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丹道逍遥 財神の系譜・毘沙門天と大黒天〜「神と仏」展から〜

  丹道逍遥 財神の系譜・毘沙門天と大黒天〜「神と仏」展から〜 現在、大倉集古館では「人々を援け寄り添う神と仏 道釈人物画の世界」展が開かれている。「道釈」は道教と仏教のことで、七福神に代表されるような「吉祥神」の信仰のあり方を図像から見ていこうとするものである。正月には各地で七福神めぐりも行われているので、こうした神々に出会う機会を持つ人も少なくないであろう。七福神が祀られているところは多いが、大体においてそれは主神ではない。そうであるから正月の七福神めぐりの時でないと姿を見られないところもある。こうした民間信仰に根ざす神仏は「表」の神ではなく「裏」の神、あるいは「影」の神といった方が良いのかもしれない。民衆の心のあり方が如実に反映されているものということができるであろう。こうした現実的な願望を叶えようとする信仰は特に中国で盛んである。「神と仏」展では「仏」も入っているのであるが、それは中国経由の「仏」であり、ある意味では道教と同化した「仏」であるということもできよう。 そうした中で特に興味深かったのは五〜六世紀に作られたとされるクベーラ像である。クベーラは仏教に取り込まれて四天王の多聞天となるのであるが、この神は中央アジアで財神へと変容する。展示されているのは、そうした時期の像で左手に袋(解説では「長い財布」とある)、右手に盃を持って、太鼓腹の姿を見せている。一見すると大黒天のようにも見えてしまう。一方で大黒天はインドではマハーカーラと称される戦闘神で、財神となるのは日本に入ってからのようである。マハーカーラにはいろいろな形があるが、袋を持つようなものはないのではなかろうか。展示されている「三面大黒天図」は、多面多臂で戦闘神としての姿をよく残している。ただこの大黒天は大黒天の他に毘沙門天、弁才天の三つの顔を持ち、後に七福神となる三つの神が既に習合した姿を見せているのは興味深いところであろう。大黒天、毘沙門天は財神であるし、本来は琵琶を持つ技芸の神としての弁「才」天も後には弁「財」天として財神と見なされるようになる。つまり三面大黒天は全て財神なのである。また同神は豊臣秀吉の念持仏という伝えもあり、それとされるものが圓徳院に祀られている。また三面大黒天は最澄がもたらしたのが始めとされていて、現在でも延暦寺の大黒堂が、その信仰の中心地になっている。 大黒天は「...

道徳武芸研究 「文」と「武」の馬歩〜武術遺産の継承とは〜

  道徳武芸研究 「文」と「武」の馬歩〜武術遺産の継承とは〜 古武道大会を見て何時も思うのは「何の意義を見出して稽古をしているのであろうか」という疑問である。柔道や空手などでさえ日常生活において攻防に使うことはほぼない。ましてや刀や槍を使うことは皆無と言えよう。おそらく古武道を習う殆どの人は好きで練習しているものと思われる。趣味としての武術練習も悪くはないのであるが、そこに何らかの意義を見出すことも文化の継承という点においては不可欠でもある。武術思想史的な見地からすれば、日本においてはスポーツとしての意義によって武術文化は現代に継承されたとすることができる。結果として「古武道」と「現代武道」の乖離が生じた。それを象徴するのが競技化である。現代武道を練習するおおきな動機に「試合に勝つこと」がある。また段位を得ることも動機のひとつと言えるであろう。ただ、こうした動機は武術文化の本質に根ざすものではない。このような日本の状況に対して中国では「養生=心身の安定」という視点が見出されるようになる。これを武術において初めて言い出したのは孫禄堂のようであるが、いまだ孫はそうしたことを明確に意識することはできず、先天の気や後天の気などの語を用いているに留まってはいた。 本稿で取り上げている馬歩は、中国武術の基本功である。しかし現在は健康法として広く行われている。日本では立禅として坐禅の教本にも出ている。足を組んでの坐禅はなかなか大変なところもあるので椅子に坐ったり、立ったりする禅のひとつとして紹介されているのである。こうしたところには全く武術的な要素を見ることはできない。そもそも立禅として紹介されている胸の前で両掌の指先を合わせて構えるやり方を「立禅」と称するのは太気拳のみであった。立って行う瞑想を立禅と称するのは近世の儒教などで一部に行われていたが、こうした場合に手は坐禅のように腹部のあたりで組むことが多かったようである。禅宗では坐禅を「釈迦が悟った姿」として最重要視するので、これに対して儒教的な瞑想法のひとつとして立って行う禅が考案されたのである。 太気拳の「立禅」のもとになったのは意拳(大成拳)の「トウ(手扁に掌)抱式」である。そしてこのトウ抱式は、武術の基本功である馬歩(騎馬歩)に由来している。ただ馬歩の場合は大腿部が地面と水平になるくらい低い姿勢で鍛錬するのが標準...

