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道徳武芸研究 『八卦拳真伝』と千峯老人・趙避塵〜武術と静坐〜(6)

  道徳武芸研究 『八卦拳真伝』と千峯老人・趙避塵〜武術と静坐〜(6) 静坐(道功)と武術を兼ねて修することは広く行われたようであるが、それがシステムとして統合されることはなかった。武術で知られている少林寺は禅寺であるから坐禅が行われていたわけで、そこには易筋経、洗髄経が伝わり、易筋経は武術に、洗髄経は坐禅であるとされている。しかし実際に禅僧として有名な人物で武術にも長じた人は居ないようである。静坐と武術の統合を試みたのは意拳であった。意拳では「混元トウ」を行うことで武術と静坐とを融合させることが可能であると考えたのであった。こうした立って行う瞑想は立禅と称されるが、立禅そのものは意拳より遥か以前に『万神圭旨』に書かれている。同書は近世に著されたと考えられていて、立禅は手は坐禅のままで、ただ立つだけである。そして、そのまま歩くのは行禅としている。歩く禅は経行(きんひん)として今でも多くの禅寺で行われていて、日本では疲れた足を休めるためのものとされているが、ティク・ナット・ハンなどはウオーキングメディテーションとして積極的に瞑想の方法としていた。日本では立禅は太気拳を通して知られるようになったのであるが、その形は「腕を胸の高さにあげて構える」もので、これは武術の馬歩トウ功と同じである。意拳ではこの形を「トウ(手偏に掌)抱式」などと称している。

道徳武芸研究 『八卦拳真伝』と千峯老人・趙避塵〜武術と静坐〜(5)

  道徳武芸研究 『八卦拳真伝』と千峯老人・趙避塵〜武術と静坐〜(5) 孫錫コンにしても、趙避塵にしても、それぞれ武術に長じた道学の師から道学は受け継ぐものの武術までも学ぶことはしていない。これは武術と道功を共に学ぶ人は多かったもののそれらがシステムとしてひとつのものとしては認識されていなかったことを伺わせる。陳微明の『太極拳答問』にも静坐のことが出てくる。それは「太極拳と静坐とは共に習って構わないのでしょうか」という問いである。これには静坐を行うことは健康にも良い効果があるとしながらも、真伝を得ることが難しく、もし間違った方法で行ったなら大きな弊害が生ずる恐れがある、と答えている。ついで「太極拳の代わりに静坐をすることはできますか」という問いには、静坐も太極拳も心身の生じている状態は等しいのであるから可能であるとする。ここに示されているのは、太極拳と静坐とは別なものであることを前提とするものの、その内実は等しいと言っている。これには静坐が儒教や仏教など「知的に優れた人の行うもの」であり、武術が「粗野な人の行うもの」と考えられていたことがある。陳微明は太極拳は一般に武術とは異なり、静坐のようにジェントリーなものであることを言おうとしているわけである。

宋常星『太上道徳経講義』(61ー2)

  宋常星『太上道徳経講義』(61ー2) 大国が「下流(受け身)」であれば、天下の国々は友好関係を築くことができる。 通常、大国は尊ばれ、小国は軽んじられる。昔から大国の君主は自分の思うままに統治をして来た。そして天下の国々に臨んでいたのである。虚心で偉ぶることなく他人に寄り添うのは、その社会的地位の高い低いにかかわらず、国の大小にも関係がなく、水が下に流れるように、他者と交わろうとするのであれば当然のことであろう。受け身であるという徳をして、大国は小国と交わりを持つでべきなのである。「下流」に居ることの徳を持つことで、あらゆる国と有効な関係を築くことができる。そうなれば大国でも小国でもあえて他国を侵略をしようとすることはないであろう。小国と交わるのは、自己を卑下するようであらなければなるまい。小国と大国との関係も、人と人との関係と同じである。またそれは(大国と大国、小国と小国など)あらゆる国の交わりにも通じている。そうであるから大国であるからといって自己を奢ってはならないし、個人にあっても受け身であることで良い交わりができるのである。大海は受け身であることで、いく筋もの川の水を集めることができている。こうしたところに見られる自然のあり方は、自然のあらゆるシーンにあっても変わりはない。ここで述べられているのはそうしたことであるから「国が『下流(受け身)』であれば、天下の国々と友好関係を築くことができる」とされているのである。 〈奥義伝開〉ここでは「下流」として出ているが、以下では専ら「下」とある。以下は老子の説明で一般的な格言の「下流」という語を抽象化して自己の思想に近づけているわけである。ここで挙げられている元の格言は「大国は下流といえる。それは天下のものが集まっているからである」というものであった。幾筋もの川の流れが大海に流れ込む自然の摂理をして、大国が大国であるのは多くのものがそこに集まるからであると教えているわけである。しかし、老子は「下流」の「下」ということに注目して、通常は「上」が良しとされるが、本当は「下」にも価値があることを示そうとする。

宋常星『太上道徳経講義』(61ー1)

