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第五十八章 【世祖 注釈】〔両儀老人訳〕

  第五十八章 【世祖 注釈】〔両儀老人訳〕 その政(まつりごと)、悶悶たれば、その民、淳淳(じゅんじゅん)たる。 〔政府が円滑に働いていなければ、民はそれぞれ暮らしを立てようとする〕 「悶悶」とは何でも明らかに知ろうとはしないことである。「淳淳」とは自分で楽しむことである。 その政、察察たれば、その民、欠欠たる。 〔政治が細かなところまで民の生活を世話しようとしても、民は決して満足することなく不足を言うものである〕 「察察」とは面倒なことをしないということである。「欠欠」とは足らないということである。 禍は福のよるところ。福は禍の伏するところ。いずくにかその極まるに、その正しきの無きを知らんや。 〔禍があれば、次には福が訪れる。福があればそこには禍が隠れているものである。禍であっても、福であっても、それを極めて禍だけ、福だけの状態を求めようとしても、それはできるものではない。つまり正しい考えではないのである〕 禍福には常が無い。誰が禍福がどこで極まり止まるか、を知っていようか。「正」とは定まるということである。禍福というものは、どうしても自ずからそうなってしまう(定まってしまう)ものなのである。 正しきは復して奇となり、善しきは復して妖となる。 〔普遍的に正しいとされることも、ある場合には特殊な範囲でのみ認められるだけのこともある。一般には善いことであっても、ある場合には災とされることもある〕 「奇」とは邪ということである。邪であることでも「正」しいとされることがあるし、「正」しいとされることも「邪」とされることがある。「善」なることも「妖」とされることがあるし、「妖」とされることも「善」とされることがある。これは「禍福」が「より」「伏する」という深い関係性においても同様な互換が成り立つのである。 人これ迷うなり。その日もとより久し。 〔ひとつの状態が永遠に続くことがないので人は迷うのである。一定の状態が続く日は長くはない〕 人は自分が迷っていることすら知らない。そうして間違った判断を下してしまう。これはその日に限ったことではない(何時ものことである)。 これをもって聖人は、方(なら)べて割かず。 〔そうであるから聖人は、並び連なってでいるものを、あえて断ち分かとうとはしない。それは自然に分かたれるからである〕 「割」とは削るということである。方正であっても、それ

道徳武芸研究 大中小架と梢中根節(6)

  道徳武芸研究 大中小架と梢中根節(6) 套路における小、中、大架は、実は梢、中、根節を中心に動くことを意味していたのであり、そこには鍛錬法として重要な秘訣があった。これらを特徴のある形意拳、八卦掌、太極拳をして練っても良いのであるが、もちろん個々の門派においても三節を練ることは可能で、套路において三節を練る場合には意識のポイントを梢節であれば手首に、中節は肘、根節は肩に措く必要がある。蟷螂拳は基本は梢節の動きであるが、八肘では中節、短捶では根節の動きを練ることができる。また太極拳は套路の基本は根節の動きであるので、梢節や中節の動きは推手でこれを練る。片手で行う単推手は「採」を、肘を触れて行う揉肘は中節である。ちなみに四正、四隅の推手では根節を練っているそれぞれの門派において基本となる節の鍛錬法は比較的容易に習うことができるが、それ以外は秘伝としてなかなか知ることが難しい。秘伝が秘伝となっている理由のほとんどが、この三節の視点を持てば理解可能となる。

道徳武芸研究 大中小架と梢中根節(5)

  道徳武芸研究 大中小架と梢中根節(5) 太極拳では四正、四隅の字訣により梢、中、根節を練ることができるのであるが、これらをその特色を有する別の拳で練ることもできる。つまり形意拳、八卦掌、太極拳が共に練習されるようになったのは、これら三拳が三節を練るのに適しているからに他ならない。こうしたことがあるために三拳を共に習うことには合理性が認められ、広く受け入れられているのである。形意拳では、拳を中心に腕をねじる(翻)ことで、力を集中させる(讃)。そうであるから形意拳の動きは拳(梢節)を体が追うような感じになる。八卦掌は中節つまり肘を中心に用いるので十二転肘などが套路の動きに含まれている。肘を中心に動くことで転身などの動きの勢いを容易に得ることができる。太極拳は根節で体当たり(靠)を行う。これは八極拳などの貼山靠と同じようなものであるが、太極拳の「靠」と八極拳のそれとは方法が違っている。体当たりが実戦に際して有効であることは意外に知られていない。鄭曼青は太極拳の「靠」の秘伝の練習法を公開しているが、それは鄭曼青が太極拳の本来の動きは根節にあると考えていたからで、新架(澄甫架)で師の楊澄甫が強調した坐掌などは廃してしまった。

第五十七章【世祖 解説 〔両儀老人 漫語〕】

  第五十七章【世祖 解説 〔両儀老人 漫語〕】 この章では治国のことが述べられている。治国は永遠に続くものでなければならない。そうであるから正統的なもの(正)であらねばならず、変速的なもの(奇)であってはならないのである。正しいとは万世の基準となるようなことである。用兵はどうしようもない時でなければ使ってはならない。そうであるから変則的なもの(奇)であっても構わないのであり、正統的なもの(正)である必要はないのである。変則的とは、その時その時で変化をするということである。治国とは、国に福をもたらすものであることを知らなければならない。それは知の及ぶところではない。そうであるから「無事」をして天下を取るとしている。これは疑いもないこであろうが、それではどうして私は「無事」をして天下を取ることができることを知っているのか。それは「有事」をしては天下を取ることができないことの正しいことを知っているからである。それは「無為」であるということである。初めは「無為」であっても、次第に「有事」に至るようになれば、天下に規制(忌諱)が多くなる。そうなれば、人々は規制に違反することを避けようとする。結果として失業者が多くなる。失業者が多くなれば人々はますます貧しくなる。また人が謀略(利器)を企んで、どうにかして自分のやりたいことをしようとするようになると、統治者は民情を知ることができなくなってしまう。こうなると国家の状態はますます渾沌とした(昏)ものとなる。民は貧しくなればなるほど、なんとかして利を得ようとするものである。そうなるとますます国家は渾沌としたもの(昏)となろう。そうなれば、また不必要な物(奇物)がどんどん生まれて(なんとかしてそのような不要な物を売って生活をしようとする者が出て)くるようになる。こうしたことは法令が細かになるにつれて違反者が出てくることになる。一方で法令によっていくら規制をしようとしても、法令によっては全てを禁ずることなどできるものではない。法令が実行されるのはそれを守ろうとする人がいるところのみである。およそ法令を守ろうとする人が居ないところでは法令は実効力を失う。そうしたところには盗賊も多くなる。もしこうしたことがあったとすれば、それは「有事」をして天下を取ったことの弊害といえよう。そうであるから聖人は「自分が無為であるから民は自ずから化するのであ

