道徳武芸研究 八卦掌は何故「投げ技」の体系となったのか

 道徳武芸研究 八卦掌は何故「投げ技」の体系となったのか

現在、八卦掌は「投げ技」を主体とする武術として認識されている。ただし本来の八卦拳には、そうした傾向を見ることはできない。一説によれば、八卦掌が掌だけを使うものであるために打法としての用法が分からないことが原因で「投げ技」とされるようになったと言われることもある。確かに八卦掌には直線の動きが少ないし、拳を用いることもないので、どのように相手を打ったら良いのか分からないということもあろう。また形意拳とあわせて伝えられることが多いことも、形意拳を打撃技、八卦掌を投げ技とする体系へと収斂させる要因となっているとも考えられる。また実際の攻防を考えても、打撃から投げへと展開するパターンは有効でもあり、日本の柔術でも同様である。こうした有効性があることもあって「八卦掌=投げ技」が定着しているのであろうが、そもそもの起こりはどういったところにあるかは、大きな疑問でもある。八卦掌だけを見ていると「そうしたものか」と思うかもしれないが、源流である八卦拳から見れば「投げ技」への展開は起こり得ないことなのである。


八卦拳は「羅漢拳(八卦拳)」と「八母掌(八卦掌)」で構成されている。この中で八卦掌として流転したのは「八母掌」の部分である。八卦拳では「八母掌」を内功の練法としており、攻防は「羅漢拳」をして練ることとなっている。形意拳家で八卦掌をよく習得した人物に孫禄堂(1861〜1932年)が居て『八卦拳学』を著しているが、それを見ても八母掌は内功を練るものとして位置付けられている。また同書には「飛九宮」の練法が紹介されているように攻防の技法としては入身の歩法が八卦掌に求められていた。これが発展して行くと八母掌の他に攻防の動きを含んだ八大掌などが考案されることになる。そして八母掌は「老八掌」などとして実戦は専ら八大掌が担うようになるのである。「老八掌と八大掌」あるいは「先天八掌と後天六十四掌」などの体系は本来の八卦拳の「「八母掌と羅漢拳」に相当するもので、八卦掌においても八卦拳のシステムは踏襲されていると見ることができる。しかし、こうした中にも特に「投げ技」へ特化する傾向を見ることはできない。


同じく形意拳家の黄柏年(1880〜1954年)の『龍形八卦掌』では対打に「角觝」の語が見えている。「角觝」とは古代中国で行われていた「相撲」のことである。黄は中央国術館の教師でもあり同書は中央国術館のテキストとして編まれた。こうした背景から考えれば台湾に伝えられている同じく中央国術館で編纂されたとされる「龍形八卦掌」は黄柏年の編纂した八卦掌の後継形ということもできるのかもしれない。黄の『龍形八卦掌』ではそれ程「投げ技」への展開は明確ではないが「龍形八卦掌」では「投げ技」への展開が明らかである。また興味深いことに「龍形八卦掌」には呉家太極拳の影響も見ることができる。呉家太極拳を編んだ呉家は満州族の相撲を伝える家であったとされるので、こうした部分にも「投げ技」との関連を伺うことができる。


中央国術館は近代中国に勃興した国術運動に連動して設立されたもので中央国術館を中心に各省に分館を置いて全国的に武術教育を行おうとしていた。それは日本が柔道を中心とする武術教育により強い兵を生み出すことができたと考えられたことも要因としてある。こうした中で柔道の優位性がイメージされて中国武術の「投げ技」への展開が重視されたのではないかと思われるのである。つまり八卦掌の「投げ技」への展開のもとは黄柏年にあると考えられるわけであり、それに影響を与えたのは柔道ではないかと思われるのである。「龍形八卦掌」のベースは孫派の八卦掌である。孫禄堂も中央国術館の教師をしており、黄の先輩でもあった。「龍形八卦掌」にはこうした孫禄堂、黄柏年といった中央国術館の伝統が色濃く反映されているのである。


余談であるが他に中央国術館で採用された武術に八極拳がある。私見では中国ではマイナーが八極拳が採用されたのも「投げ技」への展開が可能であることがあったのではないかと考えている。八極拳の頂肘が肘打ちではなく、相手を掴んでの技であることは以前にも触れたが、これは例えば奥襟を掴んで引き落とすと同時に相手の掴んでいる腕を肘で制する形でもある。中国相撲には一人形があるが、それには肘打ちのような動きが多い。しかし、それは肘打ちではなく投げ技への展開の中で相手の動きを制するための肘法なのである。八極拳が把子拳とされていたのも「把」つまり「相手を掴む」ことを主体とする武術であったからであろう。ちなみにシステムとして相手を掴むまでの攻防が六大開などの秘伝となっている。これは柔術でいう当身の部分である。


日本の武術は古くは倭寇の刀法が中国の刀法に決定的な影響を与えたことがある。そうした形をほぼそのままに伝えるのは苗刀である。ただ「苗刀」という名称からは中国の少数民族である苗族の刀法というイメージを持ってしまう。しかし実際には苗族にはそうした刀法は伝わっていない。近代になって日本の文化人類学者である鳥居龍蔵が苗族と日本の文化の近しいことを指摘したことを受けて、日本由来の刀法としたくないためにあえて苗族の刀法としたものと思われる。つまり日本の刀法は苗族から伝わって、それが日本から中国へ入って来たとする考えが背景としてあったように思われるのである。黄柏年の「角觝」も柔道は中国古代の「角觝」が日本に伝わったものとする思いが背景にはあるのかもしれない。

以上に見てきたようにいろいろな要因があって現在、八卦掌は「投げ技」の体系として理解されているが、それはそれで好ましいあり方であるようにも思われる。ただ源流の八卦拳は一般的な拳術であることを最後に付言しておこう。


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