「道徳武芸研究」に向けて(5)

 「道徳武芸研究」に向けて(5)

『老子』の持つアナーキーへの指向性は多彩なシステムを有する中国武術を「無極」として還元するには有効であろう。それぞれのシステム(門派)には特徴があり、個々人が自分が必要とするシステムを学べば良いのであって、結果として自分の「体」をあるべきと思われる状態にすれば良いわけである。よく中国武術の攻防において「風格が出ていない」という評がなされることもあるが、これはまったく無意味である。例え太極拳を学んでいても、八卦拳でも、攻防においては自由に動けば良いのであって、形にとらわれることはない。否、むしろあってはならない。このように枠組みを自由に超えることこそに中国武術の真の学びの意義があるのである。孫禄堂は太極拳、八卦拳、形意拳を「融合」させようとしてあえて個々の武術の特徴を弱めるような改変を行ったがそれは適当ではない。あくまで「融合」は人体において「無為」においてなされるべきであり、そこに意図的なものが入ってしまえばそれは新たな門派が生み出されたに過ぎないことになってしまう。


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