光に満ちた秩序を取り戻す。つまり浄化が働くようになったわけである。須佐之男の命のような浄化の働きを「武=神武」という。これが合気道の働き、天の叢雲の剣の働きとなるわけである。

道徳武芸研究 松竹梅の剣と正勝棒術(5)

  道徳武芸研究 松竹梅の剣と正勝棒術(5) 「さむはら」に関しては当時の「流行り神」である「さむはら(独特の字で表される)」との関連については前回に触れたが、またこれには神智学で超人(アデプト)の住むというチベットの某所にあるとされるシャンバラとの関連が考えられるのかもしれない。戦前には三浦関造が神智学を紹介しているし、戦後すぐに鞍馬寺の信楽香雲は、サナト・クマラの「クマラ」は「くらま」のことであるとして神智学的な教義を取り入れた鞍馬弘教を開いている。植芝盛平は超能力の開発に非常に興味を持っており、いわゆるオカルト系の人と多く関わりを持っていたようであるので、そうした中にシャンバラのことを語った人物も居たのかもしれない。言霊学でいうと「高天原」は「ta,ka,ma,ga,ha,ra」で「あ」の言霊のみによって成り立っている。一方「さむはら」は「sa,mu,ha,ra」で「あ」と「う」の言霊によって構成されている。盛平は「う」は「すーう」で澄みきりの言霊であると認識していた。そうであるから「たかまがはら」の「あ」の言霊に象徴される霊界において欠けていた、浄化の言霊である「う」が「さむはら」には備わっていることになる。因みに「たかまがはら」では須佐之男の命によって「う」の言霊の働きがもたらされたのである。

第七十三章【世祖 解説 〔両儀老人 漫語〕】

  第七十三章【世祖 解説 〔両儀老人 漫語〕】 この章では天道をして人のことを明らかにしている。剛強であれば、勇気をもってあえて行動することとなる。しかし、これは死への徒弟となるものである。柔弱であれば、勇気をもってあえて行動するようなことはない。それは生への徒弟となることである。あえて行わないで良いことを行うと「害」が生ずることになる。行わなくても良いことをあえて行わないでいるのは「利」となる。これらは全く明らかであろう。ただ天は生きることを好むものである。そうであるから勇気をもって、あえて行動をするのは、「殺」に近づくことになるので、天はこれを惡(にく)むのである。こうしたことを世の人は理解することができない。ただ聖人だけがこれを知っている。そうであるからそれを知ることが「難」しいとされている。以上のようであるのであるから、あえて剛となることはない。聖人は天の道をして己が道とする。天の道は物においても行われている。あらゆる物が生み育てられているのは、それぞれに応じてこうした道が働いているからである。今まで一度も物と天の道とは争ったことがない。物にあってこの道に外れているものはない。そうであるので「争わずして善く勝つ」ことができるのである。天の道の行われているところでは時が来れば物が生まれる。それは天が命じて物を生じさせるのではない。そしてその働きに狂いの存することがない。そうであるから「言わずして善く応ず」とあるのである。これは行おうとすることなくして行われていることである。何らの意図もなくしてそうなっている。そうであるから「召さずして自ずから来る」とあるのである。「盈(みつるの意)虚(エイキョ)」は、時に応じてそれぞれ交互に生ずるのであり、途切れることなく生じて、そこに意図的なものは何もない。その生ずる時を謀ろうとしても、人のどうすることのできるものではない。そうであるから「なんら計画をしていなくても自ずからよく計画されている(セン然として善く謀る)」としているのである。およそ天の道は恢恢(ひろびろの意)としている。そして、それは「網」のようなものでもある。世の人はその一つ一つの目が「荒い」と思うかもしれないが、その狭いことは限りがない。そうであるから自分はただ「広い」ところに居て、自然のままに生きること久しいだけである。つまりは「あれを捨てれば、これが得ら

