道徳武芸研究 思索する武術〜弁証法と最後の武術〜(8)
道徳武芸研究 思索する武術〜弁証法と最後の武術〜(8)
およそ日本の武術、あるいは芸能でも、最も重視されたのは「間合い」であった。数十年前に「気」のブームがあって、日本と中国とでの「気」の認識に違いあがることが指摘されたが、中国における「気」は生体エネルギーとしてのものであり、日本では間合いのようなものとして捉えれれていたわけである。この間合いは呼吸とも言われる。言うまでもなかろうが、この「呼吸」は吸う吐くの呼吸ではない。武術における「間合い」は、合気道で「呼吸力」としてその武術的な展開の可能性が明示された。そして最後には「触れないで倒す」ような技として象徴化されることになる。しかし、それはもう武術の一線を越えたものであった。現在、最後の空手以外でもこうした一線を越えた「武術」を多く見ることができる。それは最後の形であり、その次にはまた新たなる武術が出てくるものと思われる。共産主義の失敗から我々は多くのことを学ばなければならないが、同時に「触れないで倒す武術」にも多くの重要なヒントがあるのである。