姚姫伝『老子章義』自題三則

  姚姫伝『老子章義』自題三則 『老子』には六朝(三世紀〜四世紀頃)以前にも多くの注釈がなされている。その中で伝わることが無いものに「河上公章句」がある。これは現在、多く偽物が流布しているが、何も『老子』を理解し得ていない者が作っており、それを神仙に仮託したりしたものもある。唐の頃には皇帝は老子の子孫とされていて『老子』は正式なテキストとなっていた。そして、そこにある「神仙の術」を最重要視していた。このため「河上公章句」が偽作されたのである。こうした注釈は一見して適切であるように感じられるかもしれないが、根本的な部分において誤りがある。そうではあるから仙術に傾倒していた唐の皇帝は「河上公章句」の都合のよいところだけを取って、その全体の是非についての詳しい論考に及ぶことはなかったのである。ただ現在までこの注釈は広く読まれている。 宋の蘇子由は深く『老子』を研究した。蘇は章分けをして解説をしているが、それでは『老子』の本義が分からなくなってしまう。加えて、よく意味が分からないところにも無理な解釈をして、分かったように見せかけている。また従来の明確でない解釈を改めようとしているが、これも必ずしも妥当とはいえない。またその解釈は短い部分だけをしていることもあるし、数百字に及ぶ長い箇所を区切りとしている場合もあるが、もし『老子』を正しく解釈しようとするのであれば、全体を読むべきで、余計な注釈を差し挟むべきではない。蘇子由のものも読むには当たらないであろう。 『荘子』には老子のことも書かれている(雑編 天下)。それには老子は「他人は皆、先を取ろうとするが、自分は後を取る。これは『天下の後に居る』ということである。他人は皆、実を得ようとするが、自分は虚を取る。虚は無限であるからである。限りが無いからである。限りが無いから極まることもない。自分は行動しても疲れることがない。それは(虚であり)無為であるからである。こうした自分を笑う者は皆、福を求めようとする。しかし自分はそうではない。福を求めなくても良いと思う。そうすることで(禍福を離れて)不幸を免れることができるからである」と「無為」を述べたとあるが、これは全くの誤りであろう。 以上「河上公章句」の偽物であることは劉知幾も述べている。蘇子由のことは多くの人が知っているであろうが、知幾のことはそれ程、知られてはいまい。 乾隆...

道徳武芸研究 西郷頼母の「密伝」〜知っているか?!合気の「技」が試合に使えないことを!〜

  道徳武芸研究 西郷頼母の「密伝」〜知っているか?!合気の「技」が試合に使えないことを!〜 ここで言う「試合」とは競技としての試合と実戦としての試合の二つの意味がある。こうした形稽古以外の自由度の高い攻防において合気道の「技」が全くと言って良い程、使えていない。それは何故か、ということであるが、そのことは既に西郷頼母が密かに伝えていたことでもあったのである。 柔道でも空手でも基本的には形稽古の技が乱取りや自由組手で使えている。こうしたところで問題となるのは競技試合に強くなるのには形の稽古よりも、試合に向けた稽古をした方が良い、という点で、そうなると形稽古の意義は何処にあるのか、というものである。しかし、それは当然のことであって、ルールのある競技として行うのであれば、それに合わせた稽古をするのが最も効率的であることは間違いのないことであろう。そうではなく大東流や合気道の場合には、ある程度の自由な攻防においてさえ「技」が殆ど使えないという点にある。有名な「王者の座」では藤平光一が駐留軍人と思われるアメリカ人を相手にするが、何とか力ずくで制することができたのは柔道の技のような動きであった。その後、植芝盛平も技を掛けようとするが、なかなかうまくは行っていない。 合気道の競技「試合」化は早く富木謙治によって行われた。富木は柔道の出身であり、基本的な考え方は柔道にあるとすることができる。そうしたこともあって植芝盛平が認めていなかった競技「試合」化に意義を見出していたようである。植芝はその宗教的な理念から晩年は特に「争わない」ことを重視していたこともあって、合気道の中核団体である合気会を始めとして殆どの団体で試合を行うことはない。現在まで一部に「試合」の試みもなされているが、なかなか合気道で練習している技を使うことができないでいる。また富木流でも試合を行おうとすると当身技と関節技の分離が見られる。本来、関節技は当身、投げの後に来るもので柔道では投げから固め技に入る。また投げ技も実戦では相手を当身である程度、制してからでなければ掛けることは難しい。まして関節技を最初から掛けることは、ほぼ出来ない。ここに関節技を主体とする大東流や合気道の実戦における使い難さがあるわけである。またこのために「合気」という特殊な技術が必要とされるようにもなっている。こうしたこともあり当身技を重...