第七十三章 【世祖 注釈】〔両儀老人訳〕

  第七十三章 【 世祖 注釈】〔両儀老人訳〕 あえてするに勇なるは、則ち殺さる。 (行動を起こすのに勇敢であるだけであれば、つまりは殺されてしまうことになろう) 「あえてするに勇なる」とは剛であるということである。 あえてせざるに勇なるは、則ち活きる。 (あえて行動しないということに勇敢であれば、つまりは活きていくことができるものである) 「あえてせざるに勇なる」とは柔であるということである。 この両者は、或いは利し、或いは害す。 (あえて行うこと、あえて行わないことは、ある場合には利益になるし、ある場合には害悪を受けることにもなる) 「活」きれば「利」となるし、「殺」されれば「害」となる。 天の惡むところ、 (天が惡むことは、) 勇敢であるのは、天の惡むところである。 いずくんぞその故を知らんや。 (どうしてその理由を知ることができるであろうか) 世の人はその理由を知らない。  これをもって聖人は、なおこれを難(わざわい)とす。 (天の惡むところを聖人は知っているので、あえて余計なことをすることは災いを招くと考えている) 聖人は理由を知っているので、勇敢であることを災い(難)とするのである。 天の道は、争わずして善く勝(まさ)る。 (つまり天の道とは「争うことがなければよく勝つことができる」というものなのである) 天はそれ自身で動いているが、星々は互いに先を争うようなことはしない。そうであるから先んずることはないのが天の道理なのである。 言わずして善く応ず。 (語り尽くそうとしなければ、語られない部分でより多くのことを伝えることができるものである) 天とは何であるか。それは生成の働きであり、互いに応じて協調して動いているものである。 召さずして自ずから来る。 (召すことがなくても、協調関係があるので自ずから来るべきは来る) 陰が尽きて陽が生まれる。暑さがなくなり寒さが生じる。陽も寒さもそれを招かなくても自ずから召されてやって来るものである。 セン然として善く謀る。 (あまり細かなことを考えなければ、あらゆる細部までよく計画されて自ずから調うことになる) 「セン」とは緩めるということである。 天網恢恢(かいかい)、 (天の網は広大であり) 「恢恢」とは広大であることである。 疎にして失わず。 (一見して穴だらけであるように見えるが、実はすべてを漏らすことなく覆い尽

道徳武芸研究 松竹梅の剣と正勝棒術(4)

  道徳武芸研究 松竹梅の剣と正勝棒術(4) さて松竹梅の剣の「松竹梅」が大本教に基づくものであることは既に触れたが、「剣」として象徴されているのは「天の叢雲(あめのむらくも)の剣」である。これは八岐の大蛇から須佐之男の命が得た剣とされている。植芝盛平は天の叢雲の剣の働きが地上に現れなければならないとしていた。これが大本教でいう「二度目の岩戸開き」となると考えたのであろう。天の叢雲の剣の働きを盛平が如何に重視していたかは、合気道の守護神として感得された神が「天の叢雲九鬼(くき)さむはら龍王」であることでも分かる。本来「天の叢雲」とは強烈な霊力を有する八岐の大蛇の上に棚引いていたとされる雲のことで、一種の霊雲とすることができる。「九鬼」は「九気」であり、これは九方向の気、つまり中央と八方(八岐)の気であるから、あらゆるところの気ということになる。龍王は八岐の大蛇のイメージと重なっている。ちなみに「さむはら」は戦中に流行していたいわゆる「流行り神」で、弾除けの利益があるとされていた神である。「弾除け」は武術では相手の攻撃を避けるということにもつながるので、合気道の守護神の名称としてふさわしいと感じられたのかもしれない。

第七十二章【世祖 解説 〔両儀老人 漫語〕】

  第七十二章【世祖 解説 〔両儀老人 漫語〕】 この章では民情の偏りについて述べている。それによって道に導こうとしているのである。およそ民が行動をして命を失ってしまうのは、その畏ろしさ、危険がどこに存しているのかを知らないからである。それは一般的には兵隊であり、一般的には刑罰であり、一般的には寝床の上(性行為)であり、一般的には飲食の時にある。これらには全て寿命を縮め命を損なう危険が伴っている。つまり、これらはすべて大いに畏れるべきものなのである。もし、何を畏れるかを知らなければ、いろいろな災いが生ずることとなろう。そうであるから「多いなる災いが生まれる(大威の至りなり)」ということになるのであり、これはまったく道理に合っていよう。人々に静かに居ることを求めても極めて難しい。不安があるので退いて静かにしていた方が良いような場合でも、あえて進んで動いてしまう。それは広いところに住もうとしてかえって狭いところに住んでしまうようなものである。それは自分で狭いところに住もうとしたからではない。たとえ同じ空間であってもそのに「無」の存することを観ることなく、ただ「有」をのみ感じてしまい、「無」の広がりが分からないのである。それは長生きを求めて、かえって長生きを厭うようなことをしてしまっているのと同じである。ここにおいては自らが生まれたことをも厭うてはならない。もし、よく厭うことがなければ、生を求めることにも、こだわりがなくなってしまう。そうなると生を厭うこともなくなるわけである。そうなれば聖人となれるのではないであろうか。自己の内面を見つめて(返照)、道を知るのであり、道をあえて求めることはない。虚となって(致虚)自ずから生を愛するのであり、必ずしも自らがそれを重視するのでもない。そうなれば狭いことを厭うたり、好んだりする何らの要因さえもないことになる。そうなれば自ずから狭さにも、広さにも、こだわりの無いとことに居ることになる。自然と長生きができているようになる。ために「あれを捨てれば、これが得られる(彼を去りてこれを取る)」とあるのである。 (最後の「彼を去りてこれを取る」は、老子によく出てくる当時の諺のようなものである。老子はこうした古くからの信仰や考え方を取り上げて、それに新しい意味を付与して教えを説いている。「あれを捨てれば、これが得られる」とするのは当然のことで、

