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道徳武芸研究 太極拳における「暗腿」(4)

  道徳武芸研究 太極拳における「暗腿」(4) 李香遠は太極拳を楊振遠から学んでいる。楊振遠は露禅の長男である鳳侯の子で、鳳侯が早くに亡くなったので班侯や健侯から技を学んだとされている。後にはカク為真からも武派の系統の太極拳の教えを受けた。因みに楊振遠は本名は「兆林」で、李香遠は「宝玉」である。香遠という字(あざな)は師の兆林=振遠を慕ってのものと思われる。このように「採腿」の秘伝は楊家に伝えられていたことが分かるわけなのであるが、澄甫の教えは黎学筍を通して日本にも伝わっている(姚光から地曳秀峰)。この系統も大きく足を挙げる套路を伝えている。また呉家太極拳でも快架として足を挙げる套路がある。呉家の套路は快架は露禅の教えを受け継いでいる可能性が高く、慢架は班侯の教えであると思われる。当初、露禅は快架を教えて、太極拳本来の慢架は隠していたようで武家などは快架の風格が見られる。ただ武術に詳しい武禹襄は教えられていない本当の太極拳の套路のあることに薄々気づいていて、それを自分で探しに師の露禅の学んだ陳家溝まで行ったのであるが、結局それを探し当てることはできなかったようである。武禹襄はあくまで太極拳の本来の形を求めて陳家溝に行ったのであるが、武家は陳家の影響は全く受けていないことからしても、武は陳家が太極拳の源流と考えていなかったことが分かる。一般には誤解されているが、陳家はあくまで太極拳から派生した門派に過ぎない。勿論「採腿」の教えも見られないわけで、武は「採腿」を含む套路が陳家溝のあたりに残っていると考えたと思われるが、それを探し当てることはできなかった。このように太極拳を「採腿」の視点から見るとまた別な伝承が見えてくるのである。

道徳武芸研究 太極拳における「暗腿」(3)

  道徳武芸研究 太極拳における「暗腿」(3) 太極拳の「採腿」は一般には套路の中に「暗藏」されているのであるから太極拳を学んでいる人であれば、すべからくそれを行うことはできるわけであるが、しかしそうしたことを意識しないで練習をしていたのでは実戦において「採腿」を用いることはできない。また呂殿臣や董英傑の「採腿」の練習を可能とする套路を継承していても、そこに「採腿」の含まれていることを知らなけばこれも実戦で使うことはできまい。真の秘伝とは特別な動作ではない。通常、練習していることの中に含まれていなければ使いものにはならない。勿論、秘伝の中には相手の意表を突くといった技もある。太極拳なら太極拳の間合い、動きのリズムを知っているような相手にそうではない動きで対応することもある。しかし、こうした技は必ずしも成功するとは限らない。ある意味で練習をする上で「害」となるようなこうした技が学習上の配慮から「秘伝」とされていることもある。そうであるから伝承を受け継ぐ場合には、よく教えられた動作の意味を吟味して練習をしなければならない。

道徳武芸研究 太極拳における「暗腿」(2)

  道徳武芸研究 太極拳における「暗腿」(2) いくら秘伝といっても武術における秘術、秘伝は多くの人が学ぶ流派にあっては完全にそれを隠しておくことはできない。八卦拳の羅漢拳もいろいろな伝承にその痕跡を見ることが可能である。もちろん八卦拳の羅漢拳を知らない人であれば個々の流派の違った動きを同じ羅漢拳の一部と認識することはできないであろう。しかし本来の羅漢拳を知って見たならばそれらにおける共通性を看取することは困難ではない。さて太極拳の「足を高く挙げる動作」であるが。これは陳炎林の「太極拳刀剣桿散手合編」に「採腿」として出ているのがそれである。この本だけであれば太極拳の套路には見られない「採腿」が突然に出てくるのを奇異に感じることであろうが、「採腿」そのものはあらゆる太極拳の動きに「暗藏」されている。例えばロウ膝ヨウ歩で足を出す時、これには足を大きく挙げる動作が隠されているのである。先ず蹴りを出すことで相手の動きを止めてから手による攻撃を行う。こうしたパターンは空手の試合などでもよく見ることができる。

道徳武芸研究 太極拳における「暗腿」(1)

  道徳武芸研究 太極拳における「暗腿」(1) かつて董英傑は南方へ太極拳を教授に赴く際、李香遠より太極拳の実戦秘伝を教えられたという。それは足を高く挙げて練る方法であった。この秘伝は楊澄甫から呂殿臣を経て王子和によって台湾へと伝えられた。一方、董英傑の伝は香港へと流伝している。結果として太極拳は南方へも広まり、それにより大陸赤化の後に太極拳の真伝が台湾や香港で伝えられることとなったわけである。李香遠の教えは確かに董英傑や王子和、その弟子の鄧時海などに見ることが可能であるが、その他の多くの太極拳ではそうした身法を伺うことは困難である。それはこの実戦秘伝が董英傑や呂殿臣のみによく受け継がれた為なのであろうか。他にそうした教えは残されていないのであろうか。

宋常星『太上道徳経講義』(38ー4)