  宋常星『太上道徳経講義』(61ー1) 道には尊卑はないが、徳には大小がある。国は大きいからといって尊いわけではないし、徳もそうである 。道は天地の理のままに動いている。それは無為であり、それをして統治をする。そうなれば民の心は善となり無心で居るようになる。その情は自然に順じており私情を持つことはない。小も大にもこだわることなく、自分と他人を区別することもない。心徳はこだわりを持つことなく、物欲を持つこともない。そこには天の理が全く純粋に存しており、好悪の感情が生まれることもない。上では天があって地を覆っていて、それは全土に及んでいる。下には地があって全てのものはそこにある。こうした天地は、虚心であり自己に執着することもないが、あらゆることに関係を持っている。天は静をして下に臨んで徳を及ぼしているが、それはあまねくところに及んでいる。天下の国は余計に集めよう(兼蓄)としなくても、あらゆるところから徳が集まって来る(兼徳)。それはあえてそうしなくてもそうなる。この章では、こうした「受け身(下)」であることについて述べられている。大国や小国を例として「受け身(下)」であるとは、どういったことかについて教えている。大国でも小国でも、はたしてよく「受け身(下)」であって統治が可能なのであるのか。大国の統治者には大国ゆえの奢りがあるものである。そうなれば小国に対しては、ただ従属を求めるだけになってしまう。こうした中に徳というものが、どうあるのかを考えている。そうすれば(ただ大国が小国を従えるというのは徳の実践ではないことが分かる。つまり)天下が泰平であるのは共に徳を実践することであることが分かるのである。 〈奥義伝開〉ここでは「大国は『下流(受け身)』であれば、天下の国々は友好関係を保つことができる」という当時の格言であろうと思われる言葉と「兼蓄の人(更に蓄えようとする人)」や「入事の人(介入しようとする人)」の居ることを挙げて、これらに共通することは「静」の欠如であると教える。誰しもより多くを得ようとおもうし、自分の思い通りにしようとして介入したく考えるものであるが、それらによっては和平を保つことはできない。制圧ではなく互いに存在を求めあって交流をしようとするなら「静」を身につけていなければならない。それは牡、牝においても見られるもので「静」の徳は牝にあって、牡の...

宋常星『太上道徳経講義』(60ー6)

  宋常星『太上道徳経講義』(60ー6) 鬼神も聖人も共に人々を傷つけることがない。それは共にそこに「徳」があるからである。 ここで述べられているのは、全体の総括である。よくよく考えてみると「不可思議」はこの世ならざる「天」(という別世界)に留められていることで、我々は「徳」を持っていられるのではなかろうか。「聖」なるものは存しているし、人々は心に「徳」を持っている。「不可思議」が「不可思議」であるのは、それが理解できないからである。「聖」の「聖」たるは、よく無為をしてを実行しているからである。理解し得ない「不可思議」も天地において働いていれば、それは「徳」の現れなのである。例え、それが理解を越えたものであってもである。「聖」をして無為を以て天下を治めると、その「徳」はあらゆるところに及ぶことになる。このように「徳」は自然のままに普遍的に存しているのであるから同じく自然のままに生じた「不可思議」が民を傷つけることはないわけである。「徳」は自然のままに広大である。そうであるから自然のままである聖人も民を傷つけることはない。「不可思議」が顕現するのも、(それは自然の働きにおいてなので)聖人の力ということができるであろう。「徳」を実践する聖人も「不可思議」も「徳」も共に民を傷つけることはない。そうであるから聖人の「徳」と「神」の「徳」とは共に異なることがないのである。つまり「神」の「徳」と聖人の「徳」は全く同じなのである。老子が「共にここに」と述べているのは、聖人の「徳」と「神」の「徳」とにおいて「気」と「理」の働きが等しいものであるからである。そうであるから天と地は隔てなく交わっているのであり、それらと「徳」とはひとつのものなのである。日と月も交わっており、これらはその「明」を等しくしている。五行も等し自然の普遍性の中に帰していて、それにおよって五行は循環している。また六気(風、熱、湿、火、燥、寒)もそうした中に帰しているからこそ、いろいろな働きが生まれているのである。「鬼」や「神」も同様で正しい天の「理」によっている。陰陽も「一」に帰することで転換が為されている。そうであるから天地の陰陽でも、「鬼」「神」の告げる吉凶であっても、それらは全てて正しい天の「理」に帰せられるわけである。家庭や国家に働いている「理」が乱れると民の生活も安定することはない。民の生活はま...

道徳武芸研究 『八卦拳真伝』と千峯老人・趙避塵〜武術と静坐〜(4)

  道徳武芸研究 『八卦拳真伝』と千峯老人・趙避塵〜武術と静坐〜(4) 孫錫コンは『八卦拳真伝』で武術と静坐(道功)の関係について「道功は内功で、武術は外功ということができる」とし、道功だけで武術を知らな開ければ滞りなく身体を動かすことはできないとし、また武術だけで道功を修めることがなければ気血を円滑に巡らすことは難しいとしている。そして道功は武術の根本であるという。つまり気血が円滑に巡ることで身体もよく動かすことができるようになる、というわけである。そのベースとなっている考え方は「性」と「命」とを共に修するという趙避塵の教えに他ならない。つまり「性」は道功で「命」は武術である。これが性命双修であり、道家では古くから重視されて来ている。孫錫コンは趙避塵から秘宗拳を習ってはいないようであるが『性命法訣明指』には趙が師事した人物の中に劉雲普なる人物が居てよく武術を会得していたとされる。同書によれば大弟子の劉耕専はビジネスに従事し、二番弟子の趙は道学を教え、三番弟子の劉金耀は武術を、四番弟子の王子真は医療を生業としたとあり、その他の多くは武術をよく受け継いだとされている。こうして見ると必ずしも道功と武術とはセットになっているものではなかったことが分かる。

道徳武芸研究 『八卦拳真伝』と千峯老人・趙避塵〜武術と静坐〜(3)

