道徳武芸研究 思索する武術〜弁証法と最後の武術〜(6)

 道徳武芸研究 思索する武術〜弁証法と最後の武術〜(6)

合気道の「技」を、植芝盛平は「気形」としていたのであるが、その意味を伺う発言として「関節技は体のカスを取る健康法」とする教えがある。つまり一箇条などの関節技は相手を制するためのものではなく、関節に刺激を与えて気血の滞りを是正するためのもの、武術の基礎作りとしていたわけである。つまり合気道の「技」が「気形」であることは、それを練ることで心身の円滑な運動を促そうとするものであったのである。戦前、戦中はそうした流れを阻むものを「穢」として、合気道を「禊」としていたのであり、戦前、戦中と戦後で言い方は違っている(心身の統一というようになった)が基本的な考え方は変わっていないといえる。合気道の「技」によって心身の状態を整えれば心身の統一が得られる。もしそれを攻防において展開しようとするなら、それは自ずからあるべき動きが可能となる。つまり「動けばすなわち技になる」境地が合気道の理想とするところなのである。現在、合気道で実戦を考える場合に「技」にとらわれて対応しようとして迷路に入ってしまっている人が多いようである。


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