  宋常星『太上道徳経講義』(38ー4) 本当の徳(上徳)は無為にして行われるが、それが及ばないところはない。偽りの徳は殊更にそれを為そうとして行われるものである。 ここで述べられているのは、本当の徳(上徳)と偽りの徳(下徳)のことであるが、これが等しく「徳」として行われていたとしても実質は異なっているということである。本当の徳を身につけている君主は、自然、無為の道を得ていて、虚飾がない。欠けているところがないのである。一方、本当の徳を身につけていない君主は、意図的に自己の行為にこだわらないように見せかける。徳の本質には全くもって決まった形があるのではない。本来的にそれがどのようなものであるのかを規定することはできない。もともと誰かが「徳」とは何かを決めることのできるようなものではないのであり、そうであるから「徳」を行うといって何か特定のことを為すということもできないものなのである。そうであるから徳を行うには心は大いなる虚となっていなければならない。まったくこだわりはなく(空空洞洞)、濁り無く清らか(湛湛清清)としていて、心に何かしようと思う(有為)ことなく、それが行動にそのまま現れている。外的な行為と内的な思惟とがひとつになって、内と外とが等しくなっている。そうであるから「本当の徳は無為にして行われるが、それが及ばないところはない」とあるのである。偽りの徳を行う人は、心が円満の境地を得ていない。そうであるから自分の思ったように行動しようとする(そうなれば「徳」を受けられる人は限定される)。自分が行ったこと全てが完璧な「徳」の実践であろうと見せようとする。それは「徳」を行っている人という名声を失いたくないからである。こうした意図をして「徳」を行うと、どうしても適切でない場合が生まれてしまう。簡単に実践できる時もあればそうでない時もある。やり過ぎる時もあれば足りない時もある。適切な関係が持てる時もあればそうでない時もある。こうしたことが頻繁に起こるのである。これが「偽りの徳は殊更にそれを為そうとして行われるものである」である。偽りの徳では自然のあるべき働きとひとつになることはできない。無為で、とらわれのない(渾化)境地に入ることはできないのである。それは意図的である(有為)からに他ならない。 〈奥義伝開〉人の行為が他人に見えるのは「過度」である場合と「不足」の...

宋常星『太上道徳経講義』(38ー3)

  宋常星『太上道徳経講義』(38ー3) 偽りの德(下德)はそれが為されると「德」が行われているように見えるものであるが、そこには真の德は存していない。 偽りの德は、それで充分で完全なる德ということはできない。自然、無為でもない。自分勝手な考えで、良いと思うことをやっているようなものである。それは、ただただ他人にどう見えるかだけを気にしての行動に終始してしまっている。これをやれば評価されるか、を考えるだけなのである。そうであるから評価を受けないようなことをすることはない。ただ、こうした他人の評価に関係なく德を実践することが、本当の德の行いなのである。こうしたことが分からなければ、徳の及ぶ範囲は広がることなく、限定的なものとなってしまう。人には必ず損得がある。徳が実践できる時もあるし、そうでない時もある。利得を求めようとする人は自分が徳のある人であろうとする。もし、そう評価されなければ、自分には徳がないと嘆くであろう。そうであるから「偽りの德(下德)はそれが為されると『德』が行われているように見えるものであるが、そこには真の德は存していない」とされているのである。本当に徳とは、心の理そのままであろう。そしてこの理は大いなる道によっているのであり、それを受けた心の本質である「性」に発している自然の天理なのである。人々は本来的にそれを有しており、その徳は完全なるものである。もし、これをよく使うことができたならば、天地の万物は、この徳の及ばないところはない。しかし、世の人の私欲は甚だしいものがある。そこには天の理は通ることなく、天の徳も働かなくなっていて、存しないのと同じになっている。もし徳が自然であり無為を好しとするならば、それは恵みを与えようとしなくても自然に恵みが与えられ、仁を行おうとしなくても自然に行われているようなものである。それは春の雨が万物に及んで、その成長を育むのと同じである。しかし万物はこの雨が成長の恵みを与えてくれているとは思わない。何かを得たとも失ったとも思わないのである。道を学ぼうとする人は、こうした徳が、本当の徳であることをよく理解しておかなければならない。 〈奥義伝開〉老子の提示する道、徳、仁、義、礼でいうなら儒教の重視するのは礼であり、老子は道であるとすることができるであろう。ここで老子は儒教そのものを批判しているのではなく、礼が本来的...

宋常星『太上道徳経講義』(38ー2)

  宋常星『太上道徳経講義』(38ー2) 本当の德(上德)はそれを行っていても、そうは見えないものである。 太古の本当の德を持った君主にあっては、天の德が明らかであり、それを心に有して、物的なレベルにまで及ぼしていた。完全な「善」が実行されていたのである。そうであるから、そうした社会にあって德は、誰が教えなくても人々の知るところであったのである。これが「本当の德(上德)」である。「本当の德」は自然そのままの「道」ではないが、「道」と一体となった德なのである。それは日々、常に新しくなって姿を変えており、深遠なる「理」において実行されている。あらゆる時に過不足無く行われ、日々にそれは用いられている。そうしたものがまさに「德」なのである。君臣、父子の間に存するのがまさに「德」なのである。そうであるから「本当の德(上德)はそれを行っていても、そうは見えないものである」とされている。「德」そのものは自然そのままではないが、それは無限の存在でもある。「德」はそれがどのようなものであるのか限定することはできない。そうであるから「德」は至大なのである。 〈奥義伝開〉「道」とは形而上の法則であり、「徳」は形而下の法則の実践であると言える。「道」と「徳」は一体ではあるが、老子は価値判断の入ることのない「道」の方をより根本的なものと考えている。ここで述べられている「本当の徳」は「道」と一体となっている「徳」のことである。つまり老子の重視する「道」「徳」とは「善」の実践にある。これが合理的な思考の上で為されなければならないとするのが老子の考えである。

道徳武芸研究 神道秘儀としての八卦拳(4)

  道徳武芸研究 神道秘儀としての八卦拳(4) 平田篤胤は「神話」は世界に普遍的に存していたのであり、人の代になってそれぞれの歴史が始まったとする。そうであるから世界の神話には共通する部分が多く見られることを指摘して、その中で日本の神話が最も正しい伝えを残しているとする。日本の神話云々は、ここだけが拾われて後に軍国主義の時代に侵略戦争を正統化するために利用されるのであるが、篤胤は「神話」は世界に共通のものであることを前提としていたことは無視された。近代以降の平田国学も陽明学も正しい解釈からは程遠いものであった。それはともかく神話が世界に共通していることは、ユングによって「元型」として提示された。人類には共通した考え方、認識の方法があるというわけである。つまり「柱を巡る」ということがインド、中国、日本で見られるのはそれが意識の深いところにある認識パターンである「元型」に近いものであるということになるわけで、八卦拳は人類共通の深い意識のレベルから生み出されたものであることが分かるわけである。

