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第十六章 【世祖 注釈】〔両儀老人訳〕

  第十六章 【世祖 注釈】〔両儀老人訳〕 致虚を極め、 『虚の極地を得て〕 「致」とは、至るということである。「致虚」は、極まるに至るということである。つまり、あらゆる存在(有)は無に帰するわけである。 守静、篤ければ、 〔静の極地を得たならば〕 「篤」とは、固めるということである。「守静」は、篤きを極めるということで、つまり(生成の働きである)動はすべからく静から育てられることを意味している。 万物、並び作る。吾もってその復するを見る。 〔あらゆるものは(虚や静から)生成する。そこで自分は(静坐によって)生成の根源である虚と静を感得するのである〕 「作」とは、動くということである。「復」とは、始めに復するのである。万物が作られる(生成する)のであれば、その始めがあることになる。虚が極まり、静が篤ければ、そこに生成の根源を観ることができる。つまり、その(生成の根源に)復するのを観ることができるわけである。 それ物、芸芸。各その根に帰す。 〔物質が生成する、その根源は虚や静に帰することができる〕 「芸芸」とは、物が生まれる状態のことである。「その根に帰す」とは、花や葉が根から生じて、また根に帰するような生成の根源のことをいっている。 帰根を静と曰う。 〔生成の根源に帰る。そこを静という〕 「静」を求めるには動きを止めて、念の起こらないようにしなければならない。しかし、強いてそうしようとするのでは静を得たとはいえない。「帰根」とは、自然に返る(帰る)ということである。つまり真静であるということなのである。 静を復命と曰う。 〔また静を体得すればそれは「命の根源に帰ること」ということができる〕 人が生まれた時には静である。これは天性のものであり、決して後から得たものではない本来の命のあり方である。静であれば本来の自分を知ることができる(見性)。これが「命が復する(復命)」ということである。 復命は常と曰う。 〔命の根源に触れることを「遠なるもの(常)」という〕 常に落ち着いて静かであること(湛然常存)が、つまりは「永遠(常)なる道」なのである。 常を知るを明と曰う。 〔永遠であることを知ることは「生成の根源を明らかに知る(明)」ことであるといわれる〕 遮る物が無いく(よく物事が分かるの)を、明らかであるという。 常を知らざれば、妄りに凶を作(な)す。 〔永遠であること(

道徳武芸研究 站トウ、試力、試声と自衛(上)

  道徳武芸研究 站トウ、試力、試声と自衛(上) 意拳の王キョウ斎は「意拳要述」で意拳の練習階梯について次のように述べている。それは站トウから初まり試力、試声を経て自衛に至るもので、修行の階梯としては形意拳そのものということができる。王は站トウについて、意拳の「基礎練習」であるとし、精神の鍛錬、呼吸の調和、血液の円滑な循環、筋肉の緩めなど、健康を保つ上で重要なものが得られるとしている。次に試力、試声については、攻防の基本法則を体得するためのもので、試力には「蓄力、弾力、驚力、開合力」など多くの形があるとされている。またこれらは相手をつけて試すことで体得される。王の挙げているこれらの「力」はひじょうに重要なものばかりで通常は形意拳の奥義秘伝とされるべきものであるが、ここで簡単に説明を加えておくと「蓄力」は「力を蓄える」方法である。形意拳では相手がこちらの攻撃を受けたなら、その接触点に「蓄力」を行う。そしてその一点から力を発する。一般的な攻防では攻撃を受けられたなら別の技で対することになるが形意拳は硬打を使うために、受けられたならそのままの体勢で相手を吹き飛ばす。「弾力」は弾むような力で、これにより寸勁を打つことが可能となる。「蓄力」からの発勁の時に「弾力」が使われる。「驚力」は瞬時にマックスの力を発する方法である。これに跟歩などの歩法を加えるとひじょうに有効な力の使い方となる。また「弾力」は冷勁であるとか浸透勁であると称されることもある。「開合力」は合気道でいう呼吸力と同じで、中国では「股勢」などと称することもある。間合いと身体の変更を用いることでこれを行うことが可能となる。試声は形意拳では古くは「雷声」などと称していたもので、具体的には「フン「ハーッ」などの発声をする。これは「吽」と「阿」であって、いうなら阿吽の呼吸とすることができるわけでるが、試声も力の集中を行うための方法である。そして最後の「自衛」は伝統的には対打、散手など、これにより間合いなどを練ることになっている。

第十五章【世祖 解説】

  第十五章【世祖 解説】 この章では、道を得た者は「虚をして用をなす」ことができる、ということを述べている。「古の善く士たるは」とは、聖を極めて高い精神的な境地に達している人物のことである。こうした人部が道を得ているわけで、その奥妙であることは人知を超えている。そうした境地が極まったところが「玄」である。「玄」に通じることができるが、それは人知の及ばない程の深みにある。こうした認識を得ても、それをどのように形容することができるであろうか。どのような形容も受け入れることのない認識なのである。例えば冬に川を渉ることは(冷たい水に入ることを恐れるということを例えているのであり)、それと同様に「人を見て恐れる」ということを例える場合には、周囲(四隣)を恐れるような、ということになる。「厳かで慎み深いこと」を例えるのは、客となっている時のようであるとされる。「恐れを抱く」というのは、氷が割れないかを恐れるようであるとすることができよう。それは樸(あらき)のいまだ手が加えられていないような状態である。「谷」は、よく受け入れることができる、ということが例えられるのであり、「渾然」は濁っていて中に入っている物がよく見えないような状態に例えられる。以上、七つは完璧には例えることができないものとして挙げられているのであり、言うところは明らかであろう。俗世間に居る優れた士は、世俗にまみれてはいるが、それに染まっては居ない。今の俗世間の人たちのように、世俗に埋没してはいなのである。静であれば徐々に清くなる、とされるが、それはエネルギーの枯渇した人において生ずるであろうか。深い静坐の境地に入って(定)、その性を滅する。それは今の人のように、ただ心を鎮めるだけではない。静が際まえると動が徐々に生ずる。大体において道を保つ者は、常に虚であって、満たされることを求めはしない。つまり常に根源を見て、新しいものを求めないということである。つまり千日であっても、今日一日があるだけなのである。そのように道とはおおいなるものなのである。