  道徳武芸研究 『八卦拳真伝』と千峯老人・趙避塵〜武術と静坐〜(3) 趙避塵の『性命法訣明指』には三十三度にわたる渡法弟子の記録があるが、その二十七度に孫錫コン(道号は玄礼子)の名が見えている。ちなみに同書では趙は幼い頃から「玄学」を好んだとあるだけで武術のことには触れていない。また玄学を極めるために数十年の間に三十人を下らない師を訪ねて歩いたとあり、その中で本当のことを知っていたのは五、六人であったとする。そして「およそ真の道を求めようとする者は、一人の師に就くだけでは不十分である。多くの師に就いてその言うことを比べて、どの教えが正しいのか判断をしなければならない」と記している。ちなみに孫錫コンは天津に道徳武学研究社を設立して八卦拳を教えていたが、1949年に大陸に共産党政権が出来たために香港へ移り、さらに台湾へと赴いたが六十三歳で高雄で病没した。台湾に居たのは一年くらいであり当時は混乱期でもあったので技を受け継ぐ者も居なかったと思われる。

道徳武芸研究 『八卦拳真伝』と千峯老人・趙避塵〜武術と静坐〜(2)

  道徳武芸研究 『八卦拳真伝』と千峯老人・趙避塵〜武術と静坐〜(2) 孫錫コンの「自序 八卦源流」には八卦掌を習ったことは記されているものの静坐についての記述はない。同書の「第五章 道功」では「道功、失伝すること久しく」とある。しかし、董海川について亡くなる時に「端座して逝く」とあるので静坐のままに亡くなったとも考えられる。また董海川は壁の近くで静坐をしていて突然、壁が崩れたが、その時には既に別のところに移動していた、とするエピソードもある。これは八卦の理を会得していたので事前に危険を避けることができた、ということを伝えるものであるが、エピソードの中で静坐をしていたことが示されているのは興味深いものがあろう。さて孫錫コンが静坐を学んだのは千峰老人こと趙避塵である。趙については写真と紹介が『八卦拳真伝』に記されている。それによれば趙は道号を順一子、通称が千峯老人で、小さい頃から迷宗拳を習っていたとある。長く警備会社(平開標局)に勤めてた。また特に「玄門」に関心があり各地を訪ねて道を問うこと数十年にして性命双修の奥義を会得した。それ以前は目も悪く、白髪であったが、奥義を得てからは眼光は「童子」のように生き生きとしており、髪も黒くなって行った。これを「衛生先天性命延年理学」として『性命法訣明指』を著した。また千峰山先天派金丹大道渡法主として数千人の弟子が居たとある。

道徳武芸研究 『八卦拳真伝』と千峯老人・趙避塵〜武術と静坐〜(1)

  道徳武芸研究 『八卦拳真伝』と千峯老人・趙避塵〜武術と静坐〜(1) 『八卦拳真伝』は孫錫コンの著書で八卦拳の「真伝」を記すとしている。ただ、その「真伝」は伝承されて来たものではなく、あるべき姿としての「真伝」であり、その中には静坐や女性の修行についても触れている。『八卦拳真伝』の「自序 八卦源流」によれば孫錫コンは小さい頃から武術に関心があり、仕事のために天津に出てからは友人について形意拳を習っていたという。天津といえば近代形意拳の二大巨頭である張占魁と李存義の居るところであるから形意拳は盛んであったのであろう。数年、形意拳を習っていたものの物足りなく思うと同時に、八卦掌が玄妙であることを知って程有龍の門下に入る。程有龍(海亭)は八卦拳を北京にもたらした董海川の弟子の程廷華の長男で、当時は北京と天津に武館を持っていた。その弟子には後に八卦太極拳を考案する呉俊山や台湾で双辺太極拳などを指導した陳ハン峰も居たが、その晩年は生活に困窮しており天津の浄業庵で孤独死したとされる。八卦掌には掌法だけではなく剣術や各種の武器もあった。ちなみに『八卦拳真伝』には剣術の他に鴛鴦戉、方天戟、春秋刀、楊家槍法、双刀なども紹介されている。しかし道功(静坐)は八卦掌の伝承の中には含まれていなかったようである。

宋常星『太上道徳経講義』(60ー5)

  宋常星『太上道徳経講義』(60ー5) 鬼神の不可思議さが人々を傷つけることがないように、聖人も人々を傷つけることがない。 ここで述べられているのも、これまでのことと同じである。始めには不可思議な働きをすることのない「鬼」は民を傷つけることはない、ということが述べられている。不可思議そのものが民を傷つけるのではない(それは自然にあるだけのものである。それが何らかの解釈を加えられることで弊害が生まれる)。また聖人も(同様に自然にあるだけなので)民を傷つけることはないわけである。そうであるから不可思議さが民を傷つけないというのは、不可思議さがただ不可思議であることに留まっているところにおいてそう言えるのである。それは自然のままであるから天地、陰陽の正しきを得ている中にある、ということが出来よう。聖の聖たる所以(ゆえん)は天の正しい「理」を得ているからである。「神」は正しい気であり、それを天下の民を正しく導いている。聖人は正しい「理」をして天下に教えを示す。天地の正しい気は聖人の心を養ってきたものであり、聖人の示す正しい「理」は、全く「神」の徳に符合したものなのである。そうであるから、それをして民を養い物事に接する。聖人は無為をして民を導くのである。そうして国を護り民を大切にする。「神」の不可思議さとしては計り知れない陰陽の変化がある。「神」の神気と同様の気は聖人の正しい「理」においてはすべからく働いている。そこにおいて民は正しく導かれる。聖人の道は、あらゆる存在をして正しい「理」へと導くのである。そうであるから聖人の心は民を傷つけることがないのである。これはよく考えられるべきことであろう。民の心を傷つけることがないのが聖人の心であり、それは「鬼」や「神」の心と等しいものでもある。それは聖人の徳と等しいのであるから、どうして「鬼」や「神」が民を傷つけるようなことがあるであろうか。「鬼」「神」と聖人は共に民を傷つけることはない。陰陽を共に得て理と気は適切に交わっている。そうしたところでは天下、国家が正しく治まらないことはない。天下の民で不安を覚えるような者は全く居ない。ここでの「鬼神の不可思議さが人々を傷つけることがないように、聖人も人々を傷つけることがない」とはこのようなことである。 〈奥義伝開〉武術で見られる「触れずに倒す」というような現象も、ただ見るだけで終...

