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第七章【世祖 解説】

  第七章【世祖 解説】 先に(第六章 世相 解説)は「道は天地を生ず」とあるのを見たが、この章では天地が万物を生ずるとしている。聖人は一般の人と変わりがない。長生きをするのは天地がその代表であろう。そうであるから天地はよく「長」く、かつ「久」しいとされている。これを天が施して、地に生ずるのである。そうして止むことがないのであり、その生成は測り難いものがある。一日たりともその施しを怠ることなく、それが止むこともない。これが「自ずからは生ぜず」である。万物はこれをして生成しないものはない。そうであるからよく長生きをすることができるのである。聖人はまたそうであり、その心を知って常に変わることがないのである。「浩然」として天地と等しいのである。そうであるからこの身を愛するべきものとすることがないのである。「一」なる心の働きは無為であることを知らなければならない。そうであれば行為においてよく善とならないものはない。それを「身」において見ないことはない。そうであるから天下の「一」なる心を持つ者は自らに執することはない。そうであるからそうしうた「大徳」であれば、必ずその「禄」を得ることができる。必ずその「位」を得ることができる。必ずその「名」を得ることができる。必ずその「寿」を得ることができる。これを「その身を後にして、身は先となる」「その身を外にして身は存する」としている。これは聖人の心といっているのである。正しい道(明道)は正しく広大であり、謹んでおり無私でもある。つまりそれにあっては自分のために行うことを求めることはないのであり、こうして私と「友」となるのである。つまり、ただそうであるだけなのである。

第七章 【世祖 注釈】〔両儀老人訳〕

  第七章 【世祖 注釈】〔両儀老人訳〕 天は長く、地は久しい。天地のよく長く、かつ久しいゆえんは、その自ずからは生ぜざるをもっての故によく長生す。 〔天が長く存しており、地も久しく存している。天地が長く、また久しく存しているのは、天は有為をして天を生んだのではなく、地は有為をして地を生んだのではないからである〕 「自ずからは生ぜず」とは、ただ生ずるのであって、その生ずることに執着しないということである。 これをもって聖人は、その身を後にしても身は先となり。その身を外にしても身は存する。 〔そうであるから聖人は、謙譲をしても自ずからその存在を表すものである。謙遜をしても自然と尊敬をされるものである〕 「その身を後にし」とは、後にしてはいるものの人に先んじているということである。「その身を外にす」とは、他人との関わりが薄いが、自ずから深く関係をすることになるということである。「身を先に」とは、自分を上とすることであり、そうした人は認められることがない。「身は存す」とは、これをよく害する者がないということである。 もってそれ無私ならずや。故によくそれ私となる。 〔つまり無私であるのが好ましいのである。無私であるからこと私を実現することも可能となるのである〕 「私」とは我が身のことである。我が身を後にするが、先となる。我が身は外にするが、身は存する。そうであるから「それ私となる」とあるのである。

道徳武芸研究 入身と腿法〜七星歩、玉環歩、鴛鴦脚と暗腿、截腿〜(下)

  道徳武芸研究 入身と腿法〜七星歩、玉環歩、鴛鴦脚と暗腿、截腿〜(下) 鴛鴦脚は玉環歩と共に『水滸伝』に出てくるが、鴛鴦は「おしどり」であり仲の良い夫婦に例えられるように相手と離れることのない近い間合いで用いられる腿法のことである。その実際は戳脚(たくきゃく)でよく示されている。戳脚では足首あたりを狙うひじょうに低い蹴りと、近い間合いでの後ろ蹴りに特色を有している。これらは相手が攻撃の間合いと認識していない近い間合いで用いるための特殊な技法である。こうした蹴りは八卦拳の暗腿や截腿を考える上でおおいに参考になる。八卦拳の暗腿や截腿は七十二暗腿であるとか、三十六截腿であるとされるが、これらは「九」と「八」の数によるもので、実際に72種類や36種類の蹴り技(腿法)のあることを示すものではない。また暗腿と截腿の違いなどが必ずしも明確ではないようである。截腿とは相手の攻撃を止めるもので、截脚であれば低い蹴りがそれに当たる。暗腿は死角からの蹴りであり、戳脚であれば足の裏が自分の後頭部に付くような特殊な蹴りがそれに当たるということができる。ただ八卦拳ではどのような蹴りでも截腿とすることができると考えるし、暗腿も特殊な蹴りではなく相手との位置関係により見えない蹴りである暗腿を行うことが可能としている。いうならば八卦掌、八卦拳の暗腿、截腿は戳脚のような蹴りを内面化したといえるであろう。八卦掌の円周上を歩くという特殊と見える練習法も実は基本である入身の歩法を練っているのであり、何ら特異なものではないのである。

道徳武芸研究 入身と腿法〜七星歩、玉環歩、鴛鴦脚と暗腿、截腿〜(中)

  道徳武芸研究 入身と腿法〜七星歩、玉環歩、鴛鴦脚と暗腿、截腿〜(中) 七星歩は例えば左足で出て死角に入り、右足を出して相手を攻撃範囲内にとらえる。一方、玉環歩は右足の擺歩で出て、左足は扣歩となって相手の背後に回り込むことを理想とする。七星歩の場合は最後に相手へ直線のラインを用いて攻撃をすることができるので威力は大きくなる。それに対して玉環歩は歩法の勢いと攻撃の方向が同じではなくなるため攻撃の威力をやや欠くことになる。こうしたこともあって広く普及した八卦掌では攻撃の力の出し方が分からなくなり、これを「投げ技」と解するような傾向も生まれた。こうした誤解が生まれるのは七星歩と玉環歩をとでは攻防の戦略が違うためである。玉環歩では相手に一定のダメージを与えれば良いと考えるのであり、一時的にその動きを止めれば相手を制圧するのは容易であると見るわけである。形意拳に伝わる八卦掌では八卦掌で一定のダメージを確実に与えて形意拳で止めを刺すという戦略に立つのでますます八卦掌で攻防が完結するということ見えなくなってしまったわけである。