第十五章 【世祖 注釈】〔両儀老人訳〕

  第十五章 【世祖 注釈】〔両儀老人訳〕 古の善く士たるは微妙玄通して、深きこと識るべからず。それただ識るべからず。故に強いてこれを容(かたち)するをなす。 〔かつての優れた人物は奥深いところに通じていたが、そうであるからこそ深いことを自分では分かっていないと考えていた。つまり自分は物事が分かっていないということを知っていたから奥深く物事に通じていたといえるわけである。そうであるから強いて例えることを(以下に)示してみよう。〕 「識るべからず」とは、つまり形容することができないが、強いてこれを形容するということである。 予(ためら)うは冬に川を渉るがごとし。 〔「ためらう」のは、冬に冷たい水の川に入るって渉ろうとするのを躊躇するようなものとすることができる(が、これで「ためらう」ということを言い尽くし得ているわけではない) 慎重にしてその後に動くのを「予(ためら)う」としている。 なお四隣を畏(おそ)れるがごとく、 〔それはまた周囲、四方に敵が居ないかと恐れるようでもある〕 疑ってしかも行わないのを「なお」としている。 儼(つつし)むは客たるがごとく、 〔「つつしむ」のは、客となっているようである(が、これで「つつしむ」ということを言い尽くし得ているわけではない〕 あえて傲慢とならないことを言っている。 渙(とけ)るは氷がまさに釈(と)けんとするがごとく、 〔「とける」のは、氷が溶けるようなものである(が、これで「とける」ということを言い尽くし得ているわけではない〕 欲望の陥穽に落ちることを恐れることを言っている。 敦(たっと)ぶはそれ樸のごとし 〔「たっとぶ(人情にあつい)」とは、樸(あらき)のように素朴なことである(が、これで「たっとぶ」ということを言い尽くし得ているわけではない〕 性質のことを言っている。 曠(むなし)きはそれ谷のごとく、 〔「むなし」いとは、谷のようにくぼんだ空間のあることである(が、これで「むなし」いということを言い尽くし得ているわけではない〕 その虚であることを言っている。 渾(まじ)るはそれ濁るがごとく、 〔「まじ」っているというのは、混濁しているような状態である(が、これで「まじ」るということを言い尽くし得ているわけではない〕 これは他のものと違わないということである。以上はすべて強いて形容しようとしたものである。 だれかよく濁るを

道徳武芸研究 擒拿と按脈(下)

  道徳武芸研究 擒拿と按脈(下) 大東流での捕り方の「変更」はただに「按脈」を修練するためのものなのである。つまり大東流のシステムとしては一人のコントロールから二人、三人、四人と増やして行きコントロールの技術を繊細かつ緻密に上げていくわけである。さらにその次には離れたところから攻撃を受けて触れた瞬時にコントロールする方法をも学ぶことになる。これも人数を増やして行くことで空間の把握を高めて行く。太極拳では触れた状態で相手をコントロールする技術を聴勁と称し、また離れたところでのコントロールは凌空勁という。聴勁の基本となるのが按脈である。按脈は文字通り脈を按(おさ)える方法である。活歩推手(大リ)では合気道の一カ条と同じく腕を抑える形となる。これは肩と肘で「脈」を按えることで相手の全身をコントロールしようとするものでこれは大東流でも合気道でも太極拳でも欠くことのできない基本とされている。また同じく推手の揉肘では活歩推手の前段階として肘のコントロールを学ぶことになる。肘を制することで相手の肩をコントロールでき、それにより肩を制することができるようになる。それにより体幹を制することも可能となるのである。また形意拳の劈拳も一カ条と同じ展開が可能である(これは中国人の形意拳家の動画で示されてもいる)。また八卦掌の単換掌でも同じ動きを認めることができるであろう。このように擒拿は按脈として練習をすることで拳術にも逆手術・関節技にも展開できるのである。

道徳武芸研究 擒拿と按脈(中)

  道徳武芸研究 擒拿と按脈(中) 徐紀の「用法」の解説に見られるのは「相手を畳むようにして攻撃不能にさせる」という方法であり、必ずしも逆手に極めることに執着してはいない。ここで見るべきは、相手の攻撃を制するための肘の抑え方などに注意が促されている点である。譚腿などの教門長拳で擒拿はそれ自体が攻防に使われるというよりも、擒拿を練習することにより逆手・関節技で攻防において相手の肘を抑え(断勁)る方法を会得し、拳や腕の攻撃力を無力化することを習得したり、また肩を制することで相手のバランスを失わせ(抜根)て攻防を有利に展開しようとすることを学ぶことができるのである。先にも述べたように韓慶堂が擒拿を「警察応用技能」としたのは、擒拿は擒拿だけで相手を捕り抑えるなど独立して用いることもできるし、教門長拳のひとつの鍛錬としても存しているためであったと考えられるのである。擒拿を拳術において使うためにはそこで脈を抑える「按脈」の方法を知らなければならない。日本の柔術の逆手・関節技も本来は「警察応用技能」的な傾向が強かったのであるが、興味深いことに大東流は「按脈」を中核としてシステムが構築されているのである。まさに合気上げ(呼吸法)は按脈を習得するためのひじょうに優れた方法である。また大東流では例えば四人が両腕、両足を抑えて、一人が胸の上から首を締めるのを投げ飛ばす、五人捕りの技があるが、こうした形は江戸時代の柔術の伝書でも見ることができる。しかし、その場合には抑えられる方はうつ伏せにされている。それはこれが相手を取り押さえるための技法であるためである。大東流で仰向けに抑えられる形にしているのは仰向けであれば体の自由が利くが、うつ伏せであれば体を動かすことが難しいためである。柔術に見られるうつ伏せの捕り方と、大東流の仰向けの捕り方ではその意図しているところがまったく逆になっているわけで、大東流では多くの人の「脈」を同時にコントロールする方法を学ぶことが主となっているわけなのである。そうであるから抑え方としては有り得ない方法をあえて採用しているのである。