第五十七章 【世祖 注釈】〔両儀老人訳〕

  第五十七章 【世祖 注釈】〔両儀老人訳〕 正しきをもって国を治め、奇(く)しきをもって兵を用いる。 〔国を治めるには皆が等しく「正しい」と思えることをもってするべきである。一方、軍隊を使う時には思いもよらない方法が用いられるべきである〕 聖人は柔や得難いもの(遠)によく近づくことができる。そして無意にして兵を起こし、その後に征討を行う。そうであるから国を治めるのは必ず「正」もって行い、兵を用いるのは「奇」をもって行うのである。 無事をもって天下を取る。 〔一国だけではなく全世界の調和を得ようとするならば、余計なことはしないこでおくことである〕 こだわりの無い心で、あえて事を行うことなければ、天下は自ずから帰する。 吾、何をもって天下の然るを知るや。 〔私はどうして全世界の調和を保つには余計なことをしないのが良いと知っているのか〕 「吾」はどうして「無事」にして、天下を取るのに充分であることを知っているのか。以下に「有事」の弊害をあげていることをして(その反対が正しいと判断して)知ることができているのである。 天下に忌諱多くして、民いよいよ貧し。 〔それは全世界において規制が多くなれば、民は活力を失い経済活動も勢いを失ってしまうことを知っているからである〕 上からの禁止が多ければ、下では民情が抑圧されて上に届くことはない。つまり民が貧しても上に伝わることがないのである。 民に利器多ければ、国家ますます昏(く)らし。 〔人々が便利な道具を持つようになれば、社会は複雑となり国家は人々を統治することがますます困難になることを知っているからである〕 「利器」とは、権謀ということである。聖人は上にあれば常に民をして無知、無欲であるようにさせる。民が多く権謀を使うようであれば、上に立つ者は幻惑されて民情を知ること昏くなってしまう。 人に技巧多ければ、奇物いよいよ起こる。 〔優れた技術が開発されればされる程、それを使って必要のないものが生産され、無駄な浪費が多くなることを知っているからである〕 人々が本業に務めることなく、ろくでもないことに熱心になる。そうなれば無益なものばかりが作られるようになる。 法令いよいよ章(あき)らかにして、盗賊多く有る。 〔法令が細かなところまで規定してしまうと、それに違反する人も多くなって「盗賊」などとされてしまうことを知っているからである〕 人々

道徳武芸研究 大中小架と梢中根節(4)

  道徳武芸研究 大中小架と梢中根節(4) 例え梢節から動く小架であっても、根節(肩)から動く大架であっても、ともに梢、中、根の全ての節を使うことを習得する必要があることは言うまでもあるまい。太極拳におけるこれらの節のことは四隅の字訣(採、肘、靠、レツ)において示されている。この中で「採」は梢節の動きであり、拳や掌を中心に動くもので、簡単な用法としては相手を掴む意とする。中節は「肘」で肘による攻撃として展開される。根節は「靠」で、これは体当たりとして展開される。これら四隅の字訣は太極拳の実戦への展開を教えるものとされている(ここに紹介した実戦への展開はその一端であるに過ぎない)。ちなみに四隅の秘訣にはもうひとつ「レツ(手偏に列)」がある。これは両手を使うもので、太極拳の構えである。そうであるから「レツ」は「採、肘、靠」を統合するものということができる。四隅の動きは全て「レツ」から生じているのである。ちなみに四正では「リ」が梢節、「擠」が中節、「按」が根節で、「ホウ」がそれらを統合するものとなる(四正、四隅の詳細についてはまた機会を改めて説明したい)。

第五十六章【世祖 解説 〔両儀老人 漫語〕】

  第五十六章【世祖 解説 〔両儀老人 漫語〕】 最も究極的な知は「常」を知ることであり、それは知の至極でもある。知の至極とは、つまり「黙して成す」ということである。それは全てが過不足なく成されているので、何も言うことのあろうはずもないわけである。もし、言わなければできないというのであれば、それはいまだ「常真の知」に達してはいないのである。「兌(あな)を塞ぎ」「門を閉じる」ことは既に第五十二章において見た。それは道の清静を得るためのおおよそを言っている。つまりは嗜欲や愛悦への「入り口」を塞ぐのである。これはつまりは「宗道は無言」ということでもある。そこに見られるのは聡(明)を損して、明(晰)を棄てるの理である。つまり「道」は無形であるから目視することはできないのであるし、口で伝えることも不可能である。これは至人の心が道とひとつになった時の妙である。そこでは自ずから兌は塞がれ、門は閉じられている。鋭きは挫かれ、紛るるは解かれる。「光」は和されて塵と同じくなる。これは既に第四章において見たところである。こうしてつまりは、道を実践してもって功を成すのである。つまりは人によって行いを明らかにするわけなのである。至人は天下と心を同じくしている。道と身が同じくなればそれは無体とならねばならない。しかし、もし鋭きは磨かれ、紛れている状態がさらに乱れたような心となるならば、そこには何が生じるであろうか。そこでは「光」と「塵」はひとつになることはない。こうしたところにどうして居ることができようか。これを「有無混融(有と無が秩序を見出して混在している状態)」と称する。「光」と「塵」とが同じになれば、それがそうあるべき道である。そうであるが、また同じということにこだわり過ぎることも善くない。また同じでないということにこだわり過ぎるのも善くない。ために過度の親疎は得るべきではない、とあるのである。利を求めてもいけないし、害を避けるのも好ましくない。ために利害は得るべきではないとあるのである。いろいろなことに通じることを好しとすることもなく、窮まるのを憎むこともない。ために貴賤を得るということはない、とする。またここに得るべきは「親疎」「利害」「貴賤」でもある。貴いのは物を貴いとすることができるが、また同じ物でも、それを賎しいとすることもできる。そうであるから得るべきではないのが「親疎」「利