宋常星『太上道徳経講義』(60ー4)

  宋常星『太上道徳経講義』(60ー4) 鬼神が不可思議でなくなる、というのは、その不可思議さが人々を傷つけることがなくなる、ということである。 ここでは前のことに、さらに説明を加えている。始めに述べられているのは、つまりは鬼神は不可思議な存在ではない、ということである。それは一般的に考えられている不可思議な「鬼」や「神」とは違っている。つまり、それらは天の不可思議(神)、地の不可思議(鬼)として本来的には人々に福をもたらすものなのであり、その働きによって民の徳を失わさせることの無いものなのである。つまり「不可思議」であるもの自体が人を傷つけることはないのである。「不可思議」であるものがそうであるとしたら、どうして「鬼」であるというだけで人を傷つける、ということになるであろうか。つまり鬼神も(天地の間に存在しているのであるから)それぞれは正しい働きの中に居るのであり、それぞれの鬼神は天の「理」を得ているのである。そうであるからここに「鬼神が不可思議でなくなる、というのは、その不可思議さが人々を傷つけることがなくなる、ということである」と述べられている。「鬼神」というものを考えてみるに、それは「鬼」と「神」の「(陰陽)二気の良能(優れた働き)」であろう。「鬼」の道とは「屈して伸びることがない(表に現れない)」つまり陰の道であり鬼は「陰気の正」を得ている。一方「神」の道とは「伸びて屈することがない(表に出てくるもの)」のであるから陽の道で、そこでは「陽気の正」が得られていると言えよう。「鬼」は「神」ではないのであるから、そこには「鬼の理」がある。「神」が民を傷つけることがないのは「神」が「神の理」を得ているからである。そうであるから「鬼」と「神」とは違っており、それぞれに「鬼」は鬼の道、「神」には神の道がある。「鬼」の道は「屈(表に出ない)」にあるのであるから、それは「神」のように現れることのない。「神」が民を傷つけないと分かるのは「神」の道が「伸(表に出る)」にあるからである。そのように「神」は「神」として天の「理」を得ているので民を傷つけることはないのである。「神」も「鬼」もそれぞれにあるべきところに居り、行うべきことを行っている。それぞれに「理」があるわけである。それぞれに「道」があるわけである。そうであるから聖なる君主も「道(天の「理」)」をして天下に臨...

宋常星『太上道徳経講義』(60ー3)

  宋常星『太上道徳経講義』(60ー3) 道によって天下に臨んだならば、鬼神も不可思議ではなくなる。 ここで述べられているのも先にあった「大きな国を治めるのは、小さな魚を煮る(あまり動かしたりしない)ようにする」と同じで、余計なことや変わったことをするべきではない、ということである。道を得ている聖なる君主は、道をして天下に臨むのであるが「臨む」とは関係を持つということである。そうであるから国に臨むのは民と関係を持って統治をするということになる。天地の陰陽を考えてみるに陰陽はまさに道そのものである。そして陰陽は「鬼」「神」として、この世でもあの世でも現れているが、それも道の中に存している。君臣、父子もまた道の中にある。民の心もそうである。これらはそれぞれが、その本質(性)にあっては道のままに正しくある。つまり、それぞれが道の「理」を得ているのである。それが心に働いて、それをして行動をする。そうであればあらゆることが自然と一体であるということになろう。これをして身を修め、これをして国を治めれば、天下に自然の「理」が行われることになる。陰陽や鬼神が自然の「理」の正しき中にあれば、天下、国家がそれぞれに正しい「理」を有していれば、これらは正しくあることができる。そうなれば天下の民も、その本質(性)の正しさのままにあることができるのであり、天下の事象も適切に生じることになろう。物事を行う時もその行動においても、聖人の道も自然の「理」のままであれば、それがそのまま道の実践となる。「鬼」や「神」が吉凶を告げることにおいて、聖人の道によるのであれば、それは正しいものとなろう。そうなれば「鬼」や「神」は当然のことを述べるだけである。当たり前のことを言うだけなので、それは聖人が道をして天下に臨んでいるのと変わりがない。陰陽はそれぞれが適切に存しているところでは、鬼神の不可思議さが表に出ることはない。鬼神の不可思議さが示されるのは正しいあり方ではないし意義のあることでもない。正しくあるとは道にあるからであり、聖なる君主は道をして天下に臨むのである。それは大いなる道の機に応じて統治をすることであって道のままであるということである。もし、そうでなければ大いなる道をして天下に臨むことにはならない。陰陽は適切に働くことなく、調和を欠き、邪なことも、正しいことも乱れ現れることになろう。小人...