丹道逍遥 文始派秘訣「帰一」

  丹道逍遥 文始派秘訣「帰一」 「帰一」は「万教帰一」と同じような意味で、あらゆる教えは文始派に帰するとするものである。つまり老子が中国で説いたのが道教で、インドに行って教えたのが仏教であったとした上で、道教と仏教の源流となるものを老子は函谷関で関尹子に説いたとするのである。これは架空の説ではあるが中国仏教は道教の影響を受けて中国化しており、その最たるものが禅宗であった。また宋代になると儒教も道教の影響を受けて新儒教(朱子学)が生まれる。その意味で「道教」の根源にあるものを知ることの重要性を文始派は説いているわけである。これは日本の仏教が神道の影響を受けて「祈り」の教えとなったのと同じであり、そうした「神道」を縄文時代に淵源する「古神道」とするのも同様の考え方によっている。それは教義を越えたところの精神文化的な風土感というべきものかもしれない。 文始派では、そうした道教、仏教の奥にある「真の教え」を追究している。 例えば「回光返照」は、仏教では仏性を光として、それによって自己の内面を照らす(見つめる)ことであるとする。一方、道教では光を陽気として、それを巡らせる小周天のこととする。文始派では、目を閉じて坐ることをいう。この場合の光は意識のことで、それを外に向けないで内に返すこととするわけである。こうした文始派の解釈と仏教、道教の教えは根本的には自己の内面を見つめる瞑想をする、という点では一致しているのであるが、仏性であるとか、陽気などが介入することがないのが文始派の特徴といえるわけで、結果として仏教も道教も否定するものではない。ただ、それらに共通するさらに奥深い視座のあることを示しているのである。あらゆる教えを否定せず、その奥義が語られるということが「帰一」の考え方である。 また「虚室生白」は、仏教では「空(=虚)でなれば他のものを受け入れることはできない」とされていて、他にも「通底打破(桶の底を抜く)」というような言い方もされる。これも「空」となれということである。一方、道教では陽光が現れることをいうとする教えがある。瞑想をしていてある段階を越えると陽気の光(陽光)が幻視される。これをいうとする説である。文始派では「虚」が感得されると意識が「白」となると教える。つまり思い込みのリセットが可能となる、ということである。この語の出ているのは『荘子』であり、そ...

