道徳武芸研究 「絶招」考〜形意劈拳の場合〜(1)

 道徳武芸研究「絶招」考〜形意劈拳の場合〜(1)

絶招には「必勝の技」という意味がある。これは門派に帰するものと、個人に帰するものとがあるといえよう。個人に帰する技は「得意技」であり、柔道などでは有名選手の「得意技」を特集した本なども出されている。これなどはかつてであれば「絶招集」とされるもので、極秘伝の書物として扱われたのかもしれない。ただこうした「絶招」を実際に使ったからといって絶対に試合に勝てるとは限らない。同様に門派に帰される「絶招」はシステム上の「必勝の技」であるので、人体の構造において理論上はどのような人が使っても「必勝の技」とならなければならないが、個々の身体の条件(能力)が同じではないので実際はそう簡単には行かない。そうしたところから「絶招は武侠小説上のこと」などとみなされるわけである。あえて「絶招」とは何か、というならば、その基本は「入身」にあるということになろう。「入身」を用いれば相手の攻撃を直接受けることがないので、どのような強い攻撃であってもそれを制することができる。そのためにこうした技を「必勝の技」と称したのであった。「入身」は日本の柔術では特に重視されて来た。それは柔術が対剣術を第一に想定していたことに起因している。素手で剣を受けることはできないのでどうしても「入身」を使うことが必要になり、そうした技術が深められたのであった。


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