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第二章 感覚の伝授としての八卦拳・変架子と八卦掌(17)

  第二章  感覚の伝授 としての八卦拳・変架子と八卦掌(17) 八卦拳の「変化」を考える場合に八宮拳というカテゴリーのあるのを知らなければならない。また太極拳には「長拳」というカテゴリーがある。これらは有効と思われる他の武術の動きを取り入れるためのカテゴリーである。現代になっては八卦拳は蟷螂拳と競うことがあったようで蟷螂拳に近い技が八宮拳には少なからず見ることができる。これは相手の動きを知って、それに対応するためである。高義盛の八卦掌では後天八卦六十四掌にいろいろな技が集められている。ただこれらと変架子とは全く違っている。変架子は常に変化をして定まることがない。太極拳の神明の境地も同様である。またこれをシャドーボクシングのようなものとするのもまちがっている。意拳の系統ではそうした練習法もあるようであるが、そうした練習法では一定の動きの範囲を出ることはできない。絵でも「自由に描いて良い」と言われて二、三枚なら違ったタッチの絵も描けるが、二百枚、三百枚となると「その人なりの描き方」になってしまうものである。

第二章 感覚の伝授としての八卦拳・変架子と八卦掌(16)

  第二章  感覚の伝授 としての八卦拳・変架子と八卦掌(16) 太極拳ではこうした学習過程を「覚勁」「トウ勁」「神明」としている。八卦拳では「定架子」「活架子」「変架子」である。太極拳でも八卦拳でも三段階の変化のあることを教えているが、太極拳では「覚勁」「トウ勁」として始めの二段階までは武術的な力の使い方である「勁」の変化であるとする。そして最後は「神明」としてこれが形の範囲を逸脱するものであるとする。一方、八卦拳ではあくまで套路を意味する「架子」が最後までついてくる。つまり套路そのものにこだわっているわけである。最後には基本となる定形の套路にこだわらないということでは太極拳も八卦拳も同じなのであるが、八卦拳では套路そのものも変えて構わないとしている。ただこうしたやり方はシステムそのものの崩壊の危機を招くことになりかねない。そこで変化という形(変化掌など)が生まれてしまうことになる。「変化」としての「定式」が固定してしまうのである。こうした危険を防ぐために太極拳や形意拳ではあえて套路の変化を重視する姿勢を取らず、自由な変化は実際の攻防においてなされるとしたのであった。

第二章 感覚の伝授としての八卦拳・変架子と八卦掌(15)

第二章  感覚の伝授 としての八卦拳・変架子と八卦掌(15) 老子は「道の道とすべきは常の道にあらず」(第一章)と教えている。これは一般的に考えられている「道」が一旦は否定されて、その後に得られる「道」こそが本当の「道」であるということである。奥義を教える方途として一字訣が多く用いられたのは、それが「一字」に情報をフォーカスすることで否定を容易にし、更に新たな道を見出しやするするためであった。「柔」がその否定を経て「至柔」となることで本当の「柔」への悟りが得られることになる。「至柔」には柔の反対である剛が含まれている。こうしたことを太極拳では「綿中蔵針(綿の中に針を蔵する)」であるとか「曲中求直(曲の中に直を求める)」であるとする。「綿中蔵針」の「綿」は柔であり、「針」が剛である。太極拳の「柔」とは柔の中に剛を包み込んだものでなけらばならない。また「曲中求直」の「曲」は柔であり、「直」は剛となる。いうならば「曲中求直」は「柔」を否定する段階の教えで、「綿中蔵針」はあるあるべき「柔」を得た「至柔」を示しているとすることができるであろう。

第二章 感覚の伝授としての八卦拳・変架子と八卦掌(14)

