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道徳武芸研究 「簡易」と「簡化」の太極拳〜鄭曼青の求めた奥義〜

  道徳武芸研究 「簡易」と「簡化」の太極拳〜鄭曼青の求めた奥義〜 太極拳において「簡化」といえば簡化太極拳を思い浮かべる人も居るであろう。現在は簡化というより二十四式として知られている。これは1956年に制定されたもので主として人々の健康増進を目的として考案され、かつては「太極拳運動」とも称されていた。後に四十八式(1976年)や四十二式(1987年)など多くの太極拳套路が制定されるが、これらは主として試合用の套路であり簡化とは一線を画している。日本では八段錦とあわせて楊名時がカルチャーセンターを中心に全国に普及した。そうしたこともあって日本で「太極拳」といえば簡化をイメージされることが多いようである。 一方、簡易式は鄭曼青の定めた三十七式をいう。他には鄭子太極拳と称する場合もあるが、これは戦前に編まれされたもので、主として台湾で広まっている。ここで注目したいのは「簡化」と「簡易」の違いである。これらは一般には「簡単な」という意味で理解されていて「簡化」太極拳も一部には「簡易」太極拳と称されていたこともあった。このように「簡易」は「簡単な」ということなのであるが、それには「簡化(簡単にしてある)」という以上の意味が込められている。簡易式は太極拳の「奥義」に順じるものとして考案されたのでもある。 もともと「簡易」は『易経』に由来する語で繋辞伝に、 「乾は易をもって知り、坤は簡をもってよくす」 とある。つまり「簡易」とは「陰陽」のことなのである。「陰陽」とは何かというと、それは世界を成り立たせている根本の法則であり、世界は陰と鷂で出来ている。それが交わり、変化することで万物の生成がなされていると考えるわけである。こうした根本法則のことを道家では「道」と称する。中国では古来からあらゆるものを統一する原理があるのではないかと考えられてきた。それが何かは分からないが、とりあえず「道」という語をあてて、それが解明される時を待っているわけである。あるいはそうした統一原理のようなものは無いと将来、証明されるかもしれないが、中国ではそれがあると考えられてきたのである。 「簡易」は、そうした統一原理を明らかにしようとした試みの中から得られた概念のひとつである。周の時代の『易』は乾坤をして世界のあり方を示していたら、これが儒教に入って繋辞伝が付されて、そこでは乾坤が簡易であるこ...

丹道逍遥「霊的国防」と「霊的自衛」

  丹道逍遥「霊的国防」と「霊的自衛」 霊的と物的の違いは完全な合一が可能であるか否かにあるともいえよう。霊的な合一は神秘体験としてよく説かれている。神との合一から宇宙との合一まで宗教の世界では「大いなるもの」と合一することで従来までの「自分」の考え方が劇的に変化したことが経験されたとされている。こうした極端なものでなくても、誰しも親しい人や物との「深い縁=合一感」を感じることがあろう。国防や自衛の空間は、ある意味で対立の極みともいうべきものである。そうしたところにおいて「合一」を体験することで対立を超えたあり方を模索しようとするのが、霊的な国防であり自衛なのである。 先ず始めに触れておかなければならないのは「霊的国防論」を唱えたのは友清歓真であるということである。友清は神道天行居と称する団体を作って神秘的な言説をよく唱えていた。その思想は一般には「古神道」の系統とされ、大本教にも深く関係していた鎮魂法で有名な本田親徳の影響を強く受けている。また神仙道やユダヤ陰謀論なども主要なテーマとなっている。そうした中に友清は霊的な国防というものを説いているわけである。それは朝鮮の白頭山の天池や日本の武甲山上、洞爺湖、台湾の日月潭などで祭祀を行うことで可能となる、というものでイメージとしては結界を張るといったものとなろう(戦前は朝鮮も台湾も日本の植民地であった)。 こうした考え方の背景として太平洋戦争の頃には盛んに神社参拝が行われて戦勝祈願がなされてた事実がある。こうした行為は霊的国防観によるものということもできるであろう。そして最後には鎌倉時代の蒙古襲来の時のような「神風」が吹くことを願う人も少なくなかったようである。圧倒的に日本が物質戦において劣勢にあることは日々の生活からも明らかとなって来ていた戦争末期にはそうしたところに活路を見出すしかなかった(迷信に頼るしかなかった)わけである。また軍部などでも「精神戦」が重視されていて厳しい思想統制がなされていた。台湾や朝鮮など植民地には神社が作られ現地の住民に参拝が強制されていたようであるが、こうしたことも広い意味では霊的な結界であり、霊的国防ということができるであろう。 また先の大戦の頃には真偽は不明であるが高野山で調伏護摩が焚かれて特に三角の護摩壇が作られたとかいわれている。こうした迷信による霊的国防が全く機能しなかっ...

