道徳武芸研究 合気道の一ヶ条と太極拳の推手

 道徳武芸研究 合気道の一ヶ条と太極拳の推手

晩年の植芝盛平は通常は岩間に居たのであるが、時に東京の本部道場に来た折には立技の稽古をしていたのを見ると叱って、座技の一ヶ条(一教)を練習していれば機嫌が良かったとされている。そうであるから盛平が来ると立技を練習していても皆、一ヶ条を始めたということである。一方、大東流でもこれを「一本捕り」と称して重要な技に位置付けている。一般的には合気道でも大東流でも「基本を身につけるために重要である」と説明されていているようであるが、その「基本」が具体的にどのようなことであるのかについては説明されることがない。盛平の生きていた頃も明確にその重要性が理解されていなかった為に不可欠な鍛錬として稽古をし得ていた人が少なかったと思われる。

ここでは一ヶ条を太極拳の推手「四隅」推手との関連からその重要性を考えようとしている。太極拳の推手には「四正」推手と「四隅」推手がある。四正は「ホウ、リ、擠、按」であり、「四隅」は「採、肘、レツ、靠」となっている。つまり一ヶ条は太極拳の視点からすれば基礎(他の多くの技へと展開するための身法、歩法を習得する)を練る重要な方法ということになるわけである。そして合気道における「四正」は呼吸力養成法がそれに当たる。つまり一ヶ条の重要性は呼吸力養生法との兼ね合いで理解されなければならないわけであり、呼吸力養成法は基礎(あらゆる動きを生み出す力を練る)である「四正」と、一ヶ条は基本である「四隅」と等しいものとして位置付けられるのである。あらゆる技のベースである基礎となるのが呼吸力であり、それを技として展開するための基本となるのが一ヶ条なのである。

そこで呼吸力養成法を「四正」の観点から述べれば以下のようになる。

1、掴まれた両手を挙げるのは「ホウ(上方への崩し)」である。

2、そして更に腕を前に押して相手を大きく崩すのは「擠(前への崩し)」である。

3、それから斜め下に崩すのは「「リ(斜め下方への崩し)」である。

4、更に下に崩すのは「按(下への崩し)」である。

こうした一連の崩しのことを合気道では「呼吸力」としている。こうした動きの中で最も重要なのが「ホウ」であり、大東流ではこの部分を特に強調して「合気上げ」と称している。太極拳でも「ホウ」は相手のバランスを崩す(抜根)ための方法であり、これが全ての技の根本である。そのためにこれを特に「ホウ勁」と称して重視している(四正の「ホウ」はその表現のひとつである)。つまり基礎となるシステムは太極拳と合気道、大東流で同じである、ということができる。そのため太極拳の推手を通して合気道、大東流の呼吸力養成法、合気上げや一ヶ条をより深く理解し得るのである。

次に四隅であるが、これは太極拳では大リと称されることもあるし、活歩推手といわれることもある(四正は定歩推手と称する)。四隅推手の構成を述べるならば、以下のようになる。

1、甲は手刀で打つ(合気道の正面打ちと同じ)。

2、乙はこれを上に流し(ホウ)、更に下に引き込んで(リ)、相手を制しようとする(一ヶ条で抑えようとする)。

3、甲は入身の歩法を使って相手が腕を制するより先に体当たり(靠)をする。

4、乙は甲の右腕の手首を採って(採)、肘を制して(肘)その動きを止める。

5、乙は再び体当たりをしようとするので乙は甲の腕を右にいなして(レツ)左に入身をして逃れる。

これが「四隅」の一連の流れである。次に合気道の一ヶ条を四隅で見れば、

1、甲は手刀で打つ(正面打ち)。

2、乙は甲の手首を採り(採)、肘を制して(肘)受ける。

3、更に乙は甲の腕を上に流して(ホウ)バランスを失わせ、下へと引き(リ)、腕を抑える(レツ)。

4、更に乙は甲の腕を抑える(靠)。

と、なろうか。太極拳では一ヶ条(正手)とそれを破る動き(破手)を加えているが、合気道では破手は示されていない。

また太極拳には「四正」推手と「四隅」推手の間に揉肘という推手を練習する。これは手刀を手首と肘で受けた時の形を互いに取って練る方法で、相手が押してくるのを捌くことを意図している。

1、甲と乙は互いに手首と肘とを触れた状態となる。

2、その形のまま甲は乙を押す。この時、甲は手首の「採」と肘の「肘」により乙の体幹へ力を及ぼしてそのバランスを崩そうとする。

3、乙は甲の押して来る力を「レツ」によって分断して、こちらの「採」と「肘」を乙に用いて相手を崩す。この時にホウ勁が働いている。

3。力(勁)を発して甲を飛ばす(靠)。

揉肘の妙味は相手が「採」と「肘」を用いて押しに来ている状況を逆転させて、こちらが「採」と「肘」を主体的に運用するところにある。つまり「押されている」のではなく「押させている」という状況に転換するわけである。

このように合気道と太極拳に同じ原理の動きを見ることができるのは、そのベースとなるシステムが同じであるからに他ならない。合気道の練習者からすれば太極拳は一人で練習するために有効であるし、太極拳の練習者からすれば合気道は推手の展開として興味深いものがあろう。


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