第七十二章【世祖 注釈】〔両儀老人訳〕

  第七十二章【世祖 注釈】〔両儀老人訳〕 民、威を畏れざれば、 (民が統治者の権威を畏れることが無ければ) 「威」は一般には畏れられるものである。 則ち大威の至りなり。 (それはつまりは、道とひとつになった「権威」が浸透しているということになる) 「大威」とはひじょうに畏れられることである。 その居るところ狭きこと無く、 (道と一体となった人には住んで狭いというところはないし、広いということもない) 「無」とは戒めの言葉である。そうであってはならないということである。「居」は広いところに居ることをここでは言っている。 その生まるるところを厭うこと無く、 (生まれたところを嫌うこともないし、好むこともない) 「厭」とは、関係を断つということである。「生」とは長生き(長生久視)をする理のことである(長生きをする理に外れることがないということ)。 それただ厭わず。これをもって厭わず。 (好きになることもないし、嫌うこともない。そうした状態にあって「厭わない」何でも受け入れることを一般とする) ただに生きることを厭うことがなければ、どうして他に厭うものなどあるであろうか。 これをもって聖人は自ずから知り、自ずから見る。 (こうしたこだわりを聖人は持っていないことを聖人は知っているし、自分で自分において見てもいる) 徳を持って明らかであれば自ずから聖人とはどのような存在であるかを知ることのできるものである。聖人がどのような存在であるのかを、明らかに分かるのに見ようとしない。これは暗いということになる。 自ずから愛し、自らを貴しとせず。 (自分自身を愛してはいるが、自分自身を貴いものとは考えない) 道を体して自分にこだわることがない。「自ずから愛し」とは無闇に命にこだわらないということであり、それを重視もしている。つまり、これは虚であることを言っている。 故に彼を去りてこれを取る、なり。 (つまりは、「あれを捨てて、これを取る」というごく自然なことに落ち着くことになるわけなのである)

道徳武芸研究 松竹梅の剣と正勝棒術(3)

  道徳武芸研究 松竹梅の剣と正勝棒術(3) 戦後、植芝盛平は自らの武道を語るのに神話的な言辞を廃する傾向が強くなったが、その代わりに出てきたのが「心身統一」であった。この心身統一の「心」は天照大神と須佐之男の命の神話でいうなら「玉」であるし、「身」は「息」とすることができるであろう。つまり心身統一とは呼吸力のことをいっているのである。盛平が岩戸開きとして開こうとしていたのはまさに呼吸力であり、大本教でいう「瑞の霊」は心身統一においては「玉」「心」で、「厳の霊」は「息」「身」であったのである。盛平は合気道の稽古を「引力の鍛錬」と総括している。そして引力は「引く息」によって生ずるとする。「引く息」とは吸う息である。つまり大東流で「合気」とされるような力は「引く息」によって得られるのであり、ここに「合気」も呼吸力の中に含まれることとなった。ただこうした「呼吸力」を使うシステムは依然として「合気道」と称されていたのであり、これは実際の技法と流派名との乖離を生ずることとなる。こうした矛盾が呼吸力も合気も共に観念的なこととしてその実際を追究しようとする意欲を後継者達から希薄にしたといえるのかもしれない。

道徳武芸研究 松竹梅の剣と正勝棒術(2)

  道徳武芸研究 松竹梅の剣と正勝棒術(2) また正勝棒術の「正勝」とは正勝吾勝々速日天忍穂耳(まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみ)の命に由来するもので、これは天照大神の玉を須佐之男の命が噛み砕いて、吹き出した息の中から生まれた神とされている。これを大本教的に解釈すれが、天照大神の玉は女性の神の持つ霊(たましい)であるから「瑞(みず)の霊(みたま)」であり、須佐之男の命の息もそこには霊的な働きがあるので、これを「厳(いず)の霊」と解することができる。この瑞の霊と厳の霊とがひとつになるのが、真の岩戸開きなのである。そうして見ると大本教の教えに基づく松竹梅の剣も真の岩戸開きを象徴するものであったし、日本神話による正勝棒術もそれを大本教的な視点からすればこれも岩戸開きとすることのできるものであることが分かる。また天照大神と須佐之男の命の神話では「玉」と「息」がひとつになって「神」が生まれるとあるが、これはまさに呼吸力の奥義そのものでもある。

