宋常星『太上道徳経講義』(38ー2)
宋常星『太上道徳経講義』(38ー2)
本当の德(上德)はそれを行っていても、そうは見えないものである。
太古の本当の德を持った君主にあっては、天の德が明らかであり、それを心に有して、物的なレベルにまで及ぼしていた。完全な「善」が実行されていたのである。そうであるから、そうした社会にあって德は、誰が教えなくても人々の知るところであったのである。これが「本当の德(上德)」である。「本当の德」は自然そのままの「道」ではないが、「道」と一体となった德なのである。それは日々、常に新しくなって姿を変えており、深遠なる「理」において実行されている。あらゆる時に過不足無く行われ、日々にそれは用いられている。そうしたものがまさに「德」なのである。君臣、父子の間に存するのがまさに「德」なのである。そうであるから「本当の德(上德)はそれを行っていても、そうは見えないものである」とされている。「德」そのものは自然そのままではないが、それは無限の存在でもある。「德」はそれがどのようなものであるのか限定することはできない。そうであるから「德」は至大なのである。
〈奥義伝開〉「道」とは形而上の法則であり、「徳」は形而下の法則の実践であると言える。「道」と「徳」は一体ではあるが、老子は価値判断の入ることのない「道」の方をより根本的なものと考えている。ここで述べられている「本当の徳」は「道」と一体となっている「徳」のことである。つまり老子の重視する「道」「徳」とは「善」の実践にある。これが合理的な思考の上で為されなければならないとするのが老子の考えである。