第十四章【世祖 解説】

  第十四章【世祖 解説】 この章では道というものが形の無いものであることが述べられている。道とは音も無いし、臭いも無い。天地の間に生じたものであるが、これを見たり、聞いたり、触れたりすることは全く出来ない。そうではあるので、そうした道を「夷(おだやか)」とする。それが聞くことのできないものであるから、これを「希(かすか)」とする。これに触れることができないのであるから、これを「微(こまか)」とする。それではここで「夷」「希」「微」の三つをあげているのは、どうしてであろうか。道が形容することのできないものであることを知っているからである。つまりこれらは混じて一つとなることで、それにより道は分けることのできないいろいろな性質を有しているものであることが分かるわけなのである。つまり、こうしたことこそが道なのである。仰いで上を観るもののそこに光を認めることができない。俯いて下を観るもののそこに暗さを認めることはできない。絶えることなく(縄縄)、道は動いているからである。あえて名をここに求めるとするならば、結局は「無」ということになろう。これは「無」という状態が「有」るということである。「無」というシンボルが「有」るということである。つまりそれは「有」ということではないし、「無」ということでもない。有無を共に持ち、無でも有でもないこれを名付けるならば結局は「恍惚」ということになる。道は広くは天気に及ぶが、これに執着してはならない。来れば迎える、ただそれだけである。去るのであれば、そのままにしておく。ただそれだけである。これが所謂、道は固定したものとして存してはいないということである。そうであるなら道というものは無いのであろうか。存しないものであろうか。道には始まりも無く、終わりも無い。昔にも無いし、今も無い。そうであるから物事の自ずから生ずるところを求めるとすれば、それはどうしても過去にそれを求めることになる。物質の今あることを見てみるならば、どうして現在それが存していないということが言えるのであろうか。道を得るとは、ただ昔によって今この時を制御することであり、今この時が「昔の道の始まり」であることを知らなければならない。窮まることのない道の本質はここにあるのである。

第十四章 【世祖 注釈】〔両儀老人訳〕

  第十四章 【世祖 注釈】〔両儀老人訳〕 これを視るに見えざるを名づけて夷と曰う。 〔道は視ようとして見えない。それを「夷」と称する〕 「夷」とは、平(おだや)かであるということである。 これを聴けども聞こえざるを名づけて希と曰う。 〔道は聴こうとして聞くことができない。それを「希」という〕 「希」とは、無であるということである。 これを搏(う)てども居らざるを名づけて微と曰う。 〔道は執ろうとして執ることができない。それを「微」という〕 「搏」とは、執るということである。「微」とは、細かいということである。 この三者は、詰めるに致すべからず。故に混じて一と為す。 〔「夷」「希」「微」の三つは、それぞれ道を表したものであるが、ひとつひとつで道を表し得てはいない。そうであるからこれらがひとつとなることで道を表し得ると理解することを「一」とし、それにより道を知ることができるとする〕 「一」とは、道ということである。「視」「聴」「搏」はそれぞれであるが、究極においては分かつことのできない「道」を表している。そうであるからこれらを混合すれば道となるのである。 その上はあきらかならず。その下は昧(くら)からず。 〔道はそれを表面的に捉えようとしてもよく分からないであろう。それを奥深く捉えようとしてもよく分からないであろう〕 「あきらか(キョウ)」は、明らかということである。「昧」は、暗いということである。およそ物はすべて上の明るいところにあれば明らかであるが、下の暗いところにあればそうではない。つまり道は上の明るいところでは明らかではなく、下の暗いところでは明らかとなる。つまり道とは一般的な理解を超えたところにあるものなのである。 縄縄(じょうじょう)として名づくべからず。無物に復帰す。 〔道は常に運動をしているので、固定したものとして、ラベリングをするような捉え方で理解することはできないのであり、そうであるからこれは無に帰されることにもなる〕 「縄縄」とは、運動して止まることのない状態である。運動変化するものには固定した名を与えることはできない。つまり無に帰するわけである。 これを無状の状と謂う。無物の象、これを恍惚と謂う。 〔無とされるのは道が形を持たないからである。またそれをシンボルをして表すこともできない。そうであるから道とは変化するものとされるのである〕 「恍惚」

道徳武芸研究 擒拿と按脈(上)

  道徳武芸研究 擒拿と按脈(上) 「擒拿」は中国武術における逆手術・関節技のことである。日本の柔術ではこうした技術が投げ技と共に大きく発達した。一方、中国武術においてはあくまで拳術を補完する程度のものとされている。そうであるから拳術を伝える師が必ずしも擒拿を知っているとは限らない。台湾では擒拿に秀でていた教門長拳の韓慶堂が有名である。擒拿には相手から掴まれた場合に関節を制して取り押さえてしまう「正手」と、関節技を掛けられた時にそれを破る「破手」、そしてこちらから仕掛ける「反手」がある。一般的に合気道や少林寺拳法などでの流れは「正手」によるものがほとんどである。これは近代以降の武術が「護身」ということを重視ているためであろう。一方、かつては相手を捕り押さえる「反手」の研究が多くなされていた。その場合、一人で抑える方法も考えられたが、三人、五人など複数で抑える方法も考案された。韓慶堂は警察でも教えており、擒拿を『警察応用技能』とする本で紹介しているが、それは擒拿の「反手」としての側面があるためである。ただ著作では一般的な『正手」の紹介が主となっているのは、擒拿で相手を取り押さえる「っ警察が用いる捕り手の技法への展開の部分は隠していたためであろう。ただ韓慶堂の伝えた教門長拳の擒拿においては相手を取り押さえるという警察が使えるような捕り手の技法への展開はあくまでそれが可能であることに過ぎない。韓慶堂の伝えた教門長拳において擒拿は拳術と「一体」となって展開されるものであった。この教えの要諦は徐紀が「用法」の説明でよく示している。もともと徐紀は韓慶堂の弟子であり一時期はかなり熱心に教門長拳を学んでいたので、「用法」の解説においては、八極拳などでもその影響がよく出ている。

第十三章【世祖 解説】

  第十三章【世祖 解説】 大聖人は、外をして内を損なうことはない。それは内を守っているからである。「寵を驚く」のは「辱を驚く」のと等しい。「身を畏れる」のは「大患を恐れる」のと同じである。どうしてそう言えるのか。寵と辱とは本来的には違うものではないからに他ならない。人は「寵」を「辱」よりは良しとする。そうして「辱」を下に置く。そうであるからたまたま「寵」を得たなら驚き喜ぶことになる。そして、それを失ったなら驚き悲しむことになるのである。つまり、いまだかつてどのような人も「寵」にだけ安んじて、「辱」を受けて驚くことの無かった人は居ないのである。身には大患の本が備わっている。よくそうした身を忘れて身を慎んでいれば、吉凶はすべてその身に触れることはできない。つまり身が無いような状態になっているからである。つまり患は自ずから生じるものではなく身へのこだわりが余りに大きいことによるのである。これを逆にして言うなら、身を天下と同じく貴いものとするということになる。その時の主体は身にある。身を天下と同じく愛するのも、天下よりこの身に愛は託されている。つまり身ではなく天下が主体となってはいないということである。こうした身を至上に貴び愛する立場に居れば、身への執着を脱することができるのであり、そこにおいてはあらゆることが円滑に自然のままに運ぶことになる。