第七十一章【世祖 解説 〔両儀老人 漫語〕】

  第七十一章【世祖 解説 〔両儀老人 漫語〕】 先には道は知ることは簡単であるが、真に道を知るものは少ないとあった。たとえ道を知っていたとしても、それを語ることは容易ではない。道を悟っていて、しかも道を知らないように見せるのが「上」であるとされる。本当は道を分かっていないのに、分かっていると思い込んでいるようは状況は道を学ぶ上では不適切な状態(病)にあるといえよう。分かっていないということが分かっていれば、それは不適切な状態にはないとすることができる。つまり適切である(無病)ということになるのである。つまり聖人が適切な状態にある(無病)とされるのは、不適切な状態がどのようなものであるかを明確に知っているからに他ならない。そうであるから自分が分かっていないということが分かっていないような不適切な状態に陥ることはないのである。 (よく「ニュースの読み方」を教える人が「あらゆることを疑え」と言うことがある。そうすることで真実に近づくことができるとするのであるが、人はなかなか時代の風潮(常識)から完全に抜き出ることは難しい。一年くらい経って見れば、多くの人が時代の空気に囚われていたことがよく分かるが、その中にあっては余程、注意していても往々にして限界があるものである。しかし、とにかく「疑ってみること」の重要性を老子はここで説いている。大切なことは得られた結論の正しさではなく、真実を求めて疑問を持つという態度なのである)

第七十一章 【世祖 注釈】〔両儀老人訳〕

  第七十一章 【世祖 注釈】〔両儀老人訳〕 知らざるを知るは上。 (自分は何が分かっていないかを知っている人は優れている) 道を知ってはいても、それは具体的な何かを知っているのではない。こうした状態が最上とされる。 知るを知らざるは病。 (自分は本当は分かっていないのに、分かっていると思っている人からは弊害が生じる) 「病」とは害するところのあるものである。知らないのにむりに知っているように振る舞うのは害を生じさせる。 それただ病(やまい)を病(や)む。これをもって病まず。 (自分が分かっていると思う中にも分かっていないことがあるのではないかと疑うことで、分かっていないことを分かっていると思い込む弊害を除くことができる) どうして病いとなるのかを知っていれば、病気になることもない。 聖人はこれ病せざるなり。その病を病むをもって、これもって病いせず。 (聖人は常に自分の理解が充分ではないのではないか疑っている。そうであるから分かっていないことを分かっているとする弊害に陥らないですむのである) 病を病むのが病気である。ただ聖人だけがこうしたことができている。

道徳武芸研究 松竹梅の剣と正勝棒術(1)

  道徳武芸研究 松竹梅の剣と正勝棒術(1) 晩年の植芝盛平は剣や棒の練習に熱心であったようである。そうした中で松竹梅の剣と正勝(まさかつ)棒術が考案される。ただこれらには定まった形はないようで、晩年の弟子である引土道夫や藤平光一、斉藤守弘などがこれらを伝承しているが、それぞれ形は同じではない。盛平自身の演武でも違っているところが見られるので、形として固定されるべきものではなかったのかもしれない。これらは現在はその一部が合気剣、合気杖として一般には練習されている。因みに松竹梅の剣の「松竹梅」は大本教に由来しており、教祖の出口直は「三千世界一度に開く梅の花、艮(うしとら)の金神(こんじん)の世になりたぞよ」とする神からの教えをお筆先として受けて「神が表に現れて 三千世界の立替え立直しを致すぞよ」とする働きを担うものとして大本教を開くこととなる。盛平も「三千世界一度に開く梅の花二度の岩戸は開かれにけり」とする道歌を残している。一度目の岩戸開きは天照大神の神話にあるもので、大本教では大本教が二度目の岩戸開きをするとしている。これは一回目に次ぐ二回目ということではなく、二度目の岩戸開きこそが真の岩戸開きであると大本教では考えていたし、盛平も新たな境地を開くものとして松竹梅の剣と正勝棒術を位置付けていたのであった。