第五十六章 【世祖 注釈】〔両儀老人訳〕

  第五十六章 【世祖 注釈】〔両儀老人訳〕 知る者は言わず。言う者は知らず。 〔物事の本質は語り尽くせないものである。そのことを知っている者は全てを語ろうとはしない。しかし、それを知らない者はどうにかして説明をし尽くそうとする〕 道は語ることができないということが述べられている。 その兌を塞ぎ、 〔重要なことは余計な情報の蓄積される余地をなくすことであり〕 心が外に向かわないようにする。 その門を閉じ、 〔余計な情報が入らないようにすることである〕 物的な欲望が我が心に入らないようにする。  その鋭きを挫き、 〔むやみに情報を集めることなく〕 内を修めるのである。 その紛るるを解き、 〔理解の不十分なところを明らかにする〕 外的なものを整える。 その光を和し、 〔一般的に価値のあるとされるような情報ばかりに拘泥することなく〕 和合の働きを重視する。 その塵に同じくす。 〔一般に価値のないとされるような情報でも無視することはない〕 物の損するままとする。 これを玄同と謂う。 〔こうしたことを「一般的な価値判断にとらわれないとこと」という〕 出ることも無いし、入ることも無い。内も無ければ、外も無い。抽象的なものも無ければ、具象的なものも無い。それは「至妙」なるものといえよう。道とは、まさにそのようであり、そうなのである。 得るべからずして親しく、得るべからずして疎(うと)し。 〔一般的には得るべきでないものでも無闇に棄てることはない。またそうしたものをあえて棄てないということもない〕 道は等しく万物を覆っているのであるからどうして親疎をいうことができるであろうか。 得るべからずして利し、得るべからずして害す。 〔一般的に利益のないとされることでもそれから利益を生むこともあれば、言われているように損害を受けることもある〕 順境であっても逆境であっても、どうしてきまった利害があるとすることができるであろうか。 得るべからずして貴く、得るべからずして賤(いや)し。 〔一般的に貴くないとされるこでも貴いものはある。また、そうしたものが賎しいものであることもある〕 栄枯を知ることはできない。どうして貴賤となることが決まっているであろうか。 故に天下を貴しとなす。 〔一般的な価値判断は外れていることもあるし、当たっていることもある。そうであるからすべての先入観を捨てて、全てが貴い

道徳武芸研究 大中小架と梢中根節(3)

  道徳武芸研究 大中小架と梢中根節(3) 呉鑑泉の父の全佑は始めに露禅から小架の「長拳」を学び、後に息子の班侯から大架の「太極拳(行功)」を習った。ために現在の呉家にはこの二つの特徴を見ることができる。つまり小架は実戦性においてはレベルの高い套路なのであるが、これで体の基礎を作るのは難しい。一般には小、中、大架は動作の大きさということで言われるが、術理の上からすれば小架は梢節、中は中節、大架は根節の動きであり、本来の大、中、小架の区別は「動きの起点」による違いを認めなければならないのである。そうであるから呉家は北京時代の比較的大きな動きであっても、香港時代の小さな動きであっても、それは共に梢節を起点に動いているので「小架」とされるわけである。これが端的に現れているのは雲手で呉家ではしっかりと坐掌をとって動作を行う。同じく小架の孫家でも手首に明確なアクセントを加える。これに対して大架の楊澄甫の套路には「坐掌」が含まれているが、坐掌をとった次にはそれを解いて次の動きに入る。そうであるから手首が動作の起点にはなっていない。こうしたことは楊家で最も古い露禅架ではより明らかで、掌を二度前に推す動作をして手首が緩んだタイミングで次の動作に移っている。

道徳武芸研究 大中小架と梢中根節(2)

  道徳武芸研究 大中小架と梢中根節(2) おもしろいことに呉家は北京の呉鑑泉の頃は動作も大きく、深く腰を沈めるような動きであるが、これが北京から上海、香港と時代を移すにつれて次第に小架へと変化をして行った。呉家にはそれぞれの「時代」での伝承者が残っており、特色を残している。一見すれば呉家は北京時代の大架から上海時代の中架、そして香港時代の小架へと変遷をしたように見えるが、こうした見方は果たして妥当なのであろうか。また楊家では楊澄甫は中架を伝え、太極拳の実戦性を深く追究した兄の楊少侯は小架を伝えたとされる。太極拳では楊家の待機を練習する人が圧倒的に多く、その次に多いとされる呉家はごく一部の地域に留まっている。それは呉家の動作が小さいので練習をしても、充実感が得られにくいということもあるようである。楊家の太極拳が広く伝えられたのは、楊家の人たちがプロヂュース能力に長けていたということもあると思われる。北京に太極拳を伝えた楊露禅は始めは、ただゆっくりした本来の太極拳の套路ではなく実戦用に編まれた「長拳」を教えた。そうすることで「太極拳」の優秀性を認知させて行ったのである。また太極拳を広く伝えた楊澄甫は専ら大架を教えたが、その套路には「坐掌」として楊少侯の研究した小架の要素も密かに含ませていたのである。

第五十五章【世祖 解説 〔両儀老人 漫語〕】

  第五十五章【世祖 解説 〔両儀老人 漫語〕】 要するに君子は徳を修めているのであるが、それは自ずからよく徳を含んでいるということである。人が生まれたままで有しているのは徳性であり、これはまったく欠けたとことがない。しかし成長するにつれて、人のいろいろな器官も育つことになる。そうなれば耳、目を通して外と交わり、心をして内を感じるようになる。こうなると充分であった徳も次第に毀(こぼ)たれてしまう。道とは増やすことではなく損して行くことであり、とにもかくにも損することなのである。そうすれば徳はまた初めのような状態になってくる。そうであるから「徳を含むこと厚き」とあるのである。これは「赤子」に比することができる。赤子は無心であり、無心であれば敵対するものは存しない。そうであるから「毒虫はささず」「猛獣は拠らず」「キャク鳥はうたず」とあるのである。どうして赤子を傷つけることができようか。また赤子はどうやって手を固く握って良いのかを知ってはいないのに固く握っている。また、いまだ牝牡の交わりのことを知らないのに勃起をしている。それは精が余るほど存しているからであり、(淫欲の)心によるものではない。赤子は細かなことまで気をつけて(介然)得た知識を有しているようなものではない。何も気にすることなく、そうした状態を得ている。こうした「赤子」のようであれば、喜びや怒りを有することはない。そうであるから「終日、号(なき)て嗄(か)れず」なのである。つまり心は不動で気は和しているわけである。赤子であっても、喜ばせたり、怒らせたりすれば、気は乱れて不和となる。そうであるから和の理を悟ることができたならば、これを「常」と称される。こうした「常道」を知っている者は、これを「明」と謂うことができる。「常(永遠)」を知ることは本来、自然であり、あえて生に益することをすることはない。何かをしても、それに関知することはない、その結果を気にすることもない。そうなれば、どうして心をして気を使うことがあろうか。生に益することを特にすることがなくて、生がますます益を受けるのは、自ずからその災が覗かれるからである。気がやたらに用いられるのではなく、心をして気を使う。そうすれば甚だ「強い梁」となる。また虚に達して柔を守るのが道なのである。道とは永遠なるものであり、それは生まれた時に始まる。生まれた後は道は実(つま

