道徳武芸研究 太極拳における「暗腿」(4)
道徳武芸研究 太極拳における「暗腿」(4) 李香遠は太極拳を楊振遠から学んでいる。楊振遠は露禅の長男である鳳侯の子で、鳳侯が早くに亡くなったので班侯や健侯から技を学んだとされている。後にはカク為真からも武派の系統の太極拳の教えを受けた。因みに楊振遠は本名は「兆林」で、李香遠は「宝玉」である。香遠という字(あざな)は師の兆林=振遠を慕ってのものと思われる。このように「採腿」の秘伝は楊家に伝えられていたことが分かるわけなのであるが、澄甫の教えは黎学筍を通して日本にも伝わっている(姚光から地曳秀峰)。この系統も大きく足を挙げる套路を伝えている。また呉家太極拳でも快架として足を挙げる套路がある。呉家の套路は快架は露禅の教えを受け継いでいる可能性が高く、慢架は班侯の教えであると思われる。当初、露禅は快架を教えて、太極拳本来の慢架は隠していたようで武家などは快架の風格が見られる。ただ武術に詳しい武禹襄は教えられていない本当の太極拳の套路のあることに薄々気づいていて、それを自分で探しに師の露禅の学んだ陳家溝まで行ったのであるが、結局それを探し当てることはできなかったようである。武禹襄はあくまで太極拳の本来の形を求めて陳家溝に行ったのであるが、武家は陳家の影響は全く受けていないことからしても、武は陳家が太極拳の源流と考えていなかったことが分かる。一般には誤解されているが、陳家はあくまで太極拳から派生した門派に過ぎない。勿論「採腿」の教えも見られないわけで、武は「採腿」を含む套路が陳家溝のあたりに残っていると考えたと思われるが、それを探し当てることはできなかった。このように太極拳を「採腿」の視点から見るとまた別な伝承が見えてくるのである。