第六章【世祖 解説】

  第六章【世祖 解説】 人は天地が万物を生むことを知っているが、天地が道より生じていることを知ることはない。私はどうして道のそのような「神」なることを知ったのか。それを譬えるならば「谷」ということになる。「谷」は至虚であるが形を有している。「谷神」とは虚であって形を有していないものである。虚であり形を有していないのであるから生ずることもない。そこにどうして死があろうか。不死であれば不生でもある。不生であればよく生成をする。これを「玄牝(不可思議なるメス)」という。「玄」とは有と無がひとつになっている状態である。「牝」とはよく生むことができるということである。道であるから天を生じさせることができる。ただそうなのである。そうであるから、これを「天地の根」と称する。これは亡ぶことがあるのであろうか。それは「綿綿」としていまだかつて途絶えたことがないのである。存するのは、その存するのを嫌うのであろうか。人はよくこれを知っている。つまり有形の身は、虚であり「谷」のようである。無形の心は、寂として「神」のようである。自分がこれを用いようとしても、心を容れるところがない(無為であるからである)。ただそれは「谷神」として無為と有為とはひとつになっている。どうしてこれ以上に行うことがあるであろうか。この章はつまり修養の工夫を述べているのであるが、老子が第一に考えたことは、修養をしようとするのであればかえって修養にこだわってはならないということである。

第六章 【世祖 注釈】〔両儀老人訳〕

  第六章 【世祖 注釈】〔両儀老人訳〕 谷神は死せず。これを玄牝と謂う。 〔谷神は亡くなることがない。これを玄牝と称する〕 「谷」とは例えて言ったものであり、虚でありよく受け入れることのできる状態を表している。受けるがそれが継続して存することはないのであり、それは微妙にして測り難いこととなる。そうであるから「谷神」と「神」を付している。道は本来、永遠(真常)であり滅びることがない。そうであるから「死せず」とする。牝はよく生むことができる。それはは母というべきであろう。これを「玄」とするのは、その生ずるのを知ってはいるが、どうしてそれが生まれるかは分からないからである。 玄牝の門。これを天地の根と謂う。 〔玄牝の門、これを「天地の根」という〕 「天地」と言うのは、これから生ずるからである。   綿綿として存するがごとく、これを用いるも勤(つか)れず。 〔玄牝の門(天地の根)は、これは使っても疲れることがない〕 「綿綿」とは微妙であるが絶えることがないということである。「存するがごとく」とは存しているがそれを見ることができないということである。よくこのようであれば、「道」と一体となっているので終日それによって動いても疲れることがないのである。

道徳武芸研究 入身と腿法〜七星歩、玉環歩、鴛鴦脚と暗腿、截腿〜(上)

  道徳武芸研究 入身と腿法〜七星歩、玉環歩、鴛鴦脚と暗腿、截腿〜(上) 七星歩や玉環歩は共に入身の歩法である。玉環歩と鴛鴦脚は『水滸伝』に記されていることもあって有名で、いろいろな門派にその技法名を見ることができる。ここでは説明の都合上、七星歩は三角の歩法、玉環歩はS字の歩法とする。入身の歩法は特に中国武術では重視されていて、武侠映画でも「秘伝」の教えとして歩法の練習を教えられ主人公が覚醒するという展開がしばしば見られる。入身の歩法を用いると相手の攻撃を直接受けなくても良くなる。相手の攻撃ラインから外れることができるからである。七星歩は斜め前に踏み出すことで、攻撃ラインの外に出る。これにより相手の攻撃力をまともに受けるのではなく、力を流したり、すかしたりすることが可能となる。また斜めに出ることは相手の死角に入ることにもなる。これに対して玉環歩は相手の後ろに回り込むような歩法となる。こうなると完全に死角に入ることができる。形意拳では七星歩が用いられr、八卦拳では玉環歩が基本となる。

第五章【世祖 解説】

  第五章【世祖 解説】 なんと道というものは、「帝(万物)」の先にあって形を持たない(冥くらい)ものであることか。それがどこから生まれたのかも分からない。そうであるから聖人は、無為であって「道」と一体となれば治まらないところがないのである。功(功績)をあげても、それに執着しないのである。ここに、どうしておおいなる一なる心を包み込んでいないことがあるであろうか。我は百姓(人々)によく仁を施すと言う。天地は道を体している。道からは物が生まれるが、それは生まれないことをもって生まれるのである。聖人はこの道を体している。これをして天下を治めれば、それは治めないことをもって治めることになる。これはどういうことであろうか。万物は天地と同体であるということである。人々と聖人も同体である。天地、聖人は、内にはよく意図して仁を行う心のあることを見ることはない。外にも意図して仁を行うことを見ることがない。あらゆるものを、そのままに「芻狗」のように見なしている。つまりそのように殊更に仁を施そうとして万物や人々を見るわけではないのである。また、そのように扱うのである。ただ単なる仁を行うのではない。そうであるからその仁は無窮なのである。そうであるから天地の間は、タクヤク(フイゴ)のようなのである。タクヤクの中は虚であるが、そこに風を送ることができるので、その働きは屈(きわ)まることがない。そうであるから動いて、いよいよ働きが出ることになる。つまりこれは道を体しているからである。こうして無為を為していることが「無」であると言われたりすることを知らなければならない。声を発すれば「言葉」となる。この「言葉」を出さなければ、人は会話をすることはできない。あらゆる人においてそうである。そうであるから往々にして口が窮することになる。その心をして「有」に倚(よ)ることはできない。つまり倚ることができるのは「無」なのである。「取」ということを単独で表すことはできない。そうであるので「捨」ということが必要となる。つまり「取」か「捨」かの一方に偏っていれば道と共にあることができないわけである。つまり、ただ有無に倚らないのであり、取捨が共になければそれらを表すことができないのである。こうなると道と一体となるわけである。これを「守中」という。そうであるから多言を弄しても、表現には限りがあるのであり、中を守っていれ

