第二章 感覚の伝授としての八卦拳・変架子と八卦掌(11)
第二章 感覚の伝授としての八卦拳・変架子と八卦掌(11)
鄭曼青は楊澄甫から「鬆であれ」と教えられて力を抜くと、「違う」と言われ、やや力を入れると、それも「違う」とされる、毎回この繰り返しで「どうして良いのか分からなくなった」と述べている。「鬆」はただ力を抜くだけではないし、少し力を入れるのでもない。心身の状態が太極拳が求める状態になったのが「鬆」なのである。これを体得するには套路を練って行くしかない。ひたすら套路を練ることで自ずから心身がある状態(鬆)となる。この時まで師はひたすら「違う」と言い続けることになる。「違う」と言われた弟子は力を入れたり、抜いたりしてみるのであるが、そうしている内にこのような努力がむだであることに気づく。この時に「捨己」が得られて、「鬆」が成るわけである。太極拳では「柔」や「鬆」は本来、心身に備わっているものとする。そうであるからそれを努力して得ることはできない。余計なものを除くことで自ずから開かれるのを待たなければならないのである。