道徳武芸研究 「折れない腕」と熊膀と
道徳武芸研究 「折れない腕」と熊膀と
「折れない腕」は心身統一合氣道の藤平光一が言い出したことで、伸ばした腕に力を加えて、それを折り曲げようとしても折り曲げられなくなれば「気が出ている」とされるものである。通常は力で押されると肘のところで腕は曲がるのであるが、腕に「気」が流れることで折り曲げられなくなる、ということらしい。養神館合気道の塩田剛三も臂力の養成に着目しているので、ある種の腕の力=臂力が合気道と深い繋がりのあることを合気会から出て独自の会派を立ち上げた二人が共に述べているのはおもしろい。何か合気会にはない新しさをアピールしたかったのかもしれない。ちなみに中国武術でも通臂功という功法があって「腕=肘=臂」を重要視している。
一方、熊膀の「膀」とは「体側」のことであるが、一般に「脇」と言われることと同じである。よく「脇を締める」とか言うところの「脇」である。ボクシングの試合などでは疲れてくると「脇が空いて来た」とされる。脇が空いてしまうと強く打つことができなくなる。またいろいろな運動で「脇を締める」ことが注意される。それは「脇」とされるところを「締める」ことで集中した力を出すことができるようになるからである。こうしたことを形意拳では特に「熊膀」の秘訣としている。それは熊の巨大な力は「膀=脇」から出ていると考えるからである。
形意拳では「熊膀」を完成するには「龍身」を行わなければならないとする。「龍身」は腰を引いて胸を開く身法であるが、これには幾つかの注意点があり、そうした秘訣を守ることができるようになれば「脇」を意識できるようになる。そうした状態で拳を練ると次第に「熊膀」が練られて来るわけである。つまり「龍身」と「熊膀」はひとつのものなのである。八卦拳では横向きの構えをとるが、これはまさに「熊膀」を意識させるのに有効であるからに他ならない。八卦拳では「龍身」を特に強調するが「龍身」が完成することはすなわち「熊膀」が練れているということでもある。八卦拳は形としては形意拳よりもさらに「熊膀」を重視しているといえよう。
こうして見ると「折れない腕」は実は「熊膀」のことを言っていたことが分かるのである。臂力の養成というのも、これは「熊膀」のことであるわけである。そうしたことと合気道がどうして関係して来るのか。それには植芝盛平も重視した「三角体」を見なければならない。「三角体」とは合気道の構えのことである。半身で構えると身体は三角錐を形成する。これを「三角体」と言ってるわけである。こうした構えは古今東西あらゆる武術にも共通している。そして、この「三角体」こそが「龍身」の基本なのである。つまり「三角体」を完成させるには「熊膀」が出来ていなければならないわけで、ここに「折れない腕」や「臂力」が関係して来るわけである。
形意拳では「折れない腕」は行われないが、前後左右から押されても半身の姿勢を崩さないようにして「熊膀」「龍身」が出来ているかどうかを見ることになっている。実際のところ「折れない腕」も腕だけで出来るものではなかろう。全身の状態が整ってこそできるものと思われる。そうであるならあえて「腕」だけをいうのでなかく「三角体」を基準にした方が良いのではなかろうか。大東流や合気道は一ヶ条を重視するが、これも「折れない腕」と同様に、肘を挙げられることで「脇」を感じることができるようになるからである。つまり「肘」と「脇」との関連を感じられるようになるのである。その感覚をして練習をすれば「熊膀」を練ることが可能となる。合気道的に言うならば「三角体」を練ることができるようになる、ということになる。