道徳武芸研究 神道秘儀としての八卦拳(3)

  道徳武芸研究 神道秘儀としての八卦拳(3) かつて武術研究家の康戈武は八卦拳の発祥に道教の転天尊の儀式のあることをあげていた。これは朝夕で本尊の天尊の周りを左、右と巡るものである。ただこうした儀式は仏教の阿弥陀教に由来するもので、さらにそのもとは印度の仏塔信仰、さらには礼法として敬意を示す相手の周りを右に巡ることが根源にあった。こうしたインドの日常的な礼法により釈迦の遺骨を納めた仏塔の周りを巡る行為が生まれたのである。同様に阿弥陀如来に敬意を示す行為が行としてひたすら阿弥陀の周りを歩き続けるというものとなった。これは天台宗の常行三昧がよく知られていて、日本では今でも比叡山などで修されている。程廷華は八卦掌をして「口に阿弥陀を唱えるように」とする口訣を残している(孫禄堂「拳意述真」)ことからすれば、八卦拳は阿弥陀の行法と密接な関係があったことが伺える。康があえて道教と八卦拳とを関連付けたのは、自国の文化の中に八卦拳の源流を求めたかったからであろうが、現在では「転天尊」起源説はあまり強くは支持されていないようである。

道徳武芸研究 神道秘儀としての八卦拳(2)

  道徳武芸研究 神道秘儀としての八卦拳(2) 「イザナギ、イザナミの結びの秘儀」は、現在では出雲大社の結婚式でも行われている。神殿に「天の御柱」を設定してそれを巡るのである。神話ではイザナミが先に声を掛けたことで適切な子供を得ることができなかったとしている。興味深いのはこの点で、これについては後の儒教の男尊女卑の思想の影響であろうとする解釈もあるが、はたしてわざわざ神話のストーリーを変えてまでそうした思想に合わせる程、儒教思想が浸透していたかは、はなはだ疑問でもある。これはは「陽儀」と「陰儀」のどちらから始めるのが重要であるのか、が示されているのである。八卦拳では必ず「陽儀」から入る。そして「陰儀」へと転ずる。しかし、神話では「陰儀」が先になってしまった。結果として生まれたのが「ヒルコ」であった。「ヒルコ」は、ぐにゃくにゃして立つこともできないような子であったとされている。つまり八卦拳でいうなら健全な心身が得られない、ということである。こうしたことを体感として古代の人は知っていたのであろうし、中国においても同様な感覚があったわけである。つまり柱の周りを巡るという行為は人の意識の奥深いところから発するものでもあったのである。

道徳武芸研究 神道秘儀としての八卦拳(1)

  道徳武芸研究 神道秘儀としての八卦拳(1) 神道の秘儀としての八卦拳は「柱を巡ることにある」というのが今回の論の主旨である。神道において柱を巡るのは、イザナギ、イザナミが「天の御柱(みはしら)」を巡って「みとのまぐわい」つまり結婚(陰陽のむすび)をしたことがある。この場合に、わざわざ「柱」を巡るという設定になっていること、そしてその「柱」が「天の御柱」として特別なものであることが明示されていることに注意しなければならない。ちなみに八卦拳でも柱や樹木の周りを巡るのであるが、この時に中心に立つのが「陰陽樹」と称される。「陰陽樹」は二本の木が絡み合ったように立っているものを言うことが多く、こうした樹木は神社などでも「縁結び」の利益があるとしているところがある。「天の御柱」もイザナギ、イザナミを結びつけているのであるから、これを「陰陽樹」とすることもできるであろう。またイザナギ、イザナミは左右から「天の御柱」を巡るが、これも八卦拳では左周りを「陽儀」、右周りを「陰儀」としていることと類似が見られる。陽と陰は男と女でもあるので、イザナギ、イザナミが柱を巡ったとするのは、ここに陽と陰の巡りのあったことを示している。このように八卦拳とイザナギ、イザナミ神話とは密接な関係があるのであり、それは共に陰陽の結びの秘儀であったのである。

宋常星『太上道徳経講義』(38ー1)

  宋常星『太上道徳経講義』(38ー1) いまだ天や人が無かった先は、至誠、無妄の状態であった。これを「道」と言う。こうした天より受けた存在のあり方そのままであるのが「性」である。「性」が働くと「德」となり、それは至公、無私である。こうした人が生きることの「理」は常に個々人の身に存しているが、それは「仁」ともされる。分別があり、決断がなされ、常に行うべきを行うのが「義」である。天の秩序の段階、人の行うべき方法、これには外面と内面があるが、こうしたことに恭しく従うのが「礼」である。この五つは国を治め、家を整える上での普遍的な道徳とされるものであり、身を修め、社会で働くための第一歩でもある。これを実践すれば問題はなかろう。これを行わなければ好ましくない事態が生まれよう。もし「道」が天下に行われなかったならば、そこに善悪は明らかでなく、民は正しい政治の恩恵を受けることもない。これは全て世に「道」が衰えたからである。人々の心は太古の人のように純朴ではなく、世の中は乱れてしまっている。聖人はそうした世にあってもなんとか「道」が見失われないように、あらゆる場面で力を尽くして、太古の風潮を復活させようとする。そうであるから「道」の実践を重視して、その行われないところがないようにするわけである。真の「道」を実践して、見せかけの「道」に依ることがなく、適切なバランスを得て大いなる道とひとつになるわけである。この章で老子は「重視すべきところ」について教えているが、それは太古の純朴さの境地のことなのである。 〈奥義伝開〉老子はここで人の行動は道理によるべきであり、占いや託宣といった迷信に盲従すべきではないことを述べている。人の行動は本来は内的な必然の発露としての「善」なる心の働きによっているのであるが、それが分からなくなった社会においては仁や義、礼によることも仕方のないこととする。この中で「礼」は具体的な行動を示すものであるが、老子はこれが「道」による正しい礼であるなら強制しても構わないとする。逆に言えばそうした「礼」を我々は知ることができないのであるから、いくら正しい行為と思っても他人に強制することは、あってはならないということである。

