第六章 【世祖 注釈】〔両儀老人訳〕

 第六章

【世祖 注釈】〔両儀老人訳〕

谷神は死せず。これを玄牝と謂う。

〔谷神は亡くなることがない。これを玄牝と称する〕

「谷」とは例えて言ったものであり、虚でありよく受け入れることのできる状態を表している。受けるがそれが継続して存することはないのであり、それは微妙にして測り難いこととなる。そうであるから「谷神」と「神」を付している。道は本来、永遠(真常)であり滅びることがない。そうであるから「死せず」とする。牝はよく生むことができる。それはは母というべきであろう。これを「玄」とするのは、その生ずるのを知ってはいるが、どうしてそれが生まれるかは分からないからである。


玄牝の門。これを天地の根と謂う。

〔玄牝の門、これを「天地の根」という〕

「天地」と言うのは、これから生ずるからである。  


綿綿として存するがごとく、これを用いるも勤(つか)れず。

〔玄牝の門(天地の根)は、これは使っても疲れることがない〕

「綿綿」とは微妙であるが絶えることがないということである。「存するがごとく」とは存しているがそれを見ることができないということである。よくこのようであれば、「道」と一体となっているので終日それによって動いても疲れることがないのである。


このブログの人気の投稿

道徳武芸研究 八卦拳の変化と蟷螂拳の分身八肘(8)

道徳武芸研究 改めての「合気」と「発勁」(6)

道徳武芸研究 八卦拳から合気道を考える〜単双換掌と表裏〜(4)