第十三章 【世祖 注釈】〔両儀老人訳〕

  第十三章 【世祖 注釈】〔両儀老人訳〕 寵(ちょう)、辱は驚くがごとく、 〔寵愛を受けても、恥辱を受けても、これらに優劣をつけること無く、ただ普通ではないことに心穏やかでは居られないのである〕 「寵」とは栄誉を受けることで、ひじょうに大切にされるということである。「辱」とは卑しめられるということである。「驚くごとく」とは不安になることである。「寵、辱は驚くがごとし」とは褒められて(寵)不安になり。辱められて不安になるということである。 大患を貴ぶは身のごとし。 〔大病を忌み嫌うのではなく、それが我が身を貴ぶ切っ掛けとなると思うことである〕 「貴」とは畏れるということである。その身を畏れるわけである。それは大患を畏れるのに似ている。 何を謂う。寵辱は驚くがごとしは、寵を下と為す、と。 〔「寵愛を受けたり、恥辱を受けたりするのは心安らかではない」といはどういうことを謂っているのか。それは寵愛を受けることを良しとするものではないということである〕 一般には「辱」を「寵」よりも下に見るが、本当は必ずしも「寵」の方が上であるということはないことを知ってはいない。つまり「辱」は「寵」の下ではないのであり「寵」が「辱」よりも下とすることもできるのである。 これを得るは驚くがごとく、これを失うも驚くがごとし。これを「寵辱は驚くがそとし」と謂う。 〔何か特別なことを得るのも意外で不安であるが、また特別なものを失うのも意外で不安となるのは同じで、こうしたことを「寵愛を受けたり、恥辱を受けたりするのは意外で不安である」としているわけである〕 「寵」が下となることもあることを知っていれば、これを得ても不安である。しかし、これを失っても、またこれを得たとしても、本当は失うものは何も無いのであり意外であったり、不安を感じたりする必要はないわけである。 何を謂う。「大患を貴ぶは身のごとし」と。吾、大患有るゆえに、吾に身有りと為す。 〔「大病を嫌うことなく、それが自分の体の大切さを教えてくれる貴重なものと思う」とは、どういうことを謂っているのであろうか。それは大病をするから、自分が生きていることの大切さを知ることができるのであるから、大病も必ずしも嫌われるべきものではないということである〕 「大患」とは生死にかかわるような病気のことである。これを内にあることである。一方、寵辱の得失はこれを外に

道徳武芸研究 「発勁」という秘伝(下)

  道徳武芸研究 「発勁」という秘伝(下) 大東流の「合気」からは、合気道での「宇宙と一体となる」ような説明は観念的であるとされたが、一方では大東流の「合気」を習得すれば「触れられただけで合気により動けなくなる」などの説明も、十分に「観念的=荒唐無稽」ということができるものである。大東流の「合気」は相手のバランスを少し崩すことができるだけであるが、それが手の操作や一部は体の操作でできるところに工夫があった。これも技の中で使うことで大きな有効性が得られることになる。これは「寸勁=発勁」も同様である。こうした特殊な技法は「技の流れの中で有効性を発揮し得る」という部分が顧みられなくなり、ただ「合気」や「発勁」だけで卓越した効果が得られるように喧伝されたことには問題があった。また「発勁」を説明するものとして体内で「爆発」が起こっているような図が示されたりもしたが、これも失笑を免れまい。寸形は急激な加速を行うことで相手に「衝撃」を与える。この急激な加速は力をある程度抜いた方がうまく得られる。ただそれだけであるが、これを攻防の中で使うとするのであえば、それなりの技術と修練が必要となる。発勁はその自体が「秘伝」なのではなく、その使い方が「秘伝」となるのである。

道徳武芸研究 「発勁」という秘伝(中)

道徳武芸研究 「発勁」という秘伝(中) 「寸勁」は珍しい技術ではあるが、それは「卓越した技術」という程のものではない。そうであるから中国武術ではこれを特別に重視することはない。「寸勁」は攻防の技術の中で用いられることで有効となるのであってそれだけで相手を倒すことは出来ない。また中国武術の北派は「勁」を使い、南派は「力」を使うので北派の方が高いレベルにあるというようなこともいわれるが、北派でも「力」の語を使うことは少なくない。八卦拳では初めに「力」を鍛え、次に「気」を養って、最後には「力」と「気」を統合させるとしている。そうして。それらが統合した力のことを「定力(底力)」と称する。日本において「発勁」が特別な意味合いをもって認識されるようになるのは、同時期に「合気」という特別な技術の「発見」があったことが前提として考えられる。実は「合気」も「発勁」も松田隆智によって広められた概念で、松田は中国武術に触れる前に神秘的な力としての「合気」を認識していた。それと同様な「神秘の力」として中国武術では「発勁」が見い出されたという経緯が考えられるのである。つまり発想の原点は「合気」にあったのであり、そうであるから中国で「発勁」を特別なものとして認識されることがないのである。大東流の「合気」はそれを使って相手に触れれば動くこともできなくなるというものとされていた。  