宋常星『太上道徳経講義』(37ー5)

宋常星『太上道徳経講義』(37ー5)   「無名の樸」は求めようとするべきではない。それをして欲望を鎮めようとしてはならない。それはこの世にあって自ずから正しいところに導くものなのである。 本当に欲望を鎮めるのは「無名の樸」であると思う。この道より他にはない。それを為政者が行えば民は無欲となる。民が無欲となれば、物事にこだわりがなくなる。そうなれば情欲が「性(心の根源的な働き)」を乱すこともなくなることであろう。民の「性」は静となる。そうなれば思いに偏りがなく、妄想にとらわれることもない。あらゆることが正しく行われるようになる。そうしたことを「無名の樸」と言っている。あるいは欲望がなくなれば、それは「静」を得ることになって、この世は自ずから正されるであろう。人には天から受けた「性」がある。それが気(生命エネルギー)を得て働きを持つのであるが、これは自然のままの働きをする。至清、至正である天から受けた「性」は、そのままの働きをするわけである。しかし気に乱れがあれば、性も本来の働きができなくなる。しかし本来の「性」が失われるのではない。その現れにおいて清や正が失われているに過ぎない。ここのように現れとしての「性」と「性」には自然の道に違うところが見られたとしても、「性」の本質は「善」であり自然と一体の「一」であることに変わりはない。人は修行によって乱れた状態から正常な状態へと復することは可能である。それには「静」をもってしなければならない。「静」とは「無欲」であるということである。もし「無欲」であることができたならば、「性」も自ずから「静」まることであろう。そうなれば「性」の働きも自ずから「正」しいものとなる。「性」の働きが「正」しくなればあらゆる行為が正しいものとなる。そうであるから聖人は、この世を正しくしようとするには、始めに人の「性」を「正」しくさせるのが急務と考える。人の「性」が「正」しいものとなれば、善悪や真偽の違いにとらわれることはなくなる(相対的な善や真ではなく大いなる道による無為が行われる)。意識的な行為においても、そうした思いが生まれることはないのである。つまり「性」とは「道」によって働いているのであり、心の働きもその「理」によっている。天の「理」をよく明らかにすることができれば、本来の「性」に復することができる。そうなれば人は天の「道」を得る...

宋常星『太上道徳経講義』(37ー4)

  宋常星『太上道徳経講義』(37ー4) 道によって事を為そうとする。そうした時には自分で「無名の樸」なるものを用いるのである。 ここで述べられているのは、正しいものによるのでなければ世情の変化に対応できないということである。もし政治を司る者(侯王)が、大いなる道によったのであれば、それはまったく正しい統治となることであろう。心には何のわだかまりもなく(廓然大公)、それは天地と等しい。心の本質(性)は太虚となり動静はひとつになっている。内外に区別なく、その変化は無窮である。しかし、大いなる道によらないならば、利欲の心が生まれ、無為の変化は行われず、有為の行いに取って代わられる。それは始めは無為のようであっても、次第に私欲が現れるようになり、偽りが横行するようになるわけである。そしてそれはますます拡大して行く。そして、こうした人が増えることで世の中の道徳観も変わって行き、人の心も大いなる道から外れて行くようになる。社会のあらゆるところで自らの欲望を満たそうとするようになるのであり、人々も自分の利益だけを求めて当然と思うようになる。もし、そうしたものを「無名の樸」をして鎮めることがなければ、社会の欺瞞は限りなく大きなものとなって行くであろう。「無名の樸」とは永遠なる無為(真常無為)の道のことである。これによらなければ、他に欲望を鎮める方法はない。老子は政治を司る者が「無名の樸」を守ることがないことを恐れていた。そうなれば変化に対応することができなくなり、社会に欺瞞が生まれることになる。そうであるから「無名の樸」のあることを示して、そうした社会的な欺瞞を鎮めようとしたのである。もし社会の欺瞞を鎮めようとするのであれば、政治のリーダーは「無名の樸」の実践に努めることになるわけである。ここで言うところの「無名の樸」とは第一章の「無名は天地の始め」と同じで、渾然としている状態のことである。「無名の樸」によって欲望を鎮めるとは、自然に従うということである。例えば世に利欲による争いが生じたならば、為政者はただ無為を守る。そうなれば利欲を争う民も感化されて無為となる。為政者が静を得ていれば民も自ずから無為となる。為政者が利得を求めなければ民は自ずから富むようになる。為政者が無欲であれば民は自ずから過度な要求をしなくなる(樸)。つまり欲望が鎮められるわけである。これが「道によっ...

道徳武芸研究 思索する武術〜弁証法と最後の武術〜(8)

  道徳武芸研究 思索する武術〜弁証法と最後の武術〜(8) およそ日本の武術、あるいは芸能でも、最も重視されたのは「間合い」であった。数十年前に「気」のブームがあって、日本と中国とでの「気」の認識に違いあがることが指摘されたが、中国における「気」は生体エネルギーとしてのものであり、日本では間合いのようなものとして捉えれれていたわけである。この間合いは呼吸とも言われる。言うまでもなかろうが、この「呼吸」は吸う吐くの呼吸ではない。武術における「間合い」は、合気道で「呼吸力」としてその武術的な展開の可能性が明示された。そして最後には「触れないで倒す」ような技として象徴化されることになる。しかし、それはもう武術の一線を越えたものであった。現在、最後の空手以外でもこうした一線を越えた「武術」を多く見ることができる。それは最後の形であり、その次にはまた新たなる武術が出てくるものと思われる。共産主義の失敗から我々は多くのことを学ばなければならないが、同時に「触れないで倒す武術」にも多くの重要なヒントがあるのである。