第五章 【世祖 注釈】〔両儀老人訳〕

  第五章 【世祖 注釈】〔両儀老人訳〕 天地は不仁、万物を以て芻狗(すうく)と為す。聖人は不仁、百姓(ひゃくせい)を以て芻狗と為す。 〔天地は不仁であり、万物をして芻狗とする。聖人は不仁であり、人々をして芻狗とする〕 「芻狗」とは、草を編んで狗としたものである。これを用いて祭祀を行い、祭祀が終われば棄ててしまう。つまり、最も無用のものということである。 天地の間、それなおタクヤクたるか。 〔天地の間は、まさにフイゴのようである〕 「タクヤク」とは、製鉄に用いるフイゴのことである。「タク」とは外の箱のことで、「ヤク」を受けている。「ヤク」は内側の管で、これで空気を送って煽るのである。 虚にして屈(きわま)らず。動きて愈々出る。 〔フイゴは中が空洞であるが、それが何も使えないというのではなく、それを動かすことでこそ大いに働きをする〕 ただ空虚であって、屈竭(くっけつ 無くなる)することがないのであり、これをして働きがあるのであり、そこのは引いたり押したりすることで生じる「妙」がある(引いたり押したりを適度にすることで適切化火力が得られること 両義老人注)。 多く言えば数(しばしば)窮す。中を守るに如(し)かず。 〔フイゴの空洞であるところこそが有用であるのと反対に多くの言葉を語ってしまって「空洞」を失えばかえって正しく表現することはできないものである。そうであるから多すぎず、少なすぎない「中」を守ることが重要なのである〕 「中」とは、偏ることなく、頼むところのないものである。つまり「道」ということである。

【道徳武芸研究】 メンタルトレーニングの象徴としての「少林拳」(3)

  【道徳武芸研究】 メンタルトレーニングの象徴としての「少林拳」(3) 老子は「心を虚」にして「志を弱く」することで「腹を実」とし「骨を強く」することができると教えているが、これはまさにメンタルトレーニングを含めたフィジカルトレーニングによって体幹が鍛えられることを教えているのである。「腹」「骨」とされているものが今日でいう「体幹」であって、体幹がしっかりしてい来ると重心が安定(実腹)し、体も整って(強骨)くる。体幹を鍛える鍵がメンタルトレーニングにあることを老子はすでに知っていたのである。「少林拳」として象徴される中国の北派の武術はメンタルトレーニングを取り入れたところに特色がある。いうまでもないことであるが、少林拳という門派はない(少林寺ではいろいろな武術が練習されていたが、その中心は棍術であった)。一般的に武術はフィジカルトレーニングが重視される。メンタルについては数十年前まで日本でも「根性」や「忍耐」が言われるのみで合理的なトレーニングの必要性が認識されることは少なかった。老子が何時頃の人物かは判然としないが紀元前数世紀前に活躍したであろうとされている。この時代から中国ではメンタルトレーニングの重要性が認知されていたのである。こうした下地があって、おおきくメンタルトレーニングの重要性が武術に取り入れらる「引き金」となったのが、禅宗の伝来であった。達磨が禅宗を伝えたのが六世紀ころであるから老子の頃からすれば千年を経ていたことになる。少林寺が「中国武術の発祥」とされるのはメンタルトレーニングを融合した武術がここから始まったことを象徴しているのである。

【道徳武芸研究】 メンタルトレーニングの象徴としての「少林拳」(2)

  【道徳武芸研究】 メンタルトレーニングの象徴としての「少林拳」(2) 形意拳にしても、八卦掌、太極拳でも、常に半身の構えを崩さないとか、円周上を歩くとか、ゆっくり動くなど一見して「自然」ではない、「普通」ではない練習をするが、これは自然な動きをより知るための鍛錬とされえている。こうした方向の鍛錬を「逆修」という。この「自然:であるとか「内功」とか称されるものは、実はメンタルトレーニングのことなのである。老子は「賢を尚(たっと)ばず」とするが、武術におけるメンタルトレーニングでいうなら「賢」とは「絶招」と称されるような優れた攻防の技を求めることということになろう。しかし、老子は表面的な攻防の動きにとらわれることなく「その心を虚」にすることが重要とするのである。つまりそれは形意拳や八卦掌、太極拳の動きの奥にあるメンタルトレーニングを重視せよということであり、そうすることで攻防においては感じたままに自在に動けるようになるわけである。こうしたことは形意拳や八卦掌、太極拳に限ったことではない。実は「少林拳」からメンタルトレーニングの受容性は認識されていたぼである。