第五十五章 【世祖 注釈】〔両儀老人訳〕

  第五十五章 【世祖 注釈】〔両儀老人訳〕 徳を含むことの厚きは、赤子に比す。 〔徳を深く有するということは道と一体となるということであるから、それは赤子のようである。つまり「人」本来のあり方そのままということである〕 「徳を含む」とは、徳を持っているがそれが露わではないことである。「厚」とはそこに至るのであって、徳を有することが極限にまで至ると、それは「赤子」と同じようになる。 毒虫はささず。猛獣は拠(よ)らず。キャク鳥はうたず。 〔徳を深く有するようであれば毒虫に刺されることもないし、猛獣の害を受けることもない。また猛鳥に襲われることもない〕 「毒虫」とは蜂やサソリの類である。尾の先で毒を自在に送ることを「さす」としている。「猛獣」とは虎や豹の類で、爪をして捕まえるので「拠」とする。「キャク鳥」とはクマタカやミサゴの類で羽で打ち触れるので「うつ」としている。 骨弱く、筋柔らかにして握ること固し。いまだ牝牡の合いて を作は、精の至るなり。 〔徳を深く有して道と一体となっていれば体に凝りがなく、筋肉も柔らかで、手を握っても殊更に力を入れていなくても固く握ることができている。またいまだに男女の交わりのことを知らない小さな子供でも性器が立っている。それは精が充分であるからである〕 四指を親指で握るのを「握ること固し」としている。「」とは赤子の陰物である。「握ること固し」「を作る」とは全て精気が感じてそうなるのである。 終日、号(なき)て嗄(か)れず。和の至ればなり。 〔また子供は一日泣いていても声が嗄れることはない。それは無理のない発声をしているからである。つまり自然と「和」しているのである〕 「嗄」とは声が出にくく成ることである。「嗄れず」とは、心に喜びも怒りもないことで、気が本来的な柔らかさを保っている。 和を知るを常と曰う。 〔自然と「和」することを知っているのを「常(永遠)」を知る者と言う〕 これは和が至るの理を知れば、つまり常に久しくして変ることがない(不易)なのである。 常を知るを明と曰う。 〔「常(永遠)」知る者は「明」らかな悟りに達していると言える〕 これは常久しきの理を知っていれば、これを、道に明らかである、と謂うのである。 生を益すを祥と曰う。 〔生命力が強化されることは「祥(めでたい)」と言うことができる〕 生に益することがないのに、強いてそうし

道徳武芸研究 大中小架と梢中根節(1)

  道徳武芸研究 大中小架と梢中根節(1) 中国武術にはいろいろな区分法がある。大架、中架、小架もその一つで、動きの大きさを「大」から「小」まで分けている。また姿勢の高さは高架、中架、低架などに分ける。一般的には低架は鍛錬用の姿勢であり、普通に立っているくらいの高架は実戦用とされる。こうした練習は実戦と練習をどう捉えるのかの違いによって、いろいろな違いが生まれている。多くは実戦で技を使うには、実戦時より更に低く、更に高く動く練習をしておかなければ、心身の状態が普通よりも好ましくないと思われる実戦では使えない、とする考え方に立っている。一方で実戦そのままの状態で練習をしないと実戦における調子が掴めない、とする考え方もある。詠春拳などはその典型であろう。また大架や小架については、大きな動作で練習をして小さくまとめるのが良いとされることもある。太極拳でいうなら呉家や孫家は小架とされ、楊家は大架と区分されることが多い。

第五十四章【世祖 解説 〔両儀老人 漫語〕】

  第五十四章【世祖 解説 〔両儀老人 漫語〕】 この章では、徳を修めること(脩徳)について述べられている。世に柱などを建てて、それが抜けなくなるということはあり得ない。何かを抱いてそれから脱することができないということはない。ただ聖人は真の知性を持っている。物質についての蒙昧をよく弁えているのであり、物を棄て身を修めるのである。そうなると徳が満ちて、特に徳を立てることがなくなる。つまり、建てて抜かざるあり、ということになるのである。徳が満たされていれば、取り立ててt徳を取る必要もない。そうであるから徳を抱いて脱することがないのである。そうであるから子々孫々、世々にこれを伝えて窮まるところがないのである。よの所謂「脩徳(徳を修める)」とは、あるいはこれを天下の邦家に修める(脩)のであるが、その本真を知ることはない。つまりそれは我が身にあるからである。あるいはこれを修める(脩)のがこの身であれば、これを推して家邦天下に及ぼすことはできないのである。家をして天下に徳を及ぼすことを必ずしも知らなければ、その後にその徳をあらゆるところに施すのである。こうなると聖人は何をして徳を修めるのであろうか。また「身をもって身を観る」と言われるがその通りなのである。では「身をもって身を観る」とはどういうことなのであろうか。我が身のあるを観るとは何を自らが観るのであろうか。それは我が身が自ずから存していることを知るのである。あるいは我が身を観るのはどうして自分自身なのであろうか。つまり自分の身を観るのは自分なのである。これを敷衍してみるならば、家をして家を観るのであり、郷をして郷を観る、邦をして邦を観る、天下をして天下を観るのである。およそそれ自体をしてそれ自体を観ないものはない。そうであるから自分はどうして天下が今のようになっているかを知ることができるであろうか。またそれは道をしてのみ知ることができるのである。どうしてこれをして道の体としないことがあろうか。そこに包含されないものはない。また道の用においては、遠くないものはないのである。 「道は原理であり、原理を実践することが徳と称される。これはいうならば合理的な生き方である。何が合理的であるのかは個々人が考え、生活の中で実践、観察してみなければならない〕