道徳武芸研究 八卦掌は何故「投げ技」の体系となったのか

  道徳武芸研究 八卦掌は何故「投げ技」の体系となったのか 現在、八卦掌は「投げ技」を主体とする武術として認識されている。ただし本来の八卦拳には、そうした傾向を見ることはできない。一説によれば、八卦掌が掌だけを使うものであるために打法としての用法が分からないことが原因で「投げ技」とされるようになったと言われることもある。確かに八卦掌には直線の動きが少ないし、拳を用いることもないので、どのように相手を打ったら良いのか分からないということもあろう。また形意拳とあわせて伝えられることが多いことも、形意拳を打撃技、八卦掌を投げ技とする体系へと収斂させる要因となっているとも考えられる。また実際の攻防を考えても、打撃から投げへと展開するパターンは有効でもあり、日本の柔術でも同様である。こうした有効性があることもあって「八卦掌=投げ技」が定着しているのであろうが、そもそもの起こりはどういったところにあるかは、大きな疑問でもある。八卦掌だけを見ていると「そうしたものか」と思うかもしれないが、源流である八卦拳から見れば「投げ技」への展開は起こり得ないことなのである。 八卦拳は「羅漢拳(八卦拳)」と「八母掌(八卦掌)」で構成されている。この中で八卦掌として流転したのは「八母掌」の部分である。八卦拳では「八母掌」を内功の練法としており、攻防は「羅漢拳」をして練ることとなっている。形意拳家で八卦掌をよく習得した人物に孫禄堂(1861〜1932年)が居て『八卦拳学』を著しているが、それを見ても八母掌は内功を練るものとして位置付けられている。また同書には「飛九宮」の練法が紹介されているように攻防の技法としては入身の歩法が八卦掌に求められていた。これが発展して行くと八母掌の他に攻防の動きを含んだ八大掌などが考案されることになる。そして八母掌は「老八掌」などとして実戦は専ら八大掌が担うようになるのである。「老八掌と八大掌」あるいは「先天八掌と後天六十四掌」などの体系は本来の八卦拳の「「八母掌と羅漢拳」に相当するもので、八卦掌においても八卦拳のシステムは踏襲されていると見ることができる。しかし、こうした中にも特に「投げ技」へ特化する傾向を見ることはできない。 同じく形意拳家の黄柏年(1880〜1954年)の『龍形八卦掌』では対打に「角觝」の語が見えている。「角觝」とは古代中国で行われていた「...

宋常星『太上道徳経講義』第八十一章

  宋常星『太上道徳経講義』第八十一章 (1)この章で『老子』は終わる。この章は三つの部分で成り立っている。序としての一段があり、それに続いて聖人から一般の人のことに及ぶのが第二段である。天の道から聖人の道へと至るのが第三段となる。 (2)これらのベースとなるのは「道は言語をしては表すことができないが、言語をもってしてしかそれを説明することもできない」ということである。 (3)つまり道はある種の超越的な理解をするしか知りようのないものなのである。 (4)道は言語をして表そうとすれば、その行為そのものが道からの乖離となる。 (5)(古代の思想家である)楊朱、墨子、禽滑釐、宋子、尹文子、彭祖、彭蒙、田駢、慎到、恵施、恒タン、公孫龍、黄繚などが道について述べているが、それぞれ言う事が違っていて同じではない。そうであるからどれかを軽々に信ずることもできないし、どの説が妥当であるのかも分からない。 (6)ために老子は『老子』五千言をして、それ以上を述べることはしなかった。 (7)それで聖人や天の道について一応の説明をして、それで良しとしたのであった。 (8)道について老子は多くを語ってはいない。もし道について多くを語ることで、それを明らかにできるのであれば老子はそうしたであろう。しかし、そうではない。いくら言を費やしても道そのものを明らかにすることはできないのである。 (9)この章では、道を言語をして説明するのは難しいことではないが、それによって道そのものが明らかになるわけではない、ということが述べられている。 (10)つまり道についての知識がいくらあっても道そのものを知ることはできないということである。いくら多言を弄しても道そのものを語ることはできないのである。 1、本当のことを言っていると、それは嘘のように聞こえる。嘘を言っていると、それは本当のように聞こえる。好ましい行為は不適切であるように見える。不適切である行為は好ましいように見える。多くのことを知っている人は何も知らないように見える。何でも知っているように見える人は、本当は何も分かっていない。 (1−1)言っていることに事実が対応している、言っていることが実現する、そうであれば言われたことは本当の事ということになる。 (1−2)真実の言葉は一語一語に間違いがなく、全く余計なものは含まれていない。適当に聞き良...