第七十章【世祖 解説 〔両儀老人 漫語〕】

  第七十章【世祖 解説 〔両儀老人 漫語〕】 この章では、道を知る者は少ないとした上で、道を体得した人のことについて述べている。すなわち道とは日常の食べたり、飲んだりするところに存しているので、それを知ることは極めて容易なのであるし、それを実践することも極めて簡単ではある。しかし世の人々はこうしたことを知ってはいないし、行おうとしてもいない。そうであればどうして道を実践することが容易であるといえるであろうか。あるいは「道」と称されたり、あるいは「中(中庸)」とされることもあり、または「君」と呼ばれることもあるが、世の人は言葉によって道を知ろうとする。何かを得たりしたりすることと等しく、道を得よとする。しかし、そうしたことでは道の本当の姿を知ることはできない。こうしたところに道はないからである。そのため道を知ることもできるわけはない。ただ道は目の前にあるのであるが、これを意図して知ることはできない。こうしたことがあるので道を知り得ることは貴いとされるのである。本当の自分を知っている人は希れであろう。自分の尊さを知っている人はほとんど居ない。そうした人はまるで粗末な着物(褐)を着て、それが自分であると思っているようなものである。聖人もそうでない人も外見上は等しく粗末な着物を着ているように見えることもあるが、聖人の懐の中には玉が抱かれている。自分が玉を持っていることに気づいたところが、常人と聖人との違いである。見た目は普通の人も聖人も変わりはないのに、気づきを得た人はどこか違ったところがあるように見えるのを人は不思議に思うものである。しかし多くの人は、そうした差異がどこから生まれているのかを知ることはない。 (老子の「それ唯、知ること無く、これをもって我、知らざるなり。我を知るは希(まれ)、則ち我は貴し。」はひじょうにおもしろい表現である。人々は自分が聖人であると思っていないので自分は聖人である、とする理屈を述べているのであるが、これは老子による一種の韜晦である。老子は本当に自分のことを聖人であると思っているのではない。自分は聖人ではないので人が自分のことを聖人であると認めないのは当然であるが、たとえ本当に聖人であっても人は自分のことを聖人とは認めないであろうというわけである。つまり人が聖人であると認めるのは本当は聖人ではない人であるということになる。また誰しも聖人とな

第七十章【世祖 注釈】〔両儀老人訳〕

  第七十章【世祖 注釈】〔両儀老人訳〕 吾、言う。甚だ知るは易(やす)く、甚だ行うは易し。天下、よく知ることなく、よく行うことなし、と。 (私は言おう。深く知ることは簡単で、すぐに実行することも簡単であると。また、しかし、世の人は深く知ろうとしないし、すぐに実行しようともしない、と) ただ世の人は道に入ろうとしないので、入ることができないのである。 言うに宗有り、 (語る言葉には重要なこととそうでないことがある) 「宗」とは一族を統べるものである。 事するに君有り。 (実践するのにも最重要なことがある) 「君」とは民を統べるものである。 それ唯、知ること無く、これをもって我、知らざるなり。我を知るは希(まれ)、則ち我は貴し。 (人々は物事には重要なこととそうでないことのあるのが分かっていない。ために「道を体得している私」の存在に気づくこともない。「本当の私」を知っている人はほとんど居ないわけである。そうであるから「私」は貴い存在ということになる) (道を体得している人をそうであると)知る者は希れであるから、我は(道を体得していると認められていないので)貴い。つまり足りないと笑うところにこそ道はあるのである。 これをもって聖人は褐(かつ)を被(き)て玉を懐く。 (このような理屈があるのであるから聖人は粗末な服を着て、懐に貴重な玉を持っているように外見は冴えないが内面には優れたものを持っているのである) 粗末な服(褐)を被て玉を懐くとは、外の内が一体であるということであるが、そこにあって聖人の内は他の人とは違っているわけである。

道徳武芸研究 形意拳の当身・七拳十四処打法(6)

  道徳武芸研究 形意拳の当身・七拳十四処打法(6) 七拳十四処打法の「当身」は塩田剛三の動きを見ればその実際を知ることが容易であるが、こうした体のいろいろな部位から発せられる力(合気道では呼吸力)は、どのようにして生み出されているのであろうか。形意拳では、十四処は七拳の左右(左右の手、肘、肩、胯、膝、足)と頭で十三処、それに臀を加えて十四処とする。臀は実質的には胯の応用とするこもできようが、こうした部位を用いて「当身」を行う。その力を得る秘訣も「七拳十四処打法」の歌訣には記されている。それは「脚打は七分、手打は三」である。つまり「当身」の力は歩法にあるということで、形意拳の独特な歩法が「当身」の力を生み出すわけである。これが端的に示されているのは連環拳の退歩崩拳(退歩横拳になることもある)である。一気に身を縮めて(束)、後方へ下る勢いで「展」を行って「当身」の勢いを得る。こうした歩法を用いて一気に「束」身から「展」身へと移行することで大きな力を発するわけである。(ちなみに塩田の演舞は動画サイトで簡単に見ることができるが、そこでは相手を引き落とすような「合気」が使われている。これは形意拳の「起落」と同じである。また見るべきは、このような時にも転身を殆ど用いることがないことで、こうしたところは特に形意拳的であるといえる)

道徳武芸研究 形意拳の当身・七拳十四処打法(5)