第五十四章 【世祖 注釈】〔両儀老人訳〕

  第五十四章 【世祖 注釈】〔両儀老人訳〕 善く建てるものは、抜けず。善く抱くものは、脱せず。子孫の祭祀は輟(やめ)ず。 〔善く自然のままに建てた建物の柱は簡単に抜けたりすることはない。善く自然のままに抱けば、それを脱することはできない。子孫が居たなら先祖の祭祀は続けることができるのであり、子孫が居なければ祖先を祀る者も居なくなる〕 およそ物にあって建築などの造作をして立てたもので抜けないというものはない。ただ道をして立てたならば、抜けるとか抜けないというレベルではなくなる。そうであるから「善く建てるものは、抜けず」とされている。およそ物にあって抱いてそれがしっかり抱いていたとしていても、脱することができないということはない。ただ道をしてそれを為せば、神を抱いて静となるように「善く抱い」て「脱する」ことがないのである(本来、神と静は一体であり離れることはない)。「祭祀は輟ず」とは、その伝承が永遠であることを言っている。 これを身に脩(おさ)めれば、その徳はすなわち真たり。これを家に脩めれば、その徳はすなわち余れる。これを郷に脩めれば、その徳はすなわち長く、これを邦に脩めれば、その徳はすなわち豊かにして、これを天下に脩めれば、その徳はすなわち普し。 〔こうした自然の合理性である「徳」を我が身に備えようとしたならば、そうしたものが真に存していることが分かる。家庭に備えようとすれば、それは世間へと広がる。また地域においても自然の合理性である「徳」は広く実践されることとなるし、国家においても盛んに実践されるべきであろう。加えて全世界に「徳」は普く実践されるべきなのである〕 「真」とは真実であって偽りではないことである。「余」とは集めて必要以上となったもののことである。「長」とは人においてはその徳が遠くまで及ぶということである。「豊」とは人にあってはその徳がますます盛んになるということである。「普」とは人にあってはその徳がますます広く行きわたるということである。 故に身を持って身を観る。家をもって家を観る。郷をもって郷を観る。邦をもって邦を観る。天下をもって天下を観る。 〔そうであるから「徳」を知ろうとするならば我が身を観察すれば良い。家庭を観察すれば良い。地域を観察すれば良い。国家を観察すれば良い。世界を観察すれば良い。そうすれば「徳」がどのように実践されているか、あるい

道徳武芸研究「絶招」考〜形意劈拳の場合〜(3)

  道徳武芸研究「絶招」考〜形意劈拳の場合〜(3) 「入身」で用いる擺歩と攻撃の組み合わせは、少林拳の七星歩などにも見ることのできるもので、絶招としての「入身」歩法の基本であるということができよう。冒頭でも触れたように「入身」は絶招の基本なのであるが、それだけでは絶招としては不十分で、「入身」の歩法が絶招となるには「入身」と同時に相手を制することができなければならない。これを形意拳では「(鷹)捉」という。劈拳の腕を突き上げる動きは、まさにこの「捉」なのであり、これは形意十二形拳の熊鷹拳において明確に示されることになる。熊鷹拳は「鷹捉」と「熊掌(熊打)」で構成されていて、これは劈拳と同じシステムであるとすることができる。「入身」を用いて相手の攻撃を捉え、上に反らせることでべランスを崩す。そして「熊掌」により引き落としながら相手を打つのである。このように引く勢いと同時に突きの出る勢いが重なることで大きな威力を得ることが可能となる(これは十字勁の秘伝でもある)。形意拳ではここに「起落」が使われている。これと同様に相手を捕捉する秘伝は蟷螂拳の構えである「蟷螂捕蝉式」にも端的に見ることができる。よく「蟷螂拳で蟷螂捕蝉式が重要と言われるが套路の中にはあまり蟷螂捕蝉式が出てこない」という声も聞くが、これは形意拳の「(鷹)捉」も同じである。「捉」は五行拳では劈拳にしか出てこない。しかし「捉」は全ての拳の始めになければならないことは半歩崩拳で説明した通りである。形意拳の「捉」や蟷螂拳の「蟷螂捕蝉式」が套路としてあまり出てこないのはそれが秘伝であるからであり、またあらゆる技の導入に用いられるものであるからでもある。このような中段の構えが重視されるのは、それが絶招に通じるものであるからであり、劈拳は形意拳における絶招としての中段の構えの精華でもあるのである。

道徳武芸研究 「絶招」考〜形意劈拳の場合〜(2)

道徳武芸研究  「絶招」考〜形意劈拳の場合〜(2) 形意拳では特に「絶招」といわれる技は無いが、郭雲深の半歩崩拳は「あまねく天下を打つ」と賞されて天下無敵を誇っていたので、これは「絶招」とすることができるであろう。ただ半歩進みながらの中段突きがどうして破られることがなかったのか。それは郭雲深が「入身」を使っていたからであるとされている。実は半歩崩拳は崩拳の実戦用の技として考案されたものであるが、通常の練習では「入身」の歩法んぽ極意を授けれれることはない。形意拳で「入身」の歩法は劈拳の第一の動作に含まれている。これを三体式としてとりわけ練習するわけであるが、その理由は「入身」の歩法が含まれているからに他ならない。「入身」の歩法としては擺歩が用いられている。「入身」は始めに横に攻撃を裂けて、次に攻撃をするのであるが、形意拳では体そのものは横に動かさないで、腕をネジ込む(翻と讃)ことで上に攻撃を反らせる(起)。ここに形意拳の根本である「起落翻讃」が用いられていることは言うまでもあるまい。実戦時における半歩崩拳でも擺歩を用いることで「入身」を行う。ここに「必勝の技」としての半歩崩拳が得られることになる。半歩崩拳では半歩の「入身」で相手の攻撃を制した後にヨウ歩の崩拳を打って止めとする。そうであるのに郭雲深はただ半歩だけで相手を倒した。「半歩崩拳あまねく天下を打つ」とは。郭がただ第一の「入身」の動きだけで相手を制すると同時に攻撃することもできたことを称賛する意味も込められていたのである。