第四章【世祖 解説】

 第四章 【世祖 解説】 つまり無為の道は、ただ至虚を本としているのであり、これをして人々が無為であることが適切といえる。天地は広大であるが、人々の社会も狭くはない。社会に広く無為を用いても、それが窮まることはない。物は満ちて限りがあるものであるが、道はいまだかつて満ちたこともない。物は道から生まれてはいるが、物が道そのものではない。「淵」たるが「万物の宗」に似ているとする。人であって道を有しないものはない。ただ聖人たけがよく完全に道と一体となっている。どうしてそう言えるのであろうか。その「鋭」を挫くからである。そうして「妄」に紛れることを恐れるのであり、その「紛」を解くのである。それは物にとらわれることを恐れるのである。「妄」に入らないとは、物にこだわらないことであり、こうして汚れを取り去って、光を生じさせるのである。そうして自らその光りを輝かせるのである。つまりこれが「有心」である。それがあるので一般の人とは異なるわけなのであるが、その光を和して至潔の光とならなければならない。俗塵と交じってしまうのであり、一般の人と何ら異なることがなくなる。どうして万物へのこだわりを捨てることを道とすることができるであろうか。道はそうであるからこそ完全なのである。そうであるから湛然(静かであること)として至清であり、常に存しているわけである。常に存してはいるが、人はそれを知ることがない。そうであるから或いは存しているようであるとあるのである。道は存しているが、それを得て「名」付けることなどはできない。そうであるから誰の子か知らない、とあるのである。そして、それを語ることもできない「無」なのである。そうであるから、「帝(あらゆる物)」の先にあるのに似ている、とされている。「帝」とは万物の主であり、すべてのものはここから化しているとする。万物は「帝」に遅れて生じているのである。道はまた「帝」の先にあるのであり、その先にあるものはないともいえるのである。

第四章 【世祖 注釈】〔両儀老人訳〕

  第四章 【世祖 注釈】〔両儀老人訳〕 道は沖(むなし)くして、これを用いても或いは盈(み)たず、 〔道は「沖(むなしい)」なるものであり、それを用いても一杯になって尽きることはない〕 道は本来「名」を持たないものである。そうであるから「沖」とする。つまり「衆妙の門」ということである。そうであるから「これを用いて」も窮まることがないのである。つまりその量が盈たされることがないわけである。 淵なるや。万物の宗に似たり、 〔道は「淵」のいようなるものであり、万物の中心である〕 「淵」とは至深の処である。道は万物の母である。そうであるから「宗」としている。 その鋭を挫き、 〔道は鋭いものを挫き〕 心的なものが中心で、物的なものにとらわれないのが「鋭」である。そうであるからまさにこれを挫くのである。 その紛るるを解き、 〔紛糾しているものを解決し〕 物的なものに心が影響されると紛れることとなる。そうであるからまさにそれを解くのである。 その光を和し、 〔輝き過ぎるものは他のものと調和をするようにし〕 本体の光を和すれば輝きすぎることはない。 その塵を同じくす。 〔俗塵に交わって違うことがないのである〕 人々に交わって、それと等し同化することである。 湛たるは、或いは存するに似たり。 〔道は「湛(しずか)」としており、存しているようでもあり存していないようでもある 湛然(たんぜん 静か)として至清であり、存するようである存しないようでもある。 吾、誰の子なるか知らず。帝の先に象(かたど)る。 〔道と一体となっている自分は誰の子であるかを知らない。世のはじめの帝王よりも先に居たようにも思えるものである〕 自分がどこから生まれてきたのか知ることはない。それは「帝」の先に存していたようでもある。「帝」とは生物の主のことである。

【道徳武芸研究】 メンタルトレーニングの象徴としての「少林拳」(1)

  【道徳武芸研究】 メンタルトレーニングの象徴としての「少林拳」(1) 不思議なことにと言うか、当然のことにとするべきか、日本の中国武術はマニアックな人の関心をベースとして始まった。ために中国でもあまり練習する人の居ない八極拳や陳家太極拳が優れた(珍しい)拳法として知られるようになった。しかし、改めて考えてみるとやはり八極拳よりは広く練習されている形意拳が優れているように思われるし、陳家よりは楊家の方が整っていると言わざる得ない。老子はここで「その鋭を挫き」「その光を和し」とする。それは一見して「普通」に見えるところに真の価値があるということを教えるもので、そうしたところにこそ「道」が存しているとするわけである。「普通」であるのであるから希少価値はない。そうした中にあって中国では歴史的にの地域的にも最も広く行わている「少林拳」の価値が顧みられることがなかったのは惜しむべきであろう。

