道徳武芸研究 『八卦拳真伝』と千峯老人・趙避塵〜武術と静坐〜(3)
道徳武芸研究 『八卦拳真伝』と千峯老人・趙避塵〜武術と静坐〜(3)
趙避塵の『性命法訣明指』には三十三度にわたる渡法弟子の記録があるが、その二十七度に孫錫コン(道号は玄礼子)の名が見えている。ちなみに同書では趙は幼い頃から「玄学」を好んだとあるだけで武術のことには触れていない。また玄学を極めるために数十年の間に三十人を下らない師を訪ねて歩いたとあり、その中で本当のことを知っていたのは五、六人であったとする。そして「およそ真の道を求めようとする者は、一人の師に就くだけでは不十分である。多くの師に就いてその言うことを比べて、どの教えが正しいのか判断をしなければならない」と記している。ちなみに孫錫コンは天津に道徳武学研究社を設立して八卦拳を教えていたが、1949年に大陸に共産党政権が出来たために香港へ移り、さらに台湾へと赴いたが六十三歳で高雄で病没した。台湾に居たのは一年くらいであり当時は混乱期でもあったので技を受け継ぐ者も居なかったと思われる。