第十章【世祖 解説】

  第十章【世祖 解説】 魂とは「人の陽」であり、「人の陰」はつまりは魄ということになる。魂は「神」であり、聖人の性は安定していて、神は乱れることがない(凝)。為さずして物事が運び、神は常に魄に載せられている(魂が魄にとらわれていない状態)。人々は物質にとらわれて性を使う。そうなると神は混濁して安定することがない。耳や目は声や物にとらわれ、鼻や口は匂いや味にとらわれ正しく働かなくなっている。そうであるから魄は常に神を載せていることになる(神が魄にとらわれている状態)。そのため神を抱いて、それを魄に載せるようにさせるのであり、またこれらを離れないようにさせる。これが聖人の修身の要である。長生きで健康である(長生久視)ことができる秘訣である、つまり健康長寿の道にあっても、また神を抱いてそれを魄の上に載せるこが重要なのである。神が治まらないと気は乱れてしまう。そうなると強い者は戦いを好み、弱い者はただ畏れを抱くだけとなるが、こうしたことを自覚することができない。神が治まれば、気は集まって(専気)、分かれることが無い。柔であって乱れることが無いのである。「嬰児」でなければどうしてこれをよくすることができるであろうか。聖人は外には魄をして魂を載せることはない。内には気をして魂を使うことはない。つまり超然としていて「玄覧(奥深い智慧)」にこだわることはないのである。いやしくもこれを見てこれを忘れることはない。有ではなく有であり、無ではなく無である。そうであるから、どうして「病」に勝つ(問題を解決する)必要があろうか。ここでは玄妙なる見方と共に、それを「滌浄(浄化)」されているのである。そうすれば種々において「病(問題)」とするところを見ることがないのである(個々の問題にとらわれない)。もしそうであれば、いやしくもこれを誤解して虚無寂滅の学(虚無的な教え)と近いものとすることがないであろう。それは「魄を営む」を載せるとは何を言っているのかを知ることがないのであり、それはただ静かであることではないのである。つまり「民を愛し国を治める」とはよく無為であることであるが、つまりは「無為を為す」ということなのである。「専ら気を柔に致す(専気致柔)」とは自分を閉じることを謂うのではない。つまり「天門の開闔(こう)」してよく「雌」となることなのである。つまりは「雄が雌を守る」ということである(

第十章 【世祖 注釈】〔両儀老人訳〕

  第十章 【世祖 注釈】〔両儀老人訳〕 「魄を営み一を抱く」を載(やすん)じて、よく離れること無からんや。 〔「肉体を活性化させて心を安定させる」ということを常にして、これから離れることがないようにしなければならない〕 「載」は乗せるということである。「営魄(魄を営む)」とは魂魄のことであり。「抱一(一を抱く)」とは相い合わさって一つになることである。 専ら気を柔に致す。よく嬰児たらんや。 〔気をただに柔らかくする。それはいろいろな得るべきでないものを未だ得ていない嬰児のようである〕 「嬰児」は無知であり、ただ気の働きがあるのみである。何も出来ないので、その気は至柔となっているのである。 玄覧を滌除すれば、よく疵なからんや。 〔物事を奥深いところをよく見る働きを汚れのないものとしたならば、大体において間違いの生じることはない〕 「玄覧」とは玄妙を見るということである。これに執着したなら、つまりは瑕瑾を免れることはできない。そうであるからこれを「滌除」するのである。 民を愛して国を治めれば、よく無為たらんや。 〔民を愛して国を治めるというあるべきことを実行しようとするのであれば、無為でなければならない〕 愛をして民を愛する。愛は必ずすべてに行き渡ることはない。事をして国を治める。国は必ず治まることはない。清浄無為であれば、つまり民は自ずから治まるものである。 天門の開闔(こう)すれば、よく雌たらんや。 〔自然の奥深いところを知る働きを開こうとするのであれば、雌のように積極的でない存在でなければならない〕 「天門」とは心のことである。心が出入りしてもその姿を見ることはできない。これを「天門」というのである。「開闔」とは心が働いて変化をするということである。「雌たらん」とは静を守って動を養う(守静養動)ことである。 四達すること明白なれば、よく知ること無からんや。 〔あらゆるところのことを知る働きが開いたならば、あえて知ろうとすることはない〕 内外は明らか(明白)であれば、中心もはっきりとするのであり、そこには知識は必要ない。ために「よく知ること無からん」といっているのである。 これを生(しょう)じ、これを畜(やしな)えば、生じて有らず。為して恃(たの)まず。長じて宰(つかさど)らず。これを玄徳と謂う。 〔奥深いところを知る働きが開いて、その働きを養ったならば、知の働き

道徳武芸研究 「発勁」という秘伝(上)

道徳武芸研究 「発勁」という秘伝(上) 「発勁」は日本においては中国武術を象徴する語ということもできるであろう。「発勁」は神秘の技術とされ、これを習得することで高い武術的な能力が得られるとされた。しかし、一方で中国の武術書では「発勁」という語を見ることさえ稀れなのである。また「発勁」が特別な技術として扱われることもない。「発勁」はあくまで「勁(ちから)を発する」という意味であるに過ぎないのである。日本で「発勁」が特別な技術として見なされるようになったのはそれが「寸勁」を意味するためであった。3センチほどの短い距離で拳を当てても相手にダメージを与えることができるからである。寸勁は発勁のひとつの形であり、ほかにも「勁」のつく語には相手の動きを知る聴勁などがある。つまり「勁」は中国武術においては「武術的に使える能力」を意味するものとして使われているのである。「寸勁」はブルース・リーが「1インチ・パンチ」として空手の試合などのデモンストレーションで行ったことで有名となった。ブルース・リーが拳を相手の胸のあたりに当てると相手はバランスを大きく失って後方、数メートに飛ばされる。  

第九章【世祖 解説】

  第九章【世祖 解説】 この章では守身の道について述べている。盈(みつ)れば必ず溢れるということを知って、身をるのである。もし盈ることなくて、身を安んずることができれば、それが第一である。鋭いものは必ず折れるのを知って、まずは鍛えて(揣)これを鋭くしなければ、長く保つことができる。そうであるから満ちても溢れることがないようにしなければならない。そうすれば長く富を保つことができるのである。自分のキャパシティの範囲で盈たす。そうであるから金玉が堂に満ち溢れれば、これをよく守ることはできない。高いといっても、自分のキャパシティの中であれば危いとは限らない。そのようにすれば長く富貴を守ることもできる。鍛えてそれを鋭くすること、富貴であってそれを奢ることは同じであり、そこには自ずから咎が存することになる。同じく功を成して名を遂げる。そして常に謙遜、謙譲の心が存している。つまり無私であって、私を成すのである。そこに「天の道」を得ることができる。

