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第四章 合気道技法の「実戦性」とは何か(9)

  第四章 合気道技法の「実戦性」とは何か(9) 日本で「拿」が広く練習されるようになったのは大東流が出現してからである。大東流の技法は合気道として展開されて広く知られるようになった。また八光流も一時期、かなりの修行者を集めた。八光流からは空手の本部御殿手なども生まれている。この流れは現代でも沖縄の中国武術で「拿」への強い志向を見ることができる。同じく空手では合気道から出た親英体道に影響を受けた松濤館空手や新体道などが出ている。このように特に優れた実戦性が実証されているわけでもないのに近現代の日本では「拿」の系統の武術が不思議なほど広く行われるという特異な状態が出現している。もちろん「拿」が実戦に使えないということではない。また競技試合で使いにくいのは相手が逃げるのが原因である。「拿」は一種の「返し技」なので、相手が逃げると掛けることは難しい。合気道でも大東流でもほとんどの技が相手の攻撃を受けて行う形になっているのは、基本的に「拿」が「返し技」であるからに他ならない。

第四章 合気道技法の「実戦性」とは何か(8)

  第四章 合気道技法の「実戦性」とは何か(8) 嘉納治五郎が構想していた柔道は「やわら」の理念を核とした「日本武道の総合」にあった。それは一般に見られる組んだ状態のものに加えて、離れた状態から始める離隔法も必要とされ、そこに合気道の技法が求められた。他に武器に対するものも考えられた。また当身にかかわる技法は空手が参考にされた。これらは講道館護身術、五方当などとして残されているが、その多くは形式的な伝承に留まっている。嘉納は「やわら」の考えをベースとしてあらゆる古流を見直すことで最高の日本の武道を講道館で構築できると考えていたようなのである。

第四章 合気道技法の「実戦性」とは何か(7) 

  第四章 合気道技法の「実戦性」とは何か(7)  実際に大東流や合気道などで展開されている逆手(関節技)は実戦ではなかなか掛けることができない。それは合気道の系統で試合ができないことにも表れている。一応、合気道では理念として試合をしない、ということになっているが、試合を行っている会派ではおおよそが「打ち合い」になってしまい、関節技はほとんど見ることができない。また投げを使っていてもそれは柔術や柔道の技である。つまり合気道系で競技試合ができないのは理念的(万有愛護の思想)なものと並んで逆手技が掛けにくいという現実もあることを忘れてはならない。早くから合気道の試合化を模索していた富木謙治は柔道の出身であることもあって、競技試合の「合気道」は柔術技法を取り入れるなどしている。これは試合競技としての合気道を「柔道の枠組み」に入れることを志向しているようである。実際、合気道の競技試合は「柔道第荷二乱取り法」と称されていた。これには富木が講道館から合気道を柔道に取り入れるために派遣されたとという歴史的な経緯も関係していよう。

第四章 合気道技法の「実戦性」とは何か(6)

  第四章 合気道技法の「実戦性」とは何か(6) 「拿」の問題点は演武ではきれいに掛けることができるものの相手に抵抗されるとなかなか技を掛けるのが難しいところにある。そのため実戦では「打」で相手の戦闘能力を抑えておいてから「拿」を用いると教えられることになる。教門長拳の名手で「拿」にも優れていた韓慶堂の著書に『警察応用技能』があるが、「拿」とは先に指摘した柔術と同じく相手を取り押さえる、という特殊な場面でのみ価値を有するものなのである。通常の攻防では相手を制して逃げれば良いわけで、あえて取り押さえる必要もない。中国で「拿」があまり練習されないのは、それが「掛けにくいもの」であること、そして「特殊な場面でしか使えないもの」であることがある。 

第四章 合気道技法の「実戦性」とは何か(5)

  第四章 合気道技法の「実戦性」とは何か(5) 興味深いことに日本では近代になって「拿」の体系の武術が広く出現するようになった。大東流もそうであるし、合気道や少林寺拳法なども「拿」を中心としている。大東流は古武道大会にも出ているが、その存在が確かになるのは近代になってからで、柔道よりも新しいともいえる。近世におおいに発達した柔術でも「拿」の技法はある。しかし、それは殿中などで狼藉物を取り押さえるための技術として備えられていた。例えば大東流の五人捕で、仰向けに寝ているところに胸の上に一人のり、他の四人はそれぞれ手足を抑えているのを投げ飛ばす技法があるが、柔術の伝書ではこれは抑えるための技法として出ている。その場合にはうつ伏せにする。仰向けであれば五人捕は可能であるが、うつ伏せになると手足の可動域が極端に小さくなるので返すことはできなくなる。つまり近世あたりの「拿」は相手を抑えることをもっぱらとしていたのである。

第四章 合気道技法の「実戦性」とは何か(4)

  第四章 合気道技法の「実戦性」とは何か(4) 世界的に武術はボクシング系とレスリング系に分けられるとされている。中国大陸は大部分がボクシング系(打)であり、日本はほとんどがレスリング系(シュツ)である。おもしろいのは世界において「拿」の逆手の体系は独立しての「武術」と見なされることがないという点である。擒拿は大体において応用として習われており、独立した技法体系とは見なされていない。「打」の系統であれば倒した相手を抑える時によく使われるし、「シュツ」の系統では投げのプロセスの途中で逃さないように関節を用いることもある。擒拿は正手、反手、破手で成り立っているが、正手は相手から掴まれたり、打たれたりする状態を想定したものでこれは合気道などと同じである。反手はこちらから仕掛ける掛け手といわれるもので、破手は返し技である。

第四章 合気道技法の「実戦性」とは何か(3)

  第四章 合気道技法の「実戦性」とは何か(3) 中国武術では攻防の技法の展開を「打」「拿」「シュツ(手偏に率)」とする。「打」は打撃であり中国武術は中国「拳法」と称されるように「打」が主となっている。「拿」は逆手術で擒拿という技法体系がある。また「シュツ」は中国相撲と呼ばれるシュツ角が知られていて、台湾では常東昇が「花胡蝶」の異名を得て華麗な技を見せていた。これはひとつの技が決まらなければ次々と技を繰り出す華麗さを形容している。つまり常東昇ほどの名人でもなかなか技を極めることは難しいということである。ちなみに常は太極拳も研究していて常式太極拳が伝えられている。これはシュツ角の技法を織り込んだおもしろい構成になっている。