道徳武芸研究 思索する武術〜弁証法と最後の武術〜(7)

  道徳武芸研究 思索する武術〜弁証法と最後の武術〜(7) 心身の状態を整えることの他に実戦へとつながるものとして涵養されるのが、間合いのコントロールである。これは特に重視されていて合気道で間合いをコントロールすることによって武術的に展開され得る力のことを「呼吸力」と称している。ただこの間合いの練習をし過ぎて間合いを合わせすぎると、触れないで倒れる、あるいは触った位で投げられるといった現象が生まれるようになる。これは歌舞伎などの殺陣と同じで、歌舞伎の殺陣は相手との間がかなり離れている状態で攻防が行われるが、そこに矛盾がないように感じるられるのは間合いをうまく取っているからに他ならない。これと同じことが間合いの稽古においては起きてしまうのは必然としてあるわけである。最終形態としての空手ではそれも示されている。この間合いの稽古は近世では一拍子や無拍子などとして、重視されて来た。その間合いをコントロールする最後の形が触れないで倒すということになる。確かにここで「武道史」は終わる。武道、武術を離れた別のものとなってしまうのである。

道徳武芸研究 思索する武術〜弁証法と最後の武術〜(6)

  道徳武芸研究 思索する武術〜弁証法と最後の武術〜(6) 合気道の「技」を、植芝盛平は「気形」としていたのであるが、その意味を伺う発言として「関節技は体のカスを取る健康法」とする教えがある。つまり一箇条などの関節技は相手を制するためのものではなく、関節に刺激を与えて気血の滞りを是正するためのもの、武術の基礎作りとしていたわけである。つまり合気道の「技」が「気形」であることは、それを練ることで心身の円滑な運動を促そうとするものであったのである。戦前、戦中はそうした流れを阻むものを「穢」として、合気道を「禊」としていたのであり、戦前、戦中と戦後で言い方は違っている(心身の統一というようになった)が基本的な考え方は変わっていないといえる。合気道の「技」によって心身の状態を整えれば心身の統一が得られる。もしそれを攻防において展開しようとするなら、それは自ずからあるべき動きが可能となる。つまり「動けばすなわち技になる」境地が合気道の理想とするところなのである。現在、合気道で実戦を考える場合に「技」にとらわれて対応しようとして迷路に入ってしまっている人が多いようである。

道徳武芸研究 思索する武術〜弁証法と最後の武術〜(5)

  道徳武芸研究 思索する武術〜弁証法と最後の武術〜(5) 最終形態としての空手は、合気道系の技術を取り入れることで、従来の柔術の系統(柔道、合気道など)にはない力を抜いた突きや蹴りと、従来の空手にはない投げを融合させることを可能にした。ただこうした投げと突き蹴りを組み合わせようとする志向性は少林寺拳法においても見ることができる。少林寺拳法では突き蹴りを剛法、投げ締めを柔法としてまとめている。一般に投げとされる技法には、背負投や足払いのような「投げ技」と小手返しや四方投げのような「関節投げ」とがあるが、「関節投げ」は実際の攻防で使い難いものである。相手の戦闘能力が充分に働いている間は、なかなか掛けることが難しい。もし当身などで相手に大きなダメージを与えることができたならば「関節投げ」は有効な技となる。そうしたこともあって合気道の技は、突きや蹴りに有効に対処することはでいる。植芝盛平はこうしたことを見越していたようで関節技を主体とする合気道の技を「気形」としていた。それは実戦に使われるのではなく、気の流れをコントロールすることを学ぶための方式としていたわけである。

宋常星『太上道徳経講義』(37ー3)

  宋常星『太上道徳経講義』(37ー3) もし政治を司る者(侯王)が、道をよく守ることができたならば、万物は自然にあるべき状態で生成をすることであろう。 「侯王」とは人々のリーダーであり、あらゆる物事を有効に用いようとする。もし「侯王」が清浄、無為であり、私欲を持つことなく、その心に乱れがなかったならば、あらゆる物事に乱れが生じることはない。自ら無為を守っていれば、物それ自体が持つ生成の働きがそのままに働くからである。自然の生成が滞りなく働くわけである。そうなれば万物はあるべき生成を遂げることができる。それぞれがあるべき生成を行い、それぞれのあるべき働きを為すわけである。災いの生じることなく、不幸も乱れもない。山や川の鬼神は安らかにしており、鳥や獣、魚もあるべき生を送っている。こうしたことはあらゆる物がそれ自体有している働きそのままて居るからである。おおよそにおいて世の人は有為の境地に心を馳せるものである。知恵を有為の世界に用いて、日々企みをする。そこには全く清静なる時はない。日々に思いを巡らせて、一時も休むことができなず、人が本来的に持っている純粋な心(天真)は覆い隠されてしまって、無為なる真常の大いなる道は、全く修されることはなくなってしまう。性(本来的な心の働き)や命(本来的な体の働き)は顧みられることなく、不都合なことが生じて災いを招くことになる。不幸から離れることができず、自分の身も家も保つことができない。こうしたことは無為を守らないことで生じることである。 〈奥義伝開〉老子は「無為」を実践できる人が「侯王」となるべきであると考えている。そうなれば理想の社会が実現されるとするのである。政治システムにおいて最も効率的なのは独裁である。これが完璧に行われれば理想的な社会ということになるが、これまでそうしたことが実現したことはない。そもそも「侯王」の居る「社会」は有為によって作られているわけで、それを統括するリーダーや構成する民が「無為」となることはあり得ない。こうした志向には矛盾がある。「侯王」と民が共に無為を実践したら社会は崩壊してしまうことであろう。

宋常星『太上道徳経講義』(37ー2)