第九章 【世祖 注釈】〔両儀老人訳〕

  第九章 【世祖 注釈】〔両儀老人訳〕 持してこれを盈(み)たす。それに如かざるのみ。揣(きた)えてこれを鋭くす。長く保つべからず。 〔自分の能力の範囲内で得るべきものを得るようにする。それが最良である。鍛錬をして刃物を鋭くし過ぎる。そうなると長く鋭さを保つことはできない〕 盈(みつ)れば必ず溢れるので、その溢れるのを恐れるのである。そうであるから左右を支える。これを「持」とする。鋭ければ必ず折れる。それを恐れて、あまり鋭くなり過ぎないようにして、これを折れないように「治」めるのである。 金玉、堂に満る。これを能(よ)く守ることなし 〔財産が家に満ちている。これを盗まれないように用心することは大変であり、できるものではない〕 貪りを戒めている。 富貴にして驕(おご)る。自ずからその咎(とが)を遺(のこ)す。 〔財産のあることを自慢する。その弊害は当然のことながら免れることはできない〕 傲慢を戒めている。 功成りて、名を遂げるは、天の道たり 〔功績があって有名になるのは、天の道である〕 功成りて、名を遂げる。そこに謙譲の心が存していれば「天の道」ということができる。

道徳武芸研究 「発勁」という秘伝(下)

  道徳武芸研究 「発勁」という秘伝(下) 大東流の「合気」からは、合気道での「宇宙と一体となる」ような説明は観念的であるとされたが、一方では大東流の「合気」を習得すれば「触れられただけで合気により動けなくなる」などの説明も、十分に「観念的=荒唐無稽」ということができるものである。大東流の「合気」は相手のバランスを少し崩すことができるだけであるが、それが手の操作や一部は体の操作でできるところに工夫があった。これも技の中で使うことで大きな有効性が得られることになる。これは「寸勁=発勁」も同様である。こうした特殊な技法は「技の流れの中で有効性を発揮し得る」という部分が顧みられなくなり、ただ「合気」や「発勁」だけで卓越した効果が得られるように喧伝されたことには問題があった。また「発勁」を説明するものとして体内で「爆発」が起こっているような図が示されたりもしたが、これも失笑を免れまい。寸形は急激な加速を行うことで相手に「衝撃」を与える。この急激な加速は力をある程度抜いた方がうまく得られる。ただそれだけであるが、これを攻防の中で使うとするのであえば、それなりの技術と修練が必要となる。発勁はその自体が「秘伝」なのではなく、その使い方が「秘伝」となるのである。

道徳武芸研究 「発勁」という秘伝(中)

  道徳武芸研究 「発勁」という秘伝(中) 「寸勁」は珍しい技術ではあるが、それは「卓越した技術」という程のものではない。そうであるから中国武術ではこれを特別に重視することはない。「寸勁」は攻防の技術の中で用いられることで有効となるのであってそれだけで相手を倒すことは出来ない。また中国武術の北派は「勁」を使い、南派は「力」を使うので北派の方が高いレベルにあるというようなこともいわれるが、北派でも「力」の語を使うことは少なくない。八卦拳では初めに「力」を鍛え、次に「気」を養って、最後には「力」と「気」を統合させるとしている。そうして。それらが統合した力のことを「定力(底力)」と称する。日本において「発勁」が特別な意味合いをもって認識されるようになるのは、同時期に「合気」という特別な技術の「発見」があったことが前提として考えられる。実は「合気」も「発勁」も松田隆智によって広められた概念で、松田は中国武術に触れる前に神秘的な力としての「合気」を認識していた。それと同様な「神秘の力」として中国武術では「発勁」が見い出されたという経緯が考えられるのである。つまり発想の原点は「合気」にあったのであり、そうであるから中国で「発勁」を特別なものとして認識されることがないのである。大東流の「合気」はそれを使って相手に触れれば動くこともできなくなるというものとされていた。

第十章【世祖 解説】

  第十章【世祖 解説】 魂とは「人の陽」であり、「人の陰」はつまりは魄ということになる。魂は「神」であり、聖人の性は安定していて、神は乱れることがない(凝)。為さずして物事が運び、神は常に魄に載せられている(魂が魄にとらわれていない状態)。人々は物質にとらわれて性を使う。そうなると神は混濁して安定することがない。耳や目は声や物にとらわれ、鼻や口は匂いや味にとらわれ正しく働かなくなっている。そうであるから魄は常に神を載せていることになる(神が魄にとらわれている状態)。そのため神を抱いて、それを魄に載せるようにさせるのであり、またこれらを離れないようにさせる。これが聖人の修身の要である。長生きで健康である(長生久視)ことができる秘訣である、つまり健康長寿の道にあっても、また神を抱いてそれを魄の上に載せるこが重要なのである。神が治まらないと気は乱れてしまう。そうなると強い者は戦いを好み、弱い者はただ畏れを抱くだけとなるが、こうしたことを自覚することができない。神が治まれば、気は集まって(専気)、分かれることが無い。柔であって乱れることが無いのである。「嬰児」でなければどうしてこれをよくすることができるであろうか。聖人は外には魄をして魂を載せることはない。内には気をして魂を使うことはない。つまり超然としていて「玄覧(奥深い智慧)」にこだわることはないのである。いやしくもこれを見てこれを忘れることはない。有ではなく有であり、無ではなく無である。そうであるから、どうして「病」に勝つ(問題を解決する)必要があろうか。ここでは玄妙なる見方と共に、それを「滌浄(浄化)」されているのである。そうすれば種々において「病(問題)」とするところを見ることがないのである(個々の問題にとらわれない)。もしそうであれば、いやしくもこれを誤解して虚無寂滅の学(虚無的な教え)と近いものとすることがないであろう。それは「魄を営む」を載せるとは何を言っているのかを知ることがないのであり、それはただ静かであることではないのである。つまり「民を愛し国を治める」とはよく無為であることであるが、つまりは「無為を為す」ということなのである。「専ら気を柔に致す(専気致柔)」とは自分を閉じることを謂うのではない。つまり「天門の開闔(こう)」してよく「雌」となることなのである。つまりは「雄が雌を守る」ということである(