道徳武芸研究 「折れない腕」と熊膀と

  道徳武芸研究 「折れない腕」と熊膀と 「折れない腕」は心身統一合氣道の藤平光一が言い出したことで、伸ばした腕に力を加えて、それを折り曲げようとしても折り曲げられなくなれば「気が出ている」とされるものである。通常は力で押されると肘のところで腕は曲がるのであるが、腕に「気」が流れることで折り曲げられなくなる、ということらしい。養神館合気道の塩田剛三も臂力の養成に着目しているので、ある種の腕の力=臂力が合気道と深い繋がりのあることを合気会から出て独自の会派を立ち上げた二人が共に述べているのはおもしろい。何か合気会にはない新しさをアピールしたかったのかもしれない。ちなみに中国武術でも通臂功という功法があって「腕=肘=臂」を重要視している。 一方、熊膀の「膀」とは「体側」のことであるが、一般に「脇」と言われることと同じである。よく「脇を締める」とか言うところの「脇」である。ボクシングの試合などでは疲れてくると「脇が空いて来た」とされる。脇が空いてしまうと強く打つことができなくなる。またいろいろな運動で「脇を締める」ことが注意される。それは「脇」とされるところを「締める」ことで集中した力を出すことができるようになるからである。こうしたことを形意拳では特に「熊膀」の秘訣としている。それは熊の巨大な力は「膀=脇」から出ていると考えるからである。 形意拳では「熊膀」を完成するには「龍身」を行わなければならないとする。「龍身」は腰を引いて胸を開く身法であるが、これには幾つかの注意点があり、そうした秘訣を守ることができるようになれば「脇」を意識できるようになる。そうした状態で拳を練ると次第に「熊膀」が練られて来るわけである。つまり「龍身」と「熊膀」はひとつのものなのである。八卦拳では横向きの構えをとるが、これはまさに「熊膀」を意識させるのに有効であるからに他ならない。八卦拳では「龍身」を特に強調するが「龍身」が完成することはすなわち「熊膀」が練れているということでもある。八卦拳は形としては形意拳よりもさらに「熊膀」を重視しているといえよう。 こうして見ると「折れない腕」は実は「熊膀」のことを言っていたことが分かるのである。臂力の養成というのも、これは「熊膀」のことであるわけである。そうしたことと合気道がどうして関係して来るのか。それには植芝盛平も重視した「三角体」を見なければ...

宋常星『太上道徳経講義』第七十一章

  宋常星『太上道徳経講義』第七十一章 (1)大いなる道はどこにでも存している。至理もあらゆるところで働いている。 (2)人の認識は本来、限りのあるものであるから、それをあらゆるところに及ぼそうとしても出来ることではない。全てを理解できると思うのは人の認識の限界を知らないからである、といえよう。 (3)ただ知ること、知らないことによる弊害があるわけではない。知らないことがあるのを問題視する必要はない。知らないということが分かっていれば良いのである。 (4)自分がどれくらい分かっているのかをよく理解して、分かっていないことを盲信することがなければ良いわけである。 (5)聖人が知っていることとは、多くの人において、まさに知っていることと知らないことの区別がついていないことがある、ということである。ここで述べられているのはまさにこの点である。 (6)この章では世の人は知らないことでも、強いて知っているように思い込もうとすることの弊害が述べられている。それについて詳しく教えが説かれている。 1、分かっているのは「上」は分からないということである。 (分かっているのは「下」に対して「上」があるということだけであり「上」そのものがどのような存在であるのかは分かっていないのである) (1−1)何事でもよく理解し得ていて、及んでいないところのないのが「分かっている」ということである。 (1−2)そうであるなら「分かっていない」とは、どのようなことなのであろうか。それは明らかでないということである。考えが及ばず、混沌としていることである。 (1−3)細かな内実までをも、よく知っていて、外面に迷わされることがなく、あらゆることに通じていると思っているのは、かえって何も分かっていないということである。 (1−4)これは「『上』が分かっている(上限まで全てが分かっている)」という状態である。しかし、そうしたことはないのであるから、つまりは「分かっているのは『上』は分からないということである」とあるのである。 【補注】宋常星の解釈では「『上』つまり上限まで全てが分かっていると思い込んでいるのは、本当は分かっていないのである」ということになる。それは人の理解できる範囲には限りがあるからである。ただ「上」だけをして全体をいうとする解釈には無理があるであろう。ここは「上」「下」といった相対...