  道徳武芸研究 形意拳の当身・七拳十四処打法(5) 本来、大東流の「合気」は螺旋の動きを基本とするもので、相手を「合気」により動けなくさせて潰して絡め固めるものであった。これは大東流の根本が抜刀のための柔であり、抜刀を制しようとする相手を潰し絡めて動きを止めることを意図したものであったからに他ならない。この場合あくまで相手は抜刀してすぐに斬ることのできる範囲に留まらせておく必要があった。しかし大東流が柔術として広まるようになると、どうしても派手な投技が求められるようになる。またそれは剣術の裏技(抜刀を助けるもの)としてではなく、柔術技法として大東流を展開しようとする時には欠くことのできないものでもあった(相手に有効な場ダメージを与える)。当然のことであるが柔術においては相手を近くに逗まらせることに何らのメリットもない。こうした中で、強力な投げを行う力として盛平が発見したのが呼吸力であったのであり、それは当身としても使うことのできるものでもあった。しかし戦後、盛平は従来の神道や大本教、そして実戦武道としての合気の道を歩み続けることに困難と矛盾を感じて「愛の武道」としての合気道を模索するようになる。そうした中で動きは呼吸力の直線的なものから、合気の螺旋的なものへと移って行ったのである。

第六十九章【世祖 解説 〔両儀老人 漫語〕】

  第六十九章【世祖 解説 〔両儀老人 漫語〕】 この章では戦争を例えにして道を説いている。兵を用いる時にはあえて「主」となることなく「客」となる。あえて軽々に進むことなく、むしろ容易に退くようにする。そうであるから闘争心を持つことがない。もし闘争心がなければ、陣の中に留まることになる。そうして陣を進めることがなければ、臂を攘(はら)おうとしても、つまり武器を使って敵を払おうとしても、攘うべき臂そのもの、敵そのものが居ないことになる。つまり敵を倒そうとするのであるが、倒すべき敵が居ないこととなる。また兵を使おうとしても使うべき兵が居ない。つまり行わない、ということを行うわけである。そうすれば兵は争わないのであるから、負けることはなく、それは自ずから勝つということになる。しかし争わないという宝を失うと「禍の大なるはなし」ということになる。挙兵をするのであるが、それに相い加えて、悲しみや哀れむ気持ちを持つようにする。そうなれば兵を戦わせることがないので、勝つことができるのである。 (最後の「故に兵を抗(ふせ)ぎ、相加うるに哀れむは勝つ」が難解とされる。世祖などの解釈では「兵を抗(あ)げて相い加うる」と読む。兵を用いる時に哀しみを持つ者は勝つ、というのである。挙兵はするが戦いには消極的である状態とするが、そうであるなら初めから兵をあげなけば良かろう。ここでは「兵を抗(ふせ)ぎ」とした。兵を挙げないばかりではなく、相手のことを思いやることで戦いそのものが成立しなくなる。そいうなれば負けることがないので、自ずから「勝つ」ことになるわけである)

第六十九章 【世祖 注釈】〔両儀老人訳〕

  第六十九章 【世祖 注釈】〔両儀老人訳〕 兵を用いるに言うこと有り。 (兵を用いいる時に言われていることがある) 古の兵法家にこうした言がある。 吾はあえて主と為らずして客と為る。 (それは「自分はあえて主導することなく、受動的に対応する」である) 「主」とは事を起こす者のことである。「客」とは敵に応じる者のことである。 あえて寸も進まずして尺を退く。 (また「少しも進むことなく、大きく退く」である) 「進」むのは闘争心があるからである。「退」くのは争う心がないからである。 これを行きて行くこと無し、と謂う。 (こうした古くからの教えは、それを実行しても意図的であってはならない、とされている) 初めの「行」はその字のままの意味である。次の「行」は行列のことである。 攘(はら)うに臂(うで)すること無し。 (払う時に用いる腕そのものがない) 「攘」は腕まくりをして行う。 したがって敵無し。 (そうであるから敵というものが存することはない) 「したがって」とは上の文章の意を受けてということである。 執るに兵無し。 (兵を用いようとしても用いる兵が居ない) 「兵」とは刃のことである。 禍は敵を軽んずるに大なるはなく、敵を軽んずるは吾が宝を喪うがごとし。 (不幸は敵を軽んずるところから生ずるより大きなものはないのである。敵を軽んずるのは自分で自分の宝を失うようなものである) 争わずして勝つ。これが「吾が宝」である。 故に兵を抗(ふせ)ぎ、相加うるに哀れむは勝つ。 (そうであるから兵を用いることなく、それに加えて相手に哀れみを持つことのできる者は相手に勝つことができるのである) 「抗」とは挙げるということである。「哀」とは賊を哀れんで兵を用いないを良しとするということである。(この解釈であれば「兵を抗(あ)げて相い加え」となる。これについていは次回の解説で触れる)

道徳武芸研究 形意拳の当身・七拳十四処打法(4)

