道徳武芸研究 思索する武術〜弁証法と最後の武術〜(1)

 道徳武芸研究 思索する武術〜弁証法と最後の武術〜(1)

二十世は政治の世界では共産主義が実践された。これは政治システムを考えた上では理想の統治形態ではあるのであるが、実際に共産主義を行うことまでは行かず、そればかりかソ連や中国などでは、実質的には「独裁政治」であるに過ぎなかった。資本主義の次の政治体制として位置付けられた共産主義は資本主義より前の近世以前の独裁制へと後戻りしてしまう結果となったわけである。それは共産主義で目指した社会的、経済的な「平等」を人は求めていないからであった。誰でも他人よりは少しでも良い生活をしたいと思う。そうなると共産主義のシステムは成り立たない。むしろ資本主義の方が「人情」に即したシステムであると言い得るのであるが、現在は余りに肥大化した人の欲望に多少の制限を加えることでなんとか社会の均衡を保とうとしている。それはともかく同じく二十世紀の日本では弁証法による空手と、武術史の最後を飾るという空手が出現した。これらは従来の武術が試合などで有効であった技を集めて一個の流派としたのに対して、思索によって生み出された特異なシステムであった。


このブログの人気の投稿

道徳武芸研究 「合気」の実戦的展開について〜その矛盾と止揚〜(3)

道徳武芸研究 「先天の勁」を考える〜孫禄堂の武術思想〜

道徳武芸研究 両儀之術と八卦腿〜劉雲樵の「八卦拳」理解〜(2)