道徳武芸研究 如何に「合気」を練るべきか〜システム論の立場から〜

  道徳武芸研究 如何に「合気」を練るべきか〜システム論の立場から〜 合気道や大東流で問題となるのは「合気」の技が効かないという点である。最近は動画などで他の武術の経験者や全く武術の経験のない人に技を掛けるシーンを少なからず見ることができるが、その場合には二ヶ条や小手返しなど関節技が主であり、本来もっとも特徴的であるはずの「合気」を使った技は行われない。それは「合気」を使った「技」が技として成立しないからである。演武では少し触れただけで派手に飛ばされる「弟子」も説明している時にうっかりしていて「合気」を掛けていることが前提となっていることを聞き逃したりしてしまうと「普通」に先生の手を取ったままで居たりする(「合気」を掛けているという前提がなければ少し腕を動かしたくらいでは動きようがない)。 孫子は「彼を知り己を知れば百戦殆からず」と教えている。技として成立していない「技」を日常的に繰り返すことは「己」を見失うことになるし「彼」をも知ることができなくなる。もし正しく「彼」を把握していれば「合気」の「技」が通常の意味での技として成立していないことが分かるであろうし、そうなればそうした無意味な稽古は是正されることになろう。さらに悪いことに「合気」の迷路は触れないで相手を倒したりするなど他の武術をやっている人からすれば全くの迷妄の世界に迷うことになるのである。ここで述べようとするのは、こうした迷妄に陥る原因が合気道、大東流のシステムから由来しているのではないか、ということである。 大東流は、柔術、合気柔術、合気之術の三大技法によって構成されるのが本来の形であるとしたのは鶴山晃瑞であった。以降、この分類は便利なのでいろいろな人が使っている。しかし、これらの区分の個々の違いは必ずしも明確ではない。どれも基本的には柔術の技と見えてしまうからである。しかし、こうした分類に何らかの妥当性を多くの人が認めているのは、システムとして大東流にそうした分類を成立させる「何か」があると感じられているからであろう。 私見によれば柔術は制圧法であり、それは関節技を主体としている。これに対して合気柔術は離脱法であり、これは呼吸投げなどに代表される。合気之術は現在の大東流では柔術技とされているがシステム論上からは合気上げとされるべきであろう。掛からない技として問題となるのは「合気柔術」の部分で...