第五十三章【世祖 解説 〔両儀老人 漫語〕】

  第五十三章【世祖 解説 〔両儀老人 漫語〕】 微細なものを見ることを「明」という。これにより「明」でないものを知ることができる。君子は道を実践する。そうであるからあえて知ろうともしないし、あえて行うこともない。つまりあらゆる変化が眼前に現れたとしても、その心を乱すことはないのである。そうなれば何の畏れるものがあろうか。我をして「介然」として分かる心というものがあるのであり、それをして大道を行うのである。知ることのできることには限りがある。しかし道には窮まりがない。(正いしのかどうかと)恐れ恐れて行ったことでも充分ではないと思うのは、恐れるべきことではないことを恐れているからである。およそ大道はまったく平坦な道なのである。しかるに民は近道を行くことを好む。近道は、大道を知る者にとっては「賊」というべきものである。これは高い階段の建物を作って、朝廷を権威あるものと見せかけて統治を行うというようなものであり、ただ単に外を飾っているに過ぎない。また田が荒れれば倉は空になる。また「結果」が良ければ全ては良く見えるものである。それは美しい服を着ていれば他人の目をくらませることができるとし、見事な剣を帯していれば人々に威を示せるようなものである。飲み物、食べ物を溜めて、物を集めても、それを用いるところがない。これは「盗んだ笛」と謂われるところのものである。どうしてこうしたものを道とすることができるであろうか。    〔聖人は寡欲であると聞いて、それを真似て聖人のように振る舞う。権謀術数に長けた人を真似て華麗な服装をしたり、権威ある風に剣を帯びてみたりする。これはどちらも「過ぎた」ことであり、共に道からは外れている。こうしたことは往々にして生じやすいので充分に注意をしなければならない〕

第五十三章 【世祖 注釈】〔両儀老人訳〕

  第五十三章 【世祖 注釈】〔両儀老人訳〕 我をして介然たらしめば知ること有り。大道を行えば、ただ施すはこれ畏れたり。 〔自らが微細な感覚を得たならば、分かることがいろいろとあるものである。そうして大いなる道を知って、それを実践する時には、微細な注意をして、間違いのないことを恐れる〕 道を体する者は知ることなく、行うことがない。何かをするということはないのである。そうではあるが物は自然に変化をする。今の「介然」たる人は知って、大道を行う。そうなれば行動をして為すことが生じる。これは自然ではない。畏れるべきであろう。 大道は甚だ夷(たいら)かなり。しかして民、径(すぐ)なるを好む。 〔大おなる道はただ行うべきことを行えば良いだけなのであるが、人々はそれでもあえて何かをして簡単に結果を得ようとしたがる〕 大道とは平易なものである。世の人はそれを知らない。そうであるから大道をあえて難しいものとする。真っ直ぐな道を行ってすぐにそれを求めようとする。 朝に甚だ除き、 〔ある時は過剰に余計と思われるものを削除しようとして〕 素朴であることを好むわけである。 田は甚だ蕪(あ)れ、 〔生産のための場所に手を加えることをせずに荒廃させてしまう〕 民の時を奪うのである。 倉は甚だ虚たり、 〔そうなれば結果として得られるものは極めて少なくなる〕 本業を捨てるのである。 文采を服し、 〔そうかと思えば、また華美な服を着たり〕 淫らを極めることを好むのである。 利剣を帯し、 〔余りに見事な剣を帯びたり〕 武勇を好むのである。 飲食に厭(あ)く。 〔飽食を尽くしたりして〕 酒を飲み酔って好きなだけ食べるのを好むわけである。 貨を資(と)りて余り有る。 〔多くの物を得ようとする〕 集め得ることを好むのである。 これを「ウを偸む」と謂う。道にあらざらんや。 〔こうした不足であったり、過剰であったりする行為は「笛を盗むよう(笛だけを盗んでも美しい音色が得られるわけではない。大道の実践者の真似をして質素にし過ぎたり、華美になり過ぎたりするのは意味のない行為である)」と謂われている。こうしたことは合理的な行為ではない〕 「ウ(笛の一種)」とは五声の美なる音を発する。「ウ」を吹けばあらゆる楽器がそれに和する。「ウを偸む」とは自ずからこれに従うことで盗む(個々の楽器で発する以上の美しい音を出す)のである。

道徳武芸研究 「絶招」考〜形意劈拳の場合〜(1)

 道徳武芸研究 「絶招」考〜形意劈拳の場合〜(1) 絶招には「必勝の技」という意味がある。これは門派に帰するものと、個人に帰するものとがあるといえよう。個人に帰する技は「得意技」であり、柔道などでは有名選手の「得意技」を特集した本なども出されている。これなどはかつてであれば「絶招集」とされるもので、極秘伝の書物として扱われたのかもしれない。ただこうした「絶招」を実際に使ったからといって絶対に試合に勝てるとは限らない。同様に門派に帰される「絶招」はシステム上の「必勝の技」であるので、人体の構造において理論上はどのような人が使っても「必勝の技」とならなければならないが、個々の身体の条件(能力)が同じではないので実際はそう簡単には行かない。そうしたところから「絶招は武侠小説上のこと」などとみなされるわけである。あえて「絶招」とは何か、というならば、その基本は「入身」にあるということになろう。「入身」を用いれば相手の攻撃を直接受けることがないので、どのような強い攻撃であってもそれを制することができる。そのためにこうした技を「必勝の技」と称したのであった。「入身」は日本の柔術では特に重視されて来た。それは柔術が対剣術を第一に想定していたことに起因している。素手で剣を受けることはできないのでどうしても「入身」を使うことが必要になり、そうした技術が深められたのであった。

第五十二章【世祖 解説 〔両儀老人 漫語〕】

  第五十二章【世祖 解説 〔両儀老人 漫語〕】 この章では、道は天下の母である、ということが述べられている。聖人はこうしたことをよく知っている。「無名」は天下の始まりである。「有名」は万物の母である。道は常に「無名」であって、天下の母である。これはどういうことか。つまり(我々が認識できる)「有名」は万物の母であるに過ぎないのであって、それによってはいまだ天下の母を知るには至っていないということである。「無名」は天地の始まりである。つまり天から(物質化の方向へと)下ることで、あらゆる「無名」なるものが生まれるのである。そうであるから「天下の」としている。始めは天下の母である。聖人は道を体しており、それをして物を扱うのであるから、聖人は既に「母」を得ていることになる。「母」を得ているので、その「子」をも知ることができる。ために全てが明らかとなるのである。道への認識があれば(物事の道理が分かっているので)どのような物でもそれを扱うことができる。そうであるので常に物を扱うからといって道を忘れることはないのである。既に道を体しているので、最後までその「母」を守るのことができるのである。天下に誰か自分で、それを害する者がいるあろうか。つまりそれは「身を没して殆うからず」ということなのである。「母」を守るとはどういうことか。それは「その兌を塞ぐ」ということであって、「その門を閉じる」ことなのである。心は内に動き回って、どうすることもできない。これを「兌(あな)がある」という。「兌」があれば、心は必ず外に出て、物と交わることとなる。そうであるから我はその「兌」を塞いで心が外へと通らないようにするのである。心が通ることがなければ、心が外に出ることはない。これとは反対に物が外から影響を及ぼして、自分はそれを受けることがある。これは「門がある」ということになる。門があれば、物がそこから入って来て、心に憂いを与える。そうであるから我はその門を閉じて、影響を受けないようにする。影響を受けることがなければ、物にとらわれることもなくなる。心が内から出ることはなく、外からの影響を受けることもない。そうなれば例え万物を愛していても、前に多くの物があったとしても、それに関わることはないのである。なんら懸命にそうしたものと関わろうとはしないのである。もし道を忘れて物と関わるならば、そこに「兌」は開いて