第十章 【世祖 注釈】〔両儀老人訳〕

  第十章 【世祖 注釈】〔両儀老人訳〕 「魄を営み一を抱く」を載(やすん)じて、よく離れること無からんや。 〔「肉体を活性化させて心を安定させる」ということを常にして、これから離れることがないようにしなければならない〕 「載」は乗せるということである。「営魄(魄を営む)」とは魂魄のことであり。「抱一(一を抱く)」とは相い合わさって一つになることである。 専ら気を柔に致す。よく嬰児たらんや。 〔気をただに柔らかくする。それはいろいろな得るべきでないものを未だ得ていない嬰児のようである〕 「嬰児」は無知であり、ただ気の働きがあるのみである。何も出来ないので、その気は至柔となっているのである。 玄覧を滌除すれば、よく疵なからんや。 〔物事を奥深いところをよく見る働きを汚れのないものとしたならば、大体において間違いの生じることはない〕 「玄覧」とは玄妙を見るということである。これに執着したなら、つまりは瑕瑾を免れることはできない。そうであるからこれを「滌除」するのである。 民を愛して国を治めれば、よく無為たらんや。 〔民を愛して国を治めるというあるべきことを実行しようとするのであれば、無為でなければならない〕 愛をして民を愛する。愛は必ずすべてに行き渡ることはない。事をして国を治める。国は必ず治まることはない。清浄無為であれば、つまり民は自ずから治まるものである。 天門の開闔(こう)すれば、よく雌たらんや。 〔自然の奥深いところを知る働きを開こうとするのであれば、雌のように積極的でない存在でなければならない〕 「天門」とは心のことである。心が出入りしてもその姿を見ることはできない。これを「天門」というのである。「開闔」とは心が働いて変化をするということである。「雌たらん」とは静を守って動を養う(守静養動)ことである。 四達すること明白なれば、よく知ること無からんや。 〔あらゆるところのことを知る働きが開いたならば、あえて知ろうとすることはない〕 内外は明らか(明白)であれば、中心もはっきりとするのであり、そこには知識は必要ない。ために「よく知ること無からん」といっているのである。 これを生(しょう)じ、これを畜(やしな)えば、生じて有らず。為して恃(たの)まず。長じて宰(つかさど)らず。これを玄徳と謂う。 〔奥深いところを知る働きが開いて、その働きを養ったならば、知の働き

道徳武芸研究 「発勁」という秘伝(上)

  道徳武芸研究 「発勁」という秘伝(上) 「発勁」は日本においては中国武術を象徴する語ということもできるであろう。「発勁」は神秘の技術とされ、これを習得することで高い武術的な能力が得られるとされた。しかし、一方で中国の武術書では「発勁」という語を見ることさえ稀れなのである。また「発勁」が特別な技術として扱われることもない。「発勁」はあくまで「勁(ちから)を発する」という意味であるに過ぎないのである。日本で「発勁」が特別な技術として見なされるようになったのはそれが「寸勁」を意味するためであった。3センチほどの短い距離で拳を当てても相手にダメージを与えることができるからである。寸勁は発勁のひとつの形であり、ほかにも「勁」のつく語には相手の動きを知る聴勁などがある。つまり「勁」は中国武術においては「武術的に使える能力」を意味するものとして使われているのである。「寸勁」はブルース・リーが「1インチ・パンチ」として空手の試合などのデモンストレーションで行ったことで有名となった。ブルース・リーが拳を相手の胸のあたりに当てると相手はバランスを大きく失って後方、数メートに飛ばされる。

第九章【世祖 解説】

  第九章【世祖 解説】 この章では守身の道について述べている。盈(みつ)れば必ず溢れるということを知って、身をるのである。もし盈ることなくて、身を安んずることができれば、それが第一である。鋭いものは必ず折れるのを知って、まずは鍛えて(揣)これを鋭くしなければ、長く保つことができる。そうであるから満ちても溢れることがないようにしなければならない。そうすれば長く富を保つことができるのである。自分のキャパシティの範囲で盈たす。そうであるから金玉が堂に満ち溢れれば、これをよく守ることはできない。高いといっても、自分のキャパシティの中であれば危いとは限らない。そのようにすれば長く富貴を守ることもできる。鍛えてそれを鋭くすること、富貴であってそれを奢ることは同じであり、そこには自ずから咎が存することになる。同じく功を成して名を遂げる。そして常に謙遜、謙譲の心が存している。つまり無私であって、私を成すのである。そこに「天の道」を得ることができる。

第九章 【世祖 注釈】〔両儀老人訳〕

  第九章 【世祖 注釈】〔両儀老人訳〕 持してこれを盈(み)たす。それに如かざるのみ。揣(きた)えてこれを鋭くす。長く保つべからず。 〔自分の能力の範囲内で得るべきものを得るようにする。それが最良である。鍛錬をして刃物を鋭くし過ぎる。そうなると長く鋭さを保つことはできない〕 盈(みつ)れば必ず溢れるので、その溢れるのを恐れるのである。そうであるから左右を支える。これを「持」とする。鋭ければ必ず折れる。それを恐れて、あまり鋭くなり過ぎないようにして、これを折れないように「治」めるのである。 金玉、堂に満る。これを能(よ)く守ることなし 〔財産が家に満ちている。これを盗まれないように用心することは大変であり、できるものではない〕 貪りを戒めている。 富貴にして驕(おご)る。自ずからその咎(とが)を遺(のこ)す。 〔財産のあることを自慢する。その弊害は当然のことながら免れることはできない〕 傲慢を戒めている。 功成りて、名を遂げるは、天の道たり 〔功績があって有名になるのは、天の道である〕 功成りて、名を遂げる。そこに謙譲の心が存していれば「天の道」ということができる。

道徳武芸研究 李香遠の「暗腿」(下)

  道徳武芸研究 李香遠の「暗腿」(下) 太極拳の套路に採腿が暗蔵されていることは手揮琵琶や提手上勢、肘底看捶などに踵を付ける歩型として見ることができる。これは相手の攻撃を迎えている姿勢であるが、一方で採腿によりその攻撃の勢を止めようとしてもいる。こうした腿法は間合いとしてカウンターに近いものとすることができる。手では相手の攻撃を受け流し(化、走)ているので、相手の注意はそちらに向いている。この時、腿法は死角において用いることが可能となる。こうした状況からすればこれは八卦掌のいう暗腿に属すると解することもできよう。また太極拳ではこの腿法の勢を使って前に出る勢を得て反撃をする。そうであるから受けから攻撃に転ずるのに新たなアクションを起こす必要はない。採腿にはこのような意味もあるのでこれを単に蹴りとしないで腿法(足の使い方)と規定しているのである。この「採鯛」の奥義は呉家には伝えられたが、武家には伝えられなかったようで、武英では「採鯛」を明示している手揮琵琶などの歩法は虚歩となっている。これは陳家でも同様であるから陳家の影響とすることもできるかもしれない。