  宋常星『太上道徳経講義』(37ー2) 道は無為を常としており、それが行われないところは無い。 大いなる道は本来、不変であり変化をすることはない。こうした「真常」の理においては、大いなる道は存すると決めつけることもできないし、存しないということもできない。物に限定されないし、空に限られるものでもない。こうしたことが「性命」の根源にあるのであり、「万化」の根本にあるのである。具体的な形もないし、シンボルとすべきものもない。つまり「無為」なのである。こうした中に五行の変化があり、四時(二十四時間)の推移がある。あらゆるところにこの理は存していて、あらゆるところに通じている。あらゆる物はこうした「道」によらないで存していはしない。「道」によらないで生み出されているものもない。つまり「無為」であっても為されないことはないのである。そうであるから「道は無為を常としており、それが行われないところは無い」とされている。つまり「無為」とは大いなる道の根本なのである。「行われないところは無い」とは、大いなる道の働きである。あらゆる物質は物であるから心は持っていない。そうであるから「無為」ということができる。しかし、それぞれの働きは持っている。これが「行われないところは無い」である。もし、人がこうしたことを修するなら、個人の根本的な徳(徳性)は、大いなる道と完全に一体となるのであろう。こうした「真常」の理は個々人の中に存している。他に求めるべきではない。 〈奥義伝開〉この世は簡単には自然の「無為」と、社会の「有為」で成り立っていると言うことができよう。自然現象は直接に人が操ることのできないものである。台風の起こることはどうすることもできない(無為)。しかし被害を防ぐことはできる(有為)。こうした「有為」を専ら進めて来たのが人類の文明の歴史であった。ただ老子はこうした「有為」の背後には「無為」が存しているとする。そして根本的には「有為」は永遠に存続できるものではないと教えている。台風であればその被害を防ぐのではなく、被害のないところに住むべきことを考えるべきと教えているわけである。武術であれば攻防に勝つ技術を磨くのではなく、攻防そのものが生じない自然な状態を維持する方法を考えるべきということになる。

宋常星『太上道徳経講義』(37ー1)

  宋常星『太上道徳経講義』(37ー1) 「無名の樸」とはつまりは「無為の道」のことであるということができよう。また「無為の道」は「無名の樸」でもある。これは見えることにおいての大いなる道の表現と、見えないことにおける側面からの言い方の違いであり、あえて分けて言えば二通りになるが、これは一つのものである。見えること、見えないことは、ひとつのことであるが、それには二つの面があるわけである。本来的には「無名」は天地の始めに存するものであり、至誠、無妄の実理がそこにはある。天が万物に与えているのもこうした実理である。そうであるから人もそれを受けている。物もそれを受けている。そうした実理が実際の人や物において働いていることを「道」と称する。またそうした実理を受けている人や物の心のことを「性」という。人がこの「性」をよく知ることができれば、天地と一体となり人としての完成を得る。物がよくこの「性」を得たならば、天地の間にあって完全なる物となる。一なる「性」が開かれれば、一なる「理」の実行が完成される。こうして一なる「理」が開かれたなら、あらゆるところの「理」も全(まった)きものとなる。このように至誠、無妄の実理は見えないものであるが、その働きは見ることができる。根本があり、現れでがあるわけで、見えないのが根本、見えるのが現れである。根本である実理は万物に共通している。そして実理は変幻自在に働いて現れている。実理の根本は見えることなく、寂然不動であるが、それは実感できないものではない。その現れは顕著であり広く様々であるが、すべからく実理の根本から離れたものは無い。ここで老子は「それが行われないところは無い(無為にして為さざるは無し)」と述べているが、これはまさにこうした実理のことを言っている。そうであるから「天の道」は無為であるもののその変化は無限なのである。ここでは、こうしたことを教えている。そうであるから聖人は、教えを述べなくても、詳細な教えを行動により示している。こうしたことの意味を詳しく考えてみると、自己における実理の根本や現れは、天地のそれと同じであり、天地における実理の根本と現れは、自己におけるそれと変わりはないことが分かる。それは天下、国家においても同様で、あらゆることに通じている。君臣、父母でも、上下が心を一つにして共に実理を実践していなければならない。そ...

道徳武芸研究 思索する武術〜弁証法と最後の武術〜(4)

  道徳武芸研究 思索する武術〜弁証法と最後の武術〜(4) 競技試合をメインとする「現代武道」では「形」の意義はほぼ無くなってしまう。基礎体力と後は試合の勘を養えば良いことになる。しかし、そうなるとその動きは「試合」でしか通用しないものとなることも事実である。あらゆる攻防が想定される「実戦」には使えない「競技試合」「練習試合」に特化したものとなってしまう訳である。これはボクシングが蹴りや投げに全く対処できないのと同じである。「形」にあっては無数に派生する実戦における動きに対応するために動きを抽象化している。「上段への受け」は「上段」といってもいろいろな高さがある。上段でも右から攻撃されることもあるし、左から打たれることもある。そうした多彩な動きを「上段への受け」として大まかにまとめたのが「形」なのである。そうであるから「形」からいろいろな動きを派生させることができるように対人練習が必要となる。「試合」はそうした対人練習の一つであり、「形」にとらわれないで、それを活用することを学ぶのが「試合」なのである。

道徳武芸研究 思索する武術〜弁証法と最後の武術〜(3)

  道徳武芸研究 思索する武術〜弁証法と最後の武術〜(3) 「試合」で「形」が使えないという問題は中国武術でもよく言われている。また「形」の特色が見られないということも私的される。そこで八卦掌であれば相手の周りを無意味に回ってスキを作ってしまい、負けるというようなおかしなことも起きていた。本来、自由に撃ち合う練習試合の目的は「形」からの解放にある。如何に「形」にとらわれないかを練るのが自由な打ち合いを前提とした練習試合になるのである。そうであるから「形」と「試合」の間には本来的に矛盾はないのであり「弁証法の空手」が成果をあげることができなかったのは、そもそも弁証法の使い方が間違っていたからに他ならないのであった。「形」はあくまで基本を会得するものである。一方で実際に使う時にはそうした「形」にとらわれてはならない。外国語でも基本会話の練習を経たら、実際の会話では一旦、基本会話のフレーズは忘れて、その時と場合とで対応して行かなければならないのと同じである。もちろん常に基本は練習をしてその原則を外れないで動けなればならいことは言うまでもあるまい。語学では文法を間違えないようにするということである。