丹道逍遥「失楽園の悪魔学〜神秘学の視点から〜

  丹道逍遥「失楽園の悪魔学〜神秘学の視点から〜 西欧には悪魔学なるものがある。これはひとつには自然信仰の名残り、つまり「非」キリスト教的なものが悪魔信仰とされ、それを研究する学問としてある。東洋でいうなら神道や道教は悪魔信仰ということになろう。こうしたキリスト教以外の信仰が悪魔を信仰する行為と見なされて来たわけである。そうした中には、信仰だけではなく民俗医療や演劇など多彩な文化が含まれている。 一方でサバト(悪魔集会)に象徴されるような人々の夢想的レベルでの表明も悪魔信仰とされていた。日常生活では社会的な倫理つまりキリスト教的な倫理観に抑圧されており、それがいろいろなストレスを生んでいた。そうした意識レベルのストレスを解放する仕組みとして夢想的な悪魔信仰もあったのである。 そうであるから悪魔学は、まさに多彩な民族(民俗)の精神文化の宝庫ともいえる。それはキリスト教によって滅ぼされた精神文化の貴重な遺産でもある。インカなどはそうしたものが残されるよりも早く文化破壊が進行してしまって、インカの精神文化については分からないことが多い。その壮麗な建築などに見られる遺跡、遺物から想像するに実に特異な精神文化があったと思われるが、それが残らなかったのはインカに文字がなかったことも大きい。文字資料があれば、それが持ち出されて、あるいは隠されて伝えられた可能性は高い。中国では戦乱の時代になれば竹にそれを記して隠しておいたとされるし、チベットでは埋納経(聖なる山に埋められていた経典が発見されたとされるもの)の考え方がある。 他に悪魔学には「非」キリスト教的なものの他に「反」キリスト教というべきものがある。その最も重要な視点に「失楽園」の解釈がある。「失楽園」といえば17世紀、ミルトンの『失楽園』が有名であるが、そこでは「楽園追放」を悪魔の視点から再解釈しようとする姿勢を伺うことができる。ただ全体のストーリーは『聖書』に準じているので『失楽園』は悪魔学そのものの文献とはし難いところがある。現代『ダヴィンチコード』の著者として知られるダン・ブラウンの一連の著作はキリスト教界からかなりの反発を受けているが、かつてであればこうしたものは悪魔学の本と見なされていたかもしれない。 悪魔学からすれば、失楽園は悪魔によって知恵が開かれたものと考える。失楽園はアダムとイブが「善悪の知識の木の...

道徳武芸研究 八卦掌と天台止観

  道徳武芸研究 八卦掌と天台止観 八卦掌は八卦拳の一部であり、それが「八卦掌」世に流転した。八卦拳は八卦拳(羅漢拳)と八卦掌で構成されているが、入身の歩法と導引とを組み合わせた八卦掌の部分が広く世に知られるようになったのである。それは八卦掌が広まったのが北京であり、大都会である北京では既に武術の高いレベルにある人が多く、基本的な攻防の技術には精通しており、主として入身の技術を習得したがったという背景がある。形意拳などはその典型で八卦掌が、実質的には天津派の形意拳(李存義、張占魁)を媒介に広まったことも、八卦「拳」ではなく八卦「掌」がひとつの門派のように見なされて広まったひとつのの要因といえよう。そして、それは結果として一方で「神秘的」「最高級の武術」とされつつも「使い方の分からないシステム」と考えられるようになり現在では「投げ技」ではないかとする解釈が広まっている。 武術史家の康戈武は八卦掌の発生を道教の転天尊にあるとしたが、ある種の八卦掌の「分かりにくさ」はこうしたところにあるのかも知れない。つまりその起源が武術ではないところにあった、もともと攻防の技術ではなかったところに成立していたのが八卦「掌」であり、それを攻防へと繋ぐのが八卦「拳」であったのである。そうであるから多くの場合、八卦掌単独で学習されることはなく、形意拳など他の武術と併修されることがあるのはそうしたシステム上の要求があるからと考えられるのである。 転天尊とは本尊である「天尊」のまわりを歩いて巡る道教の儀礼であるが、これが円周上を歩くところに特徴を持つ八卦掌と共通していると康は考えたわけである。しかし転天尊は道教で広く行われているわけでもないし、それが仏教の常行三昧から来ているのは明らかである。また孫禄堂の『意拳述真』では師の程廷華が八卦掌は「口に念仏を唱えるように」と教えていたことからしても、念仏を唱えて阿弥陀仏のまわりをひたすら歩む常行三昧を八卦掌の淵源としては先ずは考えるべきであろう。それをあえて道教に求めたのは康の持つ「中華意識」によるもので、どうしても民族武術の発生を仏教とはしたくなかったのではなかろうかと思われるわけである。 常行三昧は天台止観に属するもので、天台止観は天台智顗の『摩訶止観』(6世紀)に記されている行法である。日本でも比叡山で行われていて、不眠不休でひたすら阿弥...

