道徳武芸研究 武術的生活「三住期」

 道徳武芸研究 武術的生活「三住期」

インドには四住期という考え方がある。これは「学生期、家住期、林住期、遊行期」をいうものである。学生期は学びの時期で、家住期は家族との生活を営む時期、林住期は自然の中でひとり暮らす時期、そして遊行期は漂白の旅に出る時期とされる。林住期は日本でいえば「隠居」生活ということになろう。また遊行期は終活の時期とすることができるのかもしれない。このように人は年齢によってライフスタイルを変化させて行くものなのであるが、これに中国武術での「鍛、錬、養」の三期をあてはめてみたのが「三住期」であるが勿論、中国武術にはこうした言い方はない。それはただ人生を三つに分けるだけではなく、一日をもこの三つに分けるからである。つまり起きてから寝るまでを「一生」ひとつのサイクルとみるわけである。

具体的にいえば「鍛」期は青年期であり、身体的な負荷を掛ける練習をして基礎を習得して行く。次いで中年期は「錬」期で動きの精妙さが追究される。そして老年期は「養」期で心と体の統合が目指される。つまり「鍛、錬、養」は身体的な部分から徐々に精神的な部分へと移行して行くプロセスでもあるわけである。そうしたことを「低、中、高」でいうこともある。青年期には充分に姿勢を低くして運動量を確保しなければならない。一方で中年期からは体力の衰えに応じて、姿勢を「低」から「中」そして「高」へと変化させて行くことになる。ただこの場合、意図してそうするというよりは「心身の状態がベストである」ところ、つまり適度な運動量になるようにして、自然とそうなるようでなければならない。こうしたプロセスを明らかにしているのは何時までも「鍛」にこだわって無理をして「低」い姿勢を続けなければならないものではないことを教えるためである。

また、これは「守、破、離」の段階でもある。青年期では学ぶことが主体となる。この時期は自分の考えにこだわるよりも、とりあえずは教えられた通りにやってみることが重要である。そうすることで自己の知見を広げることができる。そして中年期になれば経験も深まって来ているので、自己の思いや感じ方と伝えられていることとに矛盾がないか考えてみることが必要となる。伝えられている事の全てが正しいわけではないし、時代や地域によっては伝えられたことが正しく機能しなくなっていることもある。そうした「矛盾」を見出したなら自分なりの「解決」をして行かなければならない。そして最後には自分の心身の状態に合わせて稽古をする。ここでは主体は「自分」になる。かつて馮志強に「自らが演じている套路と、教えていることが違う」との疑問が言われたことがあったが、これは教えているのは伝統的な技術であり、演じているのは自分にカスタマイズしたものであるためである。指導者としては教えるのは、あくまで標準である伝統的な套路であるのが好ましいと考えていたのであろう。


こうした自己流にカスタマイズする「養」を実際に行うために近代以降、太極拳の果たす役割が大きくなっている。動きの激しい通臂拳や蟷螂拳のようなものを習得している武術家は中年以降は徐々に太極拳の練習を増やして行く人も少なくないようである。教門長拳の韓慶堂は楊家太極拳を、蟷螂拳の衛笑堂は呉家太極拳を若くして取得していた。韓の太極拳は中央国術館で楊澄甫から交換教授で習ったものという。楊の方はこの経験を基に「長拳」を考案する時の参考にしたらしい(ちなみに太極拳の「長拳」は一般的には砲捶とされる実戦性の高い套路のことで、これはそれぞれの指導者が時代や環境に応じて独自に考案することになっている。そうであるからこれと教門の「長拳」とは名称は同じでも全く関係はない。太極拳の「長拳」も古くから存している)。韓の伝えた楊家も弟子に受け継がれているし、衛の呉家も独自な工夫を加えられて衛式として伝承されている。他には摔跤の常東昇も太極拳を会得しており、これも摔跤の技術を加えたものが常式として伝えられている(常式には大陸で呉家の系統に常遠亭が伝えたものも常式と称されているものもある)。

これら韓慶堂、衛笑堂、常東昇が伝えた独自に変化した太極拳は、これらの人がそれを作ろうと意図したというよりは自分の持っている技術が自然に太極拳の動きと融合してイノベーションを起こしたとみるべきであろう。つまり「鍛」の時期に習得した自己の専門とは異なる太極拳が「練」を通して「養」の時期にひとつの「風格」を持つまでになって来たということであり、これはまさに「守、破、離」の過程そのものであるともいえる。このように専門とは別の套路で「養」を練れば馮志強のような「混乱」は弟子には生まれないことであろう。


また他には「大、中、小」の別をいう見方もある。これは動作の大小で運動量の違いをいっていると理解されることも多いが技の緻密さを表すと考える向きもある。つまり初心の頃の大雑把な動作から長い練習を積んで緻密な動作へと変化をして行くということである。最後の緻密な動作は中国武術ではよく「緊奏」という語をもって表現される。「緊奏」とは「緻密」「緊密」であることである。同じ動作を繰り返すことでひとつの動きに含まれる「情報」が多くなって行き、多彩な変化が可能となる。こうした状態を「緊奏」という。こうしたものを得るにはある意味での「漫然」「惰性」の稽古である必要がある。現在ではそうした稽古は否定的に捉えられることが多いが、とにかく同じことを繰り返すことで見えてくるものがあるのであり、それが生み出すのが「機能美」である。近年、広く注目されるようになった民芸の美もこうした芸術家ではない職人の生み出した美を基調としている。


おもしろいことに宮本武蔵の『五輪書』にも「鍛、錬、養」の考え方を見ることができる。武蔵は三十歳でそれまでの修行を振り返ってみたという。そうして自分がどうして勝つことができたのか、よく分からないので、更に稽古をしたと記している。つまり三十歳で稽古が別の段階に入ったということである。これが「鍛」から「練」への変化であった。そして五十歳では「兵法の道」への自分なりの悟りを得たとしている。五十歳を境に更に稽古が変わったということである。五十歳以降は自分が悟り得たことを基に、それを「養」う稽古になったのである。

この中で武蔵は「朝鍛、夕錬」という語も用いている。朝は基礎的な動き、夕には精妙な動きを練ったということであろう。さらに夜には本を読んだり、絵を描いたりする「養」の稽古をしていたのかもしれない。つまり優れた身体感覚を持つ武蔵は独自に「鍛、錬、養」が武術の稽古にとってあるべきものであることに気がついていたと思われるのである。こうして日々の稽古を積み重ねて行くことで、自己実現をしようとするのが「鍛、錬、養」の三住期というライフスタイルである。


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