道徳武芸研究 思索する武術〜弁証法と最後の武術〜(2)
道徳武芸研究 思索する武術〜弁証法と最後の武術〜(2)
弁証法の空手は共産主義の夢が「現実」と思い込まれていた頃に生み出された。その時代には弁証法はあらゆる問題を解決し得る「魔法の杖」と思われていた。そうした中で空手において問題とされたのは「形」と「試合」における矛盾である。つまり「形」を「試合」で使うことができない、ということである。そこで「形」と「試合」との間に矛盾があるとして、それを解決する方法に弁証法が用いられたのであった。結果としては「形は試合のように動く」「試合は形のようにする」という考えが導き出された。つまり形は従来の形そのままではなく、やや実戦に近いような動きに崩して練習をするわけである。また試合にあっては、自由に動くのではなく、より形に近い動きで行うことが求められた。こうした弁証法によって空手の持つ矛盾は解決された、ことになるはずであったのであるが、実際に他の流派と試合をしてみると全く「成果」の出ていないことが示されることになった。理論的には矛盾を内包する稽古をしている従来の空手の流派よりも、それを解消し得た練習をしている「弁証法の空手」の方が強くなっていなければならないはずであったが、そうではないことが「実証」されてしまったのである。こうしたこともあってその後は「弁証法の空手」から人々の関心は薄れて行ってしまった。