道徳武芸研究 「守破離」と「精気神」(1)

 道徳武芸研究 「守破離」と「精気神」(1)

武術の世界では修行の階梯を「守、破、離」として教えている。「守」は流儀の教えを忠実に守って学ぶ段階である。「破」は古くからの教えに独自の工夫を凝らして「技」を自分のものにする段階となる。最後の「離」は大きく言うならば門派のこだわりから離脱する過程のことであり、これは最終的には武術という枠組みをも超えて「道」へと入ることになる。門派のこだわりからの離脱の根底をなしているのが、個々の技のこだわりからの離脱であることは言うまでもあるまい。形として学んだ技を状況に応じて自在に変化させて使えるようにならなければ真の意味で武術を体得したとはいえないであろう。あるいは自在の境地を体得するのであれば、初めの形を学ぶ「守」の段階は必要ないのではないかと思われることもあるかもしれないが、人の思考は過去の経験によってしか生み出し得ないのであり、そうしたことから自在を得るためには「何も無いこと=自在」を基盤とするのではなく、「既存のものからの離脱=自在」をベースにするのが実際的であるといえるであろう。既存のものからの離脱法が、つまり「離」の方法なのである。例え同じ形を日々行ったとしても、「昨日の形」と「今日の形」では同じとはならない。それは「今日の形」は「昨日の形」の経験を踏まえたものであるからである。人は往々にして日々の変化を受け入れることなく、それを「是正」しようとする。こうしたことをしないための「離」の段階を学ぶ必要があるのであり、そのためには先に「守」や「破」の体験がなければならない。


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