道徳武芸研究 魂の比礼振りとしての合気道(12)

  道徳武芸研究 魂の比礼振りとしての合気道(12) 「巽」卦は「陰、陽、陽」である。これは二陽を一陰で受ける形であり、陰を示す線には間に空間があるが、これは「落とし穴」であるとされている。つまり二陽が一陰によって落とされることが「巽」では示されているわけである。つまり強力な攻撃を一陰で受けるということである。これはまさに入り身転換の理であるとすることができるであろう。中国武術ではこれを「引進落空」という。「魂」の比礼振りとしての合気道は「合わせる」段階では舞踏などと変わりがない。それが「合う」「合っている」となれば武術として相手の攻撃を避けることが可能となる。合気道の帰着点が「攻撃」ではなく「防御」にあることが分かれば「愛の武道」という「矛盾」も解消され、合気道のハプキドー化も防げるのではなかろうか。

道徳武芸研究 魂の比礼振りとしての合気道(11)

  道徳武芸研究 魂の比礼振りとしての合気道(11) ちなみに三十四計では「苦肉の計」が出ている。これもよく使われている語であるが『兵法三十六計』では日本での意味とは違って、まさに「苦肉の計」は「転換」をいうもので「仮と真」「真と仮」は容易に転換するものであるとしている。つまり「真の攻撃」は「仮の攻撃」に容易に転ずるのであり、「仮の防御」も「真の防御」へと転換することが可能であると教えているわけである。そしてそのためには「肉を苦しめる」つまり「体を危険な状態において相手の攻撃を誘う」ことが重要であると教えている。これは大東流から養神館のような戦前の合気道の色合いを残すものから合気会へと構えが次第に希薄になっていることに象徴的に現れているということができるであろう。また『兵法三十六計』の特徴に『易』との関連が説かれている。「苦肉の計」では「巽」の「風」が挙げられる。「風」は「呼吸」のことであるから、ここに「呼吸力」のあることが暗示されていると読むことも可能であろう。あたかも「風」のように自在に転換をすることで「捉えられない入り身」をすることの重要性が説かれているわけである。

道徳武芸研究 魂の比礼振りとしての合気道(10)

  道徳武芸研究 魂の比礼振りとしての合気道(10) 『兵法三十六計』に記されていることはまさに合気道や八卦拳の教えということができる。ちなみに三十六計の前の三十五計には「連環の計」とあり、多人数の相手に対する方法が記されている。そこでは「それ自ずから累(かさ)ねしめ、もってその勢いを殺す」と説明されている。つまり入り身によって複数の相手が同時に攻撃できない位置に自分を置く、ということである。これは合気道の多人数掛けを見れば明らかであろう。また八卦拳が円周上を歩いてこうした入り身を練るのは、丸く途切れのない入り身を練るためであり、そうしたことは「連環」という語でよく示されている。同じニュアンスは新陰流の「転(まろばし)」にも見ることができる。転がるような身法、歩法による入り身によって相手の勢いを殺すことができるわけである。ちなみに日本では聖徳太子の時には争いに対するのに「和(やわらかき)」が重要であることが見出されており、それが中世の剣術では陰流となって新陰流で「転」が考案されて、近代に柔術で「柔(やわら)」の語が強調されるようになるわけである。それがまた現代では「魂」の比礼触れとして結実されているのである。

道徳武芸研究 魂の比礼振りとしての合気道(9)

  道徳武芸研究 魂の比礼振りとしての合気道(9) よく知られている「三十六計逃げるにしかず」は『兵法三十六計』の最後に出てくる「走を上と為す(走為上)」から出ているのであるが、この「走」は八卦拳の最も重要な拳訣である「走を以て先とす(走為先)」の「走」と同じで意味である。中国語で「走」は「歩く」という意味なのであるが、八卦拳での「走」はただ円周上を歩くのではなく、合気道同様に入り身転換によって相手からの攻撃から逃れることを練るものなのである。よく、八卦「掌」の攻撃の方法が分からないので、投げ技の体系ではないかと誤解されているが、それは基本的に八卦拳・八卦掌が逃げることを主体としているので、攻撃技への展開が明確ではないことによる。そして「走」の基本は「走」つまり「入り身」によってなされるわけである。合気道でいう入り身「転換」は入り身「転身」とは違っていて、身体をターンさせる意味ではなく「相手の攻撃を別なものへと転換させる」「変質させる」ことを言っているわけで、それは相手の攻撃が攻撃としての意味を持たなくなることなのである。

宋常星『太上道徳経講義』(60ー2)

  宋常星『太上道徳経講義』(60ー2) 大きな国を治めるのは小さな魚を煮る(あまり動かしたりしない)ようにするべきである。 大軍隊を有している君主の居るところ、それが大国である。魚で大きくないのが「小さな魚」である。国が小さいのは、それが天の「理」に順じているからであり、必要最低限の小さな国であってこそ民の心を天の「理」のままに養うことができる。そして君主は自らを卑下していられるのである。つまり小さな国は意図して統治をしなくても治まるものなのである。しかし大国は違う。大国は民に国を富ませるように求める。そのために君主は尊いものであると民に強制する。そうした状況にあっては民の風俗は無駄に贅沢となり、国の法律は無闇に厳しいものとなってしまうであろう。そうでなければ統治が成り立たないからである。しかし道と一つになっている聖なる君主は、天の「理」をして「統治」をすることが難しいとは考えていない。大を小と見る。難を易と見る。それが大国を治めるのを小さな魚を煮るようにする、ということである。小さな魚を煮るのは、あまりに手を加えてはならない。そうであると言っても、ただ放っておけば良いというものでもない。諸々が適宜を得ていなければならない。そうでなければ魚をうまく煮ることはできないであろう。火加減も適当でなければ煮崩れてしまう。そうであるのに大国を治めようとする時に、あるべき統治の形、あるべき民の形によることなく人知の巧みさをもって治めようとする。国にあって民は「小さな魚」である。それを「煮る」とは国を治めることである。民と「小さな魚」は違っているとしても、そこには共通の天の「理」が働いている。国を治める時に、どうすればよく「小さな魚」を煮るように統治をすることができるものであろうか。それはよく民や諸般の様子を観察すれば、そこに働いている天の「理」のあることが分かるであろう(からそれによれば良いのである)。ここで述べられている「大きな国を治めるのは小さな魚を煮る(あまり動かしたりしない)ようにするべきである」とはこうした意味である。 〈奥義伝開〉ここに示されている格言のような「大国」についての言葉と以下の「鬼神」の説明は、そのままでは通じているとは読めない。また「大国」については次の第六十一章で「小国」と比較して論じられている。ここで述べられている「余計なことをしない」の...