道徳武芸研究 武術的生活「三住期」

  道徳武芸研究 武術的生活「三住期」 インドには四住期という考え方がある。これは「学生期、家住期、林住期、遊行期」をいうものである。学生期は学びの時期で、家住期は家族との生活を営む時期、林住期は自然の中でひとり暮らす時期、そして遊行期は漂白の旅に出る時期とされる。林住期は日本でいえば「隠居」生活ということになろう。また遊行期は終活の時期とすることができるのかもしれない。このように人は年齢によってライフスタイルを変化させて行くものなのであるが、これに中国武術での「鍛、錬、養」の三期をあてはめてみたのが「三住期」であるが勿論、中国武術にはこうした言い方はない。それはただ人生を三つに分けるだけではなく、一日をもこの三つに分けるからである。つまり起きてから寝るまでを「一生」ひとつのサイクルとみるわけである。 具体的にいえば「鍛」期は青年期であり、身体的な負荷を掛ける練習をして基礎を習得して行く。次いで中年期は「錬」期で動きの精妙さが追究される。そして老年期は「養」期で心と体の統合が目指される。つまり「鍛、錬、養」は身体的な部分から徐々に精神的な部分へと移行して行くプロセスでもあるわけである。そうしたことを「低、中、高」でいうこともある。青年期には充分に姿勢を低くして運動量を確保しなければならない。一方で中年期からは体力の衰えに応じて、姿勢を「低」から「中」そして「高」へと変化させて行くことになる。ただこの場合、意図してそうするというよりは「心身の状態がベストである」ところ、つまり適度な運動量になるようにして、自然とそうなるようでなければならない。こうしたプロセスを明らかにしているのは何時までも「鍛」にこだわって無理をして「低」い姿勢を続けなければならないものではないことを教えるためである。 また、これは「守、破、離」の段階でもある。青年期では学ぶことが主体となる。この時期は自分の考えにこだわるよりも、とりあえずは教えられた通りにやってみることが重要である。そうすることで自己の知見を広げることができる。そして中年期になれば経験も深まって来ているので、自己の思いや感じ方と伝えられていることとに矛盾がないか考えてみることが必要となる。伝えられている事の全てが正しいわけではないし、時代や地域によっては伝えられたことが正しく機能しなくなっていることもある。そうした「矛盾」を...

丹道逍遥 TVドラマ「媽祖拝観音」と三教合一

  丹道逍遥 TVドラマ「媽祖拝観音」と三教合一 「媽祖拝観音(媽祖、観音を拝する)」は1995年に台湾の中視(中国電視公司)から放送された台湾語による媽祖をテーマにしたメロドラマである。台湾ではケーブルテレビが広く受け入れられており中視のような「地上波」は当時人気がなかったが「媽祖拝観音」は異例のヒットをしたことで新聞などでもよく取り上げられていた。この時期、留学をしており、おもしろく見た記憶がある。今はYoutubeで見ることができる。第26話の終わりに出演者が媽祖像を拝する映像が挿入されているのは大ヒット記念のセレモニーの一場面である。媽祖役は張庭で後に女優として大成する。大陸ともビジネスをして「お騒がせ」報道もあったりしたが、そうしたことは勿論、当時は思いも寄らないことであった。 三教合一とは儒教、道教、仏教が、その真理をひとつにしているという考え方である。こうした言い方は主として道教において唱えられている。それは道教には儒教や仏教のような明確な教えがないからである。主として道教では媽祖のような「神」を拝んで自分の願いを成就させようとする。しかし中国人は倫理的な行為が幸運を導くとする考え方が古くからある。それが「天」の働きであるとされることもあり「天網」や「天佑」という語も見ることができる。これは善行には善報があり、悪行には悪報があるとする思想である。 番組の構成からすれば後に媽祖となる林黙娘が「道教」を象徴しており、その実践する善行は社会的倫理の実践を謳う「儒教」そして、それらを通して内的な完成を得るのが「仏教」というイメージとなろう。つまり林黙娘が儒教的な社会実践を通して内面的に成長して媽祖となるという構図が伺えるわけである。 媽祖信仰は中国全土は勿論、東南アジアでも広く見ることができる。特に盛んなのは台湾で媽祖を主人公としたドラマも多く作られている。ただ、そのほとんどは媽祖の霊験を示すものである。一方「媽祖拝観音」は媽祖となる前の娘時代の林黙娘が主人公となる。そうであるから自身が特別な霊験を示すことはなく「聖女」として振る舞うだけで、周りの人を救済しようとするのであるが、それを妨害しようとする勢力に対抗する術もない。そこを観音信仰により得た観音の霊的な助けによって人々の救済を果たすわけである。 もともと媽祖信仰は十世紀頃に東シナ海の孤島であるビ...