  道徳武芸研究 形意拳の当身・七拳十四処打法(4) 当身で重要なことは意外性を相手に与えることである。意外な攻撃を受けることで相手の意識は混乱し、戦闘意欲を削がれることになる。日本の柔術での当身は大体において裏拳や掌が用いられるが、それは速さを重視するからに他ならない。思いもよらない速さで拳や掌が届くので意外性が生まれるわけである。このように柔術での当身は速さによるところが大きいのであるが、形意拳では意外な体の部位を用いる。肩や胯などはそうした部位であろう。肩はいうなら体当たりのことである。胯は腰での当てである。これは後ろから羽交い締めにされたような時には特に有効で、塩田剛三は三人掛けにおいてこの「当身」を使っている。それは左右の腕を捕られて、後ろから羽交い締めをする三人を同時に投げるもので、こうした身法はまさに形意拳に近いものである。植芝盛平の動きの基本は螺旋にある。一方、塩田剛三の動きは直線的で、このために大東流の影響を云々する妄説もあるが、塩田の動きと大東流の動きは全く異なっている。塩田の直線的な動きは合気道の呼吸力によるもので、それは師の盛平が最も呼吸力の充実していた頃に師事していたことと関係していよう。また戦争時期という時代背景とも関係していると思われる。塩田の内弟子時代は「合気は当身が七分」とされていた頃でもあり、そうした「当身」の力の背景となっていたのが呼吸力であったのである。

第六十八章【世祖 解説 〔両儀老人 漫語〕】

  第六十八章【世祖 解説 〔両儀老人 漫語〕】 この章では争わざるの徳について比喩を用いて述べている。天下において争うのは兵である。そうであるから戦士はまさに「武(たけ)」きことを貴ぶわけである。つまり軍事は「武」きをもって行われることとなる。つまり強ければ死ぬことがないと思われているわけである。そうではあるが老子は「善く士と為るは、武からず」とする。つまり止むを得ない時だけに兵を用いることが、真に長生きのできる方法である、ということである。また理性をもってしなければ戦いに勝つことができないのであって、憤りにまかせて戦えば必ず負けることとなろう。そうであるから「善く戦うは怒らず」とする。自分は争うことがない。そうであるから相手との争いに勝つことができる。しかし、もし実際に戦ったならば、必ずしも勝つことはできないであろう。そうであるから善く敵に勝つ者は争うことがないのである。人は基本的にはリーダーとなった人を助けようとするものであるが、そうすることを求めないで、助けさせるようにしなければならない。それには自分が下につくのである。下につくことで、押し上させてリーダーとなる。そうなれば、すべての人が自分の用いるところとなる。そうであるから善く人を用いることのできる者は先ずは下につくのである。「武(たけ)からず」「怒らず」「争わず」「下と為る」の四つは、すべて争わないことの例えである。争わざるの徳とは、あらゆる力に屈することである。天下にこれを用いれば、天と同じ存在となることができる。そうであるから古からこれに付け加えるものなどないとしているわけである。 (ここでは最後の「これを天、古の極に配すと謂う」の意味を理解することが大切である。一説には「これを天に配すと謂う。古の極なり」と読ませることもある。ここで述べているような「徳」は天によって配されているものであり、古からの無為の精髄である、とするのである。しかし、ここは「これを天、古の極に配す」を当時、一般に伝えられていた格言として「天」や「古」の道の極地である、とされていることが実は、ここに述べられているような「徳」のことを言っているのであると老子は述べるわけである。)

第六十八章 【世祖 注釈】〔両儀老人訳〕

  第六十八章 【世祖 注釈】〔両儀老人訳〕 善く士と為るは、武(たけ)からず。 (優れた兵士は、武威を誇ることはない) 「士」とは戦士のことである。「武からず」これを行うのは弱いからである。 善く戦うは怒らず。 (優れた戦い方をする者は怒りの感情によって戦うことはない) 「怒」るのは兵を怒るのである。 善く敵に勝つは争わず。 (敵を完全に制するには争って勝つのではない) 敵と先を争うことがない。 善く人を用いるはこれの下と為る。 (適切に人を使うことのできる人は相手の下に立つものである) 「下」とは物事の帰するところである。 これを争わざるの徳と謂う。これを人を用いるの力と謂う。 (相手の下に立つことで争いが生ずることがないので、これを「争わないことの徳」と謂う。また「人を使う時の能力」であるとも謂われる) 強いることがなくても、自然に他人が従うようになる。そうであるからよくその力を使うことができることになる。 これを天、古の極に配すと謂う。 (こうしたことを「天や古からの最高のものに配する」と謂われている) 古から今日まで、これ以上のことはない。そうであるから「古の極」と曰っている。

道徳武芸研究 形意拳の当身・七拳十四処打法(3)