宋常星『太上道徳経講義』(60ー1)

  宋常星『太上道徳経講義』(60ー1) 天の道は大いなるものであるが、それは「つつしみ」でもある。人の心の根源は「一」であって、二ではない。天と我とが関わるのは「一」なる善である以外にはない。人が受けている「命(生命エネルギー)」においても「一」なる善が全く働いている。もし欲望に溺れることがなければ、人は本来の心の働きを失うことはない。あらゆる生きる上での「理」は天の道に帰している。これは「天地の子ども」と称される所以(ゆえん)でもある。そうであるから天が行っている事は全て我に備わっているのである。もし、そうでなければ、正しい行動をとることはできず、徳は乱れ情欲は恣(ほしいまま)となろう。本来の真を忘れるて、天の「理」に逆らうことになろう。よく天地の「理」と一体となる、それは鬼神を知ることになるであろうか。聖人の心は天から受けた「命」の「理」を失うことはない。これは天の「命」の道でもある。天と人とは自然に一致する。そうであるならば鬼神の徳とも自然に一体であろう。この章で老子は、天下の民を安んじるには静をもって本とすることを説いている。つまり道をして天下を治めるということである。 〈奥義伝開〉冒頭の「大国を治めるは小魚(小鮮)を煮るが如し」は日本でもよく聞かれることであろう。これは細かなことにこだわらない方が良い、という意味で使われている。老子はここでも余計なこと、過度なことはしない方が良いとする。その例として鬼神が挙げられる。鬼神は狭くは祖先の霊のことであるが、広くには正体のあまり明らかでない不可思議を為す存在一般をいう。ここでは広い意味で使われていると理解してよかろう。鬼神が何をする、ということは明確に分ることではない。分からないものは無いとして良い、とするのが老子の立場である。有るか無いか分からないものは合理的に考えてどうしても「有る」と認められるのでなければ「無い」として良いとするわけである。ましてやそこに弊害の生ずる恐れがあるとするならば、そうしたものにこだわることはないわけである。

宋常星『太上道徳経講義』(59ー7)

  宋常星『太上道徳経講義』(59ー7) 「国」に「母」があれば「長久」を得ることができる。これが「深根固蔕」「長生久視」の道と謂われるものである。 ここで述べられているのは、道の徳を養うための工夫の総括である。天の理を修して徳を行うと終始にわたって弊害のないことが述べられている。積徳の聖人を考えてみると天下や国家において、その働きのあるところをあえて求めることがなくても、その働きのないところはない。これは聖人でなければ「国」の全てにその徳の心を及ぼすことはできないのであり、そうした心の働きがあるからこそ聖人なのであって、そうした心の働きのない一般の人とは違っている。そうしたことを言うためにここでは「国」ということがあげられている。つまり「国」においてはその「母」があるのであり「国」の「母」に帰することが重要なのである。大いなる道の実際における「理」は天地の生成にあり、それは万物を養っている。あらゆる物はそうした「理」がなければ自然な生成が生ずることもない。天地は「道」がなければそのままで働くことはない。そうであるから「道」は万物の「母」なのである。聖人はその「徳」を重ねて積んで、全くもってその「道」を実践する。「国」の「母」においても「国」が「長久」であるのは、古今に変わることのない「道」つまり「母」によっているからなのである。そうであるから「『国』に『母』があれば『長久』を得ることができる」ということになる。「長久」とは万世変わることがない、ということである。古今変わらない、ということである。天地共に永遠に存している、ということである。それは永遠に変わることのないものである。そうであるから「長久」である。しかし人はこれが「一」である「道」によっていることを知ることがない。その「一」とはまた「深根固蔕」なのであり、そして「長生久視」であって、その「道」は一切の物事の本源である。本源はこれを「根」という。それは樹木の根のようなもので、根があることでよく枝葉も茂ることができるし「長生」も可能となる。この「根」は「国」の「母」でもある。つまり「国」の「母」とは「根」あるいは「蔕(へた)」のことなのである。花をつけることができているのは「蔕」があるからである。実がなることができるのは「蔕」があるからである。それがあるからこそ花が咲き、実がなることができるし、長く花...

道徳武芸研究 魂の比礼振りとしての合気道(8)

  道徳武芸研究 魂の比礼振りとしての合気道(8) 「魂」の比礼振りの淵源が日本神話の蜂の比礼、蛇の比礼にあることは冒頭で指摘しているが、「魂」の比礼振りを考える場合に逸してはならないのは十種の神宝である。十種の神宝では蜂の比礼、蛇の比礼に加えて品物(くさぐさもの)の比礼がある。これは秘伝図によれば盾に比礼が付されたものが描かれている(詳しくは『植芝盛平と中世神道』参照)。つまり「魂」の比礼振りとは「品物の比礼」の働きをいうものであり鉄壁の盾としての防衛を示しているわけである。こうした考え方は日本の武術史の流れにも見ることができ、日本の武術では「柔(やわら)」として追究されたのであり、それが最も高いレベルで体系化されたのが柔術であった。それを近現代に更に昇華させたのが合気道である。そうであるから合気道は思想的には日本の武術の最先端にあるということができよう。

道徳武芸研究 魂の比礼振りとしての合気道(7)

