道徳武芸研究 「文」と「武」の馬歩〜武術遺産の継承とは〜
道徳武芸研究 「文」と「武」の馬歩〜武術遺産の継承とは〜
古武道大会を見て何時も思うのは「何の意義を見出して稽古をしているのであろうか」という疑問である。柔道や空手などでさえ日常生活において攻防に使うことはほぼない。ましてや刀や槍を使うことは皆無と言えよう。おそらく古武道を習う殆どの人は好きで練習しているものと思われる。趣味としての武術練習も悪くはないのであるが、そこに何らかの意義を見出すことも文化の継承という点においては不可欠でもある。武術思想史的な見地からすれば、日本においてはスポーツとしての意義によって武術文化は現代に継承されたとすることができる。結果として「古武道」と「現代武道」の乖離が生じた。それを象徴するのが競技化である。現代武道を練習するおおきな動機に「試合に勝つこと」がある。また段位を得ることも動機のひとつと言えるであろう。ただ、こうした動機は武術文化の本質に根ざすものではない。このような日本の状況に対して中国では「養生=心身の安定」という視点が見出されるようになる。これを武術において初めて言い出したのは孫禄堂のようであるが、いまだ孫はそうしたことを明確に意識することはできず、先天の気や後天の気などの語を用いているに留まってはいた。
本稿で取り上げている馬歩は、中国武術の基本功である。しかし現在は健康法として広く行われている。日本では立禅として坐禅の教本にも出ている。足を組んでの坐禅はなかなか大変なところもあるので椅子に坐ったり、立ったりする禅のひとつとして紹介されているのである。こうしたところには全く武術的な要素を見ることはできない。そもそも立禅として紹介されている胸の前で両掌の指先を合わせて構えるやり方を「立禅」と称するのは太気拳のみであった。立って行う瞑想を立禅と称するのは近世の儒教などで一部に行われていたが、こうした場合に手は坐禅のように腹部のあたりで組むことが多かったようである。禅宗では坐禅を「釈迦が悟った姿」として最重要視するので、これに対して儒教的な瞑想法のひとつとして立って行う禅が考案されたのである。
太気拳の「立禅」のもとになったのは意拳(大成拳)の「トウ(手扁に掌)抱式」である。そしてこのトウ抱式は、武術の基本功である馬歩(騎馬歩)に由来している。ただ馬歩の場合は大腿部が地面と水平になるくらい低い姿勢で鍛錬するのが標準で、意拳のような高い姿勢ではない。ただ意拳でも古い時代には低く行っていたようであるが、その姿勢は時代を追うにつれて徐々に高くなって行き、現在では膝を少し緩めるくらいになっている。太気拳は戦前に意拳を習得した澤井健一によって日本に紹介されたものであるから意拳としては古い時代と新しい時代の中間あたりの形を伝承しており、姿勢も中腰より少し高いくらいが標準であるようである。
ここでの「武」の馬歩とは武術の基本功としての低い姿勢のものをいうのであるが、その姿勢では長く続けることは難しい。そこで鍛錬法としては馬歩の他に弓歩や虚歩などを組み合わせて、足が痛くなったら次へ次へと姿勢を変えていく。最初は全体で5分くらいから始めるが、それでも初心者は馬歩、弓歩、虚歩を何回か繰り返すことになる。5分が一通りで出来るくらいになると10分、20分と時間を伸ばして行くことになる。一方、意拳では長い時間、功を練るのを良しとして1時間くらいを標準とする。こうなると一般には他の姿勢での鍛錬をする時間もなくなるので馬歩だけで充分ということにもなり、現在は馬歩だけを健康法として鍛錬する人が多くなっているようである。こうした武術的なものから完全に離脱した馬歩を「文」の馬歩とここでは称している。
長い時間の馬歩の鍛錬はジャッキー・チェンの映画などでも出てくるが大変な「苦楝」を象徴するものでもある。こうした馬歩を一般の人でもある程度、長時間できるように高い姿勢で教えたのが意拳の王向斉であった。つまり従来は単なる肉体の鍛錬法のひとつでしかなかった馬歩を精神(意)の安定をも含む「心身の鍛錬法」として広く認知させたのが「意」拳であったのである。陳家太極拳の馮志強は毎日1時間ほどの馬歩を練っていたようである。馮は中腰から少し高いくらいで武術的な鍛錬として行っていた。
武術の基本功である馬歩が武術から離脱する傾向は、意拳で既に「技撃トウ」と「養生トウ」の区別が見られることでも、うかがえる。ただ意拳の主流はあくまで「技撃」性の追究にあったのであり「養生」は二次的なものでしかなかったように思われる。またこうした「養生」への覚醒へと連なる動きは1950年代に気功が知られるようになったこととも関係していよう。
1949年に中共政権が大陸で樹立されると、旧来の文化的弊害は否定されて、新たな視点からの見直しが行われた。こうした中で武術や宗教などで行われていたさまざまなエクササイズが「迷信」とされる思想を除いて「養生」法として人々に公開されて行った。これが「気功」である。また武術では太極拳運動としても展開されており、二十四式などの太極拳が、こうした風潮の中で考案された。つまり、新しい時代のエクササイズの目的とするのは「養生」であって、格闘技術の能力や悟りなどの旧来の価値観によるものではなかったのである。
こうした中で武術からは、一つには万人の健康法として二十四式などが生み出され、また一方では競技用の套路も考案されて競技スポーツとして発展して行ったわけである。こうした広くスポーツとして旧来の「武術」の枠組みを超克することを目途として行われたのが太極拳運動であったわけであり、これは思想的には気功の流れと軌を一にしている。そうであるから二十四式に攻防の意味を見出そうとするのは全くの逆行ということになる。特に二十四式の細部を見れば、あえて武術的な要素を抜いていることも分かるし、競技用の套路では全く武術的な展開に配慮されてはいない(攻防の間合いが見られない)。
「文」の馬歩のような功法は、専ら意拳によるのかというと、そうでもない。伝統的には「予備式」と称されるものがある。これは太極拳にもあるが、両手を体側に垂らしてただ立っているだけの姿勢を「予備式」と称する。大体において「予備式」が重視されることはないが外丹功などでは、この式によって「先天の気が発生する」として欠かせないものと教える。ちなみに「先天の気が発生する」とは意識を内に向けるということである。ある意味で意拳の馬歩にこうした「予備式」的なものへの指向性のあったことは意拳の有名な指導者である李見宇が、腕を腹部のあたりまで降ろしたトウ抱式である「トウ抱浮托トウ(このトウは「椿」に似た字)」を重視していることでも明らかと言えるのかもしれない。つまり意拳において馬歩は低い姿勢の「武」としての馬歩から高い姿勢へと代わり(トウ抱式)、そして腕を降ろす形(トウ抱浮托トウ)へと変化して行ったと考えることができるのであり、その先には完全に腕を降ろした「予備式」のようなものになることも想定されるわけである。
こうした中で「高い馬歩」つまり「文」の馬歩が単独で広く受け入れられているのは、それがある適度の肉体的な負荷と精神的なリラックスをもたらす絶妙なバランスにあるからなのかもしれない。そして、それは「文」と「武」を共に有するものでもある。中国では古くから「文」と「武」の融合が説かれるが、その核心は精神と肉体の適切なバランスであるということができよう。結果として、これはまた養生法としても優れている。「文」の馬歩の発見は攻防の技術としての武術から心身を整える養生法への転換となる大きな起因となっているのかもしれない。