道徳武芸研究 魂の比礼振りとしての合気道(6)
道徳武芸研究 魂の比礼振りとしての合気道(6)
日本の伝統音楽では指揮者が居ないことがよく指摘される。これは個々の演者が互いに「合わせて」いるから合奏が可能となっている。またこうした調和のとれた状態は心地の良いものでもある。合気道の魅力はそうしたところ(調和の心地よさ)にあると思われる。しかし「合わせている」だけでは武術としては不十分である。そのため合気道の稽古法には自由技がある。本来「自由技」は「合う」稽古を行うものと考えられる。そして多人数掛けは「合っている」レベルに達しているかの確認とすることができるであろう。つまり自由技から多人数掛けになるにつれて、相手の動きによるのではなく「呼吸」に対応して動くようになる。つまり相手の消える境地が、ここに出現して来るわけである。ただ多くの演武では多人数掛けでも「合わせる」レベルの意識で行っているので、触れていないのに倒れる人も少なくない。