  第二章  感覚の伝授 としての八卦拳・変架子と八卦掌(14) 「柔」字訣はある意味で「先入観」を作るためのものでもある。動きを習う過程で弟子は何らかのイメージを持つことであろう。そして「柔」字訣を知るとそれが「柔」であると理解する。しかし、この段階の「柔」は太極拳で求めている「柔」ではない。そうであるから弟子の先入観として持っている「柔」を師は徹底的に否定する。こうして時間を稼いでいる内に弟子は自ずから真の「柔」を体得することになる。これは反対に弟子を肯定的に扱ってして教えることもできる。「よくできている」と評して弟子が更に練習を続ければ真の「柔」を得ることができるかもしれない。大体において3年から6年くらい熱心に練習できる環境を師は提供すれば良い。そうすると弟子は自ずから太極拳の深い境地(神明)を得る。禅ではよく「底を抜く」という。底を抜かなければ水が満杯である桶に新しい水を入れることはできないと教える。つまり得るのではなく、捨てる(捨己)のが太極拳の修行であると気づくことが大切なのである。

第二章 感覚の伝授としての八卦拳・変架子と八卦掌(13)

  第二章  感覚の伝授 としての八卦拳・変架子と八卦掌(13) 実際に太極拳を習って、「柔」字訣を得たならば、その独特な柔らかさを知ることができるであろう。確かに字訣を知っていれば拳の核心部分の特徴を最も適切にとらえることができる。あるいは「柔」字訣を知らなければ動きの異なる楊家と呉家を同じ太極拳として認識できないかもしれないし、陳家の太極拳が、楊家や呉家などの太極拳と同じものであるように考えてしまうかもしれない。陳家と楊家が等しく太極拳と見なされるようになったのは、ひとつには楊露禅が陳長興から拳を学んだ史実による。ただ陳家溝ではただ「太極拳」だけが練習されていたわけではないようで、砲捶とされるものの他に一套から五套までの拳の伝承があったとされている。この中で太極拳は一套(頭套)に分類されたために頭套拳と称されることもあった。陳家の本流はあくまで砲捶で、太極拳もその理論によって改変された。それが現在の陳家太極拳である。普通に見れば陳家と楊家や呉家の太極拳の違いは明確である。それが見えなくなったのは歴史的な知識という先入観が邪魔をしているからである。

第二章 感覚の伝授としての八卦拳・変架子と八卦掌(12)

  第二章  感覚の伝授 としての八卦拳・変架子と八卦掌(12) これは植芝盛平が盛んに「禊」を言っていたこととも共通していよう。盛平は合気道を「小門(おど)の神業」であるとしていた。これは黄泉の国に行って穢れた伊邪那岐の命が禊を行ったのが筑紫の小門であったことをいうものである。こうした背景には本来、万物には穢はなく、人のみが欲望を持つことによって穢れた存在となっているとする考え方がある。つまり合気道を修することで行おうとしているのは本来の自分を取り戻すことに他ならないのであり、これを姜容樵の言い方を借りれば「天然の内功」を開くということになる。これは太極拳でも「鬆浄」の語があるように「鬆」とは「浄」でもあると考えており濁気は下り、清気は上るとされていた。この上る清気のことを「虚霊頂勁」と称する。ちなみに「虚霊頂勁」は「虚霊、勁を頂く」で虚霊が発動することで勁(ちから)が頭部まで達することを教えている。要は内功とされる勁(ちから)が全身にみなぎるということである。

第二章 感覚の伝授としての八卦拳・変架子と八卦掌(11)

  第二章  感覚の伝授 としての八卦拳・変架子と八卦掌(11) 鄭曼青は楊澄甫から「鬆であれ」と教えられて力を抜くと、「違う」と言われ、やや力を入れると、それも「違う」とされる、毎回この繰り返しで「どうして良いのか分からなくなった」と述べている。「鬆」はただ力を抜くだけではないし、少し力を入れるのでもない。心身の状態が太極拳が求める状態になったのが「鬆」なのである。これを体得するには套路を練って行くしかない。ひたすら套路を練ることで自ずから心身がある状態(鬆)となる。この時まで師はひたすら「違う」と言い続けることになる。「違う」と言われた弟子は力を入れたり、抜いたりしてみるのであるが、そうしている内にこのような努力がむだであることに気づく。この時に「捨己」が得られて、「鬆」が成るわけである。太極拳では「柔」や「鬆」は本来、心身に備わっているものとする。そうであるからそれを努力して得ることはできない。余計なものを除くことで自ずから開かれるのを待たなければならないのである。