第五章 【世祖 注釈】〔両儀老人訳〕
第五章
【世祖 注釈】〔両儀老人訳〕
天地は不仁、万物を以て芻狗(すうく)と為す。聖人は不仁、百姓(ひゃくせい)を以て芻狗と為す。
〔天地は不仁であり、万物をして芻狗とする。聖人は不仁であり、人々をして芻狗とする〕
「芻狗」とは、草を編んで狗としたものである。これを用いて祭祀を行い、祭祀が終われば棄ててしまう。つまり、最も無用のものということである。
天地の間、それなおタクヤクたるか。
〔天地の間は、まさにフイゴのようである〕
「タクヤク」とは、製鉄に用いるフイゴのことである。「タク」とは外の箱のことで、「ヤク」を受けている。「ヤク」は内側の管で、これで空気を送って煽るのである。
虚にして屈(きわま)らず。動きて愈々出る。
〔フイゴは中が空洞であるが、それが何も使えないというのではなく、それを動かすことでこそ大いに働きをする〕
ただ空虚であって、屈竭(くっけつ 無くなる)することがないのであり、これをして働きがあるのであり、そこのは引いたり押したりすることで生じる「妙」がある(引いたり押したりを適度にすることで適切化火力が得られること 両義老人注)。
多く言えば数(しばしば)窮す。中を守るに如(し)かず。
〔フイゴの空洞であるところこそが有用であるのと反対に多くの言葉を語ってしまって「空洞」を失えばかえって正しく表現することはできないものである。そうであるから多すぎず、少なすぎない「中」を守ることが重要なのである〕
「中」とは、偏ることなく、頼むところのないものである。つまり「道」ということである。