第三章【世祖 解説】

 第三章 【世祖 解説】 聖人は人が真に美(ぜ)であるものを悪とすることのあるを知っているし、善は不善と見なされることのあるを知っている。そうであるからあえて天下に「美」や「善」について啓蒙をしようとはしない。「賢」なるものを捨ててて用いないというのではない。それを尚(たっと)ぶことをしないのである。そうすることで人々の競争心を啓発して、人々を自然の状態へと返し、争わないようにさせるのである。「貨(もの)」においても、それを棄てて持たせないというのではない。これを重要としないだけである。そうしうて人々の盗んでも「貨」を得ようとする心を啓発するわけであり、人々を素朴なままにして安んじるのである。これは財を求めて貪るところに乱れは生まれるということである。また賢を尚(たっと)ばなければ、名をあげようと欲する人を見ることはないであろう。貨を貴ぶことがなければ、利を求めようと欲する人を見ることもないのであり、心も惑い乱れることがない。そうであるから聖人が自分を治めるには、心に虚を味わい、腹を自ずから実ならしめるのである。こうして清浄であれば道は自ずからやって来る。志をして弱さを味わわせしめたならば、骨は自ずから強くなる。つまり無欲であれば徳は自ずから剛(つよ)いものということである。民に欲を生じさせるのは無知であるからであるが、聖人はそのはてもない知を啓蒙することはない。そうであるからその極まることのない欲を導くこともないのである。民をして純朴に返さしめ、もし知識を有する者が居れば、あえてそれをどうこうすることもない。そうすれば天下はすべて無為に帰するのであり、治まらないところはなくなる。無為とは無欲となることで、無欲は無知から来ている。どうすれば民はこうしたところに至れるのか。また聖人でいまだかつて知を有している者など居ないなどともいわれている。いまだかつて天下に欲するべき事などないのである。

第三章 【世祖 注釈】〔両儀老人訳〕

  第三章 【世祖 注釈】〔両儀老人訳〕 賢をして尚(たっと)ばせざれば、民をして争わざらしめ、 〔賢者を重用することが無ければ、人々が競って仕官をしようとは思わない〕 賢者を尚べば一般の人(民)はそうではないので恥じ入ってしまうので争うことになってしまうのである。 得ること難かるの貨を貴ばざれば、民をして盗みをなさざらしめ、 〔得ることの難しい物が貴ばれることが無ければ、人々が盗んでも得ようとは思わなくなるのであり〕 得難い貨を尊べば、民はそれを持ってはいないので、それを盗んでも得ようとするようになるものである。 欲すべきも見ざれば、心をして乱れざらしむ。 〔欲しい物でも、それがあるのを見なければ、心が乱れることはない〕 欲しいものといえば、賢を尚(たっと)ぶことであり、貨を貴ぶことの類である。およそ争ったり、盗んだりしたくなるのは、すべて欲しいものを見てしまうからである。 これをもって聖人の治は、その心を虚にして、その腹を実にする。 〔そうであるから聖人が自分を治めようとするのであれば、心を虚しくして、その腹を実とするのであり〕 嗜好というものを取り除いて、その心で虚を味わう。そうなれば欲は尽きて、本来あるべき状態に還って腹は満たされるのである。 その志を弱くし、その骨を強くす。 〔その志を虚しくして、その骨を強くするのである〕 和柔に収まるということである。その志を弱くするとはつまり無欲であるということである。そうなれば剛となって骨も強くなるのである。 常に民をして無知、無欲ならしむるは、それ知者をしてあえて為さざらしむるなり。 〔常に人々をして無知、無欲とさせるには、いろいろなことを知っている者であっても、その知性を働かせないようにするのである〕 人々をして聡明を退かしめるのである。欲望のままに行動することのないようにするのである。たとえ知識があったとしても、あえてそれを使わさせないようにする。 無為を為せば、すなわち治まらざるは無し。 〔無為を行えば、治まらないものは無いのである〕 治を行うのに無為にまで至れば、つまり天下に治まらないということはなくなる。

【道徳武芸研究】 「合気」という「名」(3)

  【道徳武芸研究】 「合気」という「名」(3) 合気は僅かな動きで相手を崩すことのできる優れた技法であるが、それ自体はいろいろな武術に見ることができる。特段に珍しい技術ではない。太極拳などでも合気は使うし、詠春拳などでにも存している。佐川幸義も述べていたが、合気だけでは武術として使えない、のであって、そこには攻防へとつなげる技術がなければならない。合気で崩して柔術の技法を使うわけである。こうした流れは柔道などでも同じである。多くの柔術(柔道)で合気のような腕だけの操作を崩しの方法を用いないのは、これが柔術のシステムであればあえてそうした難しく、掛けにくいことをしなくても、足を掛けるなどして崩した方がはるかに簡単で確実であるからである。それを大東流でやらないのは、大東流が剣術の対柔術の技を基本としていたからに他ならない。このように用語はなんとなく使ってしまうと拡大解釈を招くこととなり、「合気を掛ければ相手が動けなくなる」などといった妄説がまかり通るようになるのである。

【道徳武芸研究】 「合気」という「名」(2)

  【道徳武芸研究】 「合気」という「名」(2) 合気が「動きを捉えて相手をコントロールする技術」として喧伝されるようになるのは近現代の大東流の登場を待ってからである。ここでは、主として腕の操作だけで相手のバランスを崩してしまうところにも合気の妙味があった。本来、合気は剣術の応用(対柔術の裏技)として用いられていたもので、「抜刀をしようとして腕を抑えられた場合」と「抜刀をした状態で腕を抑えられた場合」が想定されている。この時、相手は両手をしてしっかりと抑えに来る。それを合気により相手を崩すことで抑える力を弱めて状況を有利に導こうとするわけである。そうであるから古い時代の大東流は相手を足元に落とすことを第一としていた。これは琢磨会などにその特徴を残している。しかし後には柔術としての技の展開が考えられるようになって派手な投げ技として展開されるようになる。その典型が合気道である。ただ合気は相手を崩すことはできてもそのままで投げるところまで持っていくことは難しい。このため植芝盛平は合気ではなく呼吸力という新たな概念を提示する。呼吸力の出現はそのシステムの基盤が剣術から柔術へと変化したことを象徴するものであった。

