道徳武芸研究 神道秘儀としての八卦拳(2)

 道徳武芸研究 神道秘儀としての八卦拳(2)

「イザナギ、イザナミの結びの秘儀」は、現在では出雲大社の結婚式でも行われている。神殿に「天の御柱」を設定してそれを巡るのである。神話ではイザナミが先に声を掛けたことで適切な子供を得ることができなかったとしている。興味深いのはこの点で、これについては後の儒教の男尊女卑の思想の影響であろうとする解釈もあるが、はたしてわざわざ神話のストーリーを変えてまでそうした思想に合わせる程、儒教思想が浸透していたかは、はなはだ疑問でもある。これはは「陽儀」と「陰儀」のどちらから始めるのが重要であるのか、が示されているのである。八卦拳では必ず「陽儀」から入る。そして「陰儀」へと転ずる。しかし、神話では「陰儀」が先になってしまった。結果として生まれたのが「ヒルコ」であった。「ヒルコ」は、ぐにゃくにゃして立つこともできないような子であったとされている。つまり八卦拳でいうなら健全な心身が得られない、ということである。こうしたことを体感として古代の人は知っていたのであろうし、中国においても同様な感覚があったわけである。つまり柱の周りを巡るという行為は人の意識の奥深いところから発するものでもあったのである。


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