第五十二章 【世祖 注釈】〔両儀老人訳〕

  第五十二章 【世祖 注釈】〔両儀老人訳〕 天下に始め有り。もって天下の母と為す。 〔この世には「始め」がある。それは物事が生まれるところでもある〕 「無名」は天地の始めである。「有名」は万物の母である。道はまさに「無名」であるので、物の始めとなり、「有名」へとなるが、これは物の生まれるところでもある。 既にその母を得て、もってその子を知る。またその母を守れば、身殆(あや)うからざる。 〔始めがあれば終わりもある。始めの生成の働きを保持していれば、それは終わりを大切にすることであり、そうであれば身を危うくするようなことにはならない〕 「母」とは道のことである。「子」とは万物のことである。 その兌(あな)を塞ぎ、その門を閉づれば、終身勤めざる。その兌を開き、その事を済ませば、終身救われず。 〔「穴」は開いているものであるが、それを不便と思って塞ごうとする。その門は開閉するものであるが自分を守るために閉じようとする。そうなれば良いようであるが生涯、適切に暮らすことはできない。「穴」はそのままにしてあるがままにする。そうなれば生涯、好ましくないことが是正されることはない。あるがままである〕 内には心が動けば、制御することが難しい。これを「兌」があるといっている。吾はその「兌」を塞いで通じないようにする。外にあって物が欲しくなれば、吾はそれを得る。これを「門」があると謂っている。吾はそれを閉じて、物を得ることはない。もしこうしたことが実践できたならば、生涯、身を労することなく、功を為すことが可能となる。もし「兌」を開いて物事を行おうとするならば、それに溺れて救われることがない。 小を見るを明と曰(い)う。柔を守るを強と曰う。 〔小さいものはよく見えないので「晦」と関連しているが、それをよく見ようとする。柔は弱いものであるが、それを強いものとしようとする。こうしたことは不自然である〕 見えないくらいの小さなものを見ようとすることを「小」という。力を頼ることのないことを「柔」という。 その光を用い、またその明るきに帰して、身の殃(わざわい)を遺(す)てる。これを襲常と謂う。 〔光は明るいのが自然である。こうした自然であれば不慮の災にあうこともない。これを「永遠である」という〕 「光」とは「明」によって得られるものである。そうであるから「明」は「光」のもとである。つまり「光」が

道徳武芸研究 「守破離」と「精気神」(3)

  道徳武芸研究 「守破離」と「精気神」(3) 静坐では始めに「煉精化気」を説く。これは既に述べたように「精=肉体」から「気=感情」へのアプローチで、武術では「技」の習得を通して感情をコントロールしようとする。これは「守破離」であれば「守」の段階となる。次は「煉気化神」で、ここでは「気=感情」を通して「神=意識」のコントロールをしようとする。自分の感情を客観視することで、意識のあり方もそれを客観視できるようになる。そして「煉神還虚」では「神=意識」を通して、より囚われのない心身を得ようとするわけである。そして最後は「還虚合道」となる。これは囚われのない心身の働きが、そのまま正しい道と一体となった状態であるということが示されている。こうした修行の階梯の根幹となるのは肉体、感情、意識を「見つめる」ということである。そのためには太極拳のようなゆっくりした動きであることが望ましい。ここで重要なことは、動きの速さである。太極拳の動きは「快」から「慢」まであるが、どのくらいの速さで練るべきかの答えは「中庸で」ということになる。その時の自分の心身に適した速度で練るわけである。「適した」というのは、肉体や感情、意識をよく「見つめる」ことのできる速さということである。これは遅すぎると散漫になるし、速すぎると深く見つめることが難しくなる。

道徳武芸研究 「守破離」と「精気神」(2)

  道徳武芸研究 「守破離」と「精気神」(2) 「守、破、離」については先に触れた通りなのであるが、それらは結局は「自由な意識」の獲得にあるとすることができるであろう。所謂「意識の解放」がなければ、けっして「離」の段階を得ることはできないからである。これらはまた静坐でいうところに「精、気、神」のレベルの違いでもある。「守」は「精(フィジカル)」レベルの稽古であり、これは肉体を通して技を体得する。次の「破」は「気(エーテル)」レベルの稽古で、技という動きを通して感情のコントロールを学ぶことになる。とりわけ武術では恐怖心を克服することが求められる。恐怖心は生命を脅かされるところから生じる。そこで一旦、自己の生命を捨てる気持ちを持つことでかえって、命を長らえることができることを武術は教えている。これが太極拳の「捨己」であり、静坐では「煉己」とされる。「人は本来死ぬものである」と改めて認識することで、本来の生きる道が見えてくる。最後の「離」は「神(アストラル)」のレベルの稽古であり、あらゆる囚われから自由になろうとする。そうであるから武術の技の囚われも脱せられるわけである。

第五十一章【世祖 解説 〔両儀老人 漫語〕】

  第五十一章【世祖 解説 〔両儀老人 漫語〕】 この章では「道」が万物を生んでいるということについて述べられている。「道」は万物の母である。物は「道」が無ければ生ずることはない。徳がなければ蓄えられることもない。「道」や「徳」によって物は自らに形を持つのであり、そうして成長の勢いの長ずることとなる。「道」がなければ「徳」も生まれることはない。「道」は尊く「徳」は貴重である。しかし、その極限に至ったならば「道」の尊きを尊しとすることなく、「徳」の貴重さを貴重と認めることもない。それが物において実現したなら、物に執着することはない。全く「命ずる」ことがなくても「常に自然」のこうしたことが生じるのである。自然で何もしなくても物は生まれ、物は蓄えられる。そして成長して、成熟へと育まれる。つまり「これを養い」「これを(かば)覆う」ということである。これが「道」と「徳」の全てなのであり、あるがままに物を生じて、それをいろいろに養って育てる。こうしたことを行っても、こだわることないし、これを長じさせても、全くそれを制御(宰)しようとはしない。こうしたことを「玄徳」と謂わずして何と謂おうか。 〔老子はここで「道」や「徳」の働きについていろいろと述べているが、それは現象としての働きであって、道や徳そのものがそうした働きを持っているということではない。そのような自然の生成の働きを「道」や「徳」としているということである。ここで見るべきは「それこれに命ずることなくして常に自然たる」で、これは造物主のような神の存在を認めていない。よく病気が治ったのは神の働きであるとか、合格したのは祈願が効いたとか迷信めいたことが語られるが、それはそうなるようになっていたからそうなったに過ぎないのである。老子はこうしたことに例外の無いことを「常に自然たる」として強調している〕