第二章  【世祖 解説】

  【世祖 解説】 『老子』五千言は、上は「妙」に通じ、下は「竅」に通じている。これをして道を求めたならば、つまり道は得られるであろう。これをもって国を治めれば、つまり国は治められるであろう。これをもって身を脩(おさ)めれば、つまり身は安んじられるであろう。そこでは常に(万物が生まれとされる)「三」に通じているといわれている。 この章においては「性」と「情」の事について述べている。人のいわゆる「美(よろしきこと)」とは「善」であるが、これらすべて「情」から生じている。「情」に適していることが「美」であるのであるが、これが必ずしも真の「美」であるわけではない。「情」に適しているのが「善」であるが、これが必ずしも真の「善」ではない。それはどうしてであろうか。「情」がそうせしめるのである。人の「性」には誰にあってもおおきな違いはない。しかし、その「情」においては違いがあり、それは大きなものである。外には物に感じて、好悪の違いが生じ、美悪(善悪)の判断に主体性はなく、多くの人は「美」を一般に言われている「美」であると思っているが、「悪」がそうして「美」から生まれることを知らない。多くの人は「善」が一般的な「善」であると思っているが、「不善」がそうした「善」から生まれていることを知らない。 およそ天下の物において「無」は単独であるのではなく、「有」があることで「無」が生じている。難易も同様で、長短も互いあってそうなっている。高下も共に見上げ、見下げている関係においてあるのであり、音声は相い和してひとつの音楽となり、前後も相い随ってそれが認められる。つまり、その一つを欠けば、その二もないということになる。 聖人はこれを知っている。「性」が本来の状態に復せば、必ずそれは「情」として現れる。これにより道の自然を体することができる。これは無為にして事をなすのであり、不言の教えを行うことでもある。「美」なるものは、もともと「美」なのであるが、「悪」もまた化して「美」となる。「善」なるものは、もともと「善」なのであるが、「不善」なものもまた化して「善」となる。そうであるから「用」において棄てるものなのはないのであり、人をにおいても棄てられるべき人は居ない。 万物にはそれぞれの「性」に従うのであるが、これまではそうなってはいなかった。そうであるから万物はそれぞれが孤立してしまっていたのであ

第二章 【世祖 注釈】〔両儀老人訳〕

  第二章 【世祖 注釈】〔両儀老人訳〕 天下、皆、美(よろ)しきの美しきを知るも、これ悪(あ)しきたるのみ。 〔世の人たちはすべて美しいとされていることを美しいと認めるだけであるが、これは美しきものではない〕 真の美しきことは知ることのできないものである。人は皆、美しいとされているものを美しいとしているが、そのれは真の美しさではない。 皆、善の善たるを知るも、これを善しとせざるのみ。 〔人々は善とされているものを善と考えるが、それは本当の善ではない〕 真の善とは知ることのできないものである。人は皆、善いとされているものを善としているが、それは真の善ではない。 故に有無、相い生じ、 〔そうであるから有と無は、それぞれがあるので存しているのであり〕 天下の物は有より生まれる。有は無に生じる。 難易、相い成り、 〔難と易も、それぞれがあることで成り立っている〕 難しいと見えたことの中にも、易しいことがある。易しいと見えたことでも、難しくなることがある。 長短、相い形し、 〔長いと短いも、それぞれがあるので形をなしている〕 長いものがあるので、(それと比べて)短いものと見なされる。短いものがあるので、(それと比べて)長いものと見なされる。 高下、相い傾け、 高いのと下(ひく)いのとは、互いに見下ろし、見上げる関係にある〕 下があるので、高いところを望むことができる。高いところがあるので、下に帰することができる。 音声、相い和し、 〔相手の声と、自分の声は、それぞれが和してひとつの音楽となる〕 こちらが唱えば、相手が和する。相手が唱えば、こちらが和する。 前後、相い随(したが)い、 〔前があるので後がり、後があるので前がある〕 それが前にあれば、自分の前にあるわけであるから自分は後ろとなる。それが後ろにあるとすれば、それは自分の後ろにあるわけであるから自分は前となる。 これをもって聖人は無為の事を処とし、 〔そうであるから聖人は無為でいるのであり〕 常の道の事とする処であり、事は無為より出ている。 不言の教えを行う。 〔教えを語らないことで饒舌な教えを垂れる〕 常の名の教えを行う。教は不言から出ている。 万物、作(な)りて辞(や)まず 〔無為であるのであらゆる物が生成されて止むことないが〕 「作」とは動くということである。「辞まず」とは禁止しないということである。 生じて有

【道徳武芸研究】 「合気」という「名」(1)

  【道徳武芸研究】 「合気」という「名」(1) 老子は「道」にしても他のいろいろな「名」にしても、人々はそれぞれにイメージ(意味)を持って理解しているが、必ずしもそれが正しいものではないことに注意を促している。また共通した理解をしていると思っていても、意外に個々人での違いもあることが考えられる。こうしたことが物事を正しく理解させない弊害となるのであり、ために学術的には用語の定義が最も重視される。例えば「合気」という語も近世あたりの武術伝書に見ることができる(相気)は「相手のリズムに同調してはなならない」という文脈で使われており、この場合は攻防における拍子(リズム)の同調」をいうものであった。そうであるから相気になってはならないと注意を促すわけである。攻防において最も注意しなければならないことは相手のリズムに乗らないことであり、かつて日本の武術を海外に普及させようとする時に試合を挑まれたなら「道着を着せてしまえ」と言われていた。普段、着慣れていない道着を着るだけで相手のリズムは大きく狂ってしまう。こちらが断然、有利になるのである。

