第二章 感覚の伝授としての八卦拳・変架子と八卦掌(14)

 第二章 感覚の伝授としての八卦拳・変架子と八卦掌(14)

「柔」字訣はある意味で「先入観」を作るためのものでもある。動きを習う過程で弟子は何らかのイメージを持つことであろう。そして「柔」字訣を知るとそれが「柔」であると理解する。しかし、この段階の「柔」は太極拳で求めている「柔」ではない。そうであるから弟子の先入観として持っている「柔」を師は徹底的に否定する。こうして時間を稼いでいる内に弟子は自ずから真の「柔」を体得することになる。これは反対に弟子を肯定的に扱ってして教えることもできる。「よくできている」と評して弟子が更に練習を続ければ真の「柔」を得ることができるかもしれない。大体において3年から6年くらい熱心に練習できる環境を師は提供すれば良い。そうすると弟子は自ずから太極拳の深い境地(神明)を得る。禅ではよく「底を抜く」という。底を抜かなければ水が満杯である桶に新しい水を入れることはできないと教える。つまり得るのではなく、捨てる(捨己)のが太極拳の修行であると気づくことが大切なのである。

このブログの人気の投稿

道徳武芸研究 八卦拳の変化と蟷螂拳の分身八肘(8)

道徳武芸研究 改めての「合気」と「発勁」(6)

道徳武芸研究 八卦拳から合気道を考える〜単双換掌と表裏〜(4)