第五十一章 【世祖 注釈】〔両儀老人訳〕

  第五十一章 【世祖 注釈】〔両儀老人訳〕 道はこれを生み、 〔道とは生成の働きをのことである〕 虚無、窈冥は物の生まれるところである。 徳はこれを畜(たくわ)える。 〔徳とは蓄積する働きのことである〕 太和の気が盛んであり、ここに物が蓄えられる。 物はこれを形す。 〔物とは形を有するものである〕 集まれば物となり形をなす。 勢はこれを成す。 〔勢いは形は無いが、その存在を認めることはできる〕 自ずから生じて成長をする。自ずから成長をして実を成す。これが自然の勢いである。 これをも以て万物、道を尊ばざるはなく、しかして徳を貴ぶ。道の尊きは、徳の貴きなり。それこれに命ずることなくして常に自然たる。 〔このように「道(生成の働き)」や「徳(蓄積する働き)」は万物に及んでいる。そうであるから「徳」は重視されるべきであり、「道」も軽視してはならないことなのであり「徳」と「道」とは一体とすることができる。これらは無為自然の働きであって、その働きを命ずる者が居るわけではない。全くの自然現象なのである〕 万物は道によってよく生ずるので、道を尊ぶのである。そうすることでよく徳を蓄えることができる。そうであるから徳を尊ぶのである。命にいくことがないのは、行うことがないということを述べている。 故に道これを生み、 〔つまり「徳」と「道」とは一体であるから、生成の働きを有すると共に〕 その「精」を受けるのを「生」むとしている。 これを畜(たくわ)え、 〔蓄積をする働きをも有している〕 そこに(先天の)気を含んでいる。これを「畜」えるとしている。 これを長じ、 〔そうであるので生成の働きによって、成長させることができるのであり〕 その形を順調に育てる。それを「長」ずるとしている。 これを育て、 〔育むこともできるのである〕 もとになるものを生むことを「育」むという。 これを停め、 〔また蓄積する働きから失われることを留めることができるのであって〕 その成るのを考えるのを、「停」めるという。 これを毒し、 〔また安らかならしめることもでき〕 その用いるのを量ることを「毒」するという。 これを養い、 〔あらゆるものを養って〕 その和する働きを保つことを「養」うという。 これを覆(かば)う。 〔あらゆるものを護るのである〕 傷付いたものを護ることを「覆」うという。 以上の七つは道が万物を豊かに

道徳武芸研究 「守破離」と「精気神」(1)

  道徳武芸研究 「守破離」と「精気神」(1) 武術の世界では修行の階梯を「守、破、離」として教えている。「守」は流儀の教えを忠実に守って学ぶ段階である。「破」は古くからの教えに独自の工夫を凝らして「技」を自分のものにする段階となる。最後の「離」は大きく言うならば門派のこだわりから離脱する過程のことであり、これは最終的には武術という枠組みをも超えて「道」へと入ることになる。門派のこだわりからの離脱の根底をなしているのが、個々の技のこだわりからの離脱であることは言うまでもあるまい。形として学んだ技を状況に応じて自在に変化させて使えるようにならなければ真の意味で武術を体得したとはいえないであろう。あるいは自在の境地を体得するのであれば、初めの形を学ぶ「守」の段階は必要ないのではないかと思われることもあるかもしれないが、人の思考は過去の経験によってしか生み出し得ないのであり、そうしたことから自在を得るためには「何も無いこと=自在」を基盤とするのではなく、「既存のものからの離脱=自在」をベースにするのが実際的であるといえるであろう。既存のものからの離脱法が、つまり「離」の方法なのである。例え同じ形を日々行ったとしても、「昨日の形」と「今日の形」では同じとはならない。それは「今日の形」は「昨日の形」の経験を踏まえたものであるからである。人は往々にして日々の変化を受け入れることなく、それを「是正」しようとする。こうしたことをしないための「離」の段階を学ぶ必要があるのであり、そのためには先に「守」や「破」の体験がなければならない。

第五十章【世祖 解説 〔両儀老人 漫語〕】

  第五十章【世祖 解説 〔両儀老人 漫語〕】 この章では養生の道について述べられている。「性」には生死は無く、出てはつまり生きて、入りてはつまり死ぬのである。物を食べてその精髄を取る。そうして滋養とすれば、生を得ることになる。聴覚や臭覚、味覚は自らを損なうものであり、これは死へと導くものである。こうしたところに生死を分けるものが存している。行って、止むことがない。それを尽くせば、つまりは「動の死地」ということになる。そうであるから天地の生の数をあげてこれを言っているのである。つまり十分の幾つということである。「生はその三に居る」「死はその三に居る」「動の死地はその三に居る」およそこれは生があれば必ず死があるということであり、まさにこうして生を誤ることがあまりに多いのである。つまり生きるということは死の地を固めることでもあるのである。そうであるから善く養生をする者は、内には身のあることを見ること無く、外には物のあることを見ることはない。どうしてこれを虎や野牛(シ)とすることができるであろうか。そうしてこれを甲兵とすることができるであろうか。そこにはただ角も投ずるところは無く、爪も措くとこころが無く、刃も容れるところが無いとは、どういうことであろうか。これを容れるところが無いということである。そうであるから「その無死の地をもってす」とあるのである。 〔この章で問題となるのは「人、生にいくも、動(めぐ)りて死地にいく者は十に三有り」であろう。「人之生、動之死地」で一般的には「人の生、動いて死地にいく」と読ませる。これは「世に生きて殊更に死地に向かう人間」(福永光司 中国古典選)と解するようであるが、ここでは過度に生死にこだわることなく、適度に健康に留意して生きているような人でも、いろいろな経験によって災いに遭遇するのではないかと心配してしまう人も居るとする。しかし、そうした生きることや死ぬこと、また災害に遇うこと(死地)などを心配しても仕方がない、と老子は教えている。考えなければ「死地」は存在し得ない。〕