  道徳武芸研究 形意拳の当身・七拳十四処打法(3) 三才式で「静」を練っている時にどのようなことが心身に生じているのであろうか。それは体の中心軸への力の蓄積である。これを形意拳では「束身」と称する。あるいはこのことは「丹田に気が集まる」というような言い方で形容されることもある。また「先天真陽の一気が発動した」とされることもある。形意拳の「七拳十四処打法」の歌訣には「束展の二字は一命を亡ぼす」とある。ここでの「束」は形意拳でいう束身である。これで体の中心軸に力を溜めるのである。そして束身から一気に展開することで大きな力を発することが可能となる。この「束ー展」の身法が七拳十四処の打法つまり形意拳の当身のベースとなっていると、この歌訣は教えているのであり、これにより通常の打法と「当身」とはベースとなる心身の使い方に違いはないことを知ることができる。更に論を進めるなら、こうした打法と「当身」の一連のシステムは形意拳においては「明、暗、化」としてその違いが示される。この中の「明」は普通の打ち方で、威力は最も大きい。一方、「化」は威力はその程ではないが、意外性が高く相手の心に大きなダメージを与えることができる。これが「当身」の打ち方ということになる。

道徳武芸研究 形意拳の当身・七拳十四処打法(2)

  道徳武芸研究 形意拳の当身・七拳十四処打法(2) 中国武術では「意」を将軍として、手足を家来と見る見方もあり、「意」の使い方が重視されている。少林拳などでは戦闘意欲を如何に継続、保持して行くかを考える。そのためには呼吸や視線の使い方に独特の秘訣があり、一定度の緊張状態を心身に継続して作り出すことが求められる。一方で形意拳や太極拳などでは、殊更な戦闘意欲を持つことを良しとはしない。ただ「淡々」とした心身の状態を保つことを教えている。これが「鬆」である。「鬆」はよくリラックスすること、と説明され、それも全くの間違いではないが、単なるリラックスとしたのでは攻防に資するものではなくなってしまう。つまり「鬆」には「柔」と「静」とが共に必要であり、こうしたことにより、感覚としては所謂「気が満ちた」状態が作られなければならない。ここでの「静」が「意」の働きをいうものであることは留意されるべきであろう。つまり太極拳では「意」が「静」であるから体において「柔」を得ることが可能となるのである。このように「静」をベースとすることは形意拳や八卦掌でも同様である。ただその後の展開においては若干の違いもあるので注意しなければならない。形意拳では、ただ静かに立っているだけの三才式(混元トウなどと称されることもある)で専ら「静」を養う。そして次には静止した状態で左右の劈拳を繰り返す三体式を練るのであるが、それは「静」が極まって「動」が生じた時であり、これにより三才式から三体式へと移ることになる。

第六十七章【世祖 解説 〔両儀老人 漫語〕】

  第六十七章【世祖 解説 〔両儀老人 漫語〕】 この章では、道と済世について述べている。天下の人は、我が道を大とする。そうであるから「(似ていないようである)肖(に)ざるに似たりと謂う」とあるのである。それでは道のどういったところが「肖(に)」ているとされるのであろうか。道を他にしては物の存在することはないのであり、そうであるからあらゆる存在が道に「肖」ていないことは無いのである。もし何か特定の「肖」ているところがあるとすれば、それは一定の形を持つ道の他に物が存することになる。そうなると道が「大」であるということができるであろうか。つまり「道」はただひたする「大」なのである。そうして道に肖ていないが、また道に似てもいるわけである。もし「肖」ていれば、道は永遠であるからそれは久しく、道はあらゆるところに及ぶので細かなものということができる。つまり道とはそのようであるから「大」なのである。我には三つの宝がある。宝であるが、ただこれを持っているに過ぎない。一には「慈」である。二には「倹」である。三には「あえて天下の先とならない」ことである。この三つは、およそ世の人の貴ぶことのないものであろう。世の人の貴ぶのは「勇」たるものである。「広」なるものだけである。「前に出る」ものだけである。こうしたことでどうして「慈」を知ることができるであろうか。本当に「慈」を知ることがなければ、単なる「勇」であることができるに過ぎない。「倹」であるからよく「広」くあることができるのである。「あえて天下の先とならず」であるから、よく有能なリーダー(器長)となることができるのである。今は「慈」や「倹」は捨てられて、「勇」「広」を先とされる。それは今、人の疾(や)むところとなろう。人は病気や死の徒となってしまうのである。つまり「慈」とはつまり道である。物を愛すること父母のようであれば、たとえ命を捨てるようなことになっても愛することを止めはしない。止むことがないので戦えば必ず勝つのである。守ればつまりが堅固となるのである。天の救おうとするのはつまりは人である。およそ人の居ることころ天の「慈」の存しないところはない。「慈」の無いところは存しないのであるから物はすべて衞られているのである。 (ここは武術的にはひじょうに興味深い章である。老子は大慈を持って戦えば必ず勝つと教えている。また守れば破られること