道徳武芸研究 大中小架と梢中根節(2)

 道徳武芸研究 大中小架と梢中根節(2)

おもしろいことに呉家は北京の呉鑑泉の頃は動作も大きく、深く腰を沈めるような動きであるが、これが北京から上海、香港と時代を移すにつれて次第に小架へと変化をして行った。呉家にはそれぞれの「時代」での伝承者が残っており、特色を残している。一見すれば呉家は北京時代の大架から上海時代の中架、そして香港時代の小架へと変遷をしたように見えるが、こうした見方は果たして妥当なのであろうか。また楊家では楊澄甫は中架を伝え、太極拳の実戦性を深く追究した兄の楊少侯は小架を伝えたとされる。太極拳では楊家の待機を練習する人が圧倒的に多く、その次に多いとされる呉家はごく一部の地域に留まっている。それは呉家の動作が小さいので練習をしても、充実感が得られにくいということもあるようである。楊家の太極拳が広く伝えられたのは、楊家の人たちがプロヂュース能力に長けていたということもあると思われる。北京に太極拳を伝えた楊露禅は始めは、ただゆっくりした本来の太極拳の套路ではなく実戦用に編まれた「長拳」を教えた。そうすることで「太極拳」の優秀性を認知させて行ったのである。また太極拳を広く伝えた楊澄甫は専ら大架を教えたが、その套路には「坐掌」として楊少侯の研究した小架の要素も密かに含ませていたのである。


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