  道徳武芸研究 魂の比礼振りとしての合気道(7) 興味深いことに多人数「捕り」は大東流でもよく見ることができるが、多人数「掛け」は行われることが無いように思われる。これは合気道がシステム的に「合っている」状態を目指すものであることを示すものとも言えるであろう。そして、そこに存している「間合い=呼吸」は相手の攻撃を回避することにあるのであり、あえてそれを投げようとすると、攻撃する側で投げられる状態にないのに投げられたり、間合いを待って攻撃するということになってしまう。そうなると本来の間合い(呼吸)が途切れてしまうことになる。このことは何を意味しているか。それは相手を投げることが合気道の最終目的ではない、ということである。つまり「相手の攻撃をかわす」こと、それは言うならば「専守防衛」であり、それこそが合気道の武術としてのあり方である、ということである。これは太極拳や八卦拳についてもいうことができる。護身術としての武術の究極は相手を倒すことではなく、争いを避けることにある。このことは中国では理念としては早くに分かっており日本では「三十六計逃げるにしかず」として知られている。

道徳武芸研究 魂の比礼振りとしての合気道(6)

  道徳武芸研究 魂の比礼振りとしての合気道(6) 日本の伝統音楽では指揮者が居ないことがよく指摘される。これは個々の演者が互いに「合わせて」いるから合奏が可能となっている。またこうした調和のとれた状態は心地の良いものでもある。合気道の魅力はそうしたところ(調和の心地よさ)にあると思われる。しかし「合わせている」だけでは武術としては不十分である。そのため合気道の稽古法には自由技がある。本来「自由技」は「合う」稽古を行うものと考えられる。そして多人数掛けは「合っている」レベルに達しているかの確認とすることができるであろう。つまり自由技から多人数掛けになるにつれて、相手の動きによるのではなく「呼吸」に対応して動くようになる。つまり相手の消える境地が、ここに出現して来るわけである。ただ多くの演武では多人数掛けでも「合わせる」レベルの意識で行っているので、触れていないのに倒れる人も少なくない。

道徳武芸研究 魂の比礼振りとしての合気道(5)

  道徳武芸研究 魂の比礼振りとしての合気道(5) 合気道でいう「合気」とは「合わせる」のではなく「合っている」という状態に至るものであることは触れたが、それは「相手が消える」ことで達成されるものでもあった。つまり自他の区別がなくなる意識状態である。これが実現された時に「魂」の比礼振りとなる。つまり「合わせる」「合う」「合っている」の段階とは「相手が消える」プロセスでもあるわけである。通常の形稽古は「合わせる」稽古であると言えよう。この時には攻撃する側がある程度、相手の作り出す気の流れ(誘導)に従わなければ技が成立しない。合気道のほとんどの技は止めようと思えば途中で止めることはできる。それを技が極まるまで付いて行くのはそうした行為により呼吸の流れ、気の流れを感得しやすいからに他ならない。こうしたことは集団での踊りや芝居では普通に行われている。多くの人の動きがひとつになるのには互いが相手の「呼吸(動きの流れ)」を感じていなければならない。ただ武術との違いは攻防において基本的に「相手」は自分の呼吸に合わせてくれない、という点にある。そうであるから柔道でも空手でも形の稽古で殊更に「合わせる」ということに留意はしない。

宋常星『太上道徳経講義』(59ー6)

  宋常星『太上道徳経講義』(59ー6) 限りがないところでなければ「国」を設けることができる。 ここで述べられているのは、先のことの繰り返しであり、心の徳のことである。それはつまりは心の徳は「限りがない」ということである。「重積徳」はこれ以上のものはないのであり、その限りを知ることのできないものでもある。このように徳を積めば徳が心にあることの確信が深まるであろう。徳の他には、他に心にあるものはない。それ以外に心には無いのである。心に徳があれば天下の人を感化することができる。それは天にある日月のようなものであり、その光の及ばないところはない。あらゆるところを照らしている。天下、国家にあっても、道の徳に服さない人はいないし、それを止めることもできない。阻止することも不可能なのである。あらゆるところに徳は及んで行く。ここにある「限りがないところでなければ『国』を設けることができる」とはこのような意味になる。 〈奥義伝開〉過剰なことはしない(嗇)から、先ずは相手の立場になって考える(早服)、そして徳をとにかく実践する(重積徳)といったことは内面に関する事柄であるが、ここからは外面的なことが述べられている。「国」は自然には生まれないし、限りを作ることで生まれる。そうであるから根本的に「徳」の世界と相反する存在ということになる。しかし、こうした有為を全く排除することができないのが人間の世界でもある。衣食住において自然のままであることはできない。そうした中にあって、どのように「道」は実践されるべきなのか。一方で「国」を作ることは人々が合理的に生きていくために便利なツールでもある。ホモ・サピエンスは集団を作ることで、ネアンデルタール人との生存競争に打ち勝つことができたとされている。「国」の形成もそうしたホモ・サピエンスの本能によるものであるから、それは全く不自然であるとすることもできない。そうしたこともあって老子はこうした生きるための「知恵」は抑制的であらねばならない(嗇)、というに留めている。

宋常星『太上道徳経講義』(59ー5)