宋常星『太上道徳経講義』第七十章

  宋常星『太上道徳経講義』第七十章 (1)聖人の「性(本来的な心の働き)」は天と等しいものとされていて、内的な思いと外的な行いはひとつになっていて乖離はない。 (2)聖人の「心」は道と等しい。そうであるから動静はひとつである。動静がひとつであるというのは、心の本源を得ているからである。内外がひとつであるというのは、その「性」の本体を得ているからである。「性」の本体とは、つまりは「無私の至理」である。世の人は自分だけの思いで行動するので、その良し悪しがよく判断できていない。 (3)「心」の本源は、つまり「無私の大道」である。「無心の大道」である。世の人の心は私意をもって動いて、それによって行動をしている。老子は、そうでなければ天下を正しく知ることもできないし、正しく行うこともできない、と述べられているが、それは意図的に道を知ることはできないし、行うことも不可能であるということである。 (4)老子は、天下の人の心には正邪があるので、それを通して得た見聞には偏りが生まれているとする。人は欲望に溺れてしまうと、聖人がどのようにして知を得ているのかを理解することができない。聖人は行うべきを行うのであり、これをよく感得することで道と一体となれるのである。 1、自分は「(道を)知ることは全く簡単であるし、(徳を)行うことも全く簡単である。(と言おう) (1−1)老子の言うことには、すべからく「道」を見ることができ、一語一語に「理」が通っている。それは「道」や「理」が心に満ちており、それが口をついて出てきているからである。そうであるから全ての教えは「理」のままにあるのである。 (1−2)また老子のあらゆる行いも、全て「道」そのものである。これは何も特異なことではない。道を知ることは難しくなく、道を行うのは容易であるというのは、特におかしな話しではあるまい。 (1−3)道を行うのが難しいというのは、心の中に自分で作り出した理があるからであるとされている。そうであるから、そうした有為のないところでは道を知ることは簡単であり、それを行うこともまた容易なのである。 (1ー4)そうしたことを「自分は『(道を)知ることは全く簡単であるし、(徳を)行うことも全く簡単である』と言おう」としている。 【補注】ここでは「道」と「徳」とにしたが、これらは本質においては同じであるから共に「道」と...

道徳武芸研究 合気道の一ヶ条と太極拳の推手

  道徳武芸研究 合気道の一ヶ条と太極拳の推手 晩年の植芝盛平は通常は岩間に居たのであるが、時に東京の本部道場に来た折には立技の稽古をしていたのを見ると叱って、座技の一ヶ条(一教)を練習していれば機嫌が良かったとされている。そうであるから盛平が来ると立技を練習していても皆、一ヶ条を始めたということである。一方、大東流でもこれを「一本捕り」と称して重要な技に位置付けている。一般的には合気道でも大東流でも「基本を身につけるために重要である」と説明されていているようであるが、その「基本」が具体的にどのようなことであるのかについては説明されることがない。盛平の生きていた頃も明確にその重要性が理解されていなかった為に不可欠な鍛錬として稽古をし得ていた人が少なかったと思われる。 ここでは一ヶ条を太極拳の推手「四隅」推手との関連からその重要性を考えようとしている。太極拳の推手には「四正」推手と「四隅」推手がある。四正は「ホウ、リ、擠、按」であり、「四隅」は「採、肘、レツ、靠」となっている。つまり一ヶ条は太極拳の視点からすれば基礎(他の多くの技へと展開するための身法、歩法を習得する)を練る重要な方法ということになるわけである。そして合気道における「四正」は呼吸力養成法がそれに当たる。つまり一ヶ条の重要性は呼吸力養生法との兼ね合いで理解されなければならないわけであり、呼吸力養成法は基礎(あらゆる動きを生み出す力を練る)である「四正」と、一ヶ条は基本である「四隅」と等しいものとして位置付けられるのである。あらゆる技のベースである基礎となるのが呼吸力であり、それを技として展開するための基本となるのが一ヶ条なのである。 そこで呼吸力養成法を「四正」の観点から述べれば以下のようになる。 1、掴まれた両手を挙げるのは「ホウ(上方への崩し)」である。 2、そして更に腕を前に押して相手を大きく崩すのは「擠(前への崩し)」である。 3、それから斜め下に崩すのは「「リ(斜め下方への崩し)」である。 4、更に下に崩すのは「按(下への崩し)」である。 こうした一連の崩しのことを合気道では「呼吸力」としている。こうした動きの中で最も重要なのが「ホウ」であり、大東流ではこの部分を特に強調して「合気上げ」と称している。太極拳でも「ホウ」は相手のバランスを崩す(抜根)ための方法であり、これが全ての技の根本...