道徳武芸研究 思索する武術〜弁証法と最後の武術〜(2)

 道徳武芸研究 思索する武術〜弁証法と最後の武術〜(2) 弁証法の空手は共産主義の夢が「現実」と思い込まれていた頃に生み出された。その時代には弁証法はあらゆる問題を解決し得る「魔法の杖」と思われていた。そうした中で空手において問題とされたのは「形」と「試合」における矛盾である。つまり「形」を「試合」で使うことができない、ということである。そこで「形」と「試合」との間に矛盾があるとして、それを解決する方法に弁証法が用いられたのであった。結果としては「形は試合のように動く」「試合は形のようにする」という考えが導き出された。つまり形は従来の形そのままではなく、やや実戦に近いような動きに崩して練習をするわけである。また試合にあっては、自由に動くのではなく、より形に近い動きで行うことが求められた。こうした弁証法によって空手の持つ矛盾は解決された、ことになるはずであったのであるが、実際に他の流派と試合をしてみると全く「成果」の出ていないことが示されることになった。理論的には矛盾を内包する稽古をしている従来の空手の流派よりも、それを解消し得た練習をしている「弁証法の空手」の方が強くなっていなければならないはずであったが、そうではないことが「実証」されてしまったのである。こうしたこともあってその後は「弁証法の空手」から人々の関心は薄れて行ってしまった。

道徳武芸研究 思索する武術〜弁証法と最後の武術〜(1)

  道徳武芸研究 思索する武術〜弁証法と最後の武術〜(1) 二十世は政治の世界では共産主義が実践された。これは政治システムを考えた上では理想の統治形態ではあるのであるが、実際に共産主義を行うことまでは行かず、そればかりかソ連や中国などでは、実質的には「独裁政治」であるに過ぎなかった。資本主義の次の政治体制として位置付けられた共産主義は資本主義より前の近世以前の独裁制へと後戻りしてしまう結果となったわけである。それは共産主義で目指した社会的、経済的な「平等」を人は求めていないからであった。誰でも他人よりは少しでも良い生活をしたいと思う。そうなると共産主義のシステムは成り立たない。むしろ資本主義の方が「人情」に即したシステムであると言い得るのであるが、現在は余りに肥大化した人の欲望に多少の制限を加えることでなんとか社会の均衡を保とうとしている。それはともかく同じく二十世紀の日本では弁証法による空手と、武術史の最後を飾るという空手が出現した。これらは従来の武術が試合などで有効であった技を集めて一個の流派としたのに対して、思索によって生み出された特異なシステムであった。

宋常星『太上道徳経講義』(36ー9)

  宋常星『太上道徳経講義』(36ー9) 国家において有益なもの(利器)は、人に見せるべきではない。 この一節もまた道が人において存することの例えであり、やたらに前に出るべきではないことを述べている。もし、むやみに前に出たならば、それは国家において有益なものを人に見せるようなものとなる。ここでの「有益なもの」とは「基本的な社会のマナー」によって、それをわきまえない者を排することであったり、「法律」によって不適切な事を規制することである。「有益なもの」は、魚にあっては「淵」のようなもので、魚は「淵」にあれば、その姿を表すことはない。「有益なるもの」も国家にあっては、顕となることはないのである。もし軽々にこれが示されるようなことがあれば、これは「前に出る」ことと言わなければならないのであり、「微明」からは外れてしまう。君主の権力が民を規制するものとなるのである。そうであるから「国家において有益なものは、人に見せるべきではない」とされている。もしこうしたことがよく理解されたならば、「有益なもの」は表に出ることはなかろう。もし、魚が「淵」に居て姿を表さなければ、柔や弱あって優位に立つことができるであろう。奥深く「微明」を悟ったならば、奪っても与えることができるし、衰退しても興隆できるし、弱さを強さに変えることも可能で、収斂をして拡張することもで出来るようになる。そうであるから道から外れることなどあるべきではないのである。 〈奥義伝開〉この第三の格言も「奥の手」は軽々に示すべきではないとする普通の格言として読むことができる。これを「微明」の観点から考えると、「有益なもの」は同時に「無益なもの」でもあると理解されよう。そうなると「見せるべきではない」というのも、下らない恥ずかしいものであるから見せてはいけないということになる。あらゆることに有効な「利器」などはないからである。逆に世阿弥は「秘すれば花」として見せないことで、人々に「利器」であると思い込ませることができることを教えていた。こうした相手の誤解や幻想を誘う手法は現代でも、よく用いられている。重要なことは普遍的な価値を持つ「利器」などはないことをよく理解することであろう。

宋常星『太上道徳経講義』(36ー8)

  宋常星『太上道徳経講義』(36ー8) 魚は淵を離れることはできない。 この一節は、人が道を離れることのできないことを例えているのであり、それは魚が淵から離れることができないのと同様であるとする。魚は水に暮らすものであるから、それがなければ生きて行けない。もし淵から出てしまったなら死んでしまうことであろう。人は道にあって生きている。もし道を離れてしまえば、どうして人として生きていくことができるであろうか。魚は淵さえ離れなければ、何らの問題もない。人も道から離れることがなければ何らの問題の生ずることもないのである。明らかなることは知ることができる。間違いを起こせば罪を問われる。これは何かが起こって患いが生じているのであるが、こうした「理」つまり大いなる道から逃れることのできないのである。 〈奥義伝開〉格言の二番目である。これは「自分の力量を越えたことをしてしまうと自滅してしまう」という意味であるが、今日でもこうした言い方で注意を促されることはある。ただこの格言が「微明」とどのように関係するのかは、必ずしも明確ではない。あえて解釈をするなら離れることのできない「淵」は、離れることのできる「淵」でもある、というようになろうか。社会や国家や人など、それを離れては、それ無しでは生きて行けないと思っているようなものでも、実際は無くても生きて行ける、という教えとして解釈するのが妥当なのであろう。宋常星のように「淵」が「大いなる道」であるとするよりも、「大いなる道」それさえも人は意識すること無く生きて行ける、とした方がより思想としてのダイナミズムを持つように思われる。

