【道徳武芸研究】 「合気」という「名」(1)

 【道徳武芸研究】 「合気」という「名」(1)

老子は「道」にしても他のいろいろな「名」にしても、人々はそれぞれにイメージ(意味)を持って理解しているが、必ずしもそれが正しいものではないことに注意を促している。また共通した理解をしていると思っていても、意外に個々人での違いもあることが考えられる。こうしたことが物事を正しく理解させない弊害となるのであり、ために学術的には用語の定義が最も重視される。例えば「合気」という語も近世あたりの武術伝書に見ることができる(相気)は「相手のリズムに同調してはなならない」という文脈で使われており、この場合は攻防における拍子(リズム)の同調」をいうものであった。そうであるから相気になってはならないと注意を促すわけである。攻防において最も注意しなければならないことは相手のリズムに乗らないことであり、かつて日本の武術を海外に普及させようとする時に試合を挑まれたなら「道着を着せてしまえ」と言われていた。普段、着慣れていない道着を着るだけで相手のリズムは大きく狂ってしまう。こちらが断然、有利になるのである。


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