第一章  【世祖 解説】

  【世祖 解説】 およそ天下の「道」は、どこかに行くためのものであるが、(ここで老子が述べているのは)そうした普通の道ではない。およそ天下の「名(名称)」として名付けることのできるもの、一般的な「道」という「名」は真の道を表してはいない。そうであるから「名」を持たない「道」は混淪として形がないのであり、天地は「名」を持たなくても既に存在している。また「名」を付けられたものは、それを長く使えばいろいろな使い方が可能となる。そうであるから万物はここから生まれるとされるのである。道における「名」の有無をいうとすると以上のようなことになろう。 そうであるから道を得た者が、その心を内観すると、心を観ようとしても心は無く、外に現れた心の形を求めようとしてもそうした形は認められ無い。これを「常無」という。もし、道の微妙なるところを知ろうとするのであれば、これを五常(仁、義、礼、智、信)においてその典型を知り、百行(あらゆる行為)において実行されているのを知ることができる。物で存在しないものは無いし、時に適当でない時は無い。これを「常有」という。もし、道の限界(竅)を知ろうとするのであれば、有と無の二つは、別のものではなくまた二つのものでもあることを知らなければならない。そしてこれらは同じく自然の道から出ていて、その「名」が別であるに過ぎない。およそ世の中では「有は有である」ことをして道としている。しかし「有を無である」として道とするのは、有は有ではなく、有は無でもないのが道であるということである。有は有であり無でもあるのが道なのである。こうして有と無にこだわるのは、すべて分けるということにこだわっているからであり、実際は有と無は混融していることを知らなければならない。そうであるから有と無が混融しているのを「玄」というのである。そしてまた「玄」もまた「玄」ということで十分であるのではない。そうであるから「玄のまた玄」とされ、あるいは「衆妙」とされるのである。 つまり天下の道の説明はこれに尽きているということになろう。

第一章 【世祖 注釈】〔両儀老人訳〕

  第一章 【世祖 注釈】〔両儀老人訳〕 道の道とすべきは、常の道に非ず。 〔道路としての「道」を行くという「道」は永遠に変わらない固定されたものではない〕 初めの「道」の字は、つまり「行くためのもの」ということである。「道とすべき」とはこれを行くということである。「常の道」とは永遠に変わることのない道ということである。 名の名とすべきは、常の名に非ず。 〔名称としての「名」を、それと同様なものとして「道」という〔名」に使うのは好ましくはない〕 初めの「名」の字は、つまり名付けられた名のことである。「名とすべき」とは名を使うということ。「常の名」とは、つまり「常の道の名」ということである。   無名は天地の始め。 〔存在には名という限定がないのが、そこから天や地が生まれた〕 「無名」とは道ということである。そうであるからそこからは天が生まれ、地が生まれる。 有名は万物の母。 〔物はそれを名によって限定することで、そこからいろいろな物を考え出すことができる〕 「有名」とは道の生じるところである。そうであるから化して万物を生むのである。 故に常に無なれば、もってその妙を観るを欲す。 〔そうであるから限定されることのない「無」である「道」からは、存在の不可思議(妙)を察することができる〕 「常に無なれば」とは、道そのものは無であるということである。「観る」とは察するということ。「妙」とは道が微妙であるということである。 常に有たれば、もってその徼を観る。 〔「名」によって限定された物であれば、それを厳密に定義することができる〕 「常」とは、道そのものが有であるということである。「徼」は道の際ということである。 この両者は同じく出て名を異にす。 〔「名」による限定があっても、無くても、その根底には存在として等しくあるといえる〕 「両」とは、有と無ということである。道から「同じく出て」そして特にその「名を異にす」るのである。 同じくこれを玄と言う。 〔そうした存在の根源とは極めて奥深いものである〕 およそ遠くて至ることができないところの色は、必ず「玄(くろ)」である。そうであるから「玄」は道が奥深くて名付けることのできないことを形容している。 玄のまた玄。衆妙の門たり。 〔「名」による定義(限定)と、それを超えるものを視野に入れることで存在とは思考を超えたものであるといえる〕

「道徳武芸研究」に向けて(5)

  「道徳武芸研究」に向けて(5) 『老子』の持つアナーキーへの指向性は多彩なシステムを有する中国武術を「無極」として還元するには有効であろう。それぞれのシステム(門派)には特徴があり、個々人が自分が必要とするシステムを学べば良いのであって、結果として自分の「体」をあるべきと思われる状態にすれば良いわけである。よく中国武術の攻防において「風格が出ていない」という評がなされることもあるが、これはまったく無意味である。例え太極拳を学んでいても、八卦拳でも、攻防においては自由に動けば良いのであって、形にとらわれることはない。否、むしろあってはならない。このように枠組みを自由に超えることこそに中国武術の真の学びの意義があるのである。孫禄堂は太極拳、八卦拳、形意拳を「融合」させようとしてあえて個々の武術の特徴を弱めるような改変を行ったがそれは適当ではない。あくまで「融合」は人体において「無為」においてなされるべきであり、そこに意図的なものが入ってしまえばそれは新たな門派が生み出されたに過ぎないことになってしまう。

「道徳武芸研究」に向けて(4)