宋常星『太上道徳経講義』(36ー7)

  宋常星『太上道徳経講義』(36ー7) 柔は剛より優位にある。弱いのは強いより優位にある。 この一節は、まさに「反対」の働きを言うものである。一般的な「理」としては柔であることは、剛であることよりは不利であるとされる。弱いのは強いよりは不利である。しかし老子はここで「柔は剛より優位にある。弱いのは強いより優位にある」と言っている。その「理」はまさに「反対」というところにある。剛であり続けることが、長くなりすぎるとこれは崩れてしまう。それは強さでも同様である。柔をもって変化を促せば、剛も柔となる。弱さをして強いものを改めれば、それは次第に弱くなって行くことであろう。そうであるから「柔」や「弱」は「剛」うや「強」より優位にあるといえるのである。世の人は常に優位にあろうとする心を持っている。あるいは衆を頼んで少数者を抑圧しようとする。また強さによって弱者を押さえつけようとする。ごく少しのことでさえも他人に譲ろうとはしない。常に高い、低いを言って、自分が負けることを望まない。それは剛をして剛を制することであり、強をして強を害することになる。しかし剛が剛であり続けた例はない。強いものが強いままであったこともない。剛や強が永遠に続くと思うのは「理」に暗い、粗雑な考えといえよう。修行をする人は、言葉は柔和で、態度は細やかで、他人と論争をすることもなく、他人の軽重を語ることもしない。天地の中和の理を得て、聖人たる虚静の道を養っている。これがつまりは「微明」の士なのである。修行者はよくこれに努めなけらばならない。 〈奥義伝開〉これより当時の格言が三つ出される。第一は有名な柔が剛に勝つ、勝(まさ)るというもので、そこに老子は相反するものが含まれる「理」を読み取っている。ただ老子の考えからすると剛も柔より勝っていると同時に、剛は弱より優位にあるということも加えられなければならない。この格言だけではどうして柔が剛より優位にあるのかは分からない。老子の考えでは剛は柔へと変わり、柔は剛へと変化をするので、柔が剛より優位にあることがある、という理屈になる。これは一般的な考え方と同じである。柔のどこに剛があるのか。それは微か(微明)なるものとして存している。まが剛の柔も同じである。それを見出すことができれば柔は剛に勝つことができる訳である。

道徳武芸研究 八卦拳の変化と蟷螂拳の分身八肘(8)

道徳武芸研究 八卦拳の変化と蟷螂拳の分身八肘(8) 蟷螂拳では八卦拳の奥義である「龍身」の秘訣が肘法にあるとの教えを何らかの手段で得たのであろうが、その教えの持つ真意にまでは至ることができなかった。あるいは知っていても蟷螂拳の拳理に合わせて変化させたとも考えられる。一方、八卦拳の「掃腿」も蟷螂拳とは全く違った用い方をする。それは「相手に触れる」ことを第一としているのであり、足払いを第一とはしていない。「相手に触れる」ことで相手の心身の状態に変化が起こる。そのスキを使おうとするわけである。結果として足を払うことも勿論あるが、それはあくまれ扣歩の変化に過ぎない。扣歩は相手を「扣(引き止める)」するものなのであり、その働きは「龍身」というネジリの動きによっている。

道徳武芸研究 八卦拳の変化と蟷螂拳の分身八肘(7)

  道徳武芸研究 八卦拳の変化と蟷螂拳の分身八肘(7) 蟷螂拳の分身八肘は先にも述べたように八卦拳の影響によるものであることは明らかであるが、見たところ蟷螂拳では「龍身」は用いられていない。あくまで肘打ちとして使われている。「龍身」を用いた肘法は肘打ちではない。腕のネジリ(纒綿)の変化の中から生まれるものであって、そこには拳、掌、肘の変化がある。しかし蟷螂拳では、あくまで肘打ちの方法として分身八肘を捉えている。それは蟷螂拳では相手を追って攻撃するよりも新たな手を出すことを優先して考えていることも原因していよう。これが「補漏」の考え方である。漏らした相手を補う方法を見出したわけであり、そうした拳理の中で八肘も展開されている。

道徳武芸研究 八卦拳の変化と蟷螂拳の分身八肘(6)

  道徳武芸研究 八卦拳の変化と蟷螂拳の分身八肘(6) これは中国に限ったことではないであろうが、武術を探究する者は、優れた技の習得に貪欲であった。現在でも中国武術には「倭寇の刀法」とする長い刀の操法(苗刀)が残っているが、文献によれば倭寇は強かったので、一部の武術家はそれから技術を習得したとされている。八卦拳では八宮拳とするカテゴリーが他の武術の優れた技を集めたものとなっているし、太極拳でも長拳と称していろいろな武術の技を収集していた。日本の新陰流でも九箇とされる一連の刀法は当時の他流派の技術を伝えるという。ただこうした技法は、本来の流派の技法とは必ずしも一致しないために、初心者が学ぶべきではないとされて、往々にして「秘伝」となっている。このように「秘伝」は必ずしも一門の高度な技ということでもないので注意を要する。武術の一個の門派にはいろいろな形が伝えられているが、それぞれの意味をよく理解しておかないと効果的な練習ができなくない。