  宋常星『太上道徳経講義』(59ー5) これ以上のものはないとは、限りがないということである。 「重積徳」を行って得られるものは、最上のものである。それはまた「これ以上のものはない」ということでもある。心の徳が実践されるところでは「為して為さざる」「耳に聞かず、目に見ない」といった無為により行為がなされている。それは、高みに立って遥か彼方を見て、大地のその始めも、その終わりを知ることもないようなことである。それは言葉をして表すことはできないし、心をして考えることもできない。つまり「限りがない」からである。天地には限りがない。我が心の徳もまた限りがない。大いなる道もそうである。我が心の徳もまた無窮である。それは陰であり陽であり、出たり入ったりしている。それは造物の働きであり、極まりなく変化をしている。こうしたことは永遠に変わることはない。つまり「無窮」「無極」なのである。しかし世の人はこうしたことを知ってはいない。そうであるからここでは「これ以上のものはないとは、限りがないということである」としている。 〈奥義伝開〉全ては「徳」の実践に尽きるという教えである。そしてその「徳」とは「道」の理解によって為される行いである。老子は「道」を考える場合に、ここでは「極」が分からないのが「道」であるとしている。つまり「規定」されないのが道である、というわけである。キリスト教徒は「聖書」で「規定」され、仏教徒は空や縁起などの教えに「規定」されている。一方で「聖書」に「規定」された信徒は現在の科学や倫理と齟齬をするところのあることに悩むことになる。一部は「聖書の方が正しい」と言うし、一部は修正して「本当はこう読むべき」と現代の価値観に合う「神学」を提唱する。老子はそうした「規定」は必要なく個々人が「善」であると信ずることを行えば良いとする。「極=規定」を決めないというのはそういうことである。

宋常星『太上道徳経講義』(59ー4)

  宋常星『太上道徳経講義』(59ー4) 「重積徳」は、これ以上のものはない。 「重積徳」は「徳」を修するだけではなく、天の理をも修するものである。そうであるから「『重積徳』は、これ以上のものはない」とされている。「これ以上のものはない」とは最も優れているということである。そうであるからこれを養うこと深く、これを実践すること厚ければ、よく一切のものに対することができるようになる。つまり「これ以上のものはない」のである。人がよく「重積徳」を養い、実践すること久しく深ければ、太極と一体となれるのであり、無為無欲の先、無極の至理に達することが可能となる。静を極めれば、観ざる聞かずして悉くを知る境地に入るのであり、そうなればさらに「重積徳」を深めることができる。また、それは米粒を積んで大倉を満たすようなものでもある。小川を集めて大海となるようなものでもある。つまり地道に心に「徳」を積んで行けば心は天地の理と一体となるわけである。そしてその「徳」を日常に用いれば、あらゆることに対応できるようになる。四角である時には四角に、円である時には円に、小さければ小さく、大きければ大きく、動けいていれば動いて、静かであれば静かに、基本は基本として、応用は応用として、あえて個々に対応しようとしなくても適切に対応することができるようになるのである。あらゆる人が、どのようなケースであっても、それに適切に対応することができる。あえてそうしようとしなくても、それは自然に対応できる。こうしたことが可能となるのは「重積徳」を行ったからである。 〈奥義伝開〉「重積徳」は「徳」を積むことをさらに重ねる、であるが、これも当時の格言であろう。「日々徳を積む」ということである。老子の場合は「徳」は「道」の実践であるから日々「道」を実践すること、つまり日々合理的な生活を送ることが「徳」を積み重ねることになるわけである。「徳」は単なる「良いこと」ではない。『老子』の冒頭では「言葉」は不用意に一面的な解釈をしてはならない、とある。つまり老子の説く「道」とは「合理的な法則」のことなのであり、それを実践するのが「徳」となるわけである。そして実践をすればする程「徳」の理解は深まる。グルジェフは「人は機械のような反応しかしない」とか「眠っている」と言う。つまり自分の頭で考えることなく「常識」で行動してしまっていること...

道徳武芸研究 魂の比礼振りとしての合気道(4)

  道徳武芸研究 魂の比礼振りとしての合気道(4) 太極拳では「相手が動かなればこちらは動かない。相手が動けばそれより先にこちらは動く」という教えがある。中国武術では「意識」は「将軍」で「四肢」は「兵士」とされている。つまり「兵士」が動くにはその先に「将軍」が動いているのであり、太極拳は「将軍=意識」が動いた段階で相手の動くことを知って対応するということである。これはまさに植芝盛平が言う「勝速日」でそれが働くからこそ「魂」の武道と言えるのである。盛平は「霊体」との稽古で、相手が消えることで初めて相手の攻撃をかわすことができるようになったとしている。この時「合気の稽古は止めました」と述べているが、これは「合わせる稽古を止めた」ということである。「合わせる」のではなく相手を意識しないで自然に「合っている」状態にならなければならないことを悟ったわけである。相手が居ないのであるから、合気道には基本的には攻撃技が存し得なくなってしまう。合気道をあくまで「魄」の武道としてとらえたならば、これは大きな矛盾になるし、大東流の技を継承することの実質的な弊害もここにある。

道徳武芸研究 魂の比礼振りとしての合気道(3)

  道徳武芸研究 魂の比礼振りとしての合気道(3) 合気道は相手の意識に合わせる武術であるために植芝盛平は合気道の技は「気形」であり、通常の武術の「技」とは別であるとしていた。そして晩年には大東流に由来する技を廃することも考えていたようである。ただ「合気道」に一般的な「魄」の強さを求めて来る弟子も少なくなく、体術での「技」から「気形」への変更は困難であったためか、武器術において「魂」化は試みられていた。それがまとめられたのが正勝棒術や松竹梅の剣などである。「正勝」は正勝吾勝勝速日天忍穂の命(まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)に由来するもので、合気道では「正勝」の根源には「速日」があるとする。「速日」は「速霊」で「意識が活性化して相手の心の動きをその動きが起こる前に捉えることができるようになること」とである。そうなると相手が攻撃する前にそれを制することができる。また「松竹梅」は大本教を開いた出口なをのお筆先に「三ぜん世界一度に開く梅の花、艮の金神の世に成りたぞよ。梅で開いて松で治める、神国の世になりたぞよ」とあることによる。つまり新しい武術としての「魂」の武道がここに開かれた、ということである。