道徳武芸研究 思索する武術〜弁証法と最後の武術〜(3)
道徳武芸研究 思索する武術〜弁証法と最後の武術〜(3)
「試合」で「形」が使えないという問題は中国武術でもよく言われている。また「形」の特色が見られないということも私的される。そこで八卦掌であれば相手の周りを無意味に回ってスキを作ってしまい、負けるというようなおかしなことも起きていた。本来、自由に撃ち合う練習試合の目的は「形」からの解放にある。如何に「形」にとらわれないかを練るのが自由な打ち合いを前提とした練習試合になるのである。そうであるから「形」と「試合」の間には本来的に矛盾はないのであり「弁証法の空手」が成果をあげることができなかったのは、そもそも弁証法の使い方が間違っていたからに他ならないのであった。「形」はあくまで基本を会得するものである。一方で実際に使う時にはそうした「形」にとらわれてはならない。外国語でも基本会話の練習を経たら、実際の会話では一旦、基本会話のフレーズは忘れて、その時と場合とで対応して行かなければならないのと同じである。もちろん常に基本は練習をしてその原則を外れないで動けなればならいことは言うまでもあるまい。語学では文法を間違えないようにするということである。