道徳武芸研究 李香遠の「暗腿」(中)

  道徳武芸研究 李香遠の「暗腿」(中) このように套路の動きの中に蹴りなどが一見しては分からない形で含まれていることを「暗蔵」という。暗蔵された腿法であるからこれを「暗腿」ということもできる。同じ「暗腿」でも八卦掌などの暗腿とは使い方は異なっている。太極拳の暗腿は基本的には採腿を用いるもので八卦章のような多彩な腿法を使うことはない。またこれは形意拳の崩拳で用いられるのと同じである。この踏み込むような腿法はひじょうに有効である。この「採腿」は形意拳では実は劈拳の初めの動作において用いられている(暗蔵)のであるが、この段階では明示されてはいない。そして、あえて崩拳の回身式で「狸猫上樹」に入れたている。それを初めから「採腿」を教えないためである。もし崩拳の回身式を「狸猫上樹」ではなく、ただ体を反転させるだけの動作としたならば形意拳の「採腿」は永遠に伝授れることは無いことになる。このように歩法を含む腿法は実に秘密にされて来たのであった。

第八章【世祖 解説】

  第八章【世祖 解説】 聖人はすでにその身を後にして自分を卑下し、その身を外にして自らの主張することがない。そうであればどうして、こうした善において争うことのあるのを見ることがあるであろうか。つまり一陰一陽を「道」と称するのであり、これを受け継ぐことが「善」なのである。上善とは「道の善」ということであり、天下の人々が皆、知っている一般的な善とは違っている。それを水のようとする。つまり水とは土地を潤すものであり、きれいに洗うものでもあって、万物を利する働きを有している。また人々の嫌うところや汚いところにも赴く。ために「道の善」に近いのである。つまり水は七つの善を兼ね備えていて争うことがない。そうであるから聖人に近いとされる。こうした境地に留まることは、また善を実践することにでもある。静かな気持ちで居ると、心は「善淵(訳注 淵を臨んでいるような深みのある静かな境地)」となる。仁が天下を覆えば、これは「善仁」ということになる。謹んで言葉を使えばその言葉は「善信」となる。そうなれば国は正しく治まるであろう。政治もまた「善治」となるであろう。嫌うことなく曲がったことにも当たれば、それは「善能」となる。適切な時に行えば、行為もまた「善時」となる。人は善を行っていても、他人がそうではないことがある。そうした時には争いとなる。聖人はあらゆる善を実践するが、自分からあえてそれを意図的に実践しようとはしていない。そうであるから天下において争うことがないのであり、天下において怨んだり、間違っていると思う人物も眼中にないこととなる。

第八章 【世祖 注釈】〔両儀老人訳〕

  第八章 【世祖 注釈】〔両儀老人訳〕 上善は水のごとし。水は善にして万物を利して争わず。衆人の悪むをところとす。故に道にちかし。 〔上善は水のようである。水は善であり万物に等しく利益を与えて争うことがない。また他の人の嫌うところでも気にすることはない。そうであるから道の象徴とされるわけである〕 「争わず」とは、争わないで高潔なところに居るということである。「人の悪むところ」とは見下されることである。「道にちかし」とは、道にあれば善であるので、そのようであるということである。 善地に居て、 〔善なるところに居て〕 高いところを避けて下にいるのであるが、それを全く嫌うことがない。これが「善地」である。 善淵を心とす。 〔善なる淵に居るような心境となり〕 空虚静黙はどのように深くても窮まることがない。これが「善淵」である。 善仁と与(とも)にして、 〔善なる仁とともにいて〕 万物をよく沢(うるお)す。施しても報いを求めることがない。これが「善仁」である。 善信を言う。 〔善なる信用において発言をする〕 円であれば旋回が始まる。方であれば必ず折れる。塞がれば必ず止まる。決(き)れれば必ず流れる。これが「善信」である。 善治に政をして、 〔善なる統治をして政治を行い〕 諸々の汚れを洗浄する。そうしてあるがままであれば上下ともに善く治まることであろう。 善能を事とす。 〔善なる能力を用い〕 物にあって形を与えるも、一定の形に留まることがない。これが「善能を事とす」である。 善時に動けば、 〔善なる時に動いたならば〕 冬には凍り、春には溶ける。それは時節を誤ることがない。これが「善時」である。 それただ争わざる。故に尤(あやま)つことなし。 〔善なるものは争うことがない。そうであるから間違うこともないのである〕 水にはこれまでに述べられた七つの善が象徴されている。そうであるから争わないのは、高潔であるのであり、そうであるから怨まれたり道を誤ったりすることがないのである。

道徳武芸研究 李香遠の「暗腿」(上)

  道徳武芸研究 李香遠の「暗腿」(上) 楊露禅の伝えた套路では足を上げる動作が含まれていた。これは呉家の快架にも残されている。露禅は初めは実戦用に改めた套路を教えていた。これは武禹襄に対しても同様であり、北京に出てからは全佑(呉鑑泉の父親。満州族)においても等しく実戦用の套路(楊家ではこれを「長拳」と称する)が伝授されたのであった。呉家では後に露禅の息子の班侯から本来の太極拳である慢架を習った。ために呉家太極拳には二つの套路(慢、快)を有することとなった。足を上げる動きは快拳の方に見られるが、このことをしても実戦用の套路、つまり露禅が教えた套路に足を上げる動作のあったことが伺えるのである。またこうした動作は楊澄甫の弟子の董英傑の套路においても見ることができる。これは李香遠から示唆を受けたものとされている(『太極拳秘術』で触れた)。董が南方へと太極拳を広めて行く旅に出ようとした時、李香遠は、「君の太極拳では実戦には不十分である」として、足を上げる練方を教えたとされる。これは蹴りへの変化を含むものであり、これは実戦には欠くことのできない奥義である。太極拳の多くの動作にはこうした蹴りが隠されて(暗蔵)いる。よく「太極拳は相手の攻撃を受けてから反撃をする」などという人がいるが、それは正しくない。実際は相手の攻撃を受けると見せて同時に攻撃をしている。それは拳訣に「相手が動かなければことらは動かない。相手が動けばそれよりも先に動く」とあることでもわかるであろう。