  「道徳武芸研究」に向けて(4) 孫禄堂は形意拳、太極拳、八卦拳を「五行、太極、八卦」としてその根源に「無極」を設定することで、形意拳、太極拳、八卦拳を共に練習することが可能であるとした。しかし、この枠組みでは少林拳などは「無極」に還元できない。かつては外家拳、内家拳などとする区別も重視されていたが、現在になりいろいろな武術の情報が広く知られるようになると必ずしも外家拳と内家拳として中国の武術をまとめることは困難であると考えられるようになってきた。結果として、こうした区分は重視されることがなくなった。確かに蟷螂拳と通背拳では同じ外家拳としても体の近い方がかなり違っている。また南方の武術(南拳)も独特の風格を持っている。本来どのような武術であっても、体の特定の機能を向上させることを目的としているのであり、それを体というシステムの中で考えたならば、どのような武術も体というシステムの中に組み込むことは可能であるとすることができる。これを「無極」と考えれば良かろう。そうであるから孫禄堂の試みたような形意拳、八卦拳、太極拳の個々の特徴を希薄化することで「無極」へと帰一させる必要はないことになる。

「道徳武芸研究」に向けて(3)

  「道徳武芸研究」に向けて(3) 「道芸」は形意拳で重視されている概念で、これは「武芸」に対する語である。「武芸」が「武のためのテクニック(芸)」であるのに対して「道芸」は「道のためのテクニック」であり、その目的とするところは「道」の修練にあるのであって、「武」とは違っているとする。これを具体的にいうなら「武芸」は相手を倒す芸で、「道芸」は戦いを回避する芸と考えることができよう。こうした「道」の実践により「徳」が得られる。これが「道徳」である。一方、「徳」の実践により「道」が体得される。形意拳が「道芸」をいうのは、形意拳の「芸=套路」は「道」を表現したものであり、それを練ることで「道」への悟りが得られることをアピールしているわけである。これは太極拳でも、八卦拳でも同様に「道」の表現であり、「道」の修練を行うことを目途としている。

「道徳武芸研究」に向けて(2)

  「道徳武芸研究」に向けて(2) 孫錫コンは「道徳武学」において、どのようなことをイマージしていたのかは、その著書『八卦拳真伝』に明確であろう。同書には程有龍(程派八卦掌)の肖像と並んで神仙道の趙避塵(先天派)の写真も掲げられており、その著書の後半は神仙道の静坐についての説明に多くが割かれている。また趙の『性命法訣明指』の弟子名簿には孫錫コンの名も見えているので、孫はかなり静坐を深く研究していたことが分かる。また趙避塵も秘宗拳をよく習得していた。武術と静坐は動功、静功として共に練習されることが多い。また本来、少林寺では坐禅と武術が行われていた。日本でも武術の稽古にあわせて坐禅をすることが近世あたりから行われるようになったが、それはある意味で自然な成り行きであったのかもしれない。ただ日本では「剣禅一如」などの観念的な説明はなされるものの具体的に坐禅と武術がどのような関係にあるのかが追究されることもなく、現在で武術において坐禅はあまり修されていないようである。

「道徳武芸研究」に向けて(1)

  「道徳武芸研究」に向けて(1) 次週からはブログ「外丹」を「道徳武芸(道芸)研究」と改めてブログ「内丹」と統合しようと考えている。道徳武芸は八卦掌の孫錫コンの道徳武学社のイメージと、道芸を道徳武芸と解しての意味合いを持たせたものである。武術に「学」をつけるのは近現代になって見られることであり、先に見たようにい孫禄堂は盛んに「学」を用いている。その背景にあるのは「国学」であろう。「国学」は国の学問のことで、中国では実際には儒学を指す。武術もこうしたナショナルレベルの文化的価値を有するものにしなければならないという機運から武術を「国術」と称することが提唱されたりもした。これは国学の「国」の方を生かしたものであるが、武学は国学の「学」を用いたわけである。

外伝10孫禄堂の「道芸」研究(48)

  外伝10孫禄堂の「道芸」研究(48) 元陽収斂(陰陽根一学) 楊家では十字手とされ最後の合太極へとつなげている。孫家では最後は無極還源へと至る。孫家では太極ではなく、無極へ還るのであるが、これは形意拳(五行)、八卦掌(八卦)を共に還源しなければならないので、最後はどうしても「無極」とする必要があったのである。孫禄堂は「元陽収斂」について「意を丹田に注ぐ(意注丹田)」の拳訣をもあげている。これは意図して下丹田に気を沈めるということである。また舌を上顎につけることへも注意を促している。これは周天の生じることを示すものである。元陽は先天の真陽であるからこれを意をして動かすことはできないのであるが、このあたりは孫禄堂も分かっており、意をして丹田に注ぐことで、元陽が気海へと入るとする。後天の意を動かすことで、先天の真陽(元陽)が動くのである。

外伝10孫禄堂の「道芸」研究(47)

  外伝10孫禄堂の「道芸」研究(47) 似曲非曲(双撞学) 「曲がるに似て、曲がるに非ず(似曲非曲)」は「似直非直」と共に『太極拳学』に記されている。孫家の双撞は両拳を前に出すもので、形意拳の馬形拳に似ている。馬形拳は中段であるが、双撞は上段に構える。この時、腕は伸ばしているようで伸び切ることは無く、曲げているようで肘で勁が切れることもない。こうした状態は前に出して突くこともできるし、引いて引っ掛けることも可能となる。「似曲非曲」の拳訣はどのような変化でも可能とせしめるものなのである。形意拳ではこうした変化の秘訣を知らないとこれが中国武術の中でも最上級とされる高度な武術であることの意味が分からない。拳理からいうと形意拳は相手の攻撃の勢